棺姫のチャイカ (10) (富士見ファンタジア文庫)

【棺姫のチャイカ 10】 榊一郎/なまにくATK 富士見ファンタジア文庫

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全ての『遺体』が集まり、黒チャイカの儀式によって現世に復活を果たした“禁断皇帝”アルトゥール・ガズ。しかしそれは同時にチャイカの生きる目的だった父親の『遺体』を集める行為は、ガズ皇帝によって使い捨ての道具として仕組まれたものであるという真実を知ることになる。与えられた使命すらも無くし、生きる目的を失ったチャイカに、トールは声をかける。
「我が主。初めて会った時の事を覚えているか?」
かつて自分が言われた言葉を今度はチャイカに向けて―。再び。見つける。今から。もう一度。
トールの焦らしプレイに、フレドリカ焦る焦る!
いや、いきなし喉笛食いちぎっちゃったあんたが悪いんだけれど。体の一部を交換すればいいのなら、もう少し穏当な場所があっただろうに、勢いとノリだけでやっちゃうから。あれだけ素で焦ってるフレドリカは初めて見たなあ。
とはいえ、最近のフレドリカは当初の「異質な生物」らしい感覚がだいぶ失せて、真似事に過ぎなかった感情豊かな演技もなかに実感が伴ってきている気がするんですよね。事実、トールと契約したにも関わらず、今までのフレドリカとパーソナリティがまるで変化していない。ドラグーンは、契約した人間の人格にそのパーソナリティが影響を受けて形成される、とされているはずなのに、だ。これは、もうフレドリカが「フレドリカ」という個性を獲得している証左なんじゃなかろうか。
面白いことにこれ、フレドリカはトールと契約することでむしろ「道具」としての自分から脱却したとも言えるわけです。アカリがフレドリカに対して「ヤる気」漲らせだしたのも、そのせいかと。
図らずも、じゃなくて図ってるんだろうけれど、ちょうどこのターンでフレドリカにしても、そして自らがガズを復活させる道具の一つに過ぎなかったと知ったチャイカが、赤チャイカも含めて道具としてではなく、人として生きる事を選ぶに至ったお話だったわけですな。それを先導したのが、誰よりも道具であることを規定されていたサバターであるトールであり、彼が道具足らんとするよりも人として生きようと思うようになった原因こそが、チャイカであった事を思えば、面白くも善き相互関係とも言えるのだろうこれ。
そして、かのアルトゥール・ガズもまた、自ら道具足ることに叛意し、自らを生み出した神に対して周到かつ大胆に反逆してみせたわけだけれど、一方で彼はチャイカたちを使い捨て、未だ在り方に迷うシンを道具として規定し、ニーヴァ・ラーダを杖として以外見ていないというように、むしろ積極的に自ら以外を道具として見做し、扱おうとしている。相互の関係によって、道具としての自分から手を携えあって脱却しようとしたトール一行、そして赤チャイカたちと比べると、どうしても相容れぬ点がそこにあるんですよね。
それでもまだ、ガズが神を殺す云々については、どうぞご勝手にやってください、ともう役目から解かれたチャイカたちからすると関係ない話で、あとは逃げ出せばもう一切関わる必要もない、と思ってたんだけれど、ラストのガズ皇帝の宣言を聞いてしまうと、さすがにそうも言っていられなくなってしまうのか、これ。
いやいや、まさかそう来るとは。意外と盲点だったぞ、この流れは。いや、普通に考えるとガズがこの考えを温めているというのは不思議でもなんでもなかったのだけれど、神との対決、そして神殺しなんて途方も無い事を企んでいて、上ばかり見上げているものとばかり思っていたから、その究極の反逆をどうして抱くに至ったか、何を欲して神を殺そうと思ったか、については自由を得たい、というところから先を想像してなかったからなあ。自由になって、その先彼が何を考えているか、については不思議なくらい頭になかった。
ぶっちゃけ、それでも極論するとジレット隊長たちと違ってしがらみも正義感も持たないトールたちは、ガズの宣言に対して背を向けて逃げちゃって関わるまいとしても、何の問題もないはずなんだけれど……そうもいかないのかなあ。意外と、再会して語り合った、あののんびりとみんなで一緒に普通に暮らそうという展望こそが、新たな戦乱を起こそうというガズに対決する動力になるのだろうか。
ともあれ、ついにというか、赤と白のチャイカがちゃんと意思を通じ合わせて共闘するシーンを目の当たりに出来て、十分堪能しました。赤チャイカパーティーは、いつ惨劇に見舞われるかハラハラしてたんだけれど、さすがにこれ、シチュエーション的ピークを越えて、フラグ折れたかなあ。

シリーズ感想