終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか? (角川スニーカー文庫)

【終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?】 枯野瑛/ue 角川スニーカー文庫

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“人間”は規格外の“獣”に蹂躙され、滅びた。たったひとり、数百年の眠りから覚めた青年ヴィレムを除いて。“人間”に代わり“獣”を倒しうるのは、“聖剣”と、それを扱う妖精兵のみ。戦いののち、“聖剣”は再利用されるが、力を使い果たした妖精兵たちは死んでゆく。「せめて、消えたくないじゃない。誰かに覚えててほしいじゃない。つながっててほしいじゃない」
死にゆく定めの少女妖精たちと青年教官の、儚くも輝ける日々。

果たして、ここまで見ているだけで胸締め付けられる表紙絵がどれほどあっただろう。食い縛った口元を見ろ。握りしめられた拳を見ろ。まっすぐに此方を見つめてくる碧い瞳を見るがいい。その苦鳴が聞こえてくるかのような涙は、何のために流されているのか。
ここまで魅入られたジャケットは、随分と久々である。しばし、呆けたように眺め続けた。

枯野瑛の物語には、夕焼け色がよく似合う。黄昏色がよく似合う。
それは【銀月のソルトレージュ】からの、或いは【echo】からの、もっと遡って【魔法遣いに大切なこと】の頃から、感じ続けていた思いである。終わりを連想させるノスタルジー。儚く物悲しく、それ故に切ないまでに美しい、去りゆくモノの物語だ。
私は、この人の書く物語が、文章がとても好きで好きでたまらなくて、今でもこの人の著作は手を伸ばせばすぐに手が届く所に確保してある。
本当に、好きなのだ。
【銀月のソルトレージュ】の完結から6年。ノベライズの【セイクリッドブレイズ】からでも5年半。長い長い沈黙の期間だった。半ば、もうこの人の書く本は読めないのだと諦めていただけに、もう一度新たなシリーズが立ち上がると知った時は、嬉しかった、とてもとても。
そして、6年ぶりの枯野さんの描く物語は、やっぱりこの人の物語だった。この優しくも切なく、穏やかながらも鋭く、賑やかながらも深と静やかな空気感は、間違いなく、間違いなく。
思えば、未熟な少女たちを導き鍛える教官モノ、というジャンルは最近隆盛となりつつあるテンプレートにも関わらず、古豪とも言うべき人が手掛けると、ここまで違って見えるものなのか。まず立つ位置が違い、見上げる方向が違う。観点の、違いなのだろう。それは時代の違いであり、作家としての根本的な作風の違いでもある。
そして、彼は、ヴィレムは徹底して父親として存在しようとしている。男としてでも教師としてでもなく。その一点のみで、この作品が語ろうとしている物語は描き出そうとしている景色を違えているのだろう。
何もかもが喪われて終わってしまった向こう側。終末のその先でまた巡りあうもう一つの行き止まり。そこで立ち尽くしたまま消えていくはずだった少女たちと出会ってしまった形骸は、その今にも崩れそうなほどボロボロで空っぽになってしまった器を、彼女たちの帰る場所に仕立て、せめて彼女たちを暖かく包み込もうとしている。己自身、荒涼と吹きすさぶ寒々とした虚無に晒され、身も心も朽ちさせながら、だ。その何と哀しいことだろう、切ないことだろう。
何て、愛情深いことだろう。

だからこそ、だからこそだ。あまりにも、あまりにもこの展開は、あの獣の叫びは、呼び声は……。
もう涙腺の決壊を止めることが出来なかった。
怖いよ。押し潰されそうだ。でも、だからこそ切実に、続きを望む。このままだと、余りにも悲しすぎて。


枯野瑛作品感想