エイルン・ラストコード ~架空世界より戦場へ~ (MF文庫J)

【エイルン・ラストコード ~架空世界より戦場へ~】 東龍乃助/汐山このむ MF文庫J

Amazon

これは嘘を真実に、空想を現実に変える、いや変えていった人間達の魂の物語である。
西暦2070年。人類が謎の生命体マリスから襲撃を受けて半世紀以上の時が流れた。
「闘うの……ヤなの。痛いのイヤ……もう全部……ヤなのイヤ……助けて、誰か……」
だがマリスに唯一対抗できる巨大兵器 <黒き魔女> デストブルムのパイロット・セレンは絶望的な戦いに精神を疲弊しきっていた。そんなある日戦場に奇跡が舞い降りる。
国籍不明の謎の戦闘機が出現、この世界に存在し得ない超兵器で、マリスを一掃する。
盛り上がる人類。だが、戦闘機から出てきたのはこの世界での大人気アニメ「ドール・ワルツ・レクイエム」のパイロット、エイルン・バザットそっくりの少年で――。
嫌がる子女を無理やりロボットなどの戦闘機械に乗せて敵と戦わせる、というシチュエーションは古式ゆかしいものですけれど……うん、ここまでガチに嫌がってる、というどころのレベルではない、本気で怯えて逃げ惑う女の子を、泣き叫んで暴れる子供を無理やりパイロットシートに押し込んで、という凄まじいシーンには、しばし呆然としてしまった。ヒロインのセレンの怯え方は虐待を受けてる子供のそれと一緒なんですよね。それも、精神的に壊れる崖っぷち。狂乱と言うのが相応しいような少女の泣き叫ぶ様子は、可哀想とか同情するとかいうのを通り越して、思わず思考停止してしまう。本来なら、そこまでひどい所業を強いる大人たちには嫌悪感を抱きそうなものなんですが、人間を食料として喰う怪物の大群を前に末期戦の様相を呈した人類は、コチラはコチラで精神的に疲弊し切っていて、完全に余裕を失っている状況。幼いから、子供だから、女の子だからと気遣い慮るだけの余裕が一切失われているわけです。人品として善人であるだろう司令ですら、セレン以外に対処の仕様がないということで、情を排して冷徹に徹している状況である。
人間、衣食住が満たされず、それどころか生存すらおぼつかない切羽詰まった、追い詰められた状態に置かれた時、いやそれが瞬間的なものではなく継続的に、それこそ年単位で何十年と圧迫され続けた時、いったいどれだけ残酷に、無情に、酷薄になれるか、という一例がここに示されている。
うん、こんなのを冒頭から見せつけられたら、インパクトとしては強烈極まる。
はっきり言って、人類サイドはかなり頭おかしくなってます。マリスに対する唯一と言っていい切り札を大事に大切に扱うのではなく、八つ当りするようにまともな人権すら与えずに使い潰すように扱っているところなど。でも、その理不尽さは理解不能なものではなく、ああやらかしかねないなあ、というものでもあるんですよね。それだけ、人類が理性を保てないほどに追い詰められ、絶滅しかかっている、という絶望感が伝わってくる。
セレンはセレンで、パニック状態で指示が届くような状態ではなく、味方を巻き添えにして盲滅法に撃ちまくるばかりで、戦いも何もあったもんじゃない。本当にひどい状態。
舞台の整え方としては十分以上でしょう、これは。
ここまで余裕が失われた世界に、突如救世主として現れたのが、この世界で放映されてる人気アニメのキャラクター、というのは考えてみれば随分と皮肉がきいている。まあ受け入れられるはずがない。当人がアニメの登場人物という自覚がない、というのが尚更に混乱に拍車がかかり、根本から存在否定されるエイルンの悲惨なこと悲惨なこと。自分が命懸けで戦ってきた事が、人生そのものが「虚構」呼ばわりされるというのはどれほどのことか。
でも、アニメのキャラだと誰も信じないのは当然といえば当然で、たとえば誰もが知ってるガンダムのアムロ・レイだとかエヴァの綾波みたいなのが現実に出てきても、せいぜいなりきりコスプレイヤーにしか見えないよね。アニメキャラがアニメ調のデザインのまんま、現実世界に出てくるわけじゃないんだから。ビジュアルも相応に実写化されたフォルムチェンジがなされてるんだろうし。

虚構の中のヒーローが、果たして現実世界においても英雄足り得るのか。極限状態に置かれても、いやだからこそ人は人としての尊厳を、誇りを掲げる事が叶うのか。命を燃やして戦うのは、一体何の為だったのか。
本当の意味で「絶望と戦う」ことを選んだ者たちの姿が、思わず拳を握ってしまうほど熱い。まさに、燃えている。
面白い試みとして、戦闘シーンを幾つかイラストではなく、完全に漫画として掲載してるんですよね。これに関しては、アクションシーン、かなり迫力と熱量とスピード感がある漫画で見応えあったんですが、なかなかこのレベルを用意出来るケースは多くないでしょうし、スタンダードにはなりにくいかなあ。でも、方法の一つとして定着するのはアリだと思う。さて、使いこなせる、使いドコロを見極められるかは編集サイドも人を、センスを問われることになると思うけれど。