ひとつ海のパラスアテナ (電撃文庫)

【ひとつ海のパラスアテナ】 鳩見すた/とろっち 電撃文庫

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すべての『陸』は、水底(みなぞこ)に沈んだ。透き通る蒼い海と、紺碧の空。世界の全てを二つの青が覆う時代、『アフター』。
セイラー服を着て『海の男』として生きるボクは、両親の形見・愛船パラス号で大海を渡り荷物を届ける『メッセンジャー』として暮らしていた。そんなボクに、この大海原は気兼ねなくとびきりの『不運』を与えてくる。
――『白い嵐』。
無情にも襲いかかる自然の猛威。それは、海に浮かぶ全てを破壊した。
愛船パラス号を失い、ボクが流れ着いたのは孤立無援の浮島。食糧も、水も、衣服も、何も無い。あるのは、ただただ広がる『青』。ここに、助けは来るのか、それとも――
それは、いつ終わるとも分からない。ボクの『生きるための戦い』。
「海は広いな 大きいな
月がのぼるし 日が沈む

海は大波 青い波
ゆれてどこまで続くやら

海にお舟を浮かばして
行ってみたいな よその国」


この童謡は、はじめて海を見た子の素直な感動が綴られたような詩である。そこには海の美しさ、広大さへの憧れが語られていて……しかし、それは陸から、大地から海を眺めながら口ずさむ歌でもある。
この世界には、人が踏みしめるべき大地が存在しない。寄る辺となる故郷がない。帰るべき港がない。はじまりから終わりまで、すべてが海。世界は、空と海の青しかない。その広さも大きさも、大波も青い波も、遠くに眺めるものではなく、人が生まれてから死ぬまでに常にその只中にある、そんな世界なのだ。
一日一日、生きることが全力であり続ける世界。生きることが、戦いの世界。だからだろう、生存し続ける事だけで精一杯で、彼らはあまりにも孤独に慣れ親しみすぎている。見渡す限り、青しかない世界にポカリと浮かぶ船の上に、自分ただ一人だけが存在している世界。それがどれほどの孤独感なのか、想像を絶する。生きることに精一杯にならないといけない状況というのは、むしろ孤独を意識している暇を無くすという意味で必要なものなのかもしれない、と思うほどに。
それでも、孤独に耐え切れず、海の上で一人生きる者たちは、小動物の類を家族として連れ添うのだという。アキもまた、キーちゃんというオウムガエルを唯一の家族として船に乗せていたのだが……。
「たくさん生きろ」、残されたその言葉に従って懸命にこの海で生きるアキだけれど、この「たくさん」というのはどういう意味を含んでいるのだろう。アキは、どうやらそれを長く生きろ、とは解釈しなかったようだ。痛烈なほどに孤独を知り、生きるために生きることの辛さを思い、死に対して解放感すら感じていた彼女が掴んだのは、誰かと共に生きることの喜びであった。一人じゃない、という事のなんと素晴らしいことか。誰かと共に、誰かの為に生きるということの、なんと喜ばしいことか。ただ生存するために生きるよりも、はるかに生きる実感が得られる生活。
海の上で出会った少女タカとの生活は、アキの中にぽっかりとあいた穴を埋め尽くし、心を満たしてくれる。
この広い海の上に二人ぼっち。それは、世界をたった二人で独り占めしてしまったかのような素晴らしい日々。これこそ、「たくさん生きる」というべき一日一日。タカとすごす時間は、ありとあらゆるドキドキが詰まっていて、彼女の存在はアキにとって「生きる理由」そのものになっていく。彼女の人生そのものになっていく。それは、タカにとっても同様で……そんな全力で求め合う関係は、もう「愛しあう」という以外に表現のしようがないのじゃないだろうか。同性愛だの百合だのという枠組みすらも必要としない、女の子同士だとか、そんなのはもう関係ない領域にある、アキとタカの二人の生きる世界、二人が精一杯たくさん生きる海。
しかし、こんな青色にうめつくされた世界ですら、二人きりでは完結しない。様々な困難が彼女たちに降り注ぎ、二人を引き裂こうとする。彼女たちの「生きる」意味を潰そうとする。でも、だからこそ、彼女たちは「たくさん生きる」ために、抗って戦って、そうしてこの大地のない世界の中で、帰る場所を手に入れるのだ。
生きるとはただ生存することなのか。
その一つの答えを、この物語は全力で語っている。そんな風に、帯の推薦文を鑑みつつ、思ったり。
懐かしくも染みわたる、良き海洋小説でありました。