終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか? (3) (角川スニーカー文庫)

【終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか? 3】 枯野瑛/ue 角川スニーカー文庫

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おかえりの声を、聞きたかった。ただいまを、きちんと、言いたかった。バターケーキを、食べたかった。それらの願いは、すべて叶った。帰るべき場所へ帰り、逢いたかった人に逢えた。だから。約束は尽きて。追いついてきた終末は、背後から静かに、少女の肩に手をかける。青年教官と少女妖精の、儚く輝いた日々。第3幕。
このあらすじ編んだ人だれなんだろう。韻を踏んだ短文にすべてがこめられていて素晴らしいんですが。
というわけで、多くのファンの声が届き、続刊かなったシリーズ第三巻。私自身、切に切に請い願っていただけに、この第三巻を手にとれたことは感無量でした。
奇跡が起きたように見えた前巻ラスト。きっと、それは間違いなく奇跡であって、しかし優しい猶予期間でしかなかったのか。
刻々と明らかになっていく、クトリの置かれた現状。それは、客観的に見れば絶望であり、悲劇であり、残酷すぎる結末に至る道程だったのかもしれない。でも、なんでだろうね。この作品は、そんな絶望に対して決して感情的にならないんですよ。
これは最初の巻からずっと言い続けていることだけれど、この物語は感情に訴える場面になればなるほど、淡々と落ち着いた雰囲気で語るんですよね。決して同情を誘おうとせず、起こったことをありのまま表現するように。本来ならばもっと情緒的に描いてもいいはずなんですよね。あざといくらいに泣かせに掛かっても構わないはずなんですよ。感情的に盛り上げて、引っ張り回して、これでもかこれでもかと波立たせて然るべきなのに。
そういう場面になるほど、むしろ語る言葉は穏やかに凪いでいく。優しく頭を撫でるように、泣きじゃくる子供を慰めるような慈しみが込められていくのだ。
「しょうがないなあ、もう」
こんなにも優しげで、穏やかで、空っぽなのに満ち足りたセリフがあるだろうか。悲劇である。絶望である。何もかもをなくしてしまって、もう二度と取り戻せない話である。それなのに、どうしてこんなにも幸せそうなのか。
諦観とはまったく違う、諦めたのとは絶対に違う、しかし何も求めずもう得たいものは全部得たのだという、願いは全部叶ったのだと、安らいだ笑みがそこにある。
もう、ずっと幸せだったから、と。

その優しさが、温かな雰囲気が、この物語に流れ続ける抱擁するような空気が、だからこそ胸を切なく締め付けていく。柔らかく、締め付けていく。切ない、切ない、切ないよ。
枯野さんは、昔から、それこそ【echo −夜、踊る羊たち−】や【銀月のソルトレージュ】の時代から、この人にしか醸し出せない独特の空気感、というものを描き出していて、それがどうしようもなく好きで好きでたまらなくてねえ。あの穏やかで、余計な雑音が聞こえてこない、静かな静かな雰囲気に、どうしようもなく心奪われてねえ。
今思えば、この穏やかな空気感というのは、特別で触れがたいものとは決定的に異なっていて、むしろ親しみ易い、日常の延長線上にある平穏さなんですよね。心の緊張をゆるゆると蕩かしてくれる、自分の家に帰ってきたような安らぎを与えてくれる、そんな穏やかさであり、温もりを感じさせる優しさが静かに揺蕩っているのです。
まるで、そんな穏やかな空気感が、目の前で起こっている絶望や残酷さに傷つかないように、包み込んでいてくれるかのようなのだ。だから、痛みはあまり感じない、苦しさにあえぐことはない。ただ、切なくて、なんだか哀しくて、天井を見上げてしまうだけなのだ。

そして、落ちた先に、目覚めた先に訪れた世界は、果たして夢か現実なのか。
続きに、救いを求めて、いいのでしょうか?

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