筆跡鑑定人・東雲清一郎は、書を書かない。 (宝島社文庫)

【筆跡鑑定人・東雲清一郎は、書を書かない。】 谷春慶 宝島社文庫

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祖父が残した謎を解き明かすべく、美咲は大学一の有名人、東雲清一郎を訪ねるが、噂に違わぬ変人で…。著名な書道家なのに文字を書かず、端正な顔立ちから放たれるのはシビアな毒舌。挫けそうになるも、どうにか清一郎を説得。鑑定に持ち込むが―「気持ちに嘘はつけても、文字は偽れない。本当にいいんだな?」。鎌倉を舞台に巻き起こる文字と書、人の想いにまつわる4つの事件を描く、連作短編ミステリー。
これもう筆跡鑑定のレベルじゃなくて、サイコメトリーのレベルなんじゃないだろうか。勿論、筆跡から感覚的に、為人や書いている時の感情を推定する、とか技術で出来ることなんだろうけれど、彼の場合は文字に込められた感情にアテられる、とか文字に対する感受性が第六感覚じみてるんですよねえ。それどころか、受信だけじゃなくて送信についてすら人間離れしているし。
本人も認めているけれど、これなら昔から相当レベルで人間関係のトラブルに見舞われてたんだろうなあ。感受性の強い人間が、他者の感情に対して鈍い、なんてことはないだろうし、見るからに神経質で繊細なタイプですしねえ。
しかし、一方でこれだけ対人拒否症に罹っていながら、隠棲するのではなく大学に通っている、人の群れの中に遠く離れた端っことはいえ、居続けようとしているのはなかなか興味深い。美咲という人間に心を開いてからの、あの親身な対応から見ても、彼はもしかしたら人恋しいタイプなのかも。あのハリネズミみたいな他人に対する拒絶の態度も、過剰すぎることが逆に穿った見方をすることも出来るんですよね。本当に他人と距離を置こうとするのなら、孤独であろうとするなら、集団の中にあってさえもう少し上手いやり方、或いは徹底したやり方、というのがありますしね。ああやって、近づいてくる人を金属バット振り回すような追い散らし方は、何かを持て余しているように見えてしまうわけで。
とはいえ、ここまでアタリが刺々しい、悪意すら込められている罵倒混じりの発現を初対面から食らわされたら、ちょっとお近づきになろうとは思わんなあ。美咲は、必要あって根性見せて何度もアタックしたわけだけれど、最初はかなり本気で傷ついてますしねえ。あとでの美咲の友達への対応を見ると、近づいてくる人間限定ではなく、誰彼構わずみたいだし。
美咲も、もし別件で彼に関わることがなかったら、彼女の方からもう東雲に接触しようという気もなかったようですから、これこそ人の縁というものなのか。むしろ、運命の出会い、という意味合いで言うなら美咲の方からよりも、東雲が美咲に出会った方がそう表現するに相応しいような気もするんですよね。彼のこの性格にもめげずに根気よく付き合ってくれる人格者で、こんな東雲の性格にもへこたれず面倒みてくれるお節介で、大好物の日本酒を扱う酒屋の娘だし、どう見ても東雲の方に美味しいことの多い出会いなんですよねえ。美咲の方は、彼と出会って友人になったことであとで盛大なトラブルに見舞われるはめになるわけですし、友人に紹介できる性格じゃないしなあ。かなりの困ったちゃんですし。
まあ最初のお祖父さんの手紙を視てもらって祖母の元気を取り戻してくれたことや、ストーカー・トラブルも親身になって非常に積極的に行動してくれて助けてくれたこともあり、美咲の方からもまんざらじゃないのかもしれませんが。あの、美咲が肉体的にも精神的にも追い詰められていた時に、あれほどしっかりと頼もしい対応をしてくれたら、そりゃ印象も悪くなりようがないです。ほぼ、東雲の方が原因なのですが。まあ、彼もとばっちりなので、彼が悪いわけではないんですけどね。一度心をひらいてくれたら、案外と操作しやすそうな男であることも明らかになっちゃいましたし。これだけ面倒くさい人間ですけれど、美咲の方が面倒臭がらない性格なので、相性はいいんでしょうけれど、これは東雲の方が逃したらいけないケースだよなあ。まあ上手いこと捕まえたとしても、かの書家の大家みたく、将来逃げられないか心配になるところではありますけれど。なんとなく、ガチガチに針で全身を覆っている分、打たれ弱い気がしますしw

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