ゴブリンスレイヤー (GA文庫)

【ゴブリンスレイヤー】 蝸牛くも/神奈月昇 GA文庫

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「ゴブリン以外に用はない」
これは、小鬼を殺すだけの男が「冒険者」になることを願う物語。

「俺は世界を救わない。ゴブリンを殺すだけだ」
その辺境のギルドには、ゴブリン討伐だけで銀等級(序列三位)にまで上り詰めた稀有な存在がいるという……。
冒険者になって、はじめて組んだパーティがピンチとなった女神官。それを助けた者こそ、ゴブリンスレイヤーと呼ばれる男だった。彼は手段を選ばず、手間を惜しまずゴブリンだけを退治していく。そんな彼に振り回される女神官、感謝する受付嬢、彼を待つ幼馴染の牛飼娘。そんな中、彼の噂を聞き、森人(エルフ)の少女が依頼に現れた――。
圧倒的人気のWeb作品が、ついに書籍化! 蝸牛くも×神奈月昇が贈るダークファンタジー、開幕!
これはいいなあ。冷徹で非情で惨たらしい現実を容赦なく突きつけてくる残酷物語でありながら、だからこそ救いや希望というものを生ごみみたいに踏み躙らず、とても大切な宝物のように扱っているお話なんですよね、これ。
面白い。
ゴブリンというモンスターは、駆け出しの冒険者でも倒せてしまうような弱い怪物である。一方で弱いながらも徒党を組み、知恵を持ち、敵意と悪意を以って攻撃してくる、というだけでそこらの野生動物などとは比較にならない脅威なのである。武力を持たない村人や、まだ戦いかたのイロハも覚えていない駆け出し冒険者はやられてしまうこともあるし、冒険者として成熟し始めたレベルのパーティーでも不意をうたれたり、数に任せて攻撃されれば抗しきれずに壊乱してしまうこともある。
そうなれば、相手が如何に弱いモンスターだとしても、反撃する力を失った人間はただの肉塊となる。一方的な暴力にただ蹂躙される無力な血袋と成り果てる。どんな美男美女だろうと、夢や希望を抱いた将来性のある若者だろうと関係ない、二目と見れない有様となりはて、生前の容姿など想像もできない惨たらしい姿となり、ゴみのように打ち捨てられ、或いは女性ならば生殖のための苗床として扱われる。
個人の強弱など関係ない、ただ勝敗のみが突きつけられる非情な現実。弱いモンスターだろうと、強いモンスターだろうと、殺される時の惨たらしさに、残酷さに、人間の尊厳などどこにもないのだ、という容赦のない事実。そこには何の幻想もなく、好奇心を満たすための夢もなく、ただただ冷徹なありのままがある。
熟練の冒険者たちが、ゴブリン討伐の依頼に背を向けるのは勿論依頼料の少なさや、自分たちのレベルにゴブリンというモンスターが噛み合わない、という理由もあるのだろうけれど、それ以上にやはりゴブリン討伐には「冒険」という胸を高鳴らせてくれる要素が介在しないからなのでしょうね。
現実を知らない駆け出しの冒険者たちだけが、勇んではじめてのクエストとして何も知らずに挑んでいく。
一方で、村を襲われる村民たちにとっては生活と命が掛かった切実な脅威であり、場合によっては村が滅びることも珍しくないという。しかし、依頼を受けるのは往々にして未熟な素人まがいの冒険者たちばかり。
ゴブリンは弱い、という村人自身や駆け出し冒険者でも「なんとか対処できないこともない」という本来なら幸いとなる事実が、逆に熟練や軍の介入を妨げているという皮肉な事実。需要と供給のバランスがかなり危険な状態になってるんですね、これ。
だからこそ、ゴブリンスレイヤーという存在が此処では、依頼を仲介しゴブリン被害の現状をもっとも把握しているギルドが高く評価しているわけだ。

ゴブリンスレイヤーと呼ばれる青年は、有り体に言って壊れている。かつて、目の前でゴブリンによって家族や隣人たる村人たちを惨たらしく殺されたトラウマを持つ青年は、ただひたすらゴブリンを殺し続けるためだけに戦う狂人と成り果てた。戦う時だけではなく、食事や睡眠時などの日常生活の時間ですら全身甲冑を外さず、いざ戦いとなるとゴブリンを殺すことに執着し、あらゆる手段を使いいっそ無機質かつ機械的なほどにゴブリンを鏖殺していく。そこにあるのはゴブリンを殺すという妄執であり、狂気である。
にも関わらず、彼は同時に正気も保っているんですよね。
ゴブリンを殺すことに全てを捧げながら、しかしゴブリンに囚われた村人を救い、襲われている駆け出し冒険者たちにも手を差し伸べる。手遅れであったならば、心がないのかと思うほど冷徹に見捨てるけれど、助かる可能性があるならば万難を排して助けようとするんですよね。それに、はい助けて終わり、という風に突き放すわけではなく、知識のない村人にはゴブリンの脅威や警戒法を伝え、駆け出し冒険者たちにはゴブリンと対するための準備や対処法、戦術などを教授することを厭わないのである。
それは、彼が決してゴブリンを殺すためだけのマシンと化しているわけではない事を示している。
そして何より、彼には戻るべき日常が存在する。ゴブリンに襲われた時に村を離れていて難を逃れていた幼なじみの牛飼いの少女。今、彼女の叔父の営む牧場で、ゴブリンスレイヤーの青年は幼なじみの少女と暮らしている。全身甲冑を脱ごうとしない彼であるけれど、ゴブリン討伐の依頼を受ける合間には、幼なじみの少女の牧場での仕事を嫌な顔一つせず、手伝ってるんですね。牛飼いの少女もまた、明らかに壊れてしまった彼のことを、あるがまま受け入れている。
戻るべき日常があることが、ゴブリンスレイヤーを辛うじて正気の側に留めているのだろう。
そう考えるなら、ラストのゴブリンキングの襲撃は、まさに境界線上を跨ぐか否かの境目だったのかもしれない。そこでゴブリンスレイヤーが選んだ選択は、狂人ではなく人の心に従うものであった。
狂気に侵されながらも正気を保ち、客観的に見ると誠実で面倒見が良いと言っていい彼を慕うもの、正当に評価するものは決して少なくない。
彼は、自らの行いによって報われ、祝福されたのだ。どれほど現実が惨たらしくても、おぞましくても、救いがないように見えても、でも決して人間は捨てたもんじゃない。
そう思わせてくれる、これは紛うことなき人間賛歌の物語だ。
過去に囚われ、狂気に沈み、妄執に突き動かされ続けた人間が、その果てにもう一度「将来の夢」を語ることの出来た、そんな優しいお話なのだ。