疾走れ、撃て! (12) (MF文庫J)

【疾走れ、撃て! 12】 神野オキナ/refeia MF文庫J

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人類史上最大の作戦から五年―。学兵制度は完全撤廃され、『戦後』の復興は徐々に進んでいた。敵と恐怖を失った人類に残されたのは、破壊され尽くした街とインフラ、そして大量の兵器と、行き場のなくなった元兵士たちだ。ラジオからアナウンサーが、兵役のない平和を享受して育った新たな青少年達を向える町の声を伝えるなか、佐武俊太郎と美冬は、かつての戦火を共にくぐった英雄たちに思いを馳せる。…「死んでないわ、少佐は」「ああ。あいつらは死んでない、絶対にな」神野オキナが贈る新感覚軍隊アクション青春ラブコメ、遂に感動のフィナーレ!
たくさん生きて生きて、たくさん死んで死んで。次の時代が来る。

ついに迎えた人類史上最大の作戦。乾坤一擲の人類の存亡をかけた最後の勝負。そう、総力戦だ。本当の総力戦だ……と、そうならばよかったのだけれど。いや、良かったのか? 作戦を前にした世の空気は、複雑怪奇なものだった。この作戦が終わったあとに、人間の文明などもう残らないかのような悲壮感を通り越したような諦観のまますべてを注ぎ込もうとしている空気感の一方で、各国の上層部は人類が存続したあとの戦後世界を睨んで一致団結とは程遠いパイの取り合いをはじめている。破滅の甘受と人類社会の生き汚さを両立させたような不可思議な最終決戦前夜。或いは、これこそが生々しい終戦前夜なのかもしれない。
だが、ここで人類が滅びようと存続しようと、あまりに強大な存在になってしまった理宇たち魔王とその花嫁たちの生きる場所はこの地球上には存在しない。戦って、敵もろともに死ね。そう期待され、場合によっては強制的に排除される可能性を考慮しながら、それでも理宇たちは最終決戦に挑む。彼らに英雄願望はなく、悲壮感もなく、それでいて生き残るために手段も選ばぬ悪鬼羅刹となっているわけでもない。この時の理宇の心境は如何ばかりだったのだろうか。いくらか語られてはいるものの、彼の攻撃性に欠けていながら随分と「図太さ」と手に入れたこの性格はやはり興味深い。
女性関係については紛れも無く魔王となった彼だけれど、あくまで立ち位置としては人類の英雄でも決戦兵器でもなく、仲間たちと生き残れるように精一杯努力し最善を尽くそうとする学兵の隊長で在り続けたのだろう。やるだけやったら、まあなんとかなるだろうという内向的なくせに鷹揚なくらいの図太さがあるキャラクターは、この絶望的な局面においては頼もしい限りだった。彼の学友であり戦友であった仲間たちにとっても、そうだったんじゃないだろうか。だからこそ、彼の仲間たちも悲壮感なく、精一杯戦えた。頑張って生きた。
本当に簡単に、あっさりと多くの登場人物が死んでいったけれど、それらもまた精一杯生きた結果、だったんだろうか。悲しくても、虚しくはなかった。理不尽ではあっても、無念ではなかった。
可能性を限定されてしまった中でも、彼らは自ら選んだのだ。選択したのだ。結果はどうあれ、掴みとろうとしたのだ。離すまいと、必死だったのだ。
たくさん、たくさん死んでしまった。生き残れない人も、いっぱい居た。
でも生きて生きて、死んで死んで、その果てに戦いはちゃんと終わったのだ。そのあとに、戦後という破綻した世界でなおも生きるための戦いが続くのだとしても、その先をつかみとるための戦いを、彼らはやり遂げたのだ。
その一部始終を、本作は見事に書き尽くしたと思う。
昨今ならずとも、作品が中途半端に終ってしまうことは珍しくもない。書くべきこと書きたいことを全部書ききるなんて不可能に近いだろう。シリーズは長く続かず、続いても迷走して辿り着くべき先を見失うなんてざらだ。
だからこそ、この作品のやりきった、書き切った、ぜんぶやってやった、という充足感の素晴らしさには賞賛を惜しめない。
エピローグのもたらしてくれた余韻まで、本当にぜんぶ憂いを残すことなくやり切ってくれた。
五巳さんも、俊太郎と深冬も、虎鈴も困難に見まわれながらもみんな幸せになれた。どれほど苦しい有様の戦後でも、祝福されるべき未来にたどり着いていた。最後に、生き残ったみんなの笑顔があった。
それが、とても嬉しい。ただただ、嬉しい。

シリーズ感想