ふあゆ (ガガガ文庫)

【ふあゆ】 今慈ムジナ/しづ ガガガ文庫

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本当の自分を探す、新時代の黄昏怪異譚。

心因性相貌誤認症――
他人の顔を誤認識してしまう病を抱えた少年・龍胆ツクシ。曖昧な世界を生きる彼だが、犬頭の祖父、ガゼル頭の幼馴染、絵画頭のクラス委員長、貝類頭の後輩に囲まれながら、平和な日々を送っていた。
ひょんなことから、ツクシは連続猟奇殺人事件の現場を目撃してしまう。そこに佇んでいたのは、ハシビロコウ頭の怪人。もちろん警察に通報するのだが、彼の証言が信用されるはずがなかった。自身の役立たずぶりを改めて実感しながらも、彼は「自分にできることはなにか」を考え始める。
そんなとき、夕焼け色をした怪異の少女が目の前に現れる。ツクシが久しぶりに認識した自分以外の顔は、記憶の中のとある少女と瓜二つのものだった。奇妙に思いつつも、懐かしいその顔に、彼はつい気を許してしまう。

「ジブンタチはジブンになりたいのー、なのでジブンを教えてください!」

本当の自分を探すという怪異の少女との出会いをきっかけに、彼の世界は徐々に変化していく――。
ゲスト審査員に渡 航を迎えた、第10回小学館ライトノベル大賞・優秀賞受賞作。気鋭のクリエイター・しづがイラストを担当。
自我と認識の問題を巡る、新時代の黄昏怪異譚がここに。
ふはは、これはドストライク。ガガガ文庫すげえなあ、本当に我が道を行っている。
「ふあゆ」なんてまた意味の分からないタイトルを、と読み始めた本作だけれど、意味不明なんかじゃ全然なくてむしろ恐ろしく直球なタイトルじゃないですか。ひらがなだと意外とわかんないもんなんですねえ。
脳の機能の問題で人の顔が判別できない、という症状は聞いたことがあったものの、ツクシのそれはわからないのではなく、違った別のもの。例えば犬の頭だったり、ガゼルだったり貝だったり。顔がわからないどころじゃない、考え方によったらそれは相手が人間に見えない、という事じゃないか。
半ば、狂気に足を突っ込んだ日常。しかし、ツクシがイカレた人間かというと多少ふわふわと浮世離れした言動ではあるものの、狂気の瀬戸際に立ち片足を踏み入れながらも、残ったもう片方の正気の大地に踏みしめた足には安定感があって、揺るぎなさを感じるのである。事故の直後、この異形の症状を得た直後は相当にのたうち回ったようだけれど、今は安定している。その理由が彼の祖父や幼馴染の存在であったことは、ツクシが彼らに向ける想いから容易に知れる。彼らの注いでくれた惜しみのない愛情が彼を救い、彼を人間に留め、彼を前向きに歩ませている。
思えば、そんな狂気の淵に立ちながら誰よりも健全に人足ろうとしているツクシだからこそ、ジュゲムは彼を選んだんじゃなかろうか。ジュゲムの在りよう、彼女が自分になりたい、自分を知りたいという理由がわかってくるほどに、誰よりも切実に自分の存在を不安定に感じながら確固として自分を見つめているツクシだからこそ、ジュゲムが自分の望む自分に確立するために観測される相手として相応しい「人間」だったんじゃないかと思えてくる。
もし、何事もなければ穏やかに、タクミも絡んでゆっくりとジュゲムは自律した個を得られていったのかもしれない。しかし、ジュゲムが誕生した原因である意識の住人のもたらす惨劇は、そんな穏やかな生活を残酷に踏みにじっていくのだ。
あの、子供が無邪気に虫の足を、頭を引きちぎるように、生きた人間を簡単に壊していく暴力。ホラーである。意図も知性も邪悪すらも感じさせない、一方的な殺戮。
これはもう、めちゃくちゃに怖かった。強いとか弱いの範疇じゃないんですよね。行き逢えば殺される恐怖。何より、人の尊厳を根こそぎぶち壊すような酷い殺され方、こんな死に方したくない、というまともじゃない死に方をさせられる、という恐ろしさ。それが、容赦なく身の回りの親しい人たちを、彼を正気の世界に押しとどめていた人たちを、唐突に、破壊していく。
ツクシの見ている世界が、どんどん狂気に飲まれて変貌していく様子が、その描写も相まって読んでいるこっちまで不安定になっていく感じがして、なんとも凄まじかった。
それでも、これだけグラグラに不安定になりながらも、ツクシは狂気に飲まれないんですよね。視覚的には、もうとっくにおかしくなっているにも関わらず、感情はめちゃくちゃにかき乱され切っているにも関わらず、最後の最後で彼はずっと踏みとどまったまま、考えることをやめないのだ。人間をやめないのだ。
それは、観測され収束する側であったはずのジュゲムが、むしろ正気の側の錨としてツクシの裾をずっと引っ張って引き止めていたこと。そして、事態が急迫するにつれて余計な不純物がどんどん取り払われて露わになっていく、ツクシのタクミに対する爆発的な愛情とタクミの方からも一切ブレることがなくツクシに注がれる想い。それらが、ツクシを構成する世界がどんどん破壊されていくにも関わらず、彼に人間であることを迷わせず、自分がいったい何者なのか、誰なのか、という疑問の沼に溺れることを許さなかった。
見ている光景は違っていても、彼らの世界は一緒だったのだ。その心の内にある想う人の姿は、本物のその人と合致していたのだ。愛とは与えるもの、とは自分の中の相手の肖像と実際のその人の肖像の食い違いを埋めるための、最大の威力を持った心の共有なのかもしれない。
世界がどう狂って見えようと、ツクシがタクミを間違わなかったように。ツクシの姿が見えなくても、タクミが彼を見失わなかったように。
そして、一方的な押し付けるだけの愛情とは、その乖離を致命的なものにまで引き裂いていくものなんじゃなかろうか。

あなたはだれですか?

クライマックスで明かされた事件の真相は、それに対するツクシの結論は、いっそ徹底的だったとも言える。目に見える世界ではなく、心の中にある姿を肯定し、目の前の醜悪を否定しきった結論は、現実と虚像をひっくり返し、叩き潰した。勿論、虚像が実像を得ることはないにしろ、実像が虚に沈んでしまったあのシーンは衝撃的ですらあったように思う。
まわりまわって、これってヒーローモノ的な要素も得たということなのか。いやむしろ、この作品って十年前くらいに一世を風靡した「新伝綺」の系譜を継ぐ物語なのかもしれない。そう考えると、なかなかにしっくりくる。
そして何より、幼馴染ストたる私の欲求を十全満足させてくれる、素晴らしい幼馴染モノでありましたのよさ。
みっちりと中身の詰まった、様々な嗜好を満足させてくれるガツンと読み超えのある、何より抜群に面白い作品でありました。
こういうのが出てくるから、ガガガ文庫たまらん。