Babel ―異世界禁呪と緑の少女― (電撃文庫)

【Babel ―異世界禁呪と緑の少女―】 古宮九時/森沢晴行 電撃文庫

Amazon
Kindle B☆W

『小説とかドラマって不思議だと思わない? 異世界でも言葉が通じるなんて』
ごく平凡な女子大生・水瀬雫は、砂漠に立ち尽くしていた。不思議な本を拾った彼女は気づけば"異世界"にいたのだ。
唯一の幸運は「言葉が通じる」こと。
魔法文字を研究する魔法士の青年・エリクに元の世界の言語を教える代わり、共に帰還の術を探す旅に出る雫。しかし大陸は二つの奇病――子供の言語障害と謎の長雨による疾患で混乱を極めていて……。
自分に自信が持てない女子大生と、孤独な魔法士。出会うはずのない二人の旅の先、そこには異世界を変革する秘された物語が待ち受けていた。
「言語」と「人間」を描く、感動のファンタジー登場!
ああ、そうか。一番最初の、シズクという名前をエリクに名乗った時点でもう齟齬は描かれていたんだ。あのやりとりこそが、この物語の根幹を揺るがすキーワードになるとは、まったく想像もしてなかったもんなあ。
というわけで、ウェブ版は既読済み。いやもうこれ大好きでねえ。元は作者が藤村由紀名義で書かれているファンタジー小説「Memoriae」、【Babel】は同じ世界観を舞台とするMemoriaeの中の一作品だったわけです。特に【Babel】はこの「言葉」という主題の扱い方と、シズクの波乱万丈な異世界紀行に、エンディングへと至る物語の流れの美しさとか、ラストが凄い好きでねえ。本作を書籍版として読めるというのは、実に嬉しい限りなんですよ、しかも森沢さんの絵付きで。これが雫かー、シズクかー!
この雫という娘は本当に何の特別な力も持たない等身大の娘さんにも関わらず、異世界に飛ばされただけじゃなく、その異世界の中ですらあちらこちらと世界中を旅してまわり、また波乱万丈と言っていいくらいの様々な境遇へと放り込まれるのである。むしろ、何の特別な力もないからこそ自分の意志の元に一貫した立場を保てずに、他者の思惑や偶然の出来事に翻弄され、意図せず立ち回りを強いられてしまう。
と、ここからが水瀬雫という娘の凄いところで、彼女はたとえ強いられた境遇であっても決して立ち止まらないんですね。理不尽の中に置かれても決して前に進むのをやめない。元の現世に居た頃から、個性的で優秀な姉と妹に挟まれ、劣等感と自信のなさに苛まれながらも、雫ってそれを理由にして立ち止まっている様子は一切ないんですよね。大学進学を期に、姉妹から離れて一人暮らしを始めた、というのも逃げという消極さよりも現状でどうにもならない境遇を足掻いて抜けだそう、固定化されかけていたものを刷新しようという積極性に端を発している感じなんですよね。
まず、異世界の砂漠の只中に放り出された時に、開き直って歩き始めたように、この子は蹲って動かなくなるということを絶対にしないのである。意志も責任も放り出さず、常に彼女は自分自身で決断し続けるのである。理性と理知を行動力でコーティングしたような彼女のそんな特質を、恐らく一番正しく評価していたのは彼女の姉と妹なんだろうけれど、それを面と向かってちゃんと彼女に告げてあげたのって、多分エリクが初めてなんだろうなあ。
ぶっちゃけ、この雫をして比べて地味という枠に押し込んでしまう彼女の姉と妹って、どんだけだよ、と思わないでもないのですけれど。バイタリティの塊だもんなあ。感情的に豊かであっても派手ではなく、さっぱりとして理性的なのが地味めに見えてしまったのかなあ。
まあ雫に関しての見解については、後々に妹ちゃんから語られた妹から見た姉、という視点でのそれに随分と頷かされたものでしたが。なるほどなあ、と。人間、自分については案外見えてないものなのである。だからこそ、自己評価と実際の齟齬とをきちんと修正してくれる周りの人というのは大切であり、そういう人と出会えるというのは運命的なものなのでしょう。それはエリクにとっても、感情的じゃないわりとサラッとした物言いで、確信を突くというかバッサリ有り体に自分の在り方について表現されるというのは、新鮮だったんじゃないでしょうか。

本作の主題の一つに、言葉というものがあります。いや、まさに主題そのものでしょう。それこそ、タイトルが「Babel」。統一言語とその崩壊の神話であるバベルの塔から取られたものであるからして。
雫がどうして、異世界に迷い込みながらその世界の言葉を理解できるのか。そもそも、この世界の言語の概念と、雫の世界である地球の言語の概念とが食い違っていることからはじまって、この世界の根底に横たわっている謎そのものに踏み込んでいくストーリー。言葉というキーワードがすさまじいまでに重要になってくるのであります。
一方で、本作の舞台となる「大陸」は「Babel」という物語すらもが、大きな歴史の流れの一端に過ぎない「クロニクル」であります。作中でちらりと触れられているファルサスという国の成り立ちや、かの国に存在する精霊、それをもたらした魔女の話など、様々な歴史と物語に彩られ、積み重ねられた世界なんですよね。
つまるところ、この世界は「水瀬雫」のために準備され用意された世界ではないのです。雫という主人公を起点にして生まれた物語世界ではないんですね。水瀬雫は、長く長く続いてきて、そしてこれからも続いていく世界の中の、物語の中の、本当の意味での異邦人なのであります。これって、異世界転移系の物語の中ではやっぱりかなり珍しい構図なんですよね。小野不由美の【十二国記】の中嶋陽子なんかはそれに該当するのか。それだけに、雫が迷い込み、エリクと共にあっちこっちを歩きまわり、飛び回り、転がり込む世界の大地には、国々の風俗には、そこで暮らす人々の生きる姿には、積み重ねられた年月という揺るぎのない強度があり、厚みがあり、通り過ぎるだけの目に映る風景に膨大な背景が感じられるのである。雫の目に映る異世界は、確かにそこにある世界で、過去から存在する世界で、これからもずっと続いていく、世界なのだ。
そんな踏みしめる感触の有る世界を、雫は旅していくのだ。翻弄されながら、生きているのだ。迷い込んだ先で、彼女はその世界の人々と交流しながら、生きていく。
それが、書籍版となり、今まさに始まったこのシリーズ最初の一冊からも、ひしひしと感じることができる。指先で触れるように、匂いを胸いっぱい吸い込むように、日差しや風を体中で浴びるように、感じることが出来たのだ。
それが、何とも嬉しくて、くすぐったくて、心地良い。

あぁ今、自分、異世界を舞台にしたファンタジーを読んでいる。

さあこれが、【Babel】の開幕だ。