おそれミミズク あるいは彼岸の渡し綱 (講談社タイガ)


【おそれミミズク あるいは彼岸の渡し綱】 オキシタケヒコ 講談社タイガ

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「ひさしや、ミミズク」
今日も座敷牢の暗がりでツナは微笑む。山中の屋敷に住まう下半身不随の女の子が、ぼくの秘密の友達だ。彼女と会うには奇妙な条件があった。「怖い話」を聞かせるというその求めに応じるため、ぼくはもう十年、怪談蒐集に励んでいるのだが……。ツナとぼく(ミミズク)、夢と現(うつつ)、彼岸と此岸が恐怖によって繋がるとき、驚天動地のビジョンが“せかい”を変容させる――。

作者のオキシタケヒコさんは、ガガガ文庫で【筺底のエルピス】シリーズを出している人で、伝奇調の物語に本格的なSFをハイブリッドさせた作品が特徴的だったんですよね。
本作も、当初は過疎化が進む逼塞した田舎の村に今なお続いている旧家の因習が主人公を絡め取り、という古い時代の怨念が襲ってくるタイプのホラーかと思ってたら、これがどんどんと様相を変えてくるんですよね。
若い人たちがどんどんと地元を出ていき、徐々に枯れつつありながらもずっと変わらない景色の中で、十年もの間座敷牢にとらわれている少女の元に通い続けた「ミミズク」。出会ったときはまだ子供だった主人公も、座敷牢の少女ツナも、十年経った現在ではもう20を越えた大人になっているのだけれど、同年代の子供たちがみんな都会に出ていってしまった中で、変わらぬまま同じ時間を続けている彼らはまさに停滞、止まった時間の中に居るようなものだったのが、一人の怪しげな男……ホラー雑誌の編集者を名乗る男の登場によって、劇的な変化が……いや、今まで薄暗い闇の中に溶け込んでいて見えていなかった事実が白日のもとに浮き彫りになっていくのである。が、その見えてきた事実というものが予想と全然違っていて、理解したと思ったその新事実も実は一つの側面に過ぎず、次の瞬間にはまったく様相を異にする事実を突きつけてくることになって、まさに真実が二転三転していくのである。それにともなって、幾人かの登場人物の印象もガラっと変わることになって、最初のインパクトがどれだけイメージを強固に固定していたのかを思い知らされることになる。
物語のジャンルそのものも、ストーリー展開が進んでいくに連れて、ひっくり返されるたびに違うものへとクルリクルリと看板を変えられていくようなもので、自分が何のジャンルの本を読んでいたのか見事に混乱してくるのである、これが。
気がつけば、なるほど「オキシタケヒコ」の作品だ、とうなずかされるわけだけれど、このめまぐるしいまでの世界観を覆うベールがひらりひらりとほどけ落ちてくかのような展開には、正直グイグイと引き込まれた。最初のある種の怖いもの見たさ、というか本当に怖いものからは目をそらすことができない、みたいなゾクゾクするような「恐れ」が、ある時みごとに「解体」されて、なんだそういうことだったのか、論理的科学的なルールに基づく解放感に安堵した、と思った途端まったく別の理解不能の未知。オカルトの領域にクビまで浸かっているかのような感覚に溺れ、ところがところが……といった感じで、立ってる地面の感覚が劇的なまでに変化し続けるんですよね。ところが、でもそれがあやふや感が増していく、というわけではないんだなあ。秘されていた事実、見ないようにしていた本当のこと、が確かに明らかになり続けているのは間違いなく、着実に前に進んでいる実感、知るべくを知り得ているという納得、たどり着こうとしている感覚がどんどん足元を確かにしてくれるのである。
そして、そうやって見えてくるものは決して悪いものではなかったんですよね。恐れてみないようにしていたものは、決して枯れ尾花なんかじゃなく、想像を遥かに超える凄まじいものであったのだけれど、でもそれは知らずにいればよかったものじゃあなかったんですよね。知って良かったと思えるものだった。知ることが救いだった。
そうして気づけば、辿り着いた場所は、勇気を振り絞って掴んだものは……暗く閉ざされた座敷牢のそれとは程遠い、風と陽の光をたっぷりと感じられる、停滞ではなく、明日へ歩いていける場所だったのである。
陰鬱なホラーだと思っていた物語が、こんな素敵で爽やかな締めを迎えられるとは。振り返ってみると、ミミズクが居候している叔母夫婦をはじめとして、何気に登場人物って良い人ばかりなんですよねえ。
ツナの結末もまた、人の想いがもたらしたものと思えば、人間捨てたもんじゃないと思える話でした。
……【筺底のエルピス】も願うならば、良き人が報われる話になってくれればなあ、と思うばかりである。続刊はいつ出るんだろう……。

オキシタケヒコ作品感想