【路地裏に怪物はもういない】 今慈 ムジナ/やまかわ  ガガガ文庫

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平成最後の夏、最後の幻想がはじまる

一つの時代が終わろうとしている。
高度に発達した文明社会は路地裏の暗闇さえも駆逐し、この世界に幻想の居場所はなくなった。かつて人々が怖れた怪異は、誰しもがネットで正体不明を暴けるものとなった。
そんな幻想の余地がなくなった現代社会で、十代の少年少女を中心に不可思議な現象が起きる。
――乖異。
己が妄執こそが真の現実だと主張する、突如顕れた新たな病魔。現実から乖離し、現実とは異なる理で世界をねじ曲げる現象。乖異によって引き起こされるは、「死者のいない」猟奇事件。導かれるように集ったのは、過去に囚われた三人。
絶えた怪異を殺す少女・神座椿姫。
空想を終わらせる男・左右流。
そして、世界に残された最後の幻想である少年・夏野幽。
一連の事件に「真祖の吸血鬼」の存在を見いだした彼らは、それぞれの理由を胸に乖異とかかわっていくことになる……。
終わる平成。最後の夏。最後の幻想。
旧時代と新時代の狭間に問う、新感覚伝奇小説 がここに。
妄想具現化!!
この怪異ならぬ乖異なる現象はそう表現するのが一番相応しいのじゃなかろうか。もっとも、この乖異は妄想のまま終わらずそのまま異常が異常と認識されなくなり、そのまま現実へと推移していくという空恐ろしい結果へと至ってしまうのだが。
個人の妄想が現実を侵食する、それが可愛らしい絵空事や空想なら微笑ましいコメディにもなるのだろうけれど、ここで語られるのは人の抱える痛みや苦しみから求められた業であり足掻きであり負の感情から生じる、こうあればと願う掻き毟るような妄念だ。それらが蠢き現実へと成り代わろうとする姿はどこか無残で痛ましい。
しかし、そんな妄想に縋る彼らにとって、それは救いなのだ。彼女たちがそれを求めたことは決して悪ではない、邪まであったわけではない。しかし、弱さではあったのだ。
幽と椿姫、そして左右流はそんな彼女たちを憂いながらも、容赦なく現実を突きつけていく。弱さを指摘していく。でも、それは彼女たちを打ちのめして立ち上がれないようにするためではない。ある意味抱える痛みから逃げていた彼女たちに、現実に立ち向かうための手助けを、彼女たちが抱えていた苦しみに立ち向かうための術を、彼女たちが一人ではないと知るきっかけを与えることが、幽たちが成し得た乖異退治だったのでしょう。
最後の一人、最大の一人、もっとも忌まわしき乖異の主との対決を除いては。
翻って、それは幽たち三人にも当てはまること。過去に、歴史に、伝統に、宿命に囚われた三人にとっても、乖異に囚われた人々との対峙は自らを省みることになるのです。
もっとも、主に幽の視点で物語が推移し、幽も口数が多い割に本意については空とぼけているような節があるので、彼ら三人の心情に関してはそうだろうなと想像するほかないのですが。
特に椿姫に関してはもう少しその内面に踏み込んでも良かった気がするんですけどね。最初、キラーマシンのような冷徹非情な情緒を表さぬ怪異殺しの専門家、という体だった椿姫が話数が進むにつれて劇的なほどに人間味を見せていく姿には随分とキュンキュンさせられただけに、傍目から見た印象だけではなく彼女が何を考えているか、その行動原理にどういう変化が起こっているのかを彼女に焦点を合わせて色々と見てみたかった気がします。猫化しているときの可愛らしさは尋常じゃなかったですし。
それに、ラストのあの一文の原因って、誰が成したのかってついつい想像してしまうじゃないですか。誰が、何を思って、乞い願ってしまったのか。
ただ、この一冊に関しては殆ど一人のメイドさんがスポットライトを偏に浴びて持っていってしまいました。彼女の意志、彼女の存在感が悪意も怪物性もすべて塗りつぶし、印象を掻っ攫っていってしまいました。これは、彼女の物語であったと言っても過言ではないくらいに。
それに伍するように、拝み屋さんの地味だけれど粛々とした覚悟もまた、この作品に重みと安定感をもたらしてくれていたように思います。なんだかんだと、幽と椿姫と流という三人組の相性というか息の合ったしっくり来る良いものだったんだなあ、と思うんですよね。
出来れば、この夏の延長戦となるだろう次巻も読めればいいのだけれど。

今慈 ムジナ作品感想