【項羽と劉邦、あと田中 2】 古寺谷 雉/獅子猿  PASH! ブックス

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会社員の田中“たなか”は秦王朝末期の中国にタイムスリップ。田中“でんちゅう”という名に勘違いされて田“でん”一族に迎えられ、得意の弁舌と機転で活躍し、再興した斉国で外交を担うことに。陣勝と呉広の反乱で大陸全土が揺れるなか、使者として反乱軍のもとに向かう田中は、沛県で劉邦と出会い登用の誘いを受けるが…。一方、窮地に立つ秦では、眠れる名将・章邯が動き出す!まずまず場違いな田中さんが大奮闘の新感覚英雄譚、怒濤の第2弾。

章邯って元々軍を率いた事もない文官だったんですよね。それが一躍秦の最後の名将とまで謳われるほどに勇躍するのですから、わからないものです。一報に陳勝・呉広の乱を引き起こした陳勝と呉広もまた元々はただの農民。結局この反乱は一年と経たず瓦解することになるのですが、学も何もない小作人に過ぎなかった彼らが、一時なりとも王を名乗り数十万の軍勢を号したわけですから、とんでもないっちゃとんでもない事なんだよなあ。
とはいえ、その反乱の末路は先々に送り出した軍勢が勝手に独立していき、収集つかなくなるというしっちゃかめっちゃかなものでしたけれど、一つにまとまった爆弾ではなく、あっちこっちに爆発物をばら撒いたようなもので、時代や人を大きく刺激するという意味ではこれ以上無い劇薬になってしまったわけだ。
各地で雌伏していた英傑たちがこれを見逃すはずもなく、田氏もまた斉の国を復活させるべく決起する。当の田中はというと、陳勝率いる反乱軍とつなぎを取るために出張中だったわけですが、その旅先で劉邦と出会い、また張耳・陳余といった面々と顔を繋ぐことになるわけです。

しかし、こうして時代を代表する人々が出てきてその様子を見ていると気付かされるのですが、皆それなりに自己顕示欲というのが強いんですよね。強い自負心がある故にガンガンと自身の能力を振るえるのですが、一方でその自負心が故に他人と自分を比べてしまう。刎頸の交わりを結んだ張耳・おと陳余の間ですら嫉みの萌芽が生まれ、決起した田氏の中で外交を司る役についた高陵君もまた、同じ役割を与えられて並び立つ事になる田中に対して、ちくちくと対抗心を見せているのですけれど……まったくそれに気づいてなくて自分の発言に反論を述べられても、確かにそのご意見もご尤も♪ 完全にスルーしてしまう田中くん。
こういう自分を大きく見せようという気がさっぱり無い所が、田中の可愛げに繋がっているのでしょう。しこりを残したままだった彭越と蒙恬の間を取り持ったり、気難しそうな蕭何と意気投合したり、と妙に人の感情を和らげてその場にいる人たちの空気を和やかにしてしまう。あの劉邦が、特に目をかけて彼を勧誘しようとしたのも、自分たちの陣営に足りない智者を取り込もうとした以上にこの雰囲気を明るくするムードメーカーを無意識に求めたからなのかもしれないなあ。田中のそれは、劉邦や田横のような大人物の持つカリスマ性と競合せず、むしろ風通しを良くするタイプに思えるんですよね。
張耳の爺さんにも気に入られてたし。というか、あれは田中が元々お喋りなのを調子に乗らせて好き勝手気持ちよく喋らせてたからなんでしょうが。あのチョロさは、ほんとどうなんだろう。年下の陳余が苦労してそうである。
そんな中でも特に田中大好きなのが、田横なんですよね。斉の将軍として戦いながら、こういう時に田中が居たらなあ、などと思い巡らせ思い出し笑いしてる様子なんぞ、どれだけ田中のこと気に入ってるんだと言いたくなるほどで。田中語りで張り合ったり意気投合したりしている蒙林と田広に勝るとも劣らないですよ。
しかして、それほど皆に好かれ、また彼自身皆を好いている田中。それでも、その心の奥底には故国への望郷が渦巻いている。どうやって帰るのか方法もわからないけれど、それでもここは異邦の地でありいつか帰るべき場所があるのだ、という想いはずっとこびりついていたのでしょう。
蒙林からの想いを受け取れないままでいたのはそのせいで。
だからこそ、蒙林が田氏の血族の中での争いに巻き込まれて拐かされた際に、田中は決断を強いられるのである。この世界で田中(たなか)ではなく田中(でんちゅう)として生き、この地での家族たちを歴史の泡と消えゆく運命から救うべく抗うことを。
忠誠や心酔や野心とはまた違う、この人たちが本当に好きだから、という気持ち。それを覚悟や決意といった重々しく冷たいもので鎧うのではなく、朗らかににこやかに包み込んで奮起するところがほんと田中さんの好きなところなんですよねえ。

そんな田中たちの当面の最大の敵となりそうなのが、抜擢され秦の大将軍となった章邯。彼もまた、キレキレの智者でも武の気配を漲らせた英雄という風体でもなく、どこかスットボケてやる気なさげな怠け者、という風情なんですよね。元から仲の良かった司馬欣にせっつかれ、働け働けと追い立てられて、仕方ないなあとばかりに動き出す、この二人のコンビもなかなかに面白くて、敵方ながら目が離せないキャラクターになっている。
そしてこの時代最大の癌細胞といえるのが、秦の朝廷を牛耳る妖怪宦官・趙高の凄まじい邪悪さでしょう。まさに秦を滅ぼした元凶であり、人類史において奸臣と呼ばれる者は多かれど、その中でも指折りとして数えられるだろうがこの趙高でありますが、本作の彼はおそらくは史実を上回る悪意の権化。果たして趙高との直接対決はあり得るのか。さり気なく、田横がそのフラグ立ててるような気もするんですよね。