【俺の女友達が最高に可愛い。】 あわむら赤光/mmu GA文庫

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多趣味を全力で楽しむ男子高校生中村カイには「無二の親友」がいる。
御屋川ジュン――学年一の美少女とも名高い、クラスメイトである。
高校入学時に知り合った二人だが、趣味ピッタリ相性バッチリ!
ゲームに漫画トーク、アニソンカラオケ、楽しすぎていくらでも一緒に遊んでいられるし、むしろ時間足りなすぎ。
「ジュン、マリカ弱え。プレイが雑」
「そゆって私の生足チラ見する奴ぅ」
「嘘乙――ってパンツめくれとる!?」
「隙ありカイ! やった勝った!!」
「こんなん認めねええええええええ」
恋愛は一瞬、友情は一生? カノジョじゃないからひたすら可愛い&ずっと楽しい!
友情イチャイチャ満載ピュアフレンド・ラブコメ!!

週五で家に遊びに来るって、小学生か! という入り浸りっぷりで、一緒に過ごしている時間も密度も桁違いだ。これだけ家に居たらそりゃ家族とも顔を合わせるし、今となっては気軽に晩御飯も一緒に食べていく。
でも友達。恋人じゃなくて友達。ジュンが来るのは一緒に遊ぶため。一緒に遊ぶのが楽しいから、一緒に過ごすのが楽しいから、一緒にいるだけで好きだからじゃない。でも、それは好きじゃない、という意味でもないんですよね。
友達関係と恋人関係の違いってなに? と、改めて改まって考えてみるとさてはっきりと明確な定義付はできるだろうか。
恋愛感情のある無し? でも、好き同士でだって恋人にならなかったら、それは友達のままだ。それは恋人という関係に進展しない前段階とも言えるし、新しい関係に踏み込めずに足踏みしている、とも捉えられる。そんな状態のままのラブコメなんて山ほどある。
でももし、その友達関係に……親友という関係に満たされていたのなら、敢えて恋人になる必要はあるのだろうか。
恋人になる、というのは一種の専属契約だ。お互いを最優先するという約束であり、付き合うという形を整える事で周囲にも専有を宣言するもの、と言っていい。その代わり、恋人という関係を成り立たせるために、幾つもの体裁や義務が生じることになる。もちろん、その範囲は各カップル次第で多大な制約下におかれる恋人関係もあれば、野放図なくらいお互い自由である恋人関係もあるだろう。
でも、カイとジュンにとっては恋人関係になることによって生じるであろう様々な縛りや付き合い、しがらみは自分たちにとっては不必要、と捉えたのだろう。だから、彼らは恋人になる必要性を感じていない。親友同士でいい、と思っているのだ。
恋人じゃなくて友達だと、出来ない事も多いだろう、と人はいうだろう。でもそうかしら?
それは、固定観念じゃないのか?
所詮、お付き合いなんてのは書面で契約したわけじゃないただの口約束だ。うん、口約束でも法的義務が生じる場合はあるけどね、でも明確な恋人同士でないとやっちゃいけないこと、その胸に生じさせ通じあわせてはいけない思い、なんてのは「無い!」んですよね。
だからお互いに対する同意と信頼があれば、彼氏彼女という枠組みに入ってこそ育むべき、なんて思われているあれこれだって、別になんら行っても構わないし、不誠実でも不埒でもないのである。

カイとジュンも、友達という関係に拘りつつも友達という関係によって連想されるだろう形式には何ら拘ってないし、縛られても居ない。好きという感情の大きさだって、友達という枠に連想される枠に押し込めようとしていない。大好き、という感情をまったく憚っていないし、異性であることをことさら意識しないように、なんて無駄な真似は一切していない。好きだし、異性として意識しているし、時にはエッチな気分になるけれど、そこにお互い親友同士という絶対的な信頼があることでそんな感情を一方通行ではなく、共有できている。
でも、これってお互いの感情の量や深さがちょうど釣り合っているから、とも言えるわけで危ういバランスの上にある事は忘れてはいけない。そんなあやふやな釣り合いへの不安から、恋人という枠組みの中に自分たちを収めて安定させよう、具体的に関係を明確化することによって……そうして恋人という状態を維持しようとお互い努力することを義務化することで安定化を図ろう、というのが恋人になるという事の大きな効果の一つなのだろう。
そうした安定性が、行き過ぎた親友関係には存在しない、とも言える。
繰り返し、になるのかな。カイとジュンを見ていると、二人はお互いを友達であり親友であり、恋人じゃないしなろうと思わない、と明言しているけれど、二人の間にあるのは友情でしか無い、なんて言い方は一切していない。恋人という枠組みに自分たちを押し込まないようにしようとして、逆に親友という枠組みに自分たちを押し込んでしまう、という窮屈な真似はしていないんですよね。
変に親友という言葉から連想される固定観念の枠組みの中に自分たちを押し込めてしまうと、それはそれで無理を生じさせて関係を破綻させてしまう、という無意識の回避が生じているのかもしれない。
お陰で、彼らの関係はなにものにも縛られていない。自由だ。なんの枠組みも柵にも囚われないまま、思いっきり羽根を伸ばして寄り添い合っている。
周りの人たちは、彼らのそんな特別な関係を把握しきれず、自分たちの理解できるところにはめ込めて捉えようとしているけれど、それじゃあきっとカイとジュンの関係はわからないだろう。
プリンス先生は、感覚的に理解したのかもしれないね。もしかしたら、二人の関係の発展性についても。だから、自分たち夫婦関係を取り戻して、その素晴らしさを証明してやりたい、と感じたんじゃないだろうか。
うん、そうなんですよね。ジュンとカイの友達関係って、そこが終着点じゃないんですよ。決して行き止まりの関係じゃない。彼らは友達のまま、親友のままどこまでも行ける。恋人という建前の関係性を取り込まないだけで、彼らの内側は自由で広大だ。友情も好きも否定しないまま肯定されて内包されている。だから、そのままどこまでも行けるのだ。
知っているか? 男と女は、恋人にならなくても「結婚」できるんだぜ?
友達のまま、好きになってもいいじゃない。親友だからこそできるエッチもあるだろう。そして、一生に二人と居ない掛け替えのない親友同士だからこそ、結婚という形で人生のパートナーになることだって可能なのだ。
もっとも、結婚には恋人どころじゃない義務や成さねばならないしがらみが生じる。結婚までしてしまう覚悟があるのなら、なんで恋人にならなかったのだ、とも思うだろうけれど。
うん、彼氏彼女になるどころじゃない重さが生じるからこそ、人生を共にするという覚悟を証明するからこそ、軽々に離れられなくなる本物の契約だからこそ、無二の関係に相応しいという体もあるんじゃなかろうか。
……いささか先走ってしまったけれど、ジュンとカイの間にある親友という関係は決して行き詰まったものでも停滞したものでもない、どこまでも一緒に進んでいけるだけの掛け替えのない自由のもとにあるものだ、という認識は定かにしておきたい。
ああ、素晴らしきかな、異性の親友。たった一人の生涯の友。

だがしかし、同時にそれはお互いの暗黙の了解のもとに成立している関係でもある。恋人という、彼氏彼女という、付き合っているという明確な約束、契約のもとに縛られていないということは、そうした契約によって「守られていない」無防備な関係とも言えるのだ。ファイアーウォールで守られていない、決して相手を束縛できないフリーの状態で親友だからといって、いや親友だからこそ相手の人間関係に勝手に口出しなんて出来ない。それが相手のためにならない悪い人間関係なら、友達として悪縁を切るために奮闘するのは大いにあることだろう。でも、祝福スべき新たな関係の成立を友達が自分の利己のために妨害することは、親友同士だからこそあってはならない。

ラストの展開は、まさに二人の関係の構造的惰弱性をクリティカルについてくる、実に唆る展開だった。
相手はぽっと出の雑魚などではない。ジュンに準じる密度と量の時間を共にし、カイの内面や心の動き、状態をよく理解し、その上で導くことまでしてくれている深いつながりを有する存在だ。
さあ、試される時である。ジュンとカイにとって、お互いの語る「親友」とはなんなのかを。


ちなみに、自分王子先生がちょっと好きになりすぎて、ヤバいです。この人、男としてちょっとかっこよすぎるでしょう! あとで明らかになる色々と駄目な部分すらも含めて、内面も外見もイケメンすぎる。ちと夫婦生活義務感とかが前に出てしまってギスギスしているみたいだけれど、カイとのコミュニケーションの中でどうも思う所あったようで、夫婦関係に本気になった様子が伺えるので、この人本気になったら、その情熱が傾けられたら夫婦関係劇的に改変されるんじゃないだろうか、という絶大な信頼が王子先生の人柄にはあるんですよねえ。
いやしかし、ジュンのお兄さんズがどうやら二人の関係の大きなハードルになっていくみたいだけど、ハードル超えたら凄え二人の応援派閥、肯定派になってくれそう。すでにあれ、ジュン抜きで「友達!」状態ですし。
すでにカイの家の方はジュンのこと晩ごはんどころか普通に泊めるのもオッケー状態なのを見ると、二人の家族周りは素晴らしく青信号なのが、何とも素敵すぎる。

いやもう、色んな意味で最高のラブコメ、ラブコメ? 女友達最高小説でした。
ほんと最高ッ、最高ッ!

あわむら赤光作品感想