結界師のフーガ 2 (2)

【結界師のフーガ 2.龍骸の楽園】 水瀬葉月/鳴瀬ひろふみ  電撃文庫

 だぁぁ、これも勿体無いなあ、おい!
 読了後、面白かったという感想を抱きながらも何か物足りなさを感じてました。この物足りなさは前作でも感じていた。作品としての出来、魅せ方や心情描写の書き込み具合など、私は前作にまだまだ地に足がついてない薄っぺらさを感じたのに比べてだいぶ向上してると思った。一歩一歩しっかりとした作り手へと階段を昇ってると思った。なのにこの物足りなさ。美味しいタイヤキを上機嫌に食べてたらシッポの先に餡子が詰まってなかったかのような哀しさ。これはなんだろうと考えてるうちに、一つ思いついた。
 主人公の隻腕姉ちゃんと倫太郎少年が悪い!!
 いや、彼女らが悪いんじゃなくて、彼女らをちゃんと書いてない作者氏が悪い。ちゃんと書いてないっていうのは、彼女らの背景。行動原理のバックグラウンド。彼女らがどういう人物なのかと言う書き込み具合。お陰で彼らがなんでその場面でそういう言葉を吐くのか、どうしてそういう意志を持つのかの基盤。読者からすると表層的なキャラクターは理解していても、深い部分を知らされていないから、どうしても置いてけぼりの感を否めないのだ。
 今作では、土蜘蛛の連中やメイド姉ちゃん、仙人娘の内面描写の方をかなり丁寧にやっていたから、余計にメインの二人の内面がいまいち把握しきれず、読み終えたあともポッカリとした空白が浮かんでしまっている。
 出来ないというわけではないはず。見事に上手く、という形容詞はさすがに付け難いものの、メイド姉ちゃんや今回登場のキャラクターに関しては標準以上に内面描写に説得力を持たせていたんだから。
 お陰で、絵馬さんが発する彼女の支柱ともいうべき言葉の数々、その重みが実感できず。逆に、今回の登場人物たちはじっくり書かれているから彼らなりの重みを感じ取っているので、彼らの重さが絵馬の言葉で動かされる事にどうも説得力を感じられなかった。いや、説得力が感じられないというのは少し違うか。彼らが何かを感じ取ったのは非常に伝わってきたのに対して、伝わったものがどういう感触なのか読んでるこっちはまるで実感できなかったと言うべきか。

 主人公の背景をボカすというやり方は別段おかしいものではないと思う。そういうやり方も一般的に存在する。でも、この作品、水瀬氏の物語の綴り方からすると、このやり方は致命的に合っていないんでないだろうか。もったいぶっていないで早急に絵馬さんたちの過去編を要求する。まだ、絵馬にしても倫太郎にしても書割なのだ。彼女らに厚みが加わったとき、この結界師のフーガという作品は、劇的に読み応えのある作品へと化学変化を起こすのではないだろうか、とそんな風に期待する。
 面白い、面白くなるべき要素は既に装填済みなのだ。あとは忘れているものを取り付ければそれでいい。それだけでいい。