復活の地〈3〉
復活の地 3】 小川一水  ハヤカワ文庫JA

導きの星でもそうだったんだけど、小川一水って人は夢を見させてくれる作家だなあ、と再認識。
ただ都合のいい部分だけをピックアップして気持ちよくさせてくれるのではなく、ちゃんと物事の清濁を提示してから、困難を乗り越える姿を見せてくれるので、胸にズンと沁みるんですわ。
軍隊にしても官僚にしても民衆にしてもマスコミにしてもボランティアにしても、如何なるものにもそれぞれ良い部分もあれば悪い部分もある。出来る事と出来ない事がある。悪い部分だけを見ていては何も始まらないし、良い部分だけ見ていては単なる現実逃避に過ぎない。ちゃんと両方の現実を示して見せて、その上で人間の可能性を描いていく姿に、私はどうしても胸のトキメキと抑えきれないわけです。

第一次震災の際には自身の能力を縦横無尽に奮い倒すことで事態を打開していったセイオ。
ですが、横車の引き倒しや大上段に立ってのやり方は各所に多くの敵を作り民衆からも憎悪を以って見られるようになってしまいました。二巻の頃のセイオって明治時代の優良な官僚を連想させるんですよね。無私無欲で立場に囚われず柔軟な思考を尊び、自分が正しいと思う事に関してはどれほど悪しく思われようと貫徹する強固な意志を備えている。でも、それは上から立っての視線であって、他人を慮る事はなく、民衆に対しては愚かな烏合であり自分たちが導いてやらなければならないと考えている。公僕というよりも自身の信念の僕、民衆を一人一人の人間の集まりではなくただ民衆というグループとしか認識していない人でしかなかった。
それが皇姫スミルとのぶつかり合いや、自身が巻き込まれた二次災害で民衆という単位ではない個々の人間と触れ合うことで、認識を新たにしていくわけです。
ここで生まれ変わったセイオが、自分を追いやった政府に対して八面六臂の大奮闘を見せ、名誉と権力を取り戻す…………とはいかないのが、この作家の真骨頂か。
三巻は、本当に素晴らしかった。迫り来る第二次震災を前に、失墜した立場から再びセイオが指揮を取る立場に舞い戻ろうとするのではなく、個々の災害に対する意識に訴えかけ、天災に立ち向かおうという自覚の輪を組織に寄らず集団に帰せず広げていくその様子はもうなんというべきか。
結局、セイオが第二次震災で直接的に為した事は、第一次震災時の超人的な活躍に比べれば皆無と言っていいほどでした。主人公としての活躍の場はありましたが(笑)、公人として彼がした事は、ほんの少しの助言と手伝いだけ。完全に脇役でした。

もうこれ以降、第一次震災の時のような人災を極力排してなお襲い掛かってくる災厄の中でやるべきことをやろうとするプロフェッショナルたち、そして普通の人々の奮闘には感動。ダメ、こういうの弱いんだ、私は。