火魅子炎戦記〈1〉 →bk1 →blogmap

【火魅子炎戦記 1】  著:舞阪洸  富士見ファンタジア

出版社/著者からの内容紹介
ついに再始動! 火魅子新シリーズ!

九洲を天目と九峪はふたつに割り統治をする。訪れるひとときの平和。しかし、新たなる攻撃は火を継ぐものたちのもとへせまりつつあった……。あたらなるスタートをきる火魅子の物語第二部!

火の魂を継ぐ者たちの物語。再びここに始まれり。
 九峪は海を見下ろしていた。青い海原がどこまでも続く。そして自らの足下には、大地が。自らが仲間と創り上げた耶麻台共和国が在った。 新たな国作りが始まる。 新たな闘いが始まる。 新たな出会いがあって、新たな別れがあるかもしれない―。 九峪は強く思った。 突如、3世紀の九州に召喚された高校生の少年。神の遣いを名乗り、女王火魅子の血と交わり、耶麻台国復興の任を負わされた


 大暮維人氏が月刊誌と週刊誌の二本も連載を持ってしまったために、イラストレイター変更のために中断していた『火魅子伝』、装いも新たに再スタート…………すまん、新イラストのゆきやなぎ氏、決して悪くはないのだが……乳よ(涙)
 なんか天然マシュマロ素材から化学調味料をありったけぶち込んだシリコンに変わってしまったみたいで悲しいよぅ(意味不明)
 内容の方は、前回で九洲を天目と分け合いなんとか狗根国を撃退した九峪たち耶麻台国復興軍。今回は迫り来る狗根国の精鋭である本国軍との決戦のための準備のお話、ってな感じなんですけど、相変わらず戦記ものとしては温いです。でも私ゃ、この温さがたまらんのですけどね。私はその作品の雰囲気によって、登場人物が戦死もなにもしないのがすごく違和感となるものと、逆に死んだ方がひどい違和感となるものがあると考えています。これは典型的な後者だと思ってます。温い戦記ものには温いなりの楽しみようがあるのだから、死なないのは変だと考えるのは野暮ってもんですよ。なので、これはこれでいいのです。特にこれは、沢山いるキャラ同士の掛け合いを楽しむ類の話なのですから。
 もし親しい登場人物が死亡した場合、主人公の精神面に変換が起こる可能性が非常に高い。主人公のほかの登場人物に対するスタンスが部下ではなく仲間・友人であること。親しき人の死に対しての心構えの仕方、克服するまでの過程が、集団組織の指揮官と少人数の仲間内ではどうしても異なってくること――自分で剣を振るいながら仲間と協力しつつ手の届く目的を達していくことと、自分は直接動くこと少なく命令を下す事で部下を死地に送り込み国家・集団・組織への貢献という大きくも漠然とした目的のために邁進していく事は、やはりだいぶ心の持ちよう・覚悟の在り様が違う必要がある。九峪はまず間違いなく前者の心の持ちよう。富士見ファンタジアでは『A君(17)の戦争』もまた言わば戦記モノに類するのだろうが、その主人公である小野寺ゴーシは面白いほど後者。もし、この火魅子炎戦記で仲間が戦死した場合、九峪はある程度覚悟を変えなくてはならなくなる(死の前後でまったく変わらないとなると、それは九峪が仲間の死にまるで影響を受けないような人間という事になってしまう。これまでの話と大幅に人物像が変わってしまうので、まずありえない)仲間に対するスタンスもそうなると戦争を続ける以上変わってこざるを得なくなる。決定的に作品の方向性が変わることになるでしょう。果たして主人公と本来部下である人たちとの関係が非常に近しいのが売りのこの小説で、売り自体を放棄するのはありえないし、読んでるこっちとしても困る。
 あと、将帥ってのはよほど一方的になるか運が悪いかでないと戦死する方が珍しいと思うんで、別に戦記ものだからって絶対死なせなきゃならんわけでもないと思うのであります、私。

 少々、九峪に対する登場人物の印象が何度も同じ繰り返しでクドいなあと感じる向きもあったのですが、おおむね満足。