「自己責任論」はもう何度も紹介してきましたが「経済用語で自由主義経済の元、規制撤廃などで投資などの経済活動は自由にしてもいいがリスクが生じた場合の損失の責任も同時に自己が負う」という仕組みのこと。

勝手に「責任回避」のために使われるようになってから30年近く経ち上司が部下に対して叱責する際にも誤用して使われている。

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登山は遭難事故を起こせば、救助隊など自治体組織の警察・消防の出動要請をし家族・友人・親戚・知人・山岳会組織にまで迷惑をかけます。

「行方不明となると失踪扱いとなり、会社は解雇・退職金はでない・保険もでない・ローンは残る・相続はできない・支払いは残る」など様々な問題を自分では解決できなくなる。

沼の原湿原-7 - コピー

したがって「登山には自己責任」という言葉はなく溝手弁護士の言われる通り、原因のひとつに「登山道」の問題や標識などの整備の問題がある場合「管理責任を回避」するため、事故発生時など山岳関係者が使う言葉であり「登山行為全体」について前もって「責任回避を印象づける」言葉であり登山にはそぐわない。

山の事故は日本では「自己責任」ではなく「自業自得」がふさわしい。迷惑をかけるので万全の準備をしなければならない、自由に登れる勝手ができるわけではない。

飯豊山花リンドウ-9

溝手康史 弁護士コラム 以下抜粋 2020/6/30 上高地周辺の歩道の破損

 長野県での群発地震のために、上高地周辺の歩道に破損が生じている。しかし、誰がそれを修復するかをめぐって関係者の間で混乱が生じているらしい。

上高地周辺の歩道の管理者があいまいなことがその理由らしい。
上高地周辺の歩道は多くの観光客と登山者が利用しているが、それがちゃんと管理されていないことに驚くが、日本の山岳地帯ではそれが当たり前なのだ。

管理者不明の登山道が何となく誰かが補修してきた。誰かが事実上の管理はしているが、タテマエとしては管理者不明にしておくのだ。責任の所在のあいまいな〇〇協議会を作り、そこが歩道を補修していれば、〇〇協議会が歩道の管理者である。〇〇協議会は法的には権利能力なき社団か、民法上の組合として扱われる。


 以前、ヨーロッパアルプスのマッターホルンのノーマルルートで岩が崩壊してルートが危険になったことがある。数時間後にはルートの管理者がヘリコプターでルートを視察し、ルートの閉鎖を決定してインターネットで世界中にその情報を発信した。マッターホルンは世界中から登山者が来るからだ。そして、すぐにルートの管理者が対応方法を検討し、地元山岳ガイドにルートの修復を依頼した。

ルートに関する情報の発信とルートの修復は数時間単位の行動だ。
マッターホルンのノーマルルートの管理者は明確だが、かりにそこで事故が起きても管理者が法的責任を負うことは、まず、考えられない。登山は危険性を承認したうえで行うことが前提だからだ。

 スイスは全土に渡ってヘリによる山岳救助体制が整備されている。そこには、日本のような登山者に対する「自己責任論」はない。このような徹底した合理的な管理方法はいかにもスイスという感じがする。この点はドイツと同じだ。

 他方、日本では、「歩道を誰が管理するのか」すら定まっていない状態だ。歩道の修復に何か月も、何年もかかることがある。あるいは、修復されずに放置されることもある。ものごとをあいまいにし、そのうち誰かが何となく修復したり、しなかったりする。

 日本では登山道で事故が起きた場合に管理者がどこまで責任を負うかはよくわからない。日本には、危険性を承認したうえで行う行動の考え方が根づいていないからだ。裁判所の判断も混乱している(野球場でのファウルボール事故の裁判例を見よ)。そのため、日本では、危険性を伴うアウトドア活動がしにくい。

 ものごとをいまいにして、うやむやのうちに物事を処理し、責任回避をはかる点は、日本の政治状況と同じだ。