㈳日本山岳ガイド協会所属登山ガイドのブログです。
ご興味のある方は 山旅天空倶楽部HPhttp://essred.com/tenku_club/ まで

生きざま

-運命を感じる- 悲惨な事故

過去登山で学生時代に有珠山噴火の際に隣の山に行くのを「やめた」当日に大爆発となったことがあったり、屋久島から帰る際に口永良部島で火山噴火発生で航空機便に支障がでるはずだったところ「一便早く不思議と」変更して予定通りとなったりとしたことがあります。





今回の火災も山岳事故同様、現地関係者・内部者しか知りえないお話しがあるものですが「家人」は犠牲者がたくさん出ている3階で明日「会議」の予定だったとのこと。


台風5号接近と不安定な気象配置で「非常に読めない山域の天候の19-21」の週末ですが山域によっては「アプローチ林道崩壊」による閉じ込め「渡渉地点の渡渉不可」
による無理な渡渉事故など過去には事例はたくさんあります。


殺傷事件の連続のつぎ、ポアソン分布での火災が続きませんように祈るばかりです。


明日から「燕岳」ですが、長野方面は「高気圧」というか「高圧帯」がくじらの尻尾のように張り出す予想もあるので期待して行きたいと思います。

#PrayForKyoaniが世界に拡散 火災に励まし世界から届く



本社・第二スタジオ・大阪と残っている社員の方々頑張っていただきたいものです。関係者なので特に心が引き裂かれそうですが負けないで欲しいですね。

誰があなたの命を守るのか “温暖化型豪雨”の衝撃

NHKスペシャル 2019年6月30日(日) 午後9時00分~9時49分
避難行動は3パターン ウェザーニュース
 

200人を超える人の命が奪われた、平成最悪の豪雨災害「西日本豪雨」。なぜこれほど多くの命が失われてしまったのか。発生から1年、国・地方自治体の大規模調査や、研究機関による検証、そして私たちの取材で、あの時、何が起きていたのかが、その全貌が浮かび上がってきた。


多くの犠牲者を出した大規模な洪水。それは、「バックウォーター(背水)の連鎖」と「決壊の連鎖」という、これまで考えられていなかった「ふたつの連鎖」が重なり引き起こされたことが分かってきた。


 
いつも地震にせよ水害にせよ検証として「学者さんは実はこのようなことが起きるのです」と後付けで解説しますがリアルタイムでその知識を生かす事例はありませんね。不思議なことでとどのつまり「対策には金がかかる」ので生かされない。リアルタイムの警告やアドバイス連絡も上部団体を超えて勝手に連絡をしてはいけないのでしょう。


豪雨災害では鹿児島の自治体が「AI」を使ったリアルタイム雨雲予想をする日本初の気象会社と契約して「避難情報」を早くだすことで被害を最小に抑えている。


和歌山県では南海トラフ地震に備えて海岸から一段高い場所に町ごと引っ越しを進めたり、反対のある街ではせめて昼間には住民が高台で過ごす集まる施設を新設しています。


山岳遭難事故も含めて「情報の発信と防止対策」についての判断は首長のトップマネジメントでしょう。予算・人員の問題があるのでしょうが上記対策を推し進める自治体は素晴らしいと思います。


NHKスペシャルの番組と被災者の結論は「自分の命は自分で守る」避難場所経路の確認に始まって、情報の収集と対策をすることが肝要とのこと。


自然災害→「自分の命は自分で守る」この世の中、情報は収集可能
山岳遭難→「自分の命は自分で守る」
登山時間と同じ準備時間をかけること

老後生活→「老後の生活自分で守る」昔より国民生活白書に明示されている



いずれも「判断力のある大人ならおわかりのこと」かといって「自己責任とは違います」自然災害対策の治水や行政の問題、住宅販売の問題もあるでしょう。登山については遭難死亡事故では周囲に迷惑をかけ、後処理が自分でできないので「自己責任」とは相いれない、登山を煽る商業主義側の問題に道義的責任はあるでしょう。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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自己責任(じこせきにん)

  1. 辞書の定義では自分の行動には自分に責任が存在することや、自身の行動による過失の場合にのみ自身が責任を負うこととなっている[1]
  2. 現代社会では多くの意味や用例が存在しており、詳細は責任#自己責任を参照。
  3. 金融商品取引においての原則は自己責任原則を参照。

    3.の経済用語、20年ほど前くらいからあらゆる場面で「責任のある側」の論理から責任逃れで使われることが頻繁となりました。山岳遭難事故においては「自己責任」「登山ブーム」という用語をコメントする山岳関係者は勉強不足であり信用はできません。

    「信頼」は裏切られるものですが「信用」は相互の対価を前提とするもので「信用の引き算は100-1=0です」信用金庫はあっても信頼金庫はありません。

本日の論語 子曰く、人の生くるや直し。これをしいて生くるは、幸いにして免がるるのみ。

人は本来真っすぐに生きていくものだよ。それを歪めて生きていられるのは、まぐれでたまたま助かっているだけだ。

イチロウ引退・・・イチロウの真実は?あるべき姿とは?

関係者コメントでは王貞治さんの「いろんな方々の人生に大きな影響を与えたのは素晴らしい」というのがベストコメントでしょうか?


以前勤務した企業で研修会に何度か参加したのが「道徳団体」ですが、実はイチロウのお父さんは愛知県でのこの道徳団体を信奉していたそうで「宗教とは違う」もので「近江聖人」と呼ばれた「中江藤樹」に由来する朱子学と陽明学からの道徳規範です。


現代でも滋賀県高島市の地元の方は裃をつけて墓参りをするという。三方よしという、“売り手よし”“買い手よし”“世間よし”の3つのよしの精神で
売り手と買い手が共に満足して、さらに社会貢献もできることが、よい商売のありかたであるという近江商人の心得を生んだおおもとの思想です。


「中江藤樹」の子孫の中江なにがしは株のディラーで名を挙げたものの、問題があり逮捕され出所後、自宅に火をつけて保険金詐欺で逮捕されていて「かならずしも、皆が教えを正しく理解しているかは不明」なものですが、イチローのお父さんはインタビューの答え方が息子とよく似ていて多分に、幼いころから父子共に道徳の薫陶を受けていたと想像されます。


イチローの姿はストイックであるのは「この道徳思想」が心身ともに叩き込まれていて、その上の本人の生きる姿がぶれなかったのが、成功したんだろうなと思います。とてもマネはできない強い精神力であることは間違いないことです。非常に道徳的な姿はここにあるということです、あまり報道はされていませんが・・・・・

子曰く、巧言令色、鮮なし仁。「見かけより中身が大事」本日の論語

口先のうまい人や、みかけばかりのものにロクなものはない。

「子曰く、剛、毅、朴、訥、仁に近し」
真っ正直で、勇敢で、気取らず、寡黙なものは仁者に近い」

「世界の果てまで行ってQ」のヤラセ問題

溝手康史弁護士コラムより

実際に行われていない祭りを、「祭りがある」と言えば、騙したことになる。  テレビ、映画、小説ではフィクションは多い。NHKの朝ドラでは、細部に実際になかった逸話を入れてノンフィクション風のストーリーにしている。 新田次郎は「小説だから嘘を書いてもよいのだ」と述べた。新田次郎のモデル小説にはフィクションが多いが、それを本当らしく見せかけている。そのため遺族との間でトラブルになったこともある。


NHKの朝ドラで、「これはすべて実話です」と言えば、嘘を言ったことになる。しかし、視聴者の多くはNHKの朝ドラを実話だと考えている。  もともとテレビの世界はフィクションが多いが、それをフィクションとして放送すれば何も問題はない。

しかし、視聴率をあげようとして「本当らしく見せる」ことが多い。たとえば、旅行中にたまたまであった人が現地の著名人だったという場面が旅行番組で放送されるが、事前にその人に連絡して待ち合わせをしていることが多い。

世界の僻地にいる日本人を訪ねる番組では、出演者がその日本人捜しに苦労するが、テレビ局のスタッフは事前にその日本人の住所、電話番号を知っているはずだ。その日本人に簡単に会うと番組として視聴率が上がらないので、わざと日本人人捜しに苦労する場面を演出する。  


視聴者はそれをわかったうえで、フィクション的なノンフクションを楽しむ必要がある。すべてノンフクションだと考えると騙される。「世界の果てまで行ってQ」は半分はヤラセだと考えておいた方がよい。 ほとんどのバラエティ番組はノンフィクションを装ったヤラセが多い。テレビコマーシャルも半分は誇大広告だと考えておかないと、騙されて簡単に買い物をしてしまう。


誇大広告を野放しにする日本の法律に問題がある。特に子供への悪影響が大きい。  日本全体が詐欺文化で成り立っている。裁判すらも虚構の世界になっている。カフカは、「審判」の中で裁判はすべて「作り事」だと述べている。


振り込め詐欺などが多いのは、日本人が小さいころから騙されることに慣れてしまっているからだ。戦争中も日本人は簡単に騙された。ドイツ人は戦後、その点を真剣に反省したが、日本人はまったく懲りていないようだ。そのため、今でも日本では政治に騙される人が多い。管理する側としては、国民が騙されやすい方が都合がよいが。

人生の羅針盤について「Life is a series of choices」人生は選択の連続である。

山登りも登山の対象の選択から始まり、装備・食料・気象・医療・日程・メンバー選択と「まさに選択の連続であり、そこに物を考えることがなければ、遭難は始まります」


情報氾濫の現代に住む私たちは情報の選択にかかっています。「人生は選択の連続である」という「
ウィリアム・シェイクスピア」のハムレットのなかの名言ですが、人生を思索するなかで「羅針盤」もある程度必要となります。

穴富士

老若男女問わず、きっかけになるのが「羅針盤」でしょう。名著であったり友人であったり師匠や先生であったりと社会生活のなかでのご縁もあるでしょうが「思索すること、物を考える」ことから始まります。そんななかで参考になるのが「山の法律学で有名な溝手康史先生のコラム」ですね。

こけ

今回のお題は「幸せのマニフェスト」(ステファーノ・バルトリーニ、コモンズ、2018)を読む

幸せのマニフェスト: 消費社会から関係の豊かな社会へ
ステファーノ バルトリーニ
コモンズ
2018-08-01


先生のコラムはこちら2018年 溝手弁護士
下記のアマゾンの感想投稿は先生でしょう。

市場経済、競争社会がもたらす消費社会の弊害と幸福度について、アメリカとヨーロッパの比較がなされている。ヨーロッパがアメリカのように不幸な国にならないためにどうすればよいのかという観点から記述されている。


ヨーロッパから見ればアメリカの不幸度が目立つ。ヨーロッパでは労働時間が減少し、余暇の過ごし方が幸福度を左右するが、アメリカでは労働時間が増加し、金銭を得ることに人々の関心が向いている。ヨーロッパの中でイギリスはもっともアメリカに近いが、これはイギリスでの規制緩和政策の結果だろう。今後、イギリスはEUを離脱し、アメリカ化が進むのだろう。


 本書では、日本に関する記述がほとんどない。これは、日本の不幸度が突出しているので、残念なことだが、ヨーロッパ人にとって日本を比較対象にして研究する意味がないのだろう。

「最近朝から、中国と韓国の不幸というかアホなニュースばかり垂れ流しているテレビ局がありますが、意図するものはなんなのかが読めないのですが昔の士農工商みたいに二国がいかに不幸で日本が幸せなのかを報じているのか?ネットで情報を拾うほうが国内のいろんなnewsを取材するより楽?取材能力と報道能力が落ちているのを感じます」


アメリカの労働時間の多さが指摘されるが、アメリカの労働時間は日本より格段に少ない。日本は、欧米に較べて労働時間が突出して長い。この本では日本に関する記述はほとんどないが、わずかに135頁のコラムで日本や韓国や受験競争や自殺の多さを取りあげている。不幸な国の例として。日本、韓国の不幸度がヨーロッパの比較対象ではないのは当然といえば当然だが、議論の蚊帳の外というのも悲しい。


 著者はこの本で人間が幸福になるための文化の構築をめざしている。本の内容は、経済、社会、政治、心理、教育、文化、哲学など多面にわたり、細分化された現在の学問ではとらえきれない広範さがある。


 従来の経済学は、合理的経済人を前提に利益やストレスによって動く人間を想定していた。しかし、これは現実の人間ではない。著者は、現実の人間を前提に人間の内発的動機付けや「関係性」を重視し、それが幸福とかかわると述べる。この本では、現実の人間の把握のために人間科学の研究成果と知識が駆使され、経済の本というよりも人間科学の本の印象がある。時間、余暇、労働、自由、幸福、教育、生活、住居、都市空間などと人間の関係を考えさせられる。

「イワン・イリッチ・トルストイ著」にならない為に考える

溝手康史 コラム 登山の法律学に詳しい先生のコラムに示唆するご意見がありましたので、いまさらですが「単なる山馬鹿ガイドにならずに生きていきたい」ということで引用させていただきました。


岡口基一裁判官の懲戒処分

 最高裁は、岡口裁判官のツイッターでの書き込みに関して戒告の処分にした。東京高裁が懲戒申立をしたのだが、東京高裁長官は林道晴氏である。林道晴氏は私の大学時代のサークルの後輩であり、彼をよく知っている。いや、かつて知っていたというべきだろう。


今後、最高裁判事になるだろうと言われているらしい。将来の最高裁長官の候補であもるらしい。彼にとって懲戒申立は当たり前のことなのだろう。官僚組織の中で、彼の評価が上がるのかも知れない。

 
大学1年生の彼は、「プルーストの「失われた時を求めて」をフランス語の原書で読んでみたい」と言い、文学志向と法学部生らしからぬその言葉に私は親近感を持った。文学志向のあった私もそのように思っていたので・・・・・。しかし、勉強意欲のまったくなかった私はフランス語どころか法律の勉強も挫折したのだが。


彼が、プルーストの「失われた時を求めて」をフランス語で読んだかどうかは知らないが、私と違って真剣にそのための努力をしたはずだ。


戦前、学生時代に資本論をドイツ語で読んだことを自慢する、ある特高検事は、多くの治安維持法事件を扱った。人間の能力や努力は、それを向ける方向が重要なのだ。
カフカの「流刑地にて」を見よ。


 表面的には穏やかだが、政治的な問題について頑なに
保守的で、机を叩いて自分の意見を押し通そうとする・・・・・・その柔軟性のない姿勢に議論をしても無駄だと思ったことが思い出される。


彼は司法行政に従事した期間が長く、実際の裁判の経験は少ないようだ。地方の裁判所の経験が少ない。官僚組織の中を登りつめていった。挫折を知らない彼には、「何か大切なもの」が欠けているのではないか。


 裁判官といえども仕事が終われば、一市民としての自由な時間がなければならない。一市民として社会に関わることがなければ、まともな人間ではありえない。


 日本の裁判官は仕事とプライベートの区別がない。私的生活がなく、24時間裁判官でなければならない。これは、教師が24時間教師であるのと同じである。弁護士も、24時間弁護士である人が多い。これが視野の狭さにつながる。


 私的財産の中でもっとも重要な財産は自分の労働力である。労働力の中には精神労働も含まれる。仕事のために提供する労働力は他人に支配されるが、それ以外の以外の私的な領域がなければ奴隷と同じである。


ハンナ・アレントは、「私的領域を取り除くことは人間存在にとって危険である」と述べる(「ハンナ・アレント、「人間の条件」)。それは全体主義や戦争につながりやすく、人間を不幸にする。


「1984年」(ジョージ・オーウェル)には、完全に私的生活のない社会が描かれている。この本はどこかの遠い国の話ではなく、「日本の中の1984年」を考えながら読むべき本である。効率を重視すれば24時間の監視社会になる。
私的領域に仕事上の価値基準が持ち込まれてはならない。


 自分のやりたいことができない、自分の言いたいことが言えない、自分の書きたいことが書けない、これはモノを考える人間には死ぬほど苦痛である。「絶望の裁判所」。


モノを考えない人や自分のやりたいことは仕事しかないという人には、どうってことはないが。そんな日本人が多い。多くの者が、「イワン・イリッチ」(トルストイ)として生きている。


地位の高い「イワン・イリッチ」もいれば地位の低い「イワン・イリッチ」もいるが、最高裁判事は前者。それぞれ、懸命に生き、仕事をし、生涯を終えて、それなりに満足して歴史から消えていく
死ねば皆、ゴミになる。


 官僚組織の問題性・・・・裁判官はどうあるべきかは、個人のレベルの問題と組織の問題があるが、官僚組織では、国民の批判からいかにして裁判所を守るかが重視されやすい。


組織のために個人を切るのだ。切られる者は少数であり、それにより多数の組織内の者が利益を得る。出る杭は打たれる。岡口裁判官が組織を出れば裁判所はほっとする。村八分の論理と同じ。


裁判所はムラ社会である。役所でも企業でも組織を守ることが正当化の論理になりやすい。それが不正をもたらす場合もあるが、不正をもたらさなくても人間の思考停止につながり、社会の発展を阻害する。

東京医科大学、入試における差別的扱い・・・法的に何が問題か

人生を生き抜いて上で「生い立ち」や「能力」、「生活環境」の違いや格差は建築家・安藤忠雄の言うように「しゃあないを生きる」しか道はありません。

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ただ、人生を豊かにする一助となる事は御存知ように多だあります。「読書であったり」「ご縁による出会い」「溢れる情報の中の試金石」であったりします。登山も師匠と仰ぐ登山家と出会えれば最高のアウトドア趣味の登山となり充実した登山ライフを送ることが出来るでしょう。


本当のことを世に問う「評論家」や「メッセンジャー」は政治的背景や商業主義などで報道・テレビの世界からは嫌がられかき消されるのが世の常ですが、しっかりした方でまともなご縁のある方を身近に持つことは大変嬉しいことです。

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登山については私の座右の銘は師匠の「登りたいように登る」ですが、この言葉は安全のための配慮や登山技術・知識を正しく持った上でのお話です。「大人な登山」「大人な考え方」で過ごしたいものです。


「登山の法律学」の著作者・登山家の弁護士溝手康史先生もその一人と言えるのかも知れません、お盆前のコラムにも「考え方」のナビゲーションの一つともいえる示唆が下記の掲載にありました。

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東京医科大学が、これまで入試で女性を男性よりも不利に扱っていた。これは裏口入学とはまったく別の問題であり、平等原則に違反する不利益な扱いかかどうかが問題になる(裏口入学は、優遇する扱いの問題であり、不利益処分の問題ではない)。


 女性に対する差別に合理性がなければ違法である。学生の男女の比率を考慮するとしても、女性比率を半分以下にする合理性はないので、東京医科大学の扱いは違法である。合理的な差別として、国立大学医学部で55歳の女性が試験の点数はよかったが、年齢などを総合的に考慮して不合格にした扱いを違法ではないとした裁判例がある。

法務省が司法試験で受験回数が少ない者に点数を加算していた時期があり、これも公認された差別の例である。大学入試で浪人生よりも現役生を優遇する扱い、年齢による減点、受験回数の制限、地域的な差別扱い(中国ではこれが行われている)、社会人を優遇する入試、僻地での勤務希望者を優遇する入試などは、事前に公表すれば差別が容認される可能性があるが、私は反対である。

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 東京医大の不平等な扱いが違法だとしても、過去にさかのぼって女性受験者をすべて合格させるとか、差別的扱いによって合格した男性受験者を不合格にするのは無理だろう。過去にさかのぼって12年間分の女性をすべて合格させ、加点された男性(既に医師になっている人もいるだろう)を不合格にするのは無理である。

その医師の治療を受けた患者の扱いはどうなるのか。不利益を受けた浪人生をすべて合格させるのも無理である。たとえば、差別の結果、現役の合格者50人、不合格の浪人生30人の場合に、差別を受けた30人を合格させ、優遇された50人を不合格にすべきだろうか。

 そこで慰謝料の問題になるが、仮に、不利益を受けた女性受験者の慰謝料請求が認められるとしても、せいぜい数十万円程度であり、裁判費用を考えれば裁判するメリットが少ない。不合格になった女性の医師としての生涯収入の損害賠償請求も無理である。日本にはアメリカのような懲罰的な損害賠償の制度がない。不平等な扱いは刑事事件になりにくい。

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 他の大学は、いずれも、東京医科大学のような差別的扱いをしていないと言っているようだ。他の大学は、この問題を東京医科大学固有の特殊な問題にとどめたいようだ。しかし、他の私立大学でも別の差別的な扱いをしている可能性を否定できない。これは医学部だけの問題ではない。他の大学は東京医科大学の問題が自分の大学に波及しないか戦々恐々としているのではないか。

たとえば、寄付金の金額によって点数を加算するとか、理事長の子弟の点数を加算するとか。現役生を優遇するとか。面接の点数を加算する扱いは、不公平な扱いをしてもバレにくい。企業の採用では、不公平な扱いは日常茶飯事である。能力のある学生は、試験の点数に関係なく合格させる。現役生優先。コネ優先。有名大学優先など。一芸に基づく合格扱い。スポーツ推薦に基づく合格は、学力を無視している。

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 国家公務員の採用では、公務員試験に受かった者の中から誰を採用するかは、各省庁の自由である。公務員試験の成績が悪くても、優秀と認められれば優先的に採用される。財務省や経済産業省などは女性をあまり採用しない点は、差別的な扱いである(毎日深夜まで仕事をすることも関係しているのだろうが)。

 優秀かどうかの判断に大学や企業の主観がはいりやすい。出身大学による採用差別はこのようにして行われる。企業は、テストの点数よりも有能かどうかを重視し、そのメルクマールとして出身大学を考慮する。その判断が外れることもあるが、テストの点数だけで判断するよりも、当たる確率が高いのだろう。私立大学では金品をもらっても賄賂にならない。大学には学生の採用の自由という自由競争の社会を象徴する大原則があり、裏口入学は不平等な扱いではあるが、特定の学生の不利益処分ではないので、平等原則違反の違法を問いにくい。
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 採用の自由は資本主義経済の根幹をなす自由競争に基づいている。しかし、自由競争といえども、それを公平、平等に規制することは可能である。ロールズの「正義論」、ロバート・ライシュ「最後の資本主義」にあるように、自由な市場をいかに規制するかが問題であり、不公平、不平等な採用を法律で禁止することが可能である。三菱樹脂事件で最高裁判所が採用の自由を述べたことは、資本主義憲法の帰結ではあるが、それを法律で規制することは可能である。

 ところで、大学入試を平等に実施すれば、それで問題が片付くわけではない。平等な競争が格差をもたらすという問題がある。医学部に受かる者は勝ち組、大学入試や就職に失敗する者が負け組になるという問題である。日本で多くみられる自己責任論は「頑張らなかったからだ」というが、競争社会では頑張っても全員が成功することはありえない。

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 格差には、競争の機会の不平等がもたらす格差と能力差がもたらす格差がある。頑張らなければ競争に負けるが、頑張った者同士の間でも能力の差が勝者と敗者をもたらす。障害者は、最初から競争に参加できないことが多い。アマルティア・センが述べるように、capability(能力)の格差がもたらす格差の解消を考えなければならない。ロールズも、talent(才能)が格差をもたらすことを述べている。

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 機会の不平等のために競争に負けた場合には「機会に恵まれなかっただけだ」と考え、頑張らなかったために競争に負けた場合は、「頑張らなかったからだ」と考えることができる。しかし、平等で公平な競争の機会があったのに、また、他人以上に頑張ったのに競争に負けた場合は、このような言い訳が成り立たない。

不平等な社会での競争でも、機会均等の平等な社会での競争でも格差が生じる。しかし、競争に負けたからといって人間の価値が否定されるわけではない。誰にでも幸福になる権利がある。各人の価値を実現することが自己実現であり、それは競争に左右されない。自分の内面的価値に自信を持つ人は、「能力差があるとして、それが何だというのか」と考える。

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 人間の生物的なcapability(能力)の格差があることは当たり前のことであり、それがもたらす経済的な格差が大きすぎることが問題なのだ。能力差が経済的格差につながるのは、社会的なシステムによる。江戸時代には勉強ができても、収入にはつながらなかった。

百姓は、勉強ができることよりも、体力の方が収入につながった。形式的な平等のもとで受験生が全員がんばっても、医学部に合格する者と不合格の者が出る。これは当たり前のことだ。しかし、医者になれば一生経済的に恵まれるが、機会均等の公平な競争のもとで「負け組」になれば、生涯、経済的困難がつきまとうという格差の大きさが問題なのだ。このような格差を小さくすることが政治の役割である。

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 自由放任では富と能力に基づく格差が際限なく拡大する。格差が小さく、競争に負けても生活が成り立ち、自分の内面的価値の実現が可能な国では国民の幸福度が高い。北欧がその例である。

アメリカでは形式的な機会は平等でも、富の偏在と能力差が大きな格差をもたらしている。ハーバード大学、スタンフォード大学、MITは能力がなければ受からないが、年間の学費が500万円程度であり、日本の私立の医学部並みに金がかかる。

大リーグの選手になるには金は必要ないが、能力が必要である。他方、北欧の大学は、無償で学生に生活費が支給されるが、大学の数が少なく能力が必要である。しかし、大学に行かなくても生活ができるので、受験競争は日本、韓国ほど激烈でははない。

連合艦隊司令長官 山本五十六

滋賀県彦根市の事件の真相も「山岳事故」同様、真実は不明。痛ましい事件ですね。



世間一般的に教育する側への教訓として「山本五十六」の名言をお借りるすると。


やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、

ほめずば、人は動かじ。

話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。

やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。


教育される側としては・・・「男の修行」

苦しいこともあるだろう。

云い度いこともあるだろう。

不満なこともあるだろう。

腹の立つこともあるだろう。

泣き度いこともあるだろう。

これらをじっとこらえてゆくのが


 男の修行である。


「人生は選択の連続である」ハムレットより シェイクスピア



スティーブ・ジョブスの有名なスピーチですが「毎日を最後の日だと思って生きよう いつか本当にそうなる日がくる」という言葉に感銘を受け、毎朝「今日で死ぬとしたら本当にすべきことをするか?」「NOであればなにかを変えるべきだ」と言い聞かせてきた。

「すぐに死ぬ」という覚悟があれば人生で重要な決断をする時に大きな自信となります。」という。

この言葉は平昌オリンピックで活躍した小平選手が座右の銘としている「明日死ぬかのように生きよ、永遠に生きるかのように学べ」というガンジーの言葉と同じです。

また、論語の「朝(あした)に道を聞かば 夕べに死すとも可なり」という言葉と同じです。

大切な事は有名になってから「座右の銘」としたのではなく、努力の過程で意識して生きてきた生き様です。

レ・ミゼラブル「夢破れて」の歌のような心境にも私達はなりがちですが勇気を持って生きて生きたいと思います。

スーザン・ボイルのデビューのきっかけになった番組のこの訳詞がミュージカルのものよりも、非常に優れており感激しますね。

審査員と観客の暖かい表情と包み込むような眼差しにいつも涙してしまいます。


金メダルへの道「逆境を乗り越えて」

NHKスペシャル 金メダルへの道 

羽生選手の計算し尽くされた、勝利への道など。
それぞれに緻密なスケジュールと自信に裏打ちされた圧倒的な勝利への道。そして仲間といゃあ感激しました。

ガイド業もある意味、緻密な計算とコースを読み切る力、ABCプランとカーリングの様に予想して瞬時に判断して変えることも頭に入れています。そして揺るぎない自信に裏打ちされた成功を考えています。

これからもオリンピック選手の足元にも及ばないヨレヨレですが「磨き」をかけて、案内業務を洗練したものにしたいと思います。

「桜は散ることを知りながら 咲くことを恐れない」

暖かいところでは、河津桜が咲き始めたという・・・

「拝啓 さくら咲く」

桜の花が咲きました
あなたのいない春なのに
思えばいつだって桜の花が咲いていました

あなたに初めて逢った日も
あなたと最後に逢った日も

散ることを知りながら 咲くことを恐れない。
だから、サクラが好き

あなたはたしか、そう言いましたね
踏みだせないままに ただ見つめるだけの私に

あの日、散る花の 花びらのひとつひとつが
痛いようでした

ああ、もう一度あなたに逢いたい
この桜の花の下で
桜咲く 桜散る あなたのいない春なのに

千鳥ヶ淵「フェアーモントホテル」が95年に特別に作った絵本「拝啓サクラさく」文・日暮真三、絵・黒田征太郎より抜粋

 
ケツメイシ「さくら」

小平奈緒 心にガンジー、動きは古武術

平昌オリンピック閉会しました。

2017年11月10日の朝日新聞記事ですが、スピードスケートの小平選手は競技人生の中で小平自身が思いついた言葉としてオリンピックのインタビューだけでなく〈与えられるものは有限、求めるものは無限〉を胸にW杯とオリンピックを戦ったとわかって2度目の感激をいただきました。

オランダに飛び出し、自分を見つめ直した時にそう気付かされた。人から与えられることには限界がある。だから「与えられたことで満足するのではなく自分で求めていく」。その先に追いかける「究極の滑り」があると信じている。

ガンジーの言葉も胸に刻んでいるとのこと。
〈明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ〉
これも論語の「あしたに道を聞かば 夕べに死すとも可なり」に通じるものがあり、素晴らしいですね。

心にガンジー、動きは古武術…小平、言葉の力信じW杯へ

小川理子(おがわ みちこ)55歳

パナソニック(来年100周年)社員(執行役員)、ジャズプロピアニスト、大阪府出身。テクニクスブランド復活のプロジェクト主導。

ダウンロード


「苦労を苦労と思わない、ポジティブさ」が信条。
毎週ジョギングの体力作りを欠かさない。

今朝のテレビ番組「ザ・リーダー」出演、「いやぁ偉い女性、素晴らしい人生」を送っている方もいるものです。
年末にいいものを見させていただきました。

バブル崩壊からの逆転人生というから、同じ時間を過ごしながらの結果に「なにをやってきたか」と反省します。

松下幸之助は最近使い捨ての企業だらけですが、「モノも作るが、人も作っています」という「企業文化」の創業者。

「生い立ち」「周囲の環境」と「本人の努力」「天性」と揃わないとなかなかなのですが・・感激しました。

「Keep Play don't stop Play」成功するにはとにかく「やめるな」と教えられ「個性と感性」を大事にしてきたとのこと。

入社時に職場のピアノを弾いて「天は5物を与えたもうた」と上司が思ったくらいですから、才能なんでしょうか?

「歴史とは人間の生き様である」塩野七生

世界情勢については「歴史に学ぶ」ものがないといけない。

今晩の歴史作家・小説家 塩野七生さん(7月7日生まれ 80歳)のNHKインタビューでの言葉のひとつ。又、このようにお話されていました・・リーダーに必要なのは人の立場に立つことのできる「想像力」と人の思いがわかる「感受性」の2つ以外にはありません。

民主主義は50%+1票での選良の選択で正しいか間違っているかはわからなくとも、リーダーは選ばれるので危険ではあるが、民主主義は反面1番良い選択とも・・・

「リーダー」とは率いることである、率いる以上は大きな権力を握るわけだから堂々とした振る舞い・態度も考慮しないといけないとも。これは旅行業協会登山部の会長も「ガイド業・リーダー」はお客様を引率することであるが、引率するとは「率いる」ことである。とおっしゃっていたことに通じるものがあります。

「率いる」ことについては熟慮しながら学ばなければなりません。
こういう「凛とした」人物はなかなか最近見かけないので感激しました。
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NHKプロフェッショナル 仕事の流儀

いやあ今晩の過労死問題の解決にあたる「労働弁護士・川人博」、世の中には偉い方が何人もいるものです。

もう脱サラして5年ですが、その前8年は2つの顔を持つ男。
特に3-4年は休みはほとんどなし・・・・・
その前は1年休養期間その前は激務。

朝7時には出て夜平均23時帰宅、サービス残業とパワハラ、精神的にも追い込まれる事もただありましたが「失神しそうになりながら、幻聴を聞くまで追い込まれて鍛えてくれた学生時代の山行が良かったのか生来、チャラけているのか」今日まで生きてきました。

感謝しています。

桜は散ることを知りながら 咲くことを恐れない

「桜は散ることを知りながら 咲くことを恐れない」
           コピーライター 日暮真三 

すべてのお花に共通する言葉かもしれないけれど、桜にたとえたいい言葉ですね、勇気をいただけます。

光陰矢の如し 登山者老い易く登頂なり難し

月日の経つのはあっという間で二度と戻ってこないから、無為に送るべきではないという戒め、「光」は日「陰」は月の意味であの山に行きたいなと思っているうちに月日が経ってしまうこと。

「登山者老い易く登頂なり難し」とは、若いうちはまだ先があると思ってピークハントやクライミングに時間を割き自然や素晴らしい全国の山に行かなく特定山域ばかりに行っているが、すぐに年月が過ぎて年をとり、花や樹木・動物などの自然を学べないで終わってしまい「あそこもここも」と思っても資金と時間と体力と健康と登山に行ける環境が整わなくなってしまうこと。 

1.先人曰く、もう一泊増やして温泉や自然を楽しめば良かった。

2.先人曰く、老々介護になるとは思わなかった。
3.先人曰く、もっと真面目にトレーニングすればよかった。
4.先人曰く、もっと若い時に登山を始めればよかった。
5.先人曰く、子供や孫なんか知らない、余裕はない。
6.先人曰く、まさか病気になるとは落ち込んでいます。

そうなんです「後悔先に立たず」なんですよ。「今」しかなく「今」を大事にしなければ「先」はありません。

深田久弥は残念な山行も多いが「思い」を残した方がいい時の喜びもひとしおだから「良い」のである。

みたいな事をおっしゃっていますが、のんびりした昔の良き時代のことでそう何回もは障壁の多い時代となりました。

「経済環境 」は厳しく「年金」は若者に厳しく、来年から5年くらいが一気に登山者が減る時代です。


減るとは高齢者を病と介護が襲い、高齢者交通事故ばかりが話題となりますが周囲の家族も対応に追われるということです。

介護資金も大変な額で若い世代を直撃します、老いも若きも大変な時代に節約しての「登山」ということにもなります。


「時間」の余裕も問題ですが、1回の山旅をどれだけ充実させるかがポイントです。2回目がない、老いて観光でいけばいいなどは甘く、これからは一部の人生の成功者以外は厳しいでしょう。

「自己満足と趣味の世界」なのかもしれませんが、自然は癒しと登山は足・腰は強くなり健康には良いのかもしれません。

まぁ・・皆さんわかっておられますが・・そういう環境になりかねないので「温泉文化」「食文化」「自然」という観点もしっかり持って2017年の山旅企画を作成中です。


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