ご存知の方も居るとは思うが、現在では私は趣味の範疇であるが絵を描く。一時期、美大受験をしていたこともあったし、元々、絵を描くのが好きだった面もあって、所謂、「美術・芸術」に関しては、自らが絵を描く立場もあって、所謂、洋の東西民族を問わず、巨匠と呼ばれる偉大な作家や、一級と呼べる芸術作品に対面する際における心構えは、一般の人々と確実に一線を画す。

項羽と劉邦項羽と劉邦―若き獅子たち (8)

中学の時に、「武田信玄公」を始めとする戦国・安土桃山の英雄人傑、「孫子の兵法」を始めとする、「三国志」、「項羽と劉邦」等の書籍を、漫画、文献問わずに読み漁っていたんだが、其の時に「項羽と劉邦(横山光輝著)」の中で、読んで影響を受けたコトが、現在の
「芸術に対するスタンス」
―――の、根底にあると思う。

漢の高祖(劉邦)に仕え、其の元で「大元帥」となり、曰く故事の「韓信の股潜り(大志を抱く者は一時の感情に任せて匹夫の雄に走ることなく、冷静に対処し、大望の為に耐え難い屈辱すら受け入れること)」の語源となり、変幻自在、神算鬼謀の兵法を駆使して、西楚覇王 項羽を撃破し、漢帝国に中原統一(古代CHINAに於ける天下統一)を齎した、

淮陰公韓信Hán Xìn
のエピソードである。

韓信が漢に仕えようとした時に、漢の丞相(総理大臣相当官)蕭何(しょうか)に謁見した時のこと。蕭何は漢王国の丞相であり、韓信は、着の身着のままで仕官を申し出たのであるから、蕭何が、韓信を目下の人間として扱ったのは無理も無かった。

しかし、韓信は蕭何の態度を「驕慢だ」と捉え、
「漢王(劉邦)は清明、丞相(蕭何)は賢人と聞いて千里の道も厭わずに参りました。しかし、(蕭何の態度を見て)急に田舎に帰りたくなりました」
―――と、臆することなく、蕭何に云った。
蕭何にはその意味が解らなかった。

韓信は続けて
「丞相は“賢人を求めるには礼を以ってすべし”と云う言葉をご存知ですか??」
と、訊ねる。しかし、蕭何はその意味を知らなかったので、其れを察したのか、紹介者の顔を立てたのか、

「それでは、一言、古の話を申しましょう」
・・・と、蕭何に説明をした。

太公望太公望(左図)が創った斉の国の後の王(斉王)は、非常に琴を聴くのが大好きであった。
斉王は、日頃から琴の名人の演奏を聴くのを楽しみにしていたので、とある名人に、再三に渡って、宮中で琴の演奏をして欲しいと、使者を出して口説いた。名人は、斉王の願いを聞き入れ、遥か遠方より、宮中へ参内した。

斉王は名人と謁見すると
「そなたは名人と聞く。早速、琴の音を聴かせよ」
―――と、命令した。
其れに対して、名人は相手が王であろうと憚り無く斉王に対して曰く
「王様は琴がお好きで私の琴の音を聴きたいと云うことでしたので、私は宮中へ参りました。それに対して王様は、私に向かって“さぁ琴を弾け”と、下男に命令するが如くおっしゃいます。私は自分を卑しくしてまで琴を弾きたくありません。」
更に続け
「もし、王様が、本当に琴の音を聴きたいのであれば、香を焚き、座を設け、礼を見せてくだされねばなりませぬ。それでこそ、私も王様の為に心を込めて琴の音を奏でることが出来ます。」

それを聞いた斉王は、即座に自らの非を率直に認め、直ぐに、態度を改め礼を尽くして名人をもてなし、名人もその王の礼節に答えて心を込めて琴を奏でることをしたと云う

―――と、それらを踏まえた上で、蕭何に対して韓信曰く

「この様に、琴を弾く者ですら、自らを卑しくしてまで王の側に立つことを恥としたのです。王でさえ態度を改めたのに、まして丞相(蕭何)如きが国のために賢人を必要としている大事な時に、座を設けることもしないで其の驕りを欲しい儘にして賢士に会おうと云う態度をみて、私は失望しました。それ故、田舎に帰りたいと申したのです。」

それを聞いた瞬間、蕭何は韓信に対して非礼を率直にわびて、教えを乞い、そして、其の様な大言を吐いた韓信は、蕭 何に対して才能・英知・兵法を如何なく教え、其の恐るべき能力に感じいった蕭何は劉邦に韓信を推挙し、韓信は大元帥となり4年の間に、強敵項羽を撃破し中原を平定し、漢帝国第一の功臣となる。

・・・と、引用が長くなったが、こんな話がある。
私は「音痴」であるが故に、音楽のことは其処まで知らない・・・と、云うよりも「無知に等しい」と思うし認識している。
然しながら、芸術の面白いところは、
「イイモノはイイ」
―――と、云う普遍的な価値観があるので、「イイモノ」は解るつもりだ。自分自身で今でも時折、絵を描くことをするが其の中で、「巨匠」と呼ばれる偉大なる芸術家への尊敬の念と畏敬の念、そして其の偉大さを強く感じることが出来る。

ルノワール 肖像例えば、
泰西画家であるならば
ピエール・オーギュスト・ルノワール(Pierre-Auguste Renoir)は、
晩年、リューマチを患い指が全て朽ち落ちてしまっても、拳に筆を巻きつけ、最期まで絵筆を離さず、制作活動を続けた。

ゴッホ パイプを咥え包帯を巻いた自画像モネクロード・モネ(Claude Monet)は晩年に白内障に罹り、失明に近い状態になってしまった。画家の命である目が、色彩を感じることが出来なくなるのだ!!しかし、モネは絵筆を取り続けた。「色は絵の具のチューブに色の名前が書いてあるから、(絵を描き続けることが)出来るんだ!!」・・・と、云って、絵筆を離すことをしなかった。
(右図は、晩年の“執念の作品”)

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(Vincent van Gogh)は、純粋な精神と醜い浮世の狭間で苦悩し続け、精神異常をきたし、片耳をそぎ落とし(左図は当時の自画像)、精神病院にブチ困れながらも絵筆を取り続け、最期は、「もうどうしようもない」と云いながらピストルで自殺してしまう。

佐伯祐三 顔のない自画像ベートーベン日本近代画家で言うならば、
佐伯祐三(左図)は、持病の結核を圧してまで西洋に芸術の神髄を求め、欧州に滞在し、多くの創作活動をする傍ら、持病の悪化に伴い、30歳の若さで仏国で客死してしまう。

音楽家で云えば、
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven/右図)は20代後半に持病の軟調が悪化し、聴力を失ってしまう。一時、自殺を考えるがしかし、彼は強靭な精神力で、其れを克服し、世界的な名曲であり古典の総決算でもある名作「交響曲第九番楽章(所謂「第九」←クラシック音楽で一番好きな曲♪)」などを書き上げ、音楽史に不朽の名を刻み、後世に対して多大な影響を残した。
―――と、枚挙にいとまない。

故に、春秋時代の逸話しかり、多くの巨匠の逸話然り、
だからこそ、「芸術をイウモノ」に対して、接する時、極力、私は通常礼装以上の服装で望むようにしている。

それが、私が表し得る最大の芸術に対する敬意と尊敬の念の表し方であると思うし、例えばクラシックのコンサートではしばしば、ある程度以上の礼装やフォーマルが求められるのは、本来、その偉大なる作曲家に対して敬意を表し、尚且つ、その演奏者に対しての礼節であると思っている。
逆に云ってしまえば、それ以外に、その作品に向き合ったときに敬意の評し方はあるのかは知らない。

ただ、あくまでも「芸術」と認めたものに対してだけです。
普遍性も無くただ自己満足だけのモノ・・・要は「イイモンではないモノ」に対して敬意を表する必要は一個もありませんからね。