職人ブログ

塔婆製造・販売の(有)遠藤産業のブログです。塔婆職人という仕事を通じて 日々感じた事や気付いた事を書き綴っています。

木札の加工

早いもので12月も中旬に差し掛かろうとしている。
そろそろ年賀状の準備もしなければならないが、自分の中では年末という感じが全くしていないので、いまいち尻に火がつかない。
もう少しだけ放置してみようと思う。


さて、今月は塔婆の他に、お正月用の木札の製作依頼が重なっている。
印刷用の製版も含めて、納期はギリギリと言った感じではあるが、焦らずに作業に取り組みたい。


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割り札のサンプル作製

お客さんから、割り札のサンプル作製依頼があった。
割り札とは、切り込みが入っており、板チョコの要領で真っ二つにパキッと割れる木札の事である。


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過去に割り札を作製した事はないが、十数年前、仏具を製造しているお客さんの所に応援要員として手伝いに行った際、割り札の製造行程と似た仏具の製作に携わった事があった。
まさか十数年前のその作業内容が、今になって役立つとは思ってもみなかった。


サンプルは片面に切り込みを入れたもの、両面に切り込みを入れたものの2種類を作製。


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どちらが綺麗に割れるか、割りやすいか、お客さんに判断して頂く。






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小國神社参拝

久々のブログ更新である。
1 1月も残す所あと数日。
例年だと、この時期は閑散期であるが、有難い事に今期は仕事も途切れずに、コンスタントに御注文を戴く事が出来た。


(自分の人生における)構築者である自分が、閑散期と言ってる段階で現実も当然そうなる。
だから『11月は閑散期』という概念を、自分の中で崩すよう極力心掛けてみた。


前例だとか、過去の経験。
『これはこうである』という強力な粘着を引き剥がし、意味付けから離れる事で、現実はいかようにもなるのかも知れない。


さて、ここからは仕事以外の話。
昨日は森町の小國神社に紅葉を見がてら参拝してきた。
紅葉シーズン真っ只中という事もあり、神社周辺は多くの参拝客で賑わっていた。


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参拝後、見事な黄色と赤色に彩られた遊歩道を歩いた。
自然は常に自然体だ。
綺麗に見せようとも思っていないし、ただそこに在る。
だからいい。


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余談であるが、神社の敷地内に大黒さんの小槌が祀ってあった。
ジャパンCの馬券がどうか当たりますようにと、私は念入りに小槌を撫でくりまわし、神社を後にした。



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箱根の温泉にて

先日加工した剣先塔婆。


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塔婆最下部の幅は、お客さんの指定で1mm幅に加工。
塔婆の幅が37mmと狭い為、加工の際はのこぎりに手が触れないよう細心の注意を払った。
怪我もなく、無事に作業も終了したが、おじさんは肩が凝ってしまった。


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ここからは仕事以外の話。
1週間ほど前に、右足の薬指を家具にぶつけ、右足に体重が掛かると痛みを感じる状態だった。


そんな折、たまたま友人と電話で話した際、お勧めの箱根の温泉を教えてもらったので、先週の日曜日に早速行く事にした。


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温泉のある施設は落ち着いた雰囲気で、それだけでも心が癒される。


男風呂は大小合わせて6つほどの露天風呂があり、上を見上げると木々の間から、ダークブルーの夜空が見えた。


三連休最終日ということもあり、どの露天風呂も全裸の男達で賑わっていた。
私は比較的空いている風呂に入る事にした。


『ぁあ!』


そこは温泉ではなく水風呂だった。
私は急いで水風呂から飛び出た。


『ぁあ!』


その際、左足の薬指を岩に強打。
これで両足の薬指を負傷した事になる。
一体何をしているんだ・・・。
私は激痛に耐えながら、その場を去り、とりあえず一番奥の風呂に入る事にした。


『ぁあ!』


その風呂は一番熱い風呂だった。
この数分間の間に、どれだけ情けない悲鳴をあげれば気が済むのだろうか?


徐々に体が熱さに慣れてくると、なんとも言えない快感を覚えた。
ジーンと体の芯から温まるとは、こういう事を言うのだろう。
肩凝りと腰痛がかなり楽になったように感じた。


温泉のある施設を出ると、目の前に月が出ていた。温まった体に夜風も心地好い。



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『綺麗な月ね。』


見知らぬお婆さんが呟いた言葉が、妙に心にしみた。
箱根の紅葉を楽しみつつ、近いうちにまた訪れたいものだ。





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お寺もある意味ではサービス業である

先日、あるお寺さんの今年の棚経がゼロになってしまったという話を耳にした。


棚経とはお盆の時期に、僧侶が檀家さんの家を一件一件まわり、お盆のお経を唱える事を言う。


棚経は各お寺さんによって、様々なスタイルがあり、事前に棚経に訪れる日時を葉書で知らせるお寺、日時は知らせずに突然訪れるお寺、様々のようだ。


棚経がゼロになってしまったお寺さんは、棚経に訪れる日時を事前に知らせずに棚経参りをしていたそうで、檀家さんから突然訪問されても困る等の声がここ数年増えていたそうである。
そのお寺の御住職は、『希望者の家だけ棚経参りをする』という内容の葉書を檀家さんに出したそうだが、希望者は年々減少し、ついに今年ゼロになってしまったとの事だった。


私がいつも業界の情報交換をさせて頂いている御住職に、この話をしたところ、『行事を無くす事は、檀家さんとお寺との接点を無くす事に繋がる。昔と比べて生活様式も変化しているから、お寺側もその変化に対応していく必要がある。』
と仰っていた。


棚経は、学校で言うところの家庭訪問と同じである。
檀家さんがどんな家族構成で、どんな人達なのか、仏事的意味合いの他にそういう事を知る機会でもある。

檀家さんの側からしても、お寺の御住職との数少ない接点の1つとも言える。


棚経を希望するかしないかを問うのではなく、そこはやり続ける事が大切なのである。


先の情報交換させて頂いている御住職は、檀家さんに棚経の日時を3月に葉書でお知らせするそうだ。
共働きなどで、どうしても日程の都合がつかない檀家さんに対しては、お寺で合同の棚経の行事を行う機会を持つなど、柔軟な対応をされている。

檀家さんの要望もふまえつつ、いかに行事を無くさないか、いかに接点を持ち続けるか、それをしっかりと意識されている。


『お寺もある意味ではサービス業である』と先の御住職は仰っていた。
若い世代の檀家さんの中には、核家族化や親戚関係の希薄化によって、自分の家で今年何回忌の法事があるという事すら知らない場合も多いと聞く。
一度法事をやらなくなると、それが通例になり、お寺と檀家さんの接点はますます無くなっていく。
檀家さんに法事のお知らせを、葉書等で知らせてあげる事もお寺の役割だと御住職は仰っていた。


『法事はやって当たり前』、『法事があることを知らないのはおかしい』、ではなく、伝えてあげる事も大切な役割だと感じた。


先の御住職によると、この先、お寺が衰退していく事は避けられないとの事。
(お寺さん相手の仕事をしている身としては、こういう話は心臓に悪い。)
その衰退のスピードを和らげる事は可能だが、それに最低限必要なのは各寺院の御住職の人柄なんだそうだ。


うちのお寺は歴史がある。
うちのお寺は規模が大きい。
御住職の中には、そういう話をされる方々もいらっしゃる。
自分のお寺に誇りを持つ事自体は全く問題ないが、それは先人達が築き上げてきた結果であり、その事に誇りを持つ事と、御住職がその威厳の上にあぐらをかく事は別物である。
そこを自分が偉いと勘違いしてしまうと、おかしな事になってしまう。


巷でよく耳にする言葉。
『お布施をいくら取られた?』
本来はお布施を渡すとか、お布施を包むなどと言うが、取られたと表現する人の多い事。
そういう表現1つからも、お寺と世間の意識のズレが見てとれる。


『お寺もある意味ではサービス業』
そういう意識を持てるかどうかが、今後のお寺の存続を左右する一つのポイントになる。
そんな事を感じた。


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