本日は沼津方面の5件のお寺さんに納品。
あるお寺さんの掲示板で、こんな言葉を見掛けた。


もし自分に出会うことがなければ 
そこに生まれ
そこに生き
そこに死んでも
流される人生です



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御住職に言葉の真意を尋ねてみた。


例えば、何か悪いことをして、反省したとしても、自分は反省しているつもりになっているだけで、反省している自分を感じてはいない。
人は自分の事を分かっているようで、本当は何も分かっていない。


自分を感じるとは、例えば、他人からイラつくような事を言われたとして、条件反射的に怒り出すのではなく、『今、自分はイラついているな。』とか『こういう事を言われると、自分は怒るのか。』と、自分の感情の動きを意識する事を指す。
そうすることで敢えて『怒る』という選択肢を選ばない事も出来る。


条件反射とは外的要因に対する反応であり、反応だけで生きる事は、自分不在の流される人生を生きる事になってしまう。


ついカッとなって殴ってしまったなんて話があるけど、本人は自分で意図的に殴ってるつもりでも、怒りの感情に同化してるだけで、実は流されまくっていることになる訳だ。
『怒り』の話だけでなく、むしゃくしゃしたから衝動買いとか、仕事で嫌な事があったからヤケ酒なんてのも、自分不在で流されているのかも知れない。


最初に掲示板を見た時は、自分に出会うの意味がイマイチ理解できなかったが、御住職の説明を聞いて府に落ちた。


自分不在の流される人生なんて寂しいものだ。
御住職の話を肝に銘じておこうと思った。







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