定額給付金をきっかけに

  • author: yamato_woman
  • 2009年03月15日

定額給付金の支給が始まりましたね。
私の住まう徳島市では、明日3/16から手続き受付開始です。
今日は書類の用意をして明日投函します。
賛否両論ある今回の政策ですが、市場経済活性化のカンフル剤として一定の意味を感じるので、我が家は受け取り、消費します。

今回の政策の本質は、時間とともに変化したのですよね。低所得者に対しての救済の意味合いよりも、景気回復のカンフル剤としての意味合いの方が強くなっていきました。私はそれならそれで仕方ないと思います。たった2兆円でも市場に金が回るのは良い事ですし、これをきっかけに多くの国民が金の使い方を考え、互いの会話の中に政治の話が出るようになるのは良いことだと思います。
ただし、麻生総理は失言が多いですね。発想も「この人はやっぱりお坊ちゃんなんだな」と思われる事が、時々あります。定額給付金の発想も、初めは「お金がなくて困っている人にお金をあげよう」みたいな事ではないでしょうか。定額給付金では「さもしい」発言がマスコミを賑わせてしまいしたね。「お金のない人にお金をあげて生活を助けようという政策だから、お金に困っていない人は受け取るべきではない」と言う訳です。その後「未曾有の金融危機に対して景気回復を目指す方が重要だ」という事になり、「自分も受け取って使います」と立場を変えた訳ですね。
総理の発言が軽率なのは問題だと思いますが、揚げ足取りの政治家、報道陣も問題ですね。政治に関する報道を見ていても、本質が分かりにくくて仕方ない!
「日本の現状がこうで、この部分をこうしていきたいから、具体的にはこういう政策を取ろうと政治家が言っています。皆さん、どう思いますか?」というのが欲しいなぁ。TVや新聞は、誰がどう失言したとか、どんな失態があったとか、政治家の格好悪い姿ばかり取り上げなくてもいいと思います。そんなものは週刊誌に任せていればいいでしょう。「政治家がこんなメッセージを発しているけど、そうすると日本はどうなるんだろう?その方向性・やり方でいいのかな?」と国民一人一人が考えられる環境になければ、まっとうな民主主義なんてあり得ないと思います。
政治家の本分って何でしょう。私は、国民の利益と安全の為に政策を考え、法案を作り、法律が施行された後は結果を確認し、状況が変わったり上手くいかなかったりしたら、また修正していく事だと思っています。決して、政治家自身が権力を行使する楽しみを感じたり、利権を得ておいしい思いをしたり、人々に「先生、先生」とちやほやされて自尊心を満たしたり、する為に政治家のポジションがあるのではないですよね。これは、官僚たち公務員についても同様です。
政治家のヴィジョンとそれを現実にする力に対して、国民は期待して投票するものだと思います。今年の秋までには総選挙がある訳ですが、今回の選挙で何か変わるのでしょうか。「自民党ではもう駄目だ」と言う人がいますが、「民主党もどうだかなぁ」と言う人もいます。私にして見れば、「何党でもいいから、まっとうな政治を展開して下さい」です。だから、ちょっと失態があったからと言って簡単に人を挿げ変えなくてもいいのではないでしょうか?「やり直しがきく社会」って安部元総理が仰ってたような…ともかく、よくできた政治家がそうそういない現状なのだから、小粒は小粒なりに皆で頑張っていくしかないと思うのです。政治家がお粗末なのは、それを選出している国民もお粗末と言う事です。政治が低迷すると、カリスマ性ある強い指導者を望みがちですが、今の日本からそんな英雄が傑出してくるとは当面思えません。もっと多くの人が政治を自分事と捉えていかなければ、衆愚政治から抜け出せません。
「自助努力」と言う言葉、最近良く見聞きするような気がします。私は元来それが大事だと思っています。「働かざる者食うべからず」と昔から言いますが、私は「自分の事にもっと責任を持て」と言い換えてもいいと思います。人のせいにするな、文句があるなら努力しろ、自分だけで出来ない事は人と協力してやっていくしかない。
詰まる所、様々な諸問題の根源はやはり教育なのだと思います。
「皆仲良く」でも「自分だけ良ければいい」でもなくて、公共心を養い、勤勉を良しとし、自分の能力を活かして周囲に貢献するのが良い生き方だとする価値観を醸成していかなければ、先人が培ってきた大和魂が薄れていくと思います。行き過ぎた個人主義や拝金主義、博愛主義を是正して、家族や友人、故郷、自分の国への感謝と誇りと責任を感じて生きる人を増やす為に、私が出来る事は何か?自問する日々です。

「義経」

  • author: yamato_woman
  • 2009年03月12日

源の義経と言えば、「判官贔屓」の語源にもなっている悲劇の美男子というイメージだったのですが、文春文庫の司馬遼太郎著『義経』を読んで、それは激変しました。
ずいぶん女性的で、かつ女好きで、子供じみた性格の青年ではないか!
私は好かんタイプです。
ただし子供じみた素直な性格(力もないのに天下の平家を打倒すると公言してはばからない等)のおかげで、奥州平泉で藤原秀衡を「私が力にやってならねば」という気にさせ、多くの援助を受ける事ができた。
彼は、人に好かれる天賦の才があったようだ。

自尊心の高い武将たちの人心掌握術も心得ていた。(司馬遼は、これは自分が感じた事を素直に口にした事がたまたま功を奏したように書いている。)
頼朝と義経が初めて対面した時、多くの武将は離れ離れだった源氏の兄弟同士劇的な邂逅を一目見ようと集まっていた。そして、その義経に少しでも知られたいと思うのか、坂東(当時の関東)諸郷の武士達が代わる代わる義経に挨拶した。すると、相手が名乗る前に相手の名前を呼び、その者の武功等を挙げた為、一瞬でその武将の心をとらえてしまったそうだ。義経は関東の武将の甲冑の色合いや、おもだつ武士の家系、弓の強さ、性癖まで記憶していた為らしい。
創元社 デール・カーネギー著『人を動かす』でも、「相手の名前を呼ぶ事」が人を動かす為に大切な要素の一つとして挙げられている。人は自分の名前に強い思い入れがある。だから、特に上に立つ人が自分の名前を覚えていて、呼んでくれるというのは、ひどく嬉しい。そして「この人の為なら」と動くのである。

また、誰も考えもよらなかった戦術で大勝した事は確かだ。
有名な一ノ谷の合戦、鵯越である。
平家の本陣の背後の崖から攻め入った、度胸と武運は素晴らしい。
その奇跡の大勝利で世間に名を轟かせる事になった。
その後、平家を西へ追いやり、屋島の合戦、壇の浦の戦いで遂に滅亡させたが、義経の武功は京でも評判良く、一気に時の人となった。
彼も時代の寵児と呼んで、差支えないだろう。

義経を動かしていたのは、父・義朝の仇討と兄・頼朝の力になりたい、という情だと思われる。幼い頃、父を殺され、母と離され、家族の愛に飢えて育ったが為に、腹違いとは言え、肉親である頼朝を強く慕った。
しかし、頼朝にしてみれば家族の情よりも、政治的野望が優先。武士の棟梁として返り咲いたばかりで、脆弱な基盤を固めたい時期だった。武将たちに人気の高い源氏の血をひく者は、邪魔になっていった。
義経は自分の影響力に気が付かず、目の前に見える人々の様子しか理解していなかった。幼少期を寺で過ごし、世間知らずに育ったせいだろうか。しかも、兄弟愛を無条件に信じ、兄が自分を疎ましく感じる意味が分からない。

悲劇の英雄として語り継がれるうちに、彼は美化されたのだ。
私が冒頭で義経の性格を「子供じみた」と表現したのは、一言で言うと、彼の社会性の無さを感じたからだ。
自分の感情には素直。だが、人の心の機微には気付かない。
世の中の仕組みが分かっていない。武将たちがどうやって飯を食っているのか知らないから、部下の武将たちに武功を譲らず、自分で武功を挙げてしまった。
やっと台頭してきた兄の立場を考慮して、自分の振る舞いをどうすべきか考えなかった。兄に無断で朝廷から官位を頂いてしまったりする。義経は三日平氏の乱の対処にあたり、頼朝の推挙を得ずに後白河法皇によって左衛門少尉と検非違使少尉(判官)に任官し、従五位下に叙せられ院への昇殿を許された。これは、まだ官位を与えることが出来る地位に無い頼朝の存在を根本から揺るがすものだった。
また、女に目がなく、だらしなかった。女を通しての政治的配慮もなかった。義経は壇ノ浦からの凱旋後、かつて平氏が院政の軍事的支柱として独占してきた院御厩司に補任され、平家の捕虜である平時忠の娘を娶った。かつての平氏の伝統的地位を、義経が継承しようとした、あるいは後白河院が継承させようとしたと見られても仕方ない状況だという事が分からなかった。
この頃の武士と言うのは、社会的地位はさして高くない。京から見れば、関東の武士は文化水準の低い野蛮人であり、尊敬もされていない。皇族・貴族からは、治安維持の役割を果たしていれば良い、勤めに応じてはその栄誉を称え官位を与えてやろう、と言った感覚で見られていたようだ。それが、実質は朝廷を揺るがす力を得た為、無視できない存在として認められるようになり、武士が政治の中心になる時代へと移っていく。その移行期において、政治が分からぬ義経は法王と頼朝に利用され、切り捨てられたのだ。

いわゆる処世術の大切さを、悲劇の英雄は物語っているのかもしれません。

春うららかなる日5

  • author: yamato_woman
  • 2009年03月07日

8aeb1bff.jpg朝夕は冷えますが、空気がどことなく緩んでいるのを感じ、うきうきしてくる日々です。先日は啓蟄でした。私も動き出したい気分で、久しぶりのブログ更新です。

昨日は、帰り道で三分咲きの桜を見つけました。
眉山はまだ柔らかい茶褐色と緑が混じった模様をしておりますが、
今年はあと2週間程で淡いピンク色が広がり始めそうです。

このところ、雨が続いておりました。
明日からまた天気が崩れるそうで、今日は束の間の貴重な晴天です。
今朝は私が洗濯物を干す傍で、うちの愛犬も気持ち良さそうに日向ぼっこ♪
庭のしだれ梅はもうピークを過ぎようとしておりました。
日向ぼっこしだれ梅1しだれ梅2










隣の空き地の辛子菜は、昨日までの雨を受けて、この2,3日の内に、背丈が30cmは伸びました。1mを越えた茎の先端には、菜の花のような花をつけておりました。植物の生命力には、時々はっとさせられます。
先ほど愛犬を洗い、掃除を終えてPCに向かったのですが、ふと見ると、犬と母は昼寝。
のどかでうららかな日になりました。
今夜はNHKの「白洲次郎」のドラマでも見て、早めに寝てしまいましょう。

先の分からぬ人生だから

  • author: yamato_woman
  • 2009年01月31日

最近、ブログをさぼっています。
日々思う事はあっても、なかなかそれを表現するのはパワーがいるものなのですね。

つれづれなるまゝに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

というのは、有名な徒然草の冒頭ですね。
上手く書こうという無意識の内の作意が、「そこはかとなく書きつくれば」という風に出来なくさせているのかもしれません。
背伸びは続きませんからね。
まあ、「徒然なるままに」と言えるほど暇を持て余してはいないというのも言い訳の一つですが。

まったく人生というのは分からないものです。
1年半前は行政書士と社労士の資格を取って、労務関係のコンサルティングをしたいという夢を持っておりました。それで、起業したいという友人を手伝ったり、勉強しながら新卒採用アシスタントをしたりしてきた訳です。
結局、体調がネックとなり、激務を避けて夢を変えてしまいました。
その後、教育関係への憧れも捨てきれず塾講師になってみましたが、これも生易しい仕事ではありませんでした。それでも私は自分を上手くコントロールできるのだという自負の下にトライしてみたのですが、あっけなく玉砕(笑)自分の体すら言う事を聞かせられないという不甲斐ない始末で、私の根底が揺らいでしまったのでした。
こうしたい、こうありたい、という思いばかりで、現実の私は何もできてはいないと落胆し、私のちっぽけなプライド等は滑稽なくらいに思えました。
抜け殻のようになって、親元に戻り、表面上は平静を装い周囲に無用な心配をさせまいとしながら空しい日々を過ごしました。
肉体的な負荷を極力し、充分な睡眠を取る生活を続けたおかげで、体調は安定してきました。かと言って、左半身の重だるさや痺れが起こる仕組みは何も変わっておらず、少し無理をすれば症状は悪化します。それでも、せめて経済的自立をしたいと軽い仕事を探した結果、たまたま現職を得た訳です。
某大学病院の秘書です。
初めて早2ヶ月が経ちましたが、意外と楽しくやっております。
給与を貰うからには、ちゃんと役に立たねばならないと言う性分ですので、早く仕事を覚え、先生方の気質を知り、押さえるべきポイントを把握し、緩急つけて業務を進行しております。これまで営業事務、営業、カスタマーサポート、イベントのコンパニオンやMC等、多岐に渡る仕事を経験してきましたが、それらがすべて役に立っており、無駄な事はなかったかな、と少し自信を取り戻しつつあります。自分の裁量で工夫する事が出来、それを歓迎される職場である事が嬉しく、遣り甲斐を見出しております。肝心な仕事以外はズボラな先生方のお世話をするのは、性に合っているのでしょうね。きっと、私は世話焼き女房になれるでしょう^^
先生や親から婚活を勧められたりもしている今日この頃(笑)
1年半前からは、想像もつきませんでした。
これから自分がどうなっていきたいかは、少し考えるのをお休みしております。色んな御縁に生かされておりますから、しばらくは流れに身を任せてみようと思っております。
諦観ではなく、達観と言った心境でしょうか。
おっと、達観と言うには若すぎますね。偉そうな事を申してはいけませんね。
ともかく、日々、一所懸命 精進して参ります。

謹賀新年5

  • author: yamato_woman
  • 2009年01月01日

36725231.JPG謹んで初春のお慶びを申し上げます。
昨年中は、多くの方々にご心配いただき
大変お世話になり、誠に有難うございました!!
改めて厚く御礼申し上げます。

気がつけば年越し、2009年になりました。
昨年は激動の一年でしたが、今年は穏やかな変化が起きそうな気がしております。
自分自身の変化を楽しみたいと存じます。
紆余曲折ありながらも、牛歩の如く一歩一歩、凛とした大和撫子を目指して参ります!

不況のあおりを受けて、外出を控える分、お家でのご飯を充実させる傾向にあるようですね。国中で家族団欒が増えるのは良い事です♪辛い時こそ励ましあって鋭気を養って、それぞれの戦いを続けていこうではありませんか!
私も母とおせちを作り、和やかな新春を迎えました。自分の出来る事を日々真剣にやっていく、平凡でも丁寧に生きていきたいと存じます。
家族や友人同士の絆が、結局のところ自分を支えているのだと実感しております。
人とのご縁を大切にしながら、無理せず、まっとうに生きていく!というのが、今年の抱負でございます。
皆さまの笑顔が多い年でありますように…!!

「世に棲む日々」

  • author: yamato_woman
  • 2008年12月12日

文春文庫「世に棲む日々1〜4」司馬遼太郎

情熱と思想の人、吉田松陰。
そして、長洲きっての風雲児、高杉晋作。
幕末に革命をもたらした二人を主人公にした群像劇。
どちらも大変人気のある幕末の志士ですが、今回私が強く感じたのは、長州藩自体の性格の面白さです。
言われてみれば、松陰も晋作も、書生風情。お家を一手に背負っている、養うべき家臣がいると言った立場ではなかったのですよね。
それに加えて、彼らの遊学やルール違反を許し、上手い事取り計らってやった長州藩主及び長州藩士たちがいたからこそ、彼らの自由で縦横無尽な活躍があった訳です。学ぶことを奨励し、学びたいという者をちょっと無茶をしてでも優遇してやろうという藩の性格は、他の藩とは一線を画していたようです。
「そうせい候」こと長州藩主 毛利敬親の下、書生の如く、大志を抱き、夢を描き、行動を起こす幕末の志士達を数多く輩出してきたのは、こういった土壌があったからなのでしょう。
それに対し、薩摩藩は質実剛健なイメージ。思想よりも実をとる。
もちろん学問を奨励はしていましたが、主義主張が乱立するというよりは、一度方針が決まれば中心人物の下に集まりチームで動くと言った性格でしょうか。大人ですね。
長州の若く青い情熱と行動力、薩摩の現実を見据えた冷静さと組織力。
それらが相まって、日本に変革をもたらす事になったのか、と感じました。

さて、松陰という人物は本当に稀有な人物だと改めて思いました。
知的好奇心と知識を世の為に活かしたいという使命感、自分は変革をもたらす事ができるという自信、そして自分の肉体的快楽や社会低地位を求めないという禁欲さ。
…変人です(笑)
常識にとらわれず、周囲の意見に迎合せず、我が道を進み切るというのは、常人ではできませんから、革命家は皆変人なのでしょうね。革命家、思想家、宗教家、という存在はいわゆる公共の利益に合致している場合のみ認められ、公共の利益に反する場合は危険な存在として排斥されるのかもしれません。事実、松陰はその「公共の利益」を掲げる徳川幕府からは、迫害された訳ですから。
既存のものは、そのままあり続けようとする性質がありますが、同時に同じままでは老朽化して朽ちていく運命でもあります。藩や国や会社等のどんな組織も、生き物も同じです。エントロピーの法則には逆らえない訳です。私たち生き物が生きていられるのは、自らスクラップ&ビルドを行って、常に新しい細胞を保っているからです。組織も「日々新たなり」でなければ存続できないという事です。(←このあたりの解釈は、「生物と無生物の間」を読まれると共感できるかもしれません。)
話を松陰に戻しますが、徳川幕府と言う老朽化した組織の中に現れた突然変異体が松陰だったように思います。それが既存の体制をくつがえす、尊王攘夷思想と倒幕運動の火付け役と言うイノベーターの働きを果たしました。
その遺伝子は松下村塾門下生に受け継がれ、その中の一人が高杉晋作。
彼は、奇人の部類です(笑)
神出鬼没で何を考えているか周りに分からない。でも、女も遊びも好きでユーモアや風流を解する男ゆえに憎めない。そんな魅力的な奇人です。
上級藩士だったが為に、浮世の煩わしさにかまけたり、人に遠慮したりせずに育った点は、織田信長に通じるところがあるような気がします。
彼が鎖国下において上海を自分の目で見る事が出来たのは、日本にとって幸いでした。イギリスに日本の国土を取られずに済んだ訳ですから。日本が列強諸国の植民地にならずに済んだのは、明治維新後の急速な近代化だけでなく、幕末の諸外国との交渉に負けていなかったからだと思います。
今も、日本はロシア、中国、韓国と領土問題をかかえておりますが、いずれも膠着状態で進展が見えません。国の実利に基づいて、毅然たる外交姿勢で臨まなければ、他国のいいように食われてしまいます。その裏付けとして、軍事力が必要です。自分の身を守るだけの力が。
また、晋作のような口八丁も必要です。日本の起源を古事記を引用して滔々と語り、交渉相手を煙にまいてしまった、その話術を生み出す教養と度胸が、現代の私たち日本人にも必要です。
さて、晋作は長州藩内の内乱や外国との交渉に奔走し、松陰の革命の火を拡大させるプロモーターとしての役割を果たしました。
それを収束させ、新しい体制作りへと転換していったのが、山形有朋や伊藤博文らですね。
明治政府内、軍内で、薩長のパワーバランスを考えなければならないという人事上の問題を抱えていたものの、幕末の志士達の活躍により日本は急速な近代化へと突き進めた訳です。

さてさて、現在の日本。
平和ボケで、中から腐り落ちそうだとか。隙あらば付け入るのが世界の常識ですのに。
どうも日本は外敵が存在する時は力を発揮してきたようですが、平常時は内輪もめに走ってしまうようです。
吉田松陰のように日本のあるべき姿を提示して周りを巻き込んでいくような、スケールの大きな人物の登場が望まれる所です。しかし、聞こえの良いスローガンを掲げるタレント性のある政治家を持て囃し、自分で考える事を止めてしまうのは、もう止した方が良いでしょう。「難しい事は誰かが上手くやってくれ」では、真の民主主義とは呼べません。衆愚政治もいいとこです。国益よりも視聴率を求める揚げ足取りで無責任なマスコミにも、うんざりです。国民一人一人が自分で調べて、自分で判断して、主張して、政治に参加していきましょう。

ソマリア沖の海賊対策

  • author: yamato_woman
  • 2008年11月22日

麦わら海賊団のような奴らなら、海賊もいいのですが、現実は…

安保理、ソマリア海賊問題協議へ 11/20 10:04
国連の潘基文事務総長は19日までにソマリア情勢に関する報告書を安保理に提出。今年に入ってソマリア沖で65隻の商船が海賊に襲われ、推定で総額2500〜3000万ドル(約24億〜29億円)の身代金が支払われたとした。
 _  _  _  _  _  _  _

ソマリア沖を中心に、日本を含む世界中の商船が狙われ、人質解放のための身代金を取られています。
海賊ビジネスは盛況。海賊御殿も建っているとか…。
護衛の為にアメリカの民間警備会社も参入?
海賊退治もBusiness Chance 11/02 01:13
■無政府状態のソマリア拠点
 スエズ運河に通じる航路の要衝、紅海の入り口にあたるソマリア沖で海賊行為が頻発しているのは、ソマリアが1991年から内戦で無政府状態に陥り、当局による取り締まりが全く不可能になっているからだ。海賊のほとんどは複数あるソマリア沿岸の漁村に潜伏し、その数は約1200人とされる。大型近代兵器を備え、いわゆる「身代金ビジネス」で巨利を得ている。

 日本の海運会社が運航している船舶も、年間約2000隻がアデン湾を中心としたソマリア沖を通過しており、日本船主協会によると今年は、2隻の日本船が海賊に襲われている。9月25日にはケニアに輸出する戦車「T22」33台をはじめとする大量の武器を積んだウクライナの貨物船が海賊に乗っ取られ、いまだに船も人質も解放されていない。深刻な事態を受けて、国連安保理も10月初め、ソマリア沖の安全航行に国益がからむ国は、艦船と軍用機を派遣するよう求める決議を採択した。

 10月27日にはNATO(北大西洋条約機構)が海賊退治のために艦船を派遣。日本政府も安保理決議をうけて麻生太郎首相(68)が海上自衛隊の派遣の可否について検討するよう指示している。
 _  _  _  _  _  _  _

韓国は自国の船を守るため、海軍を出動させようとしています。
ソマリアに艦艇派遣審議へ 海賊対策で韓国 11/17 20:31

日本も「海自艦艇の早期派遣を」 ソマリア沖海賊対策緊急会議が提言 11/17 22:36
緊急会議では、ソマリア近海を通航する日本国籍船や日本人搭乗船を守るために、
(1)海上自衛隊艦艇の派遣を速やかに実施する
(2)海難救助や海賊船への立ち入り検査などのため、自衛隊法の「海上における警備行動」を発令し適切に対処する
(3)海賊船への威嚇射撃を可能にする特別法を制定する
−ことを求める提言がまとめられた。
 _  _  _  _  _  _  _

日本は憲法のしがらみもあり、自衛隊を動かす事は容易ではないでしょう。また国会で揉めそうです。イラク派兵と違って、明らかに戦争に加担するのではないと言えるので、その点はスムーズかもしれませんが。海上なら民間人が巻き込まれるケースもないでしょうし。海賊、これもテロとの戦い?でも、自衛官が危険にさらされる可能性はある訳で、それで文句をつける人もいるのでしょうね。
ともかく自国の船を他国に守ってもらうしかないというのは、情けない!私は常々シーレーンの安全保障は、船員の人命を守る為だけでなく、エネルギーを安定して確保する為だと考えてきました。海洋国家日本の生命線であるシーレーンの安全は、私たち国民の生活に直結する問題。国連安保理に後押しされて、やっと政府が重い腰を上げたのでしょうか?
しかし、襲う者と守る者はいたちごっこの模様。
ソマリア海賊“増長” 警戒海域外でのタンカー襲撃に衝撃 11/19 00:01
なんと、ソマリア沖のアデン湾からスエズ運河という航路を通らず喜望峰を回る大型石油タンカーが襲われました。ケニア・モンバサの南東沖450カイリ(約830キロ)の公海上で乗っ取られ、警戒していたソマリア沿岸200カイリ(約370キロ)から大きく離れた海域での犯行に、各国は衝撃を受けているそうです。
こうなっては、ソマリア沿岸だけの警備では商船の安全は保障されない事になります。かと言って、警備範囲を無尽蔵に広げる事は物理的に不可能。
そもそもなぜソマリア沖で海賊が頻出するのか?という根本的問題を解決しない事には、事態は好転しないと思います。
ソマリアが内戦で無政府状態になっている→海賊の陸の拠点を取り締まれない→海賊増→海賊はもうかる事が分かり、さらに海賊増→被害を受ける国が警備強化→海賊の範囲拡大→商船の安全は脅かされ続ける
ソマリア自身を良くしなければ、この状態は続く訳ですよね。しかし、内戦というのは他国がむやみに介入できない。アメリカのように「自国の利益の為には他国への武力介入もやむなし」というものでもないですよね。特に日本は。
紛争が収束してくれば、カンボジアのように国連のPKO(平和維持活動)の一環として行われる暫定統治という手もありますが、ソマリアの現状はどうなのでしょうか?

ソマリア内戦 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると

■国連展開
1992年12月、国連の国連安保理はPKO国連ソマリア活動のため、アメリカ軍を中心とする多国籍軍を派遣。続いて1993年5月、武力行使を認めた第2次国連ソマリア活動が展開したが、アイディード将軍は国連に対して宣戦布告、国連パキスタン軍を攻撃して24名の兵士を殺害した。これに対し、米軍はアイディード派幹部拘束を目的とした作戦を実施したが、激しい応戦に遭い18名の米国兵士とマレーシア兵士1名を失い、73名の負傷者を出した(モガディシュの戦闘)。自信をなくした米国が撤退を決定すると、主軸を失った国連活動も全て撤収する事となった。1995年3月、中央政府も無く首都も二分されたままで最後のPKO部隊が撤退し、国際社会がソマリア内戦に介入することが非常に困難であることを証明した。

■AU・PKOの展開
2007年1月30日に閉幕したAU首脳会議で国際平和維持部隊の派遣が決定したが、AU執行部が8000人規模の派遣を加盟53カ国に提案したものの、治安の悪化や財源問題により、応じたのは6カ国のみで、4000人程度の確保にとどまった。2月20日には安保理がAUによる平和維持活動を承認する決議案を全会一致で採択し、合わせてAU加盟国に積極的に兵・物資・装備を提供するよう求めた。
エチオピア軍のモガディシュ進駐以来、武装解除に賛同しない勢力や、法廷会議残党によるテロや迫撃砲攻撃が相次ぎ、早い内から内戦再燃の可能性が示唆されていた。AUによる平和維持軍は結成されたとは言え、3月までにソマリア入りしたのはウガンダ軍1200人のみだった。他国は悪化するソマリアの治安を懸念し、年末までの増派でもウガンダ軍1600人にとどまった。
国際的な足並みが乱れる中、モガディシュを中心に武装勢力が活動を活発化し、暫定政府に対する攻撃が増加した。このため、3月29日から4月1日にかけてエチオピア軍によるモガディシュの掃討作戦が行われ、市街地への空爆を伴う激しい戦闘により、1回の戦闘の死傷者数としては最多である1000人以上の死者と4300人以上の負傷者が発生、エチオピア軍もヘリを撃墜されるなどの被害を出した。 
エチオピア軍侵攻から1年を迎える同年12月下旬に、ブルンジ軍がPKO部隊1700人の派遣を発表した。
 _  _  _  _  _  _  _

あぁ、もう試みた後でしたか…。
世界平和なんて絵空事のように思えます。日本はせめて自国民の人命と財産を守るよう、最善手を尽くしてほしい。自衛隊の特措法と、外交面からの働きかけで、少しでも状況が良くなる事を祈ります!


食から感じる季節感

  • author: yamato_woman
  • 2008年11月20日

0f2f4505.jpg田舎暮らしの良いところの一つは、お裾分け。
柿、酢橘、葱、水菜、白菜、大根などなど、ご近所さんや親戚から頂いております。
我が家からは、オリーブの塩漬(スタッフドオリーブ)や酢橘、私の手作り菓子などをお裾分けしております。
庭木としてオリーブを植えている家は結構ありますが、その実を収穫して食べる家は少ないのではないでしょうか?我が家も実は今年が初めてでした。オリーブは自家受粉できないので、2本以上の木が隣接していないと実が成りません。我が家では数年前から2本目を植えていたのですが、毎年少ししか実が成りませんでした。今年は大豊作!父と一緒に収穫してみたところ、バケツいっぱい約2.1kgも採れました。渋抜きは苛性ソーダを使い、洗浄に2,3日かかり、塩漬けに1週間かかるなど食べるまでに時間がかかりましたが、きちんと出来ると嬉しいものでした。父は小豆島出身なので「秋冬はよくオリーブの塩漬けを食べていた。懐かしい味。」と思い出話をしながら食べていました。
自分たちの手で作るものは、見た目はそんなに綺麗ではなくても、安全な旬のものを楽しんで美味しく頂けるという点で素晴らしいです。

庭の柚子が実ったので、先日はそれで和菓子を作ってみました。柚子の皮を白餡に混ぜてぎゅうひで包んだ「柚子大福」です。私はこれまで洋菓子、それも焼き菓子ばかりでしたので、大福は初挑戦でしたが、電子レンジを使うと意外と簡単に出来ました。和菓子はやっぱり見た目が肝心なのですが、そちらは修行が必要でした(笑)
和菓子は季節感を取り入れ、花や水の流れ、山や月などの景色を模したものなどがあり、日本の美しさを凝縮しているようです。日本の誇るべき繊細な食文化だと思います。

一昨日から急に冷え込んで、1月並みの気温になりました。渋柿を吊るすのに良い温度です。母と一緒に渋柿の皮をむいて軒下に吊るしました。お正月の飾りにも使います。

東京で暮らしていた時より、四季の変化を細やかに感じるようになりました。
夕暮れ時はコウモリが飛び交っていましたが、最近寒くて虫が少なくなったからなのか見かけなくなりました。蚊が少なくなったのは嬉しいのですが、犬の散歩の時の冷たい風が堪えるようになりました。
外から「ヒッヒッ、ジュクジュクジュク♪」と聞こえてきます。モズの声です。ムクドリやヒヨドリ、ヒタキ等もちらほら庭を訪れるようになりました。尾羽をピピッと動かす様子が可愛らしいです。もうじき金柑が色づき始めるので、それを目当てに鳥たちがやって来るのが楽しみです。

ページトップに戻る▲