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自民党が、数多くの悪法とともに可決させようとしている法案の一つに、公職選挙法の改正案がある。これは、次の参議院選挙において議員定数を六増するというものであるが、この問題については、今回の法案そのものと、議員定数に関する本質の議論を区別して考えていく必要があると考えている。

(続く)

今回の公職選挙法改定による議員定数の六増は、自民党の利己的な目的のためだけに行われるものに過ぎない。今回「一票の格差問題」是正のために選挙区の合区が行われたため、一部で立候補漏れが生じた。それらの候補者を国政に送り込むために、選挙区ではない「特別枠」において議員定数を増加させ、救済を図るものである。従って、これは自民党の党利のために行われる公職選挙法の改正であり、野党との審議状況を考えても、今国会でこれを成立せしめることに賛成することはできない。
しかも、今回「特別枠」としたことで、事実上比例代表の形になった。これは、中選挙区で野党候補者と戦うことを避け、野党が複数ある場合には票が分散して与党に有利になりがちな形での選挙であり、党利党略のためとしか言いようがない。ただし、今回の公職選挙法の改正と国会議員数の本質の問題とは区別して考える必要がある。国会議員定数を増加させること自体には、一定の利がある。


まず、日本の国会議員数を考えていきたい。衆議院では四百六十五名、参議院では二百四十二名となっており、合計数は七百十七名である。この数を議会政治の親である英国と比較すると、英国の場合千四百五十五名もの議席数があり、日本の場合相当数が少ないということが分かる。
しかも、これに人口を加味すると、英国の場合国民百万人当たりの議席数が二十三であるのに対して、我が国はわずか五しかなく、人口比で見れば一層不足している実態が明らかとなる。そのほか主要国首脳会議の構成国で、人口一人当たりの国会議員数を比較すると、フランスが十四、ドイツが九、イタリアが十六、カナダが十二ということになっており、やはり我が国の国民一人当たりの国会議員数は少ないのである。別に、海外の真似をする必要はないが、問題点のある部分は海外を参考にせざるを得ない。

しかしながら、国会議員の国民一人当たりの数は、この議席数が定められた当初は上にあげたような数字となっていた。どうしてこういうことになっているかというと、議席数が大正時代から変わっていないからである。大正十五年の加藤高明内閣による普通選挙法成立を受けて、昭和三年に初めて我が国で行われた普通選挙での議席数は、実は現在と全く変わらない数字である。
当時は参議院がなく貴族院であったので、これは選挙が行われなかったが、衆議院の議席数は四百六十六であった。当時の人口は六千万人程度であったので、一人当たりの国会議員数は今よりずっと多かったのである。今、人口が二倍以上になっている中で国会議員の数だけが変わらないということは、相当重大なことである。


さて、では国会議員の定数を削減するとどのような問題点が生じ得るか。一つに多様な民意が反映されることなく、国会議員が画一的・世襲的な方向になるという恐れがある。要するに、国会議員の数を減らすことにより、結果的に政策の良し悪しに関わらず、選挙基盤の弱い議員が落選し、選挙に強い世襲議員のみが当選するようになる。そして同時に、親米派、緊縮派、構造改革派など、既存の体制に従った候補者ばかりが当選するようになり、今は一般的ではない少数意見を代表する国会議員が国政にいることがなくなってしまう。「民主主義は数だ」という考え方は、全く民主主義の本質を理解したものではない。
定数削減は、「行政改革だ」などと叫ばれて主張されるのであるが、よくそのように主張する人々は経済の面では「規制は既得権益で悪だ!事業者の数を増やせ」と主張する。ならば、なぜその論理を議員定数にも転用しないのか。すなわち、国会議員の数を減らすということこそ、国会議員一人当たりの価値を高めるものであり、その特権を増加させ、既得権益にしかならない。国会議員の数を増やせばこそ、それこそ国会内で競争になり、良い議員が生まれるのである。当然、国会議員の数を増やせば一人当たりの国会議員の給与を下げることにもつながる。国民一人当たりの国会議員数を増加させる必要がある。また同時に、供託金の大幅な引き下げもしくははいしも急務である。

また、国会議員の数を減らすということは、議会の規模を小さくするということである。これは一院制にも関係してくる話であるが、議会の力を小さくするということは、三権の中における立法権の力を弱め、相対的に行政権の一強状態になり、国会が内閣に従属する状況を招く。民主党政権時代も含めて、小泉内閣以降は国会が官邸に従属するような状況を招いたが、これは、自民党の派閥政治の崩壊により、官邸が力を握るようになったからである。国会議員は、官邸の決定に対してただ従い、賛否のボタンを押す駒でしかなくなったのである。これでは、民主主義が機能しているとは言えない。なぜなら、官邸で行われる意思決定は、国会議員ではなく政府が選出した竹中平蔵ら「民間議員」により行われるからである。戦前には財閥が政府と絡みつきさまざまな社会的影響を発揮したが、形を変えて今も同じような状況にあるのである。これを防ぐには、国会を大きくするしかない。
また、国会の効率化をあげて国会議員の定数削減を主張する場合もあるが、これも結果的には真逆の事態になる。国会議員数を減らせば、各委員会に出席する国会議員の数は不足し、結果的に法案の委員会採決や審議などは同時に行うことができなくなり、かえって進行が遅くなる。つまり、これまで以上の時間がかかることになって、業務は停滞するのである。


議員定数削減は、一見すると正しく庶民的な政策のようにも思える。しかしながら、実際には国会議員の特権的な要素を増加させ、さらには国民の意見を反映しにくい状況を招くものなのである。そしてそれは、「効率化」などと訴える新自由主義思想や緊縮主義と密接に関係する考え方である。
また、一票の格差問題の本質を言うならば、そもそも参議院選挙の選挙区というのは、その都道府県の人口の大小に関わらず、都道府県を代表する形で国会議員が選出されるべきものである。これを人口が少ないからといって合区し、「あなたの県には単独代表は必要ありません」などと烙印を押してしまうことは、地方を見捨てるものである。従って、最高裁判所からの違憲判決に対応するためには、合区などではなく、人口の多い県の選挙区での候補者を増やすなど、定数増加の方向で進めるべきである。

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