話題の映画がパースまでやって参りました。



同行者ののんびり加減のおかげで実は遅刻しまして、最初の数分を見ることができませんでしたが、それでもとても楽しめました。
この映画はネタバレ厳禁です。なのでここから先は「続き」をご覧くださいませ。

メルボルン旅行紀行はまだ続いていますが、今日はこっちです。


先にも書きましたがこの映画は前評判がよかったのでとても楽しみにしていました。期待を裏切ることなく、ストーリーもアニメーションもとても素晴らしかったかと。それにしても神木君が出演する映画はかなりヒットしますね。歴代三位の集客数の映画、千と千尋、ハウルそしてこの映画とすべてに彼は出演しています。今回の立花瀧役もとてもハマっていて、三葉バージョンの瀧もとってもかわいらしかった。勿論三葉役の上白石萌音さんもとってもよかった。先輩役は長澤まさみさんでしたね。ちょっとかなり年上な感じで落ち着きすぎてるような感はあったけど、素敵でした。憧れちゃいますね。あれは。

さて、名前は知っていましたが残念ながら一度も見たことのなかった新海誠監督の作品でしたが、その繊細な描写とストーリーのもっていきかたはなるほどうまいし、納得。話題になるわけですね。

印象深かったのが、畳の縁にさっと流れるように置かれた組み紐の美しさ。儀式の荘厳さもとてもよかったけれど、このシンプルな色の組み合わせの組み紐、畳の上に置かれたその畳のい草の匂いまでなんとなく伝わってきそうなそんな印象的なシーンでした。

どうやら新海監督、キャラクターデザインは別の方にお願いしていたんですね。監督は瀧と同じく、風景に重点を置くタイプなんでしょうかね。それにしてもハッと息をのむような美しい風景たちでした。

この映画には色々な対比が施されていて、まずはメインとなる入れ替わりで生じる、

男と女
そして

都会暮らしと田舎暮らし

男所帯と女所帯

過去と未来

などなど面白く描かれています。

男と女の入れ替わりはよくあるテーマなので、そのあたりはありきたりでしたが、携帯のこともあって過去の繋がりではないのだろうな、とは思いましたが、なるほどそういうことだったのですね。この宮水家というのはおそらくこの事件を回避するために遠い昔からずっとずっと準備してきたのだろうなということが想像できます。糸を守る、という糸守という名前もとても意味深。一葉おばあちゃん、そして二葉おかあさんも同じだったことが語られていますが、そうなってくると三葉のお父さんの存在というのもちょっと考えてみないとならなくなってきます。I couldn’t save herという字幕があったような気がするので(なぜ字幕で覚えているのか、日本語は覚えてない…)きっとあの父があの道に進んだのはもしかしたら彼自身ははっきり覚えてかもしれないけれど、(そういうシステム - 記憶をなくしてしまうシステム、だから)、それでも何かをしなくてはならないという焦燥感のもと、町長をやっていたのかな、と考えてしまいました。地元建築会社の癒着をも利用しながらやり遂げなければならなかった、と。どうなんでしょうね。最後まではっきりしていなかったけれど。入れ替わりのシステムに関してはどうやら理解している感じでしたが。

そして入れ替わって友達とつるむことによって、その子の人となりがわかって、かなりのいい判断材料になるので、好きになってしまうのは避けられないかも。実際誰かと付き合うとき、家族やお友達を知るのって重要なことだし。友達もみんないい子たちだったし、妹もかわいかった(この現実的な妹ちゃん、素敵でした)
ただ、「好き」になっていくプロセスははっきりしなかった気がしますが(そもそもデートを自分でこぎつけて、行ってしまうと悲しいとはなんとも複雑。笑)それでもかわいらしい二人だったのであのまますれ違わずに、会えて本当によかった。そういう意味でラストはあれでよかったと思います。それぞれの未来もよかったです(あのゴミ捨てた人とか、ラストの人たちはクラスメイトですよね)

話は変わりますが「逢魔が時」。不思議な時間、このテーマはよく耳にします。私も昔そんな時間によく愛犬ヤマトと川辺を歩きながら、何かが見えるんじゃないかな、とよく話していた(というか一方的にヤマトに話してた、のか)ことを思いだしました。あの雰囲気はよく小説に使われています。なんとなく京極夏彦さんなんかがうまく使ってそうなテーマです。(具体的にどれ、というのはわからないけど。苦笑)ちょっとおどろおどろしい感じです。
この逢魔が時は最初のシーンで和歌とともに説明されていきますが、残念ながらこの字幕では説明しきれていないです。字幕には字数があるのでこの深いテーマはもちろん説明しきれないのでしょうが、残念です。ちなみに

彼は誰時(かはたれどき)は朝方の薄暗い時間、誰そ彼時は夕暮れ=黄昏時という区別があって、逢魔が時は黄昏をさしています。そしてこの時間は百魅が出てくる時間と考えられ、大禍時、と表記される場合もあるそうです。この映画によれば、万葉集の時にはすでにそういう概念があり、この時間になると近くにぼんやり見える人影に「あなたは誰?」と尋ねなければ誰がそこにいるかわからない、そういう時間のことだということです。この解説が後々のクライマックスに繋がっているのがいいですねぇ。英語だとTwilight、伝わりそうで、でも、まがまがしさまで伝わるかといわれるとなんとも言えない。声だけ聞こえるシーン、よかったなぁ。

手に書いた文字は最後、みつは、にしては線が長かったけどそれはあの一瞬だったからなのかそれともほかの文字を書こうとしたのか。

音楽も映画に沿っていてよかったですが、意味があるからこその歌詞までの字幕、これは会話の字幕と被ることもあったので、日本語がわからない状態だとなかなか字幕の嵐で辛かったかもしれないですね。やはり現地のコトバで理解するのがベストですね、どういう映画でも。ただ、色々日本の風景が見れたのは、こちらの人にとってもよかったのかも。たまたま同行者と前日にセミの話をしていました。オーストラリアにはそんなにセミはいなくてうるさくもないんですけど、あれはうるさいけど日本にもいる?と聞かれ、いるよいるよ、受験生の夏とかノイローゼになりそうだったよ、という話もしました。セミと、ヒグラシもいて、夏の夕暮れのヒグラシが懐かしい、という話もしました。だから映画に出てきたときはこれこれ、と思いましたね。わかってくれたみたいです。夏のセミの音、雪がしんしんと降ること(これは雪国ならではの音。空が妙にオレンジ色だとかね)、日本の四季は美しいです。離れてみてわかることかもしれないけど、電車のアナウンスですら懐かしかったです。そういうのがこういうのを通して見れるっていいことだな、としみじみ思いました。

今まであった街が急になくなる、私たちは数々の地震や津波でそんな経験をしてきました。私自身もそんな街に住んでいたので、他人事じゃありません。当たり前にあるもの、大事にしないとな、ということまで考えさせられました。

最後になりますが、語ることがたくさんあるのはいい映画だった証拠だったと思います。お友達の故郷の飛騨、行きたいリストに入っています。ラーメンとかね、美味しいものもたくさんありそう(そればかり笑)