ドタキャンという言葉があります。予定を土壇場になってキャンセルするということは、日常生活でしばしば見られる出来事ですが、友人であれば謝って済ませることができても、ビジネスの世界ではそうは行きません。

 

契約を締結するまで、会社の担当者は、何度も会って交渉し、現地に足を運び、弁護士や会計士などの専門家の意見を聞き、決裁権者に説明するなどします。そのための時間と費用はばかになりません。それなのに、契約書にサインする直前になって「やめた」と言われても大変困るでしょう。怒って「損害賠償を請求する」と言いたくなるでしょう。

 

この場合、契約が成立していない以上、契約の法的拘束力はありませんし、契約の締結を強制することもできません。契約違反は存在しません。だからといって、契約締結をドタキャンしても法的に何の責任もないのかというと、そのようなことはないのです。

 

 

これを法律家は次のように説明します。産婦人科病院の経営権の譲渡契約を成約直前に拒否した譲受人に対して損害賠償を命じた東京高裁の判決(平成19年)から引用します。

 

当事者間で契約の交渉が進捗し、当事者の一方が相手方に対してその契約が確実に締結されるとの強い信頼ないし期待を抱かせ、かつ、それが合理的な裏付けを伴ったものといえる状態に至った場合には、上記信頼ないし期待は法的保護に値する利益に昇華するものと考えるのが契約交渉関係を支配する信義則にかなうものというべきである。したがって、契約交渉が上記の進捗段階に至っているにもかかわらず、一方当事者が正当な理由もなく契約交渉を打ち切って上記信頼ないし期待を裏切るなどの行為は上記の法益を侵害するものとして違法な行為(不法行為)となり、こうした行為に出た者はこれにより相手方が被る損害を賠償すべき責任を負うものというべきである。

 

民法第709条は「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う」と定めています。当事者の一方が契約成立に対して抱く期待が「法律上保護される利益」となり、正当な理由なく契約交渉を打ち切ることは、その利益を「故意又は過失によって侵害した」ことになるので、損害賠償責任が発生するという考え方です。そして、そのような考え方の根拠となるのが、民法第1条第2項の信義誠実の原則(信義則)というわけです。

 

契約締結交渉の一方的な打ち切りが損害賠償の対象となる場合があるというのはいたって常識的な結論だと思われますが、では、いったい契約交渉がどこまで進めばその後の打ち切りが不法行為となるのでしょうか。

 

この点について東京高裁は「当事者間で契約の交渉が進捗し、当事者の一方が相手方に対してその契約が確実に締結されるとの強い信頼ないし期待を抱かせ、かつ、それが合理的な裏付けを伴ったものといえる状態に至った場合」と述べています。

 

東京高裁の事案においては、譲渡代金等の主要な契約条件について合意が出来ていただけでなく、譲渡予定者が地域において培ってきた産婦人科医院としての名声を生かしてこれを継承するため、健康上の理由から取りやめていた分娩業務を新クリニックで再開する旨告知するよう譲受予定者が譲渡予定者に求めたことが重要視されています。

 

この点に関する東京高裁判決の判示を引用します。

 

このようにみてくると、前記のとおり控訴人(譲渡予定者:筆者注)と被控訴人(譲受予定者者:筆者注)との間の契約交渉は大いに進捗し、契約締結間近の状態にあったものといってよいところ、もとより本来契約を締結するかどうはその当事者の自由に属する事柄であるとはいえ、上記のとおり、控訴人が健康上の理由から平成16年に取りやめており自ら再開する予定もない分娩の取扱いという産婦人科医院の経営に関する重大な事柄について、被控訴人が甲野クリニックとして再開することを決めてその旨の掲示をすることを了解したということは、被控訴人が遅くとも分娩再開の時期である平成17年8月半ばまでには甲野クリニックの事業を承継し、自ら産婦人科医師として分娩取扱いに従事するとの不退転の決意を内外に宣明したものというべきであって、これにより契約交渉の相手方である控訴人に対して被控訴人が確実に甲野クリニックの事業を承継すること、すなわちその営業の譲渡に関する契約を締結するものとの確信と期待を与えたものと解される。

 

このように、交渉相手に対し、契約成立を前提とした一定の行為をするよう求めれば、相手方において成約に対する期待が高まるのは当然のことでしょう。

 

このほかに、契約締結上の過失に基づく損害賠償を認めた最高裁判決として、次のようなものがあります。

 

昭和59年の最高裁判決は、マンションの購入希望者が、売却予定者に対し、歯科医院とするためのスペースについて注文を出し、レイアウト図を交付するなどしたうえ、電気容量の不足を指摘し、売却予定者が容量増加のための設計変更および施工をすることを容認したという事案において、購入予定者に契約締結上の過失を認めました。

 

平成19年の最高裁判決は、ゲーム機の売買において、発注者から具体的な発注がないにもかかわらず、中間に介在する商社が、メーカーに対して発注を口頭で約束し、発注書・条件提示書を交付するなどしたため、メーカーが製造に必要な部品を発注し、金型を完成させるなどの費用を支出したという事案において、商社には契約締結上の過失に基づく損害賠償責任があるとしました。

 

これらの判決を見ると、相手方に成約を前提とした行動をとらせていることが契約締結上の過失が認められる大きな要素となっているように思われます。

 

さて、契約締結上の過失によって損害賠償が命じられる場合、その範囲はどこまで及ぶのでしょうか。

 

この場合、契約は成立していませんから、契約が成立したことを前提とする損害は発生しません。例えば、売買契約の不履行の場合、契約が履行されれば転売して利益を得たはずだからそれを賠償せよということができます。これを履行利益の賠償といいます。しかし、契約締結上の過失の場合、契約は成立しておらず、相手方に履行義務はありませんから、履行利益の賠償を求めることはできないのです。

 

その代わり、契約が成立するものと信じて支出した費用が賠償の対象となります。例えば、不動産の売買契約の場合、現地調査費用、鑑定費用などがそれに当たりますし、機械の売買契約であれば、開発・設計費用、部品代、金型代などが含まれるでしょう。このように、契約が成立するものと信じて支出した費用を信頼利益といいます。契約締結上の過失による賠償は信頼利益に限定されるのです。

 

契約交渉期間中の社員の給与はどうでしょうか。これも契約締結を信じて会社が負担した費用だから賠償すべきだという議論もあり得ます。しかし、社員の給与は会社との雇用契約によって発生するのであり、その契約交渉のために発生するのではありませんから、特段の事情のない限り、賠償の対象にはならないと思われます。

 

慰謝料は信頼利益そのものではありませんが、これも賠償の対象になります。上記東京高裁の事案では、譲渡人は、産婦人科医としての信用を維持するため、いったん再開を告知した分娩業務を、譲渡契約破談後自ら続行せざるを得なくなりました。東京高裁は、それに伴う心労は並々ならないものであって、これによる控訴人の精神的苦痛は甚大なものがあったから、譲受人はこれに対し、相当額の慰謝料を支払う義務があるとしました。

 

契約交渉を担当する者としては、契約が成立に至らない可能性があるなら、相手方に成約に対する過大な期待を与えないよう慎重に行動する必要がありますし、契約条件に隔たりがあるなら早めに交渉を打ち切るのが適当です。また、契約が成立することを前提とした行為を相手方に求め、相手方に事前に費用を支出させるのは、契約締結上の過失が認められる大きな要素となりますから、避けるのが得策です。

 

他方、担当者において、契約の締結が相当と思われるなら、土壇場になって契約交渉の打ち切りを決裁権者から命じられることのないよう、事前に報告・説明を十分に行っておく必要があるでしょう。

 

なお、既に述べたとおり、契約締結上の過失に対する損害賠償は信頼利益に限定され、必ずしも額が大きくならないことがあります。その場合、契約を成立させるよりも損害賠償を支払っても破談にした方が有利と思われる場合もあり得るでしょう。ただ、契約交渉を一方的に打ち切ることが会社のレピュテーションを下げる場合もありますから、その兼ね合いをどう判断するかが問題となりましょう。

 

以上のとおり、契約締結の一方的打ち切りが損害賠償責任を生じさせる場合がありますが、それは契約準備過程における信義則を根拠とするものでした。であるなら、契約が成立しようがしまいが、信義則違反となるような違法行為が契約準備過程に認められれば、それは契約締結上の過失として賠償責任の発生原因になるはずです。

 

次回はそのことを書きたいと思います。

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弁護士 喜多村 勝徳

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