彼是商事へようこそ

 「彼是商事」は依頼人の欲しがる商材をなんでも取り扱う何でも屋のようなもの。あなたが欲しいものはなに?

 左側タブを開くとカテゴリに「1話から読む」がありますので初めましての方はそちらからどうぞ。

 そこは高級住宅地と言っても差し支えのなさそうな閑静な住宅地だった。整備された道路にそれぞれ個性豊かなな家が建ち並んでいたが、一様に通り側には高い塀が設けられ、中のプライバシーを保護するような造りになっている。敷地面積はどの家も大きく、母屋だけでなく離れもあるような家から、プールでもあるのかと疑うような広さの庭を有するものもあった。お金持ちが住んでいるのだろうなと思わせる地区だが、時々古くさい家も混じっていることから、少し混沌とした雰囲気を醸し出していた。
 オレンジ髪のサナと、スーツを着てはいるが歳若いキョウヤの二人組が堂々とその歩道をまっすぐに目的地へと向かっている様子はどこか風景にマッチせず不自然に見えたが、先頭を行くサナがあまりにも堂々としているせいで、彼らを呼び止める者は誰一人として存在していなかった。
 サナは歩きながら腕につけている腕時計型の端末に目をやり、ちらりとキョウヤに意味深に目を向けた。キョウヤはその視線に疑問を感じるものの、それが何を意味しているのかまでは分からず少しだけ歩調を早めてサナに並んだ。
「何だよ」
 開いた口がいきなりけんか腰なのはほぼ習慣と言っていいほどなので二人とも気にすることはなかったが、サナは端末をとんとんと指で示した。
「チトセさんから連絡」
  キョウヤは自分の携帯端末を取り出してちらりと目をやったが、すぐに首を横に振る。
「オレには来てない」
「あ、じゃあ一緒にいるって知らないのかな」
 少なくとも啖呵を切って事務所を飛び出してきたサナを止めるという名目でキョウヤが事務所を出てきたことは事務所にいた面子なら分かっているはずだ。チトセは席を外していたが、事務所に戻ってきているのならその辺りの事情は聞いていて然るべきだろう。だとすれば、チトセはまだ事務所に戻ってきていないか、分かっていてわざとキョウヤに連絡を入れていないかのどちらかだ。
「何だって?」
「依頼人は出社せず、今日は自宅にいるって」
 まるでサナが依頼人の家に直接訪問するのを知っているかのような内容に、キョウヤは疑わしげな視線を投げる。しかしサナは上機嫌に鼻歌でも歌いそうな様子でまっすぐ前を向いていて、キョウヤの疑問には気付いていないようだ。答えが欲しければ直接聞けということらしい。
「どうしてその情報がチトセさんからお前に来るんだ?」
「わたしが教えてねって頼んだから」
 それをチトセに頼んだのがいつなのか知らないが、少なくとも依頼人がどこにいるのかを尋ねるなんて、その時点で直接会いにいくことが決定しているようなものだ。彼是商事はキョウヤが知る限り依頼人とは直接関わらず、調査のみに専念するという方針をとっているはずだ。それなのに今回のサナの動きはチトセも知っているということは公認されているということと同意だろう。それはどこかおかしい。
「どういうことだよ。お前、依頼人に会うの今回が初めてじゃないのか?」
「この人に会うのは初めてだよ」
 含んだ物言いに、確実にキョウヤが聞きたいことを分かっていてわざと違う答えを言っているのが分かる。それだけにキョウヤの苛立ちもつのる。ただでさえサナと会話するのに苛々することが多いキョウヤにしてみれば、これは充分に我慢しているほうだ。そのことが伝わったのか、サナは「怒るなよ」と言わんばかりに肩を竦ませた。
「毎回じゃないけど、会いにいくね。そのほうが早く片付くし」
「ルール違反だろ」
 その指摘にサナは肩眉を上げて立ち止まった。対応に遅れたキョウヤは一歩だけサナより前に出てから振り返った。しかしサナの顔にはキョウヤが予想したような不機嫌な表情も、からかうような表情もなかった。ただじっとまじめな顔をしていた。サナにはあまりない雰囲気に、オレンジ色の髪もふざけた服装も何一つ変わっていないのに、まるで別人のような印象を受けた。
「チトセさんに話を通せば依頼人に直接会うことは別に構わないんだよ。少なくとも、わたしの場合は」
 まだキョウヤの知らない事情があるのだろう。キョウヤは事情を飲み込めず、サナが続きの説明をするのを待つ。
「んー、まあここまで一緒に来ちゃったしね。言わないってのも反則だと思うから言っとく。わたしの人と違う点はこれだけじゃないから」
 そう言って指差すのはオレンジ色の髪。しかし法的に認められている遺伝子操作は一つだけだ。それ以外は遺伝子異常を正常なものに修正することのみに使用され、二カ所目以降の操作は違法となる。当然サナもそれを分かっているだろうし、分かっていてもしもう一カ所手を加えているとしたら、それは犯罪だ。
「犯罪者を見るような目つきで見るのやめてくれない? ヒトに遺伝子操作を施すと、超能力のような力が発現する場合があるっていうのは公にされてないけど一部では有名な話。だから操作児はそれを隠すし、わたしたちをあえて雇う人たちがいるってこと」
「……は?」
 キョウヤは聞き覚えのないことに目を丸くしたが、サナが言うことは一部では知られていることだった。
 遺伝子異常世代の子供たちは正常な遺伝子にするために遺伝子操作を行う。その際に両親には一つだけ人工的に遺伝子をいじる権利が与えられる。しかしそれとは別に、正常な遺伝子にするための遺伝子操作によって、その子供に特殊な能力が備わる可能性が高い。何の能力も持たず正常な遺伝子の子供と変わらない子もいるのだが、半数以上が特殊能力、いわゆる超能力を持って産まれることが分かっている。
 能力は個々によって異なるのだが、能力があまりにも危険なものであったり、コントロールが出来ないような場合は国が遺伝子操作児童の教育のために設立した施設に収容されることになる。そこで能力の安全性の証明をし、コントロールを身につければ、外へ出て一般人と同じように生活することが認められる。
 そのことを知っているのは直接の関係者である遺伝子操作児とその両親といったごく親しい間柄に限られるが、関わる者が多ければ、噂は自動的に広まるものだ。彼らの特殊能力に目を付けた各種企業が彼らを雇いたがるのは仕方のないことのように思えた。
「わたしの能力はそんな怖いものじゃないしね。便利に使わせてもらってる」
「ちょっと待てよ。ってことは何だ? お前 、超能力を使えるのか?」
 遺伝子操作児に関わるものにとってそのことは常識的であっても、全く関わりのない者にとっては寝耳に水もいいところだ。そもそも論として超能力が世の中に一般的に現存しているものだということさえ彼らには信じがたい。それを当たり前のことのように言われたところで、戸惑うのも無理はない。しかしそれが一般常識であるサナにはそれが理解出来なかった。
「だって遺伝子操作児だから」
 その一言ですべての説明がつくと言わんばかりのサナの態度に苛つきながら、キョウヤはサナにも理解出来て、かつ自分が知りたい回答を得られるような質問を考える。これだからサナと会話するのが嫌なんだと内心毒づくが、こればっかりは仕方がない。キョウヤのほうが慣れるしかないのだろう。
「どんな能力があるんだ?」
「簡単に言えば嘘を見抜ける力、かな。便利だよ、この仕事してるとね」
 読心能力や記憶操作といった能力でなくてよかったとほっと息をつくキョウヤだが、そう思う反面、サナが当たり前のように語る「超能力」の存在を若干疑ってはいた。そんなものが存在するとしたら、今まで常識だと信じていたものが覆されてしまうことになる。理解したふりをするのは簡単でも、受け入れるのはまた別の話だ。
 サナはキョウヤが理解するのを三十秒だけ待つと、再び歩き始めた。目的地はこの通り沿いにある白い壁に囲われた比較的大きな家だ。家というよりは屋敷に近いが、住んでる者にとっては家と呼ぶべきものなのだろう。
 サナはキョウヤが止める間もなく、門にたどり着くや否や呼び出しのインターホンのボタンを押した。連れがいることが念頭にないのか、事前の打ち合わせや擦り合わせなど一切なしだ。キョウヤは自分だけでもどこかに姿をくらませようかと躊躇したが、逆に自分の目の届かないところでサナが突拍子もないことをしでかすよりは、目の届くところでやってくれていたほうがマシだと思いとどまる。
「はい、どなたですか?」
 向こう側からこちら側のことはカメラを通して誰がそこにいるのか分かっているだろうが、オレンジ色の髪をした若い女が尋ねて来る予定などないのだろう。スピーカー越しに聞こえる声はなにやら疑わしげで、サナにとっては心外でも、キョウヤにとっては当然のように思えた。自分の家にこんな女が唐突にやって来たら誰だって疑うだろう。
「彼是商事の調査員をしてる者です。少しお話を聞かせて頂きたいのですが」
「彼是商事……? チトセさんではないようですが、失礼ですがどなたですか?」
「サナです。チトセから連絡がいっていると思います」
 考えるような間をおいてから、電子錠が開くようながしゃんという音が聞こえてきた。
「どうぞお入り下さい」
「ありがとうございます」
 キョウヤはにやりと笑ったサナの顔から何を考えているのかを悟ることは出来なかったが、少なくともあまりいいことを考えているようには思えなかった。サナが門を手で押して中に入っていくそのあとに続きながら、本当についてきてよかったものかと何度目かの自問自答をし始める。しかしここまで来てしまった以上、もう引き返すには遅いことには気付いていた。
 門の内側は落ち着いた雰囲気で、洋風とも和風とも言えない、人工的に計算された庭が広がっていた。門からは玄関までまっすぐに伸びる一本道があり、シンプルなたたずまいの家につながっていた。その家はぱっと見地味といった印象だが、デザイナーズデザインであることはすぐに分かる。窓が大きく、計算された庭を眺めることが出来るような設計になっているようだ。
 玄関にもインターホンがあり、サナは躊躇うことなくそれを押した。しかし今度はスピーカーから返答が来る代わりに、玄関扉が開いた。
「どうぞ」
 出てきたのは中年というよりは初老に近いのではないかと思う男性だった。頭には白いものが混じり、顔には年齢によるしわが刻まれている。これが依頼人のシオミだ。依頼情報のデータには顔写真は付属していないが、まず間違いないとキョウヤは確信する。
「お邪魔します」
「失礼します」
 サナとキョウヤが連なって上がると、シオミは不安そうな顔でこっちを見ていた。それも当然だろう。自分の大切な用事を依頼した相手がこんな身なりの若い男女というのは不安になってもおかしくはない。特にサナは第一印象からしてあまりいいものを相手に与えない。キョウヤ一人だけなら信用されることも難しくはないだろうが、今回はそういうわけにもいかなかった。
「一体何の用ですか」
 家の中は外見と同じように、いかにもデザイナーが手がけましたといったまるでモデルルームであるかのようにきっちりとしていたが、逆を言えば生活感がない。どこもかしこもきれいすぎて落ち着かないという印象を受ける。こんなに金のかかった家なのだから恐らく家政婦なり掃除屋なりが入ってきちんと清潔になるように配されているのだろうが、それにしても読みかけの本ひとつない。本当にここに人が住んでいるのか疑わしくなるほどだ。
 サナはぐるりと部屋の中を見回してから、相手をじらすようにゆっくりとシオミを振り返った。その顔には先ほどキョウヤにも見せたまじめな表情があり、一瞬だけでもその髪の色の突拍子のなさを掻き消してくれた。
「ご依頼はある人物を探して緑のバラを贈る、といったものでしたね」
 こうして簡潔にまとめてしまうとどうもインパクトに欠ける依頼内容だが、シオミにとってはそれが金を払ってでもしなくてはならないほど重要なことだ。だから彼是商事に依頼をしている。どんな話があってサナとキョウヤがやって来たのか予測がつかないシオミは、少し躊躇ってから首肯した。
「そうだ」
「ご自分でこの人物を探して渡そうと思わなかったんですか?  緑のバラなんて簡単に手に入るものだと思いますし」
 いきなりの先制攻撃に、シオミが不機嫌になるのが分かる。自分で出来ないことだから第三者に依頼しているのだということぐらいはサナだって分かっていることだろう。しかしそれをあえて聞くのは、回答を得ることよりも他の目的があるに違いない。先ほど能力のことについて聞いていなければ、キョウヤだってその質問はないだろうと思うところだ。
「わたしが直接連絡を取ってはならない相手だからだ。それに、わたしは花のことなど分からん」
「じゃあその人とはずっと連絡を取っていなかったということですか」
「そうだ」 
 サナの目はじっと不躾なほどシオミに向けられていた。シオミはいい気分ではないだろうが、サナのほうも必死なのだろう。彼女がどういった力を持っているのか知らないが、いつでも簡単に使用出来る類いのものではないのかも知れない。キョウヤはサナとシオミとどちらに注意して見ているべきなのか悩む。
「ではその人が亡くなっているということも知らなかった?」
「亡くなっている? それは確かか?」
 キョウヤの目から見て、シオミが驚いているその反応は本物のように見えた。それがサナの目にはどう映っているのか気になるところではあったが、今この場でそれを尋ねることは出来ない。あとで教えてくれるかどうかも微妙なところだが、聞けば答えてくれるだろう。聞くことを忘れないようにしなくてはと心にメモる。
「彼は人探しの専門家です。彼が調査した結果、随分と前に亡くなっているとのことです」
 見開かれたシオミの目がキョウヤを見る。その顔には「嘘だと言ってくれ」といった悲壮な表情が浮かんでいた。これが演技だとしたらアカデミー賞でも取れそうなほどの名演技だと言えるだろう。キョウヤは自分がしたことではないが申し訳ない気持ちになって眉を下げた。
「間違いありません。頂いたデータに該当する方は既に亡くなり、荼毘に付されています」
「家族は? 結婚はしていたのか? 子供は?」
 矢継の質問にたじろいだキョウヤだったが、その動揺を決して表には出さず、ほぼ無表情に近い冷静な顔で頷いた。
「結婚はされていませんでした。私生児含め、子供もいません。残っていらっしゃるのはお姉さんの息子さん、つまり甥ですね。その家族だけのようです。その一家も、その方についてはほぼ知らないとのことでした」
 いくつか掛け持ちしている案件があるにもかかわらずこうしてきちんと裏付けをとる仕事ぶりが、キョウヤに対する評価につながっている。端末を参照せずに空で回答出来るというのも、彼が優秀だと思わせるには充分な効果を発揮していた。
「……そうか。本当に死んだのか」
 もっと食い下がるかと思いきや、案外あっさりと引き下がったシオミにキョウヤは表には出さずに拍子抜けする。しかしシオミのほうは急に老け込んだかのようにぐったりとして、手を彷徨わせたかと思うと、まるでインテリアの飾りみたいなソファに腰を下ろした。膝に両肘をついて頭を抱える。それだけでも相当なダメージなのだということが伝わってくる。
 キョウヤは思わずサナを見たが、サナは先ほどと変わらない真剣な表情でじっとシオミを見続けていた。ある意味では非情にも受け取れるが、本人はそれどころではないのだろう。あるいは、心底どうでもいいのか。
「依頼はどうしますか? 取り消すことも出来ますし、そのまま続けることも可能です」
「続ける? どういうことだ? 本人はもうこの世にはいないのに?」
 うつむいていた顔を上げて、何を言い出すんだとばかりのきつい口調でサナに問い返す。しかしサナは同情もなく冷静な態度を崩さない。
「墓前に花を贈ることが出来ます」
 シオミはまるで泣くのではないかといった表情を浮かべてまた頭を抱えたが、その一瞬、くしゃりと歪んだ顔はまるで泣くのではないかと思わせた。しかし彼は項垂れてはいても涙は見せなかった。
「わたしは彼の居所を知ってはならない。連絡を取ってはならない。だから墓に手を合わせることも出来ない」
 しばらくの沈黙のあとに聞こえて来た声はあまりにもか細く、誰かに聞かせるというよりは独り言に近いもののようだった。どんな事情があるにせよ、シオミが悩み、苦しんで来たことは充分に伝わって来る。普通の感性があればこんな状態のシオミを見て同情するだろう。しかしサナは動じていなかったし、キョウヤも動揺してはいるものの、冷静に彼の状態を分析していた。依頼人一人一人に感情移入していては仕事にならないことを二人とも理解しているのだ。
「緑のバラは、むこうが言い出したことだ。五十年後、もしまだわたしが彼のことを愛しているのなら、緑のバラを贈れと。だからわたしは緑のバラなんて知らない。どんなものを求められていたのかも分からない」
 そう言い、シオミは顔を上げた。縋るような顔でサナを見る。まるでサナならその答えを知っているのだと言わんばかりだ。そのときになって初めて、サナはまじめな顔を崩した。ほんの少しだけ表情を緩め、口角を上げたその微笑は、慈悲にあふれた優しげな笑みだった。キョウヤでさえその顔には驚き、目が釘付けになった。まさかサナがこんな慈愛の表情を浮かべることが出来るなんて想像出来るはずもなかった。
「その約束をしたのはもしかして三月では?」
「三月? そんな気もするが、なぜだ? 関係があるのか?」
 サナはシオミを見下げているのではなく、しゃがみ込んで目線を合わせた。そうすると今度は見上げるような形になったが、そのほうがお互いにしっくりくるのか違和感はない。
「三月に聖パトリックの祝日という日があります。その日は緑色のものを身につけるお祭りがあって、その日は様々なものが緑色に染まるんです。もちろん、緑のバラもあります」
 シオミは考えこむように視線を床へ落とし、それから頷いた。
「そうかも知れない。その祭りは知らないが、あいつが知っていてもおかしくはないだろう」
「それなら、その緑のバラは元は白いものを着色料で緑色に染めたものだと思います。遺伝子操作が流行る前に主流だった花の染色方法です」
 にっこりと笑って続けたサナは、動揺と戸惑いを隠せずにいるシオミに向かって首を傾げた。その態度はサナを無害そうな少女に見せたが、傍から見ているキョウヤには何かを企んでいるようにしか見えなかった。
「このまま続けるというのであれば、我々は緑のバラを墓前に供え、依頼を完了とみなします。もし依頼を取り消すというのならここでおしまい。調査にかかった費用を差し引いて差額はお返しします。また、ここまででいいがお墓の場所を教えてくれということであれば、お教えすることも出来ます。その場合は依頼はその場で完了扱い、返金はありません」
 まるでチトセのような物言いに、キョウヤはサナがチトセの真似をしているのだと気がつく。チトセ本人ほど相手に信頼はされないだろうが、分かりやすく、かつ怪しくも見えない。サナにしては上手くやっている方だろう。強いて言うならもう少し婉曲的な表現を使えればもっと印象は良くなるだろう。
 しかしシオミは即答も出来ずに再びうなだれた。どんな事情があるにしろ、何某かの理由が彼を縛り付けているのだろうことは伝わってくる。まさか相手が死んでいるとは思わず、どうしていいのか分からないのはお互い様だったが、やはりキョウヤはシオミに同情を禁じ得なかった。
「……では、墓の場所を教えてくれ。緑のバラは、簡単に手に入るものなのか?」
 シオミの絞りだすような返答に、サナは即答を避け、少しだけ間を置いてから頷く。
「もしよろしければ、緑のバラはこちらで手配しましょうか?」
 救いの手を差し伸べるかのようなサナの問いに、シオミは縋るように顔を上げた。そしてぎこちなくゆっくりと首肯した。
「頼む」

 [5]これはルール違反です <了>

「おい!」
 サナのオレンジ色の髪は遠目から探すのに役立つが、見つけたところでその派手な髪の人物に声をかけるのは躊躇われる。どう考えても知り合いだと思われたい輩ではなかった。
 しかしながらキョウヤはサナを探しに出たという口実もある上、サナに勝手なことをされて自分の担当の案件を引っ掻き回して欲しくはなかった。それにはサナを止める必要があり、そうするためには声をかけざるを得なかった。
「おい! 止まれよ!」
 キョウヤの声は聞こえていただろうが、サナは無視して歩き続ける。それがわざとなのはキョウヤの目にも明らかで、彼は苛々しているのを隠そうともせず走ってサナを追いかけた。流石に走って逃げるほどではなかったのか、サナは腕を掴まれてようやく立ち止まった。
「何しに来たの? まさか止めに来たとかじゃないよね」
  腕を掴まれたことは特に文句はなかったようだったが、全身から不満げなオーラが漂っている。それも当然だろう。彼女は今非常に機嫌が悪い。原因はキョウヤもよくわかっている。理解も出来る。しかしそれぐらいのことで子供のように癇癪を起こすというのは理解できなかった。これぐらいのことでいちいち腹を立てていたら仕事にならないというのがキョウヤの正直な意見だ。だからキョウヤの目にはサナが子供っぽく見える。
「いちおう、止めに来たんだ」
「わたしが何しようとしてるのか分かってて?」
 その問にキョウヤは頷くことが出来なかった。というのも、サナが何をするつもりなのか分からなかったからだ。何かをしでかすつもりなのだろうことは分かっても、何をするのかまでは分からない。とにかくサナはキョウヤの想像を超える行動に出る。彼は今まで彼女の行動を正確に予測できた試しがなかった。分かるのは精々、おおまかな方向性ぐらいだ。
「キョウヤはいい子だよね。わたしがなんで彼是にいるのか分からないみたいだけど、わたしからすればなんであんたが彼是にいるのかが分からない」
 謎掛けのようなサナの言葉にキョウヤは眉を寄せた。サナは手を動かして離すように示し、キョウヤは何も言わず手を離した。サナは逃げる素振りを見せているわけではなかったし、いつまでも腕を掴んでいるのもおかしい。
「あんた、法律は守るほうでしょ?」
 法規は守るためにある。キョウヤはサナが何を言いたいのか分からなかった。
 だけどサナはキョウヤの反応には興味がないように浮かない顔でため息をこぼした。その表情はいつもの子供っぽいサナの顔ではなくて、歳相応かそれよりも上に見えた。真面目な顔をしようと思えば出来るのだとキョウヤはそこになって初めて気がついたが、指摘するほど馬鹿ではない。黙って彼女が続きを口にするのを待つ。
「この仕事は法を守っていたら先に進めなくなることもある。多少の危険は付きものだし、いつも正攻法で事が進むとは限らない」
 サナの言うことはある意味正しかったが、キョウヤは頷かなかった。キョウヤは今まで担当した案件をすべて正攻法で終えてきた。法を破ればもっと早く片付くかもしれないが、それを選ぶにはリスクが大きい。本当に迫られない限りその手のショートカットはしたくなかった。一度踏み外せばその後はずるずると引きずられることになるだろうことは想像に難くない。
 キョウヤが見ている限り、彼是商事は法に触れるようなことはしていない。受ける依頼も正当なものばかりだし、調査方法も個人に一任されているとはいえ、みなそれぞれ正しいやり方をしているように見える。警察との関係も良好だし、会社としての評価もそれなりだ。サナが示唆するような後ろ暗い話は今まで一度も聞いたことがなかった。
「分かんないでしょ。彼是は裏も表もないもん。法は守る、善人の味方。でもみんな善人とは限らない」
「それは今回の依頼人のことを言っているのか? それともお前のことか?」
 サナは肩を竦めた。
「わたしは中間だね。白くもないし黒くもない。法的に灰色」
「法的に?」
 サナは何でもかんでも知りたがる子供を相手にしているかのように肩を竦めた。その態度はキョウヤを馬鹿にしているようにも見えたが、キョウヤはぐっと文句を飲み込んだ。
「わたしのこの髪、染めてると思ってた?」
 突然の話題の転換に眉をひそめたキョウヤだったが、唐突に話題が変わるには理由があるはずだと思い直す。彼にはまだよくわからなかったが、イトカワに言わせるとサナは頭が悪いわけではない。その言葉を信じるならば、偏見で彼女を見るのは間違った行為だ。相手を理解したければ、多少の我慢は必要だ。
「そうだな。そんな派手な色の頭が天然であるはずがないだ……ろ。え? まさかお前、遺伝子操作受けてるのか?」
 キョウヤは自分で言った言葉が信じられないとばかりに目を見開いた。じろじろとオレンジ色の髪をしたサナをつま先から頭のてっぺんまで見つめるが、頭の色が突飛である以外に異変は感じられない。その辺にもいそうなふつうの女の子だ。サナは再び肩を竦めた。
「うちの親が遺伝子異常世代なんだよ。わたしは遺伝子操作が公式に認められた唯一の世代」
 ヒトゲノムが解析終了し、随分と時間が経ったが、人間に体する遺伝子操作は公的には認められていない。現実的な技術としては可能であったが、倫理観がそれを許さなかったために、遺伝子操作を行うことは法律的に禁じられている。ただしそれは一部の例外を除いたものを対象としている。その例外の一つが、遺伝子異常世代と呼ばれる人々の直系一代目だった。
 放射性物質や化学薬品による被害が人々を悩ませた時代を生き残った人々のヒトゲノムには一部異常が発見された。その異常は人により様々な形で顕れたが、一様にして子供にも引き継がれることが科学的に証明された。遺伝子異常が引き継がれていけばいずれは人間という枠組みを超えたものが産まれかねない。そう予測した政府は遺伝子異常の拡散を防ぐために、遺伝子異常世代の直系一代目の遺伝子操作を許可した。
 遺伝子異常世代は自らの子供の遺伝子を正常なものに直すことが義務づけられ、その代価に一つだけ特殊な操作を行うことが許された。ただしその特殊項目は超能力のような一般の人間にはないもの以外、つまり外見にまつわることや、特定の病気を根絶するなどといったことにのみ限られていた。たいていの両親は外見を美しく整えたり、決して太らない体型などを選択した。
「どうしてこんなのを選んだんだかほんと疑問だけど、わたしの両親はわたしにこのオレンジの髪を与えてくれたってわけ。どうせならもっと別のところに欲しかったけど。いろいろ」
 キョウヤはどう反応していいのか分からない様子でじっとサナを見ていた。遺伝子操作を受けた子供はそれを教えられずに育つ場合も多い。知っていたとしても気軽に口にすることではなかったし、周囲の人間も遺伝子操作を受けた人に対して持つ反応を知らないのがほとんどだ。驚くのはよくても、それをからかっていいものか、それとも悲しむべきなのかは判断に困るところだ。
「そんな驚くことでもないでしょ。遺伝子操作は違法だけど出来ないわけじゃないし」
 意味深な言葉にキョウヤの眉がぴくりと反応した。サナはキョウヤが何か言いたげな視線を投げてよこしたのが分かったが、あえてそれには触れず、唐突に踵を返して歩き出した。キョウヤがついてきているかどうかなど確認しなかったが、当然ついてきているものといった態度だ。
「どこに行くんだ」
 三メートルも行かないうちに声がかけられ、サナは振り返らずにそのオレンジ色の髪を揺らした。その態度は「分かっていることは聞くな」と言っているようだ。キョウヤは何事か難しいことを考えているような顔つきでサナを止めもせずそのあとをついていく。まるでサナの行動を止めるべきか、それともそれに手を貸すべきか悩んでいるといった風貌だ。
 サナの足は迷うことなくまっすぐにある目的地へと向かっていた。キョウヤはその目的地がどこかも、どうしてそこへ向かっているのかも分かっていた。ただサナの口から直接聞いたわけではなかったので、それが本当かどうかは判断出来ない。しかしそうであろうという確信はあった。
「で、キョウヤ? あんたはどうするつもり?」
 振り返ったサナの顔には焦りも緊張もなく、ただやって当然のことをしているといった余裕の表情があるだけだ。ここまで堂々としていれば、彼女自身がそうほのめかしたように、法を犯すことだって簡単そうに見える。キョウヤはここにきて初めて、サナのことを誤解していたのだと確信に至った。ただの派手髪の女ではない。もしかしたら、わざとそういう印象を相手に与えているのかも知れない。
「付き合う。ここまで来しな」
「それは意外。何が起きても後悔するなよ」
 もう後悔している。キョウヤは心のうちでつぶやいた。

 [4]これも調査です 〈了〉

 タブレットに送信された情報をやる気なさそうに見てから、サナは「それで?」と尋ねるように顔を上げた。その相手を挑発するような表情にキョウヤは見事にカチンと来た様子で眉をひそめた。
「俺の分の調査は終了だ」
「でもまだ本人を見つけてないじゃん」
 サナの手元にあるデータは、キョウヤが依頼人の探している人物に関する詳細情報だったが、サナは一瞥をくれただけで不満げに言い返した。その台詞からサナがその一瞥だけでその内容を読んだことが分かるが、キョウヤは疑わしげな顔をしてサナをじっと見た。キョウヤはサナが何をしようと疑いの眼差しで見る。だがサナもキョウヤが何をしても疑わしそうに見ているのだからおあいこだ。
「何ってんだ。死んでるんだぞ?」
 身も蓋もない物言いに、サナは軽蔑するような冷たい視線を送る。キョウヤの送ってよこしたデータによれば確かに依頼人が探し出して欲しいと指名した人物はかなり前に亡くなっている。火葬も済み、死亡届も出され、戸籍も抹消されている。
「お墓の位置は?」
「そこまで必要かって話なんだよ。緑のバラを墓前に添えたい訳じゃないだろ、この人だって」
「分かんないよ。うちに依頼してくるくらいなんだから、特別な理由があったかも知れない」
 サナの主張は最もだったが、キョウヤのいい分も間違いではない。キョウヤは生きた人間を捜す仕事としてこの依頼を受けている。死者であるなら話は変わってくる。探し人が死んでいることが分かればそれでこの依頼は終了となる場合もあるのだから、これ以上の詮索は仕事外だ。
 この融通の利かない男と話しているのが無駄だと悟ったのか、サナは乱暴にタブレットをデスクに置くと、椅子を立ってその足でヤマギワの席に向かった。どすどすと足音を立ててヤマギワのデスクに迫ると、バンと音を立てて机を両手で叩いた。
 ヤマギワはゆっくりと読んでいた書類から目を上げた。その目から何か考えを読み取ることは出来なさそうだったが、サナが何の用でここへやって来たのかは承知しているといった様子だ。目と鼻の先で大声で話していたのだから分からないはずはない。
「部長! この依頼は穴がありすぎです。依頼人に確認して下さい」
「それはチトセの仕事だ」
 チトセは自席にはおらず、スケジュールには「先方打ち合わせ」と記入されていて、今日は事務所に戻らないことが示されている。チトセは一人でこの会社の全案件の交渉を担っているため、実は一番の仕事量だ。その上事務作業もこなしているのだから、彼女がいかに優秀かが伝わろうものだ。
 その反面、ヤマギワは毎日毎日自分の席に威圧感たっぷりにふんぞり返り、いつも何かしらの書類に目を通している。サナからするとヤマギワが本当に仕事をしているのか怪しいところでもあった。チトセにばかり仕事が偏って、ヤマギワは何もしていないのではないかという疑いが露骨に顔に表れる。
「確認してくれないと仕事が行き詰まるんですけど?」
「では保留にしておけ。他にもやることはあるだろう。こっちはチトセが確認するまで何もするな」
 サナのような人間にとってはこのような指示は頭ごなしに押さえつけられているようにしか感じられず、不満は募る一方だというのは傍目に見ていても分かることだ。しかしヤマギワはわざとそうしているかのように上からぐっと押さえつける。見方によっては、そうすることでサナが反発し、自分勝手な行動に出るように仕向けているようでもある。
「……分かりました。じゃあわたしはもう持ってる依頼もありませんし、帰りますから!」
 タイミングがいいのか悪いのか、最後の捨て台詞を吐き捨てたところでイトカワが事務所に入ってきた。状況が飲み込めていない表情でおろおろと事務所内を見回したが、彼に答えをくれるような親切な人物はこの事務所の中に存在していなかった。下手に動くのもどうかと思ったのか、その場で立ちすくんでいると、サナが怒った足取りで出口の前に立ちふさがるイトカワに向かって突進してきた。
「え、あの」
「どいて! わたし帰る!」
 イトカワは反射的に両手をホールドアップしてサナの行く道からひょいと横に避け、どうしていいのか分からないといった表情でサナとヤマギワを交互に見遣る。しかしヤマギワが行かせてやれとばかりに首を振ったため、イトカワは大人しくサナを見送った。当の本人は背後でそんなやりとりが行われているとは思ってもいないだろう様子で事務所を遠慮なく出て行く。
 しばらくそのままで様子を見ていたイトカワが、ふっと緊張していた身体をほぐすように息を吐き、ぽりぽりと頭をかきながらヤマギワを振り返った。
「なに挑発してるんです? もしかしなくてもあの子が勝手に動くように仕向けてるでしょ、部長」
「何のことだ」
「またまた。まあいいけどね。あの子なら一人でも充分」
 イトカワは肩を竦めて自席に戻った。メインのスクリーンに貼付けて置いた「離席中」というメモ紙を剥がしてゴミ箱に捨て、マウスを動かして画面を表示させたところで自分にキョウヤの不思議そうな視線が向いていることに気付いて顔を上げた。
「どうしたの? キョウヤ」
 声をかけられるとは思っていなかったのか、キョウヤは一瞬驚いたように目を丸くし、なんでもないと首を振ろうとして逡巡し、口を開いた。
「いや、イトカワさん、あいつと仲良いんですね」
「仲良いっていうか、うーん、まあ懐かれてるよね。どうしたの? サナちゃんのこと気になる?」
 にやにやと楽しげに笑いながら言うイトカワにキョウヤは露骨に嫌そうな顔をしたが、渋々といった調子で頷く。
「あいつがここにいる理由が分かんないっていうか、不思議で」
 まじめに働いているキョウヤからすると、一見遊んでいるようにしか見えないサナの存在は理解出来ないのだろう。
 イトカワは二人の立場両方が理解出来たので思わず苦笑がもれた。キョウヤとサナの相性は端から見ていても分かりやすい。だけどイトカワはその相性が悪いものだとは思っていなかった。
「あの子は優秀だよ? まああの子は外に出てる時が本領発揮するから、ここじゃあまり出来るようには見えないのが難点だけどね」
 反射的に反論しかけたキョウヤだったが、かろうじで口をつぐんだ。
 キョウヤはこの彼是商事の中では一番最後に入社したため、イトカワに比べればサナとの付き合いは短い。しかもサナは第一印象が良くないタイプなので、例にもれずキョウヤもサナに対してあまりいい印象は抱いていなかった。サナもキョウヤも仕事となれば外へ調査に出てしまうことが多いため、お互いの仕事ぶりをみる機会もあまりない。これでは分かろうはずもなかった。
「想像出来ません」
「ははは。じゃあ今回見ると良いよ。きっと巻き込まれるから」
 自ら望んでサナの仕事ぶりを見るのと、自分の意思を無視して巻き込まれるのとではだいぶ違う。キョウヤはそのことを指摘するように眉を上げたが、イトカワは笑ってそれに気付かないふりを決め込む。キョウヤのほうが望むと望まざると、サナはマイペースにしか動かないのはイトカワのほうがよく知っていた。
 イトカワは会話はそれで終わりだと判断したのか、画面に目を向けキーボードの上で手をせわしなく動かし始める。いくつものスクリーンが配されているイトカワのデスクはかなり大仰に見えるが、情報を扱うイトカワの作業場所はここだけに留まらない。他の者たちと違ってすべて室内で片付ける仕事が多いイトカワにはこフロアの部屋を一室丸ごと与えられていた。事務所のデスクにあるPCから操作出来るデータは限られたものだけだ。ここでは主に報告書の作成などが多い。
  共有のスケジュールには、イトカワの現在の仕事は二件で、そのうちの一件は長期の案件だ。キョウヤはまだイトカワと仕事面で関わったことはなかったが、イトカワが遊んでいるように見えて仕事が速いのだということはそのスケジュールを見て知っていた。
 そのイトカワがサナを認めているということは、サナもただふざけているだけではないのだろうと予測は出来る。しかしその予測と自分の気持ちとは折り合いがつかない。少なくとも、サナのデスクの上に居座っているヒップホップ系うさぎは理解出来なかった。
 キョウヤはじっと考え込むようにうさぎの後頭部を見つめていたが、飛び出して行ったサナが何かとんでもないことをしでかすのではないかという不安が募っていく。その不安がいてもたってもいられなくなってきた頃合いになってようやく、キョウヤは荷物をまとめて立ち上がった。
「サナを探してきます」
 ヤマギワは何も言わなかったが、キョウヤは構わず出口へと向かう。
「頑張ってね」
 背中に声をかけられたが、キョウヤは振り返らずに事務所を出て行った。

[3] 納得いきません 〈了〉

「依頼内容見る限りだけど正直言ってわたし一人じゃ駄目なのかな」
 サナは腕時計型の端末に入れてあるアプリケーションを立ち上げ、検索をかけながらデスクに鎮座しているうさぎのぬいぐるみに向かって話しかけた。うさぎは相変わらずヒップホップな出で立ちだったが、かわいらしいその顔は決して返答を返さない。ぬいぐるみなのだから当然だ。
「お前もそう思うよねえ」
  うさぎの腕を「ヨウ! ヨウ!」と自分に向かって突き出しながら頷くサナはまるで幼い子供のようだったが、ちらりと意味深げにあげた視線が、それをわざとやっていることを物語っていた。その視線は自分のデスクの正面に座るキョウヤに向けられていて、独り言ではなく聞かせるために言っているのだということが傍目に見ていても伝わる。
 しかしながらキョウヤはノート型PCに向かって無表情にキー入力を行っていて、サナの小さな厭味になど反応しない。その態度はこの手のやり取りが日常的に行われていることを如実に物語っている。
「大体、キョウヤ今二件持ってるんでしょ? 忙しそうだし、わたしが一人でやったほうが早くないかなあ」
 事務所にはサナを含めて四人の社員が在席して仕事をしていたが、サナの独り言に付き合う気のある者は不在らしかった。いつもなら隣席のイトカワに八つ当たり気味に絡むところだったが、あいにくとイトカワの司令室のようなデスクには、イトカワの外見に見合わずかわいらしい文字で「離席中」と書かれたメモが貼られていた。
 誰からも返答がないことに不服そうなサナだったが、妥協した様子で口を閉じると、机の上でうさぎにヒップホップダンスのステップを踏ませてから座らせた。手を離した瞬間に頭を垂れたうさぎは、まるでサナにいじくり回されてぐったりと疲れ果てているように見えた。
 アプリの検索結果を、食べたくない食べ物を皿の上で右から左にいじくり回しているだけの子供のように眺めていたサナは、応接間につながる扉が開いた音に反応して顔を上げた。入ってきたのは依頼人に説明を行っていたオキとチトセの二人で、サナはヒールをはいたチトセよりも背の高いオキをじとりと睨みつけた。
「それじゃあこの件はこれで終了ね。完了報告をお願いね、オキくん」
「分かりました。ありがとうございます。先ほどは助かりました」
「いいのよ、それがわたしの仕事だから」
 チトセはにっこりと笑って会話を切り上げると、その足でヤマギワのデスクまで向かう。データでは報告が上がっているだろうが、口頭でも報告をしておくのだろう。別にしなくてもいいものだったが、儀式的なものとしてチトセはこうして口頭でも報告をする。チトセに言わせると、「こういう口実がないと誰も部長に話しかけないでしょ?」ということらしいが、恐らく冗談だろう。冗談と断言出来ないのは、確かにヤマギワが口を開く回数が誰よりも少ないからだ。
「オキ、例の件」
「ああ、ちょっと待って下さい」
 サナの存在は完膚なきまでに無視していたマサオカが、オキが戻ってきた途端に顔を上げてオキに声をかける。サナが露骨に怪訝な顔をしたが、オキもマサオカも気付く様子はない。毎度のパターンだ。
「ねえ、オキ」
 自分のデスクにノート型PCを置いて作業をしようとしていたオキは、不服そうな声で名前を呼ばれて顔を上げる。サナは腕時計型端末に検索が終了したポップアップが出ていたことに気付いたが、構わず不満げな顔をオキに向けた。
「キョウヤがわたしのこと無視する」
 オキはちらりと隣を振り返ってから、だらだらと椅子に座りながら口を尖らせているサナを見遣った。
「報告書を書いていますからね。その検索結果を見ていればすぐ終わりますよ」
 まるでわがままな子供を窘めるかのような口調だったが、サナは渋々頷いてタブレットに目を落とす。彼女はマサオカ、キョウヤ、イトカワの三人には反抗的だったりふざけた態度だが、他の三人にはおとなしく従う。そこに何の違いがあるのかは本人にしか分からないが、曰く「尊敬度の違い」だそうだ。
 サナは自分のかけた検索条件によってはじき出されたリストに目を通しながら、同時に依頼情報を表示させる。依頼人の求めているものに合う条件のものがそのリストに乗っているかを精査していくのだが、リストを下るサナの顔がどんどんと険しいものへと変化していくのが手に取るように分かる。簡単だとたかを括っていた相手が想定外に手強かったときの反応だ。
「チトセさん、聞いていい?」
 ヤマギワへの報告を終えて自席に戻っていたチトセが呼ばれて顔を向ける。今日はまとめずに下ろしている肩にかかっていたブロンドがするりと胸元に落ちた。その顔には優しげな微笑が浮かんでいる。彼女がこの会社の顔役として、ゲリラ広告のコマーシャルなどに出ている理由も分かる。美人で優しそう。「どうしたの?」と聞かれれば、思わず相談をしてしまいそうな雰囲気がある。
「ええ、何かしら」
 同じ女性でもサナとチトセを並べると本当に同じ女なのか疑いたくなるほど雰囲気が異なる。サナは年齢にしては子供っぽいし、チトセは実年齢を聞くとびっくりするほど若く見えるという年齢詐称疑惑の共通点はあるのだが、醸し出す雰囲気は別物だ。チトセは外見も然ることながら女らしく、サナは女らしさなど微塵も感じさせない。性格の面から言っても、モテるモテないで勝負すれば確実にチトセに軍配が上がる。
 しかし、チトセは彼是商事で交渉役、そして事務員として働いていて、サナのように調査員として働くことはない。サナにはサナで、チトセにはない能力があるのだ。
「この依頼の『緑のバラ』なんだけど、具体的にもうちょっと情報ないの? グリーンローズって、見た目がそれほどバラっぽくないんだけど、本当にこれかな」
 画面に表示された写真を覗きこんだチトセはその顔を困った笑顔に載せ替えた。それにはサナのほうがおやと眉を上げた。チトセの仕事ぶりはいつも完璧で、依頼人から情報を聞き出すのはそれこそ拷問でもしたのかと思うほど詳細に聞き出すことが出来る。実際のところは誘導尋問のような会話術によって本人も曖昧にしているような部分まで聞き出す術に長けているというだけのことだが、それを相手に悟らせることなくこなすにはそれ相応の技量が必要だ。
「それがね、その依頼人も知らないのよ。口約束で『緑のバラを贈る』って約束しただけらしくて」
「うう、それじゃあ困るなあ。白バラも緑に見えるのあるし、黄色のバラも緑に見える。肝心の緑のバラはバラっぽくない。じゃあどれのこと? この草みたいなバラでいいのかなあ。それとも天然ものじゃないやつ?」
 検索結果のリストには山のようにバラの名前が並んでいた。写真も検索済みなのか、サナがひょいひょいと軽い手つきで操作するとそのリストの名前に該当する写真が表示される。それに目を落としたチトセは確かに全部『緑のバラ』に見えることに頷いて同意を示す。
「天然ものじゃないものも含めると、もしかしてリストはこの倍になる?」
「倍できくかな。バラは人気あるから遺伝子操作とかで手を加えたの、かなりあるんだよね」
 検索条件を素早く変更してリストを更新しながら言うサナは途方に暮れているのを隠そうともしない。サナにとってはチトセの持ってくる情報がすべてで、その情報から求められている物を持ってくるのが仕事だ。チトセが情報を得られないとなると、必然としてサナも困ったことになる。
 サナが指摘する通り、バラはなぜだか花の中でも古来から人気があり、様々な品種改良が長年欠けて行われている。そのためにその種類は亜種含めても万に近い数が存在し、品種改良などではなく遺伝子操作などで人工的に手の加えられた種類を含めるとそれこそ万を超える。その色合いも様々で、一番の人気は昔ながらの赤や紅だが、青色というのも人気を誇る。それらの種類に比べれば緑のバラというのは人気がないほうだが、それでもその種類は多い。
「じゃあ写真をいくつか用意してもらえるかしら。それを見せてもう少し確認してみるわ。ごめんなさい、手間をかけさせちゃったわね」
 サナはふるふるとそのオレンジ色の髪を乱しながら首を振った。これで相手がキョウヤやイトカワなら辛辣な雑言の一つや二つその形のいい唇からこぼれ落ちていただろうが、それとは百八十度違う従順な態度で頷く。見る者が見れば完全に差別にしか思えない。
「じゃあそれまではキョウヤくんのほう手伝ってあげてね」
「了解でっす!」
 そう言ってキョウヤを振り返ったサナの顔には満面の笑みがあり、嫌な予感がしてちらりとだけ目線を上げたキョウヤはばっちりとその笑顔と目が合う。顔が笑っているのに、その目は脅しかけるようにキョウヤを睨みつけていた。目を向けたことを後悔したところでもう遅い。サナはその肉食動物を思わせる茶色の瞳で自らの獲物を捕らえていた。

[2]調査開始しました 〈了〉 

「ねえ、イトカワ」
 築年数は聞くなよと言った外装をした建物の四階。このビルが建造された当初には四階以上の建物にはすべてエレベーターをつけなさいという法律はなく、当たり前のようにその建物には階段しか移動手段は備わっていない。妙に低い天井は圧迫感はあれど開放感など微塵も感じさせず、職場での喫煙が全面禁止される条例が施行される前の名残で、壁紙はヤニで薄く黄ばんでいた。その黄色い汚れは染み付いてしまって、いくら掃除しても落ちない。
 その四階のフロアには四つの部屋があったが、どれも同じ会社の所有になっており、階段を登ると一番手前の扉に、少しだけ傾いているような気がするプラスティックの板で社名が掲げられている。「彼是商事」という活字によみがなはなく、だいたいいつも読み間違えられる。
「ねえねえ、イトカワ」
「ちょっとうるさいよ、黙ってってば。おれ仕事中なの分かるでしょ?」
 一つ目の扉の奥に繋がる二つ目の部屋は、彼是商事の社員の職場、通称「事務所」と呼ばれる部屋になっている。六つの席と、それを監視するように窓際に一つの席。今使用者が在籍しているのは、そのうち窓際の席と、デスクトップ型PCなどでごちゃついている席、そしてその隣のヒップホップなうさぎのぬいぐるみが置かれた席だけだ。
 作業しているデスクトップ型PCから振り向いたイトカワはうんざりした顔を隠そうともしなかった。だが、しつこく話しかけていたサナはやっと相手にしてもらえたと判断したらしく、背もたれを前にして座っているオフィスチェアをギコギコと鳴らした。窓際の席にじっと気配を消すように座って書類に目を通していたヤマギワがちらりと目を向けた。
「だってイトカワいつもPCに向かってるからいつ仕事してんだか分かんないんだもん」
「失礼だな、君は」
 サナのデスクにはノート型PCさえもなく、置いてあるのは、頭にビビットな色のバンダナを巻いたうさぎのぬいぐるみが鎮座しているだけだ。イトカワの司令室のようなデスクに比べるとまるで遊んでいるかのように見える。だが、報告書を作るのも、なにがしかのデータをまとめるのも、わざわざPCを使う必要性はない。そのため、サナのデスクはここまで簡素化している。
「今依頼受けてたっけ?」
「同僚の依頼状況ぐらい把握しておきなよ」
「そうする。ヒマだし」
 一昔前ならば、管理職であるヤマギワの背後にホワイトボードがどどんと我が物顔で居座り、そこにそれぞれの社員の名前と進行中の案件が書かれていたかも知れないが、そういうやり方はどんどんと廃れていき、今では各々の携帯する端末からその情報を閲覧するのが常識だ。サナは利き腕とは逆の手首に巻いた腕時計型の端末からタブレット端末にその情報を呼び出した。
 しばらくタブレットに表示されたデータとにらめっこしたサナは、そのスケジュールを表示させたままでくるりと上司のヤマギワを振り返る。
「ヤマギワ部長、この新規案件どんな内容なんです? わたし手空いてますけど」
 いかにも気難しげな顔に白と黒の配分が六対四で白に軍配の上がっている髪、そしてそこにいるだけで相手を威圧するような雰囲気の持ち主であるヤマギワは、鍛えられているその体格もあって四六時中椅子に張り付いているようなタイプには見えない。だが実際はこの彼是商事の部長という肩書きで、彼がこの椅子に座っていない日はほとんどない。
 共有されているスケジュール情報によると、渉外担当のチトセが今依頼を受けていると表示されているが、まだ正式契約にまで至っていないのだろう。まだ情報のアップデートが来ていない。だが手のあいている社員は今のところサナだけであり、彼女の言いたいことはよくわかる。しかしこの仕事にはそれぞれ得意分野とでも言うべき担当というものが決められていた。手が空いているからといって、内容もまだ不明確な案件を預けることは出来ない。
「これは決まれば恐らくキョウヤが担当になるだろう」
「またキョウヤ? 最近そればっかり!」
 不満たらたらなサナの文句はあっさりと聞き流されたが、その背後でちらりとイトカワが同情的な視線を向ける。サナの担当する分野は狭く、彼女が主担当となって動く案件が少ないのは事実だ。それに、最近の依頼はキョウヤが担当する人や動物などの捜索依頼が多いのも確かである。もしかしたら探偵社か何かと勘違いされているのかも知れないと疑うほどだ。
「正式に決まれば、お前はキョウヤの補佐に入れ」
 仕事が入るのは嬉しいのだろうが、サナは露骨に自分の主担当ではない仕事にあまり乗り気ではなさそうな態度だ。しかし一度担当になれば最後までしっかりとその仕事をこなすのは上司であるヤマギワが一番良く知っている。ただ、サナの場合はその態度が悪いだけのことだ。
 サナはただ若いというだけでなく、オレンジ色の髪に会社員には到底見えない派手な服装にアクセサリーといった姿から、第一印象で信用され難い。特にそのような格好をしていると、依頼人に直接会って依頼の交渉を行うにはかなり不向きだ。そのために依頼人との交渉は一括してチトセという女性社員が行っている。人にはそれぞれ向き不向きがある。得意なことをやらせれば優秀な結果が残るのであれば、そうするべきだというのが社の方針だ。
「補佐に入るのはいいんだけど、キョウヤ今やってる案件いつ終わるの?」
 共有スケジュールによると、キョウヤが今動いている案件は二週間前に受けたものと、三日前に追加されたものとの二つだ。同時進行で案件が動くことはよくあることだったが、一人で三件同時はつらいだろう。だから追加の新規案件にはサナが補佐で入ることになる。
「そろそろ報告書をあげてくる頃だろう。今日の午後にはチトセが依頼人に報告に行く予定だ」
 親切にヤマギワが教えてくれるが、それもすべてスケジュールに書き込まれていることにすぎない。だがサナは初めて知ったかのように「へえ」と感嘆の声をこぼした。口ではキョウヤのことをさんざん馬鹿にするが、「その仕事ぶりには尊敬している」というのが彼女の言だ。本当かどうかはさておき。
 彼是商事は依頼された物を探し、売買するのが業務内容だ。人や動物の場合は捜索であったり、希望に見合う人物を捜し出して仲介を行うなどといった業務になるが、基本的な姿勢は依頼人の望む物を提供するというものだ。依頼を受けてから商品を受け渡すまでの時間は案件の難易度にもよってくるが、早い場合で即日、遅ければ数ヶ月、年単位での稼働もあり得る。
 サナが担当する食品や日用品などに関する依頼は遅くなっても一ヶ月程度。ほとんどの依頼が一週間のうちに片が付く。早く依頼が片付くという点ではイトカワもそうだが、イトカワの場合は長期戦になれば年単位での仕事も出てくる。そのため、依頼の種類によって案件の掛け持ち数は変わってくるが、短期決戦で複数の仕事が重なるのはキョウヤが断トツトップだ。
「早くチトセさん戻ってこないかなあ」
 再びギコギコと椅子をならすサナはまたヤマギワにじっと見られたが、全く気付いていない様子で机の上のうさぎを手に取り、ずり落ちてきて目が隠れてしまわないようにバンダナの位置を調整している。うさぎの首にぶら下がっている金色の太い鎖に繋がれたネックレスが重たそうに揺れ動く。よく見ればそれが本物の金で出来ていることに気付くだろうが、今までそのうさぎをじっと観察した人物は少ない。少なくとも子どもに与えようとは思わない程度に玄人向けな意匠だ。
 うさぎをいじるのに飽きてきたサナが再びイトカワにちょっかいを出そうと振り返ったそのタイミングで、応接間とつながる扉が静かに開かれた。サナとイトカワ、それにヤマギワの視線が集中する。
「お待たせ。交渉成立。新規のご依頼が入ったわ」
 艶のある黒髪をひっつめてアップにして、適度に胸元のあいた白いブラウスに黒のスーツ姿で決めたチトセは腕に抱いたタブレットを、きれいに手入れされている指先でトンと叩いた。情報の送信ボタンを押したのだろう。ヤマギワが自分の端末に目を落として内容を確認している。
 依頼情報はチトセからまずはヤマギワへ、そしてヤマギワが承認して担当を振り分けてからがスタートだ。チトセが獲得してきた依頼でも、ヤマギワが不適当と判断すれば、その場で依頼を断るというケースもないわけではない。しかしながらチトセの優秀な手腕から、そういう事態になったことはほぼない。過去に一度あったぐらいだ。
「キョウヤとサナでやれ。二人ともメイン扱いだ」
「メインが二人? どういう依頼内容なの?」
 ヤマギワが承認したその依頼情報は、担当になったキョウヤとサナの端末にも同時配信される。閲覧権限が与えられたと端末にポップアップが出たと同時にそれをタップしてデータを開いたサナは真剣な顔で情報に目を走らせる。
「ある物を探して、ある人物に渡す。それが今回の依頼内容だ。キョウヤは人物の捜索、サナは渡す物の調達だ」
「この手の依頼は増えてるし、うちとしてもペアで動くのはいいと思ってるの。協力してやってくれるかしら?」
 サナはオフィスチェアをぐるりと回転させてヤマギワとチトセを見回すと、立ち上がってうさぎのぬいぐるみをイトカワの頭の上にバランスよく置いた。
「任せてよ。ま、キョウヤが足を引っ張らないと保証は出来ないけどね」

[1]新規依頼入りました 〈了〉