会社を辞めてオーストラリアに行きその後ヨーロッパにも行った。いずれも非常に有意義な時間ではあった。でもなんというか刺激に足りないというか想定の範囲内というか日本に居ても海外のことはある程度分かるよなという認識をしたに過ぎない気もしていた。

失業保険受給中の9ヶ月は狂ったように日本各地に赴き祭りや離島などを見ていた。日本の文化や地域の風土は本当に奥が深くいくら見ても見足りない。しかしいくら追求しても先が見えな底無し沼のようなものという気もしていた。

そろそろ潮時かなと就職も考えるがどうもしっくりこない。本当にここで就職してしまって今後の人生後悔しないか?とにかく今度就職したら定年までその会社に勤め上げるつもりだ。入ってから後悔しても遅い。

ここ10年間ほとんど家に帰って休んだ記憶が無いほどに突っ走ってきた。この9ヶ月は丸1日家に居たことは1日も無い状態だ。

なぜここまで自分は焦っているのだろう?

周りから自分は常に全力で物事に取りくんでいる精力的な人間と思われているようだ。確かに普段の生活を見ればそう見えるだろう。しかし自分は自分の性格を超マイペースののんびり屋かつ怠け者と見ている。

気を抜けばいくらでも怠けてしまう事を知っているので常に何か目標を定め自分の尻を叩いて必死に突っ走っている感じだ。要は緊張が切れてしまうのが怖いのだ。

ここ10年間必死に突っ張りすぎて気を抜く時間を持っていなかった。もし気を抜いてみたらどれくらい自分は何もしない時間を耐えることができるだろう?ちょっと試してみたくなった。それが自分に向き合う時間にもなるかもしれない。

よし「引きこもり」をやってみようと思った瞬間だ。


思い立ったらすぐ実行。部屋の引きこもりを始めた。

やることといえば起きたらパソコンとテレビを付けテレビを見ながらだらだらとネットをするだけ。ひたすらその生活を繰り返す。

前日まで取り憑かれたように日本全国を飛び回っていたのにその生活に入ると、全く今何かしなければという危機感がなくなり、どこかに行こうという気もなくなった。これが本来の自分の怠惰な性格なのだろう。

1週間、2週間。ひたすらネットとテレビだけの生活を続ける。外に出るとすればちょっとした買い物とDVDを借りるときだけ。

ネットとは恐ろしいものだ。常に何かを検索して読んでいるので何か自分がもの凄く勉強をしている「錯覚」に陥る。しかし実践することの無い知識なんて意味はほとんど無い。

さらに怖いのがヤフーニュースのコメント、いわゆるヤフコメだ。

これを読んでいるとなぜか自分は社会とつながっているという「錯覚」に陥る。もちろん自分がその場から消えても誰もなんとも思わないのに関わらず、、、。

そしてそのヤフコメにコメントを残し「そう思う」をたくさんもらうと何か自分が社会に役立っているような「錯覚」に陥る。もちろんそんな匿名のコメントなんて無責任に誰でも書けるし必要とされている訳でもない。別に他の人でもなんらかまわないのだ。

数年前より「引きこもりニート」という言葉が良く聞かれる。自分はなぜ引きこもり生活に彼らが耐えられるのか不思議だった。しかし自分がやってみて何となくわかった。この「錯覚」により自分は常に向上心を持っている、世の中とつながっている、そして役に立っていると思い込んでいるのではないかと。


いたずらに時間ばかりが過ぎ焦りが出てくるが中途半端にやめてしまったらただ無駄に時間を過ごしてしまっただけになる。この生活の中から何かつかもうと必死になっていたのは事実。

色んな本も読んだし、ネットで様々なジャンルの情報を読み漁っていた。当然就職することも視野にあったので1年間のブランクを埋めるべく勉強もしていた。

恐らくのこれほど時間を勉強に費やしていたのは大学受験以来だろう。

一番楽なのは就職してしまうことだったと思う。幸い1年近いブランクがあったこの時点でもいくつかの会社から誘いを受けていたし万年人不足の業界だったので贅沢を言わなければ就職口はたくさんあった。

引きこもりと言われる人はただ何もする気がなくて部屋に閉じこもっていると思われがちだが、自分もそうだったが常に何かしなければという気持ちで部屋の中で必死になっている人も多いのではとも思う。

とにかく何かを得ようと部屋にいながらも常に色んなアンテナは張って生活をしていた。

そして引きこもり生活に入り数ヶ月がたったところで自分にとっては人生を変えるとも言えるある事件が起きた。


続く



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  「自分が世界一周に出た理由(序)」