「李香蘭と支那の夜 〜名曲・蘇州夜曲の謎を解く〜」

かつて多くの国で愛された、日本の歌と映画がありました。 現在「国策映画」だと誤解され、マイナスイメージの多い「支那の夜」が再評価される事を願ってブログを作っています。 現在は「李香蘭」の歩みを昭和12年から順に書いています。 更新のペースは月一の予定。

祝!李香蘭 生誕100周年 その1「境界を超える人」


本日2020年2月12日で、李香蘭(山口淑子)は生誕100周年を迎えました。

お年を召していても若々しい方でしたから、生前は「世界一綺麗な100歳として、元気にコメントしてくれるんだろうな〜」と思い込んでいたので、それは残念。

でも100周年をきっかけにして、トリュビュート・コンサートや香港時代の曲を含むCDの発売、研究発表会なんかの企画が行われて、李香蘭再評価のきっかけになって欲しいと思います。

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再評価

「再評価」と言うには訳があって、彼女の歌手や映画女優としての業績があまり評価されていないような感じがするんです。だって彼女はアジアやアメリカを股にかけて活躍した、当時数少ない国際的スターだった訳です(他は俳優の早川雪舟か、オペラ歌手の三浦環くらいでしょうか?)それも日本と中国が戦争をしていた時代。そして戦争が終わった後も香港映画に主演し、その名曲の数々は現代の中華系歌手に歌い継がれています。
 台湾その10 「カバーされている李香蘭の歌」
香港その5 「カバーされている李香蘭の歌」

それなのにですよ、彼女が亡くなった時にマスメディアはどう彼女の事を報じたか。大体は李香蘭の活躍はサラ〜と書いて、それよりも晩年にプロパガンダ映画(後述しますが、代表作「支那の夜」は国策映画じゃありません)に出演した事を反省し、日中友好に貢献した事を重視した、妙に反戦平和的な、教訓めいた雰囲気で書かれていたものが殆どでした。

そりゃあ勿論、日中友好も反戦平和も結構な事だと思いますけど、なんか違うんですよね〜

だって私は、李香蘭を「戦争」とか「国策」だとか、そんなチンケな枠を軽く飛び越える力を持った歌手であり女優(芸術家)だったと思っているからです。

音楽は国境を超える

社会問題となり、日本人報道が起きるきっかけとなった日劇七廻り半事件はその典型的な例でしょう。国策映画会社・満映の女優なんだから人気が出るのはいい筈なのに、人気が出すぎて怒られてしまうという。再考 日劇七周り半事件その9 「李香蘭の日本人報道 新聞記事編」

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そもそも現在、典型的なプロパガンダ映画だと思われている『支那の夜』だって、当時これを国策映画だと思っていた人はいないと思います。国策映画どころか、戦争中というご時世にそぐわないメロドラマという事で、知識人からは大ヒンシュクを買っていました(どこの世界に、国策映画のヒットを嘆く検閲官や軍人がいるんですか?)
昭和15年の支那の夜・13「指導者達は支那の夜をどう見たか?」
昭和15年の支那の夜・11「支那の夜と映画検閲」

この映画は太平洋戦争開始後は、日本軍が占領した東南アジア各国や上海でも上映されましたが、その理由は主題歌の「支那の夜」が現地で流行っていたので、ニーズあったから。いわば、客が入るから上映するという訳で、私たちがイメージするプロパガンダ目的の上映とは、意味合いが違っていたわけです。
支那の夜 外国公開日

実際、上海の映画館では(「支那」という言葉を問題視しているはずの)中国人の観客が、李香蘭の歌声に合わせて「支那の夜」を合唱していたそうです。
「中国・上海 その2」  リバイバル上映・後編

映画はアメリカ軍の日本語学校の生徒にも好評で、李香蘭は彼らのアイドル的存在だったとか(歌の「支那の夜」は戦後チャイナ・ナイトとしてアメリカでも流行。戦後の香港でも多くのカバー曲が出ています)
アメリカその2 米軍日本語学校と「支那の夜」

敵国人であるはずの中国人やアメリカ人が、日本人男性と中国人女性とのメロドラマに夢中になり、李香蘭の歌を口ずさんでしまう。いわば戦争を超える力が李香蘭にはあります。私は数年前に映画館で『萬世流芳』を見ましたが、大きな芝居をする中国人女優の中、彼女の可憐さは際立っていました。あの歌唱を見れば日本人説があろうが、中国人だってファンになるだろうと納得しました。





戦争を超えると言えば、戦中・戦後の李香蘭を中心にした、日中の作曲家・映画人との交流の歴史も見逃せません。昭和19年文化工作の為、上海を訪れた服部良一は上海の作曲家たちに出会います。服部良一の弟子となった陳華辛は伝説となった夜来香幻想曲コンサートの指揮を取り。同じく弟子の姚敏は戦後の香港を代表する作曲家となり、服部良一を香港映画の音楽監督として起用。李香蘭にも「三年」「小時侯」を始めとする、多くの名曲に提供しています。
香港その7 「香港時代の李香蘭」



話が違うぞ?

「プロパガンダに利用された」「中国人を侮辱した」と山口淑子本人が、黒歴史の様に語る李香蘭時代の作品。でも周辺の事を調べていくと、そうとばかりは言い切れません。どの作品がプロパガンダだと簡単には決められないし、全ての中国人が侮辱と感じたわけじゃない。それこそ、上海の映画館で「蘇州夜曲」を口ずさんだ中国人もいるわけです。


現代人の私から見ても、演技力はともかくとして、映画の歌唱シーンは、どの映画も魅力的です。多分『映画で美しく唄う姿を見せる事』に関しては、天才的なものがあるのでしょう。


歌にしても、ロシア人の声楽家や三浦環に学んだクラシック仕込みの歌唱力を、服部良一によって流行歌向きに矯正され、中国語の歌も完璧となれば、そりゃあ国を問わず人気が出ますよ。特に、香港時代の歌声は、まさに円熟期。


「香港日本映画交流史」の著者、邱淑[女亭] 氏は、戦後の香港でレコードを出し、4本の映画に主演した李香蘭について「香港の人達は李香蘭の事を、演技も歌唱も得意な周璇や白光などの上海女優の一人で、正体を気にしていない。国籍や身分はどうでも良かった」(144p)と書いています。

劇団四季のミュージカルの影響からか、「運命に翻弄された歌姫」みたいにマスメディアで書かれる事もある李香蘭ですが、本人は滅茶苦茶ポジティブで、積極的に各国の文化人と交流して自分の世界を広げてます(そうじゃなきゃ、ハリウッドデビューなんかできません)

今よりもっと世界が閉じていた戦前・戦後の時代。色々な事情があったとはいえ、国や戦争という枠を超えて多くの人の心を捕らえ、グローバルに活躍した李香蘭の芸能活動の実績について、もっともっと注目して欲しいと思います。

勿体ないなあ

ですから、今の李香蘭のマスメディアでの扱い方に、すごく違和感があるんです。

追悼文なんかの大体の論調は、“ 彼女がいかに李香蘭時代を反省して、日中の友好に貢献したか ” という反戦平和的な結論ありき。李香蘭時代の芸能活動の実績は、結論を書くための前振りでしかない。

マスメディアが大好きな言葉「音楽は国境(戦争)を超える」事を、身をもって体現した人なのに、何故、李香蘭を「戦争」や「国策」といった小さい枠に閉じ込めようとするのでしょう?反戦平和の授業みたいな彼女の追悼文を見るたび、「勿体ないなあ」とつくづく思うのです。

勿論、李香蘭は対中プロパガンダを目的として作られた映画会社・満映で生まれた映画女優です。国策や戦争から完全に離れて語る事は不可能です。でも、この人や関係した作品は、そこから逸脱してしまう様な、国策関係者の思惑を超えてしまうようなエピソードが多すぎる(今回書いたのは、ほんの一例です)そこには、権力者がどんなに抑え込もうとしても抑える事のできない、当時の人々の想いみたいなものを感じざるを得ません。

李香蘭を一目見ようと、日劇の廻りに群がった人たち。上海の映画館で、「支那の夜」を唄った中国人の観客。戦後の香港で、復活した李香蘭の映画を見て、新曲のレコードを買った人たち。そういった人たちに想いを馳せる時、きっと李香蘭についても。そしてあの時代についても、ワクワクするような新しい発見があるはずです(だからこそ私は一時、馬鹿みたいに夢中になってブログを書いてた訳です)

100周年を機会に、李香蘭という不思議な人物の事を、今までとは違った視点でとらえ直してみてはいかがでしょうか?

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(続きますが、次の更新はいつになるかわかりません。100周年の間。つまり来年の2月11日までには、何とか書けると思います。あまり期待しないで待ってください)



オマケ 現在の近況

殆どの人にとってはどうでも良い事ですが、もう何年もブログをほっぽり出してる言い訳をさせてください。このブログ以外に書いている、サクラ大戦関係のブログが忙しい事もあったのですが、それは1年前に一段落しました。

今は何故か劇団の養成所に通っておりまして、齢44歳の役者デビュー(多分、即引退)目指して、稽古をしています。といっても、役者には全然向いてない中年オヤジの私は、周りの若者についていくのがやっとで、ブログを書いているどころじゃない。今回も久々の更新という事もあって、何日もかけてヒイヒイ言いながら書きました。

本当だったら、100周年という記念の年にあたって、『○○年の李香蘭シリーズ』を完結させたかったのですが、昭和14年からずっと何年もサボってしまい、本当に情けない。でもまあ、言い訳じゃないですけど、数年前に「李香蘭の支那の夜」シリーズをやりきったんだから、「まあいいかな?」という気持ちも正直あります。

それはともかく、上戸彩主演の李香蘭のテレビドラマを見てから10数年。あれから私の生活は一変しました。やりたい事を見つけたら、一直線になってやる。

かつてはブログ作り。今は役者の稽古に夢中になって、そこそこ楽しくやっていますが、これも歌や映画の素晴らしさを教えてくれた李香蘭の存在があったからこそだと思います。自分が本当にやりたい事に気づかせてくれた山口淑子さんには、本当に感謝しています(好き勝手な事を書いて、申し訳ないという気持ちもありますが)

望む事なら、一度お墓詣りしてみたいのですが、山口淑子さんのお墓は一体どこにあるのでしょうか?

昭和14年の李香蘭「 冤魂復仇  ” 邦人館上映」

この当時、満映の劇映画は通常、日本人相手に上映されることは無い。技術的にも未熟な満映の作品は「つまらない」「商売にならない」と思われていたからだ。

あったとしても試写会や、「アトラクションと映画の集い」(昭和14年1月・新京)、「満州映画祭」(昭和14年3月・奉天、大連)といった、イベントでの上映に限られる。
昭和14年の李香蘭 屮▲肇薀ションと映画の集ひ」

そんな状況の中、商業目的として、初めて満州の邦人用映画館で上映された満映の劇映画が、李香蘭が出演した「冤魂復仇」である。
昭和14年の李香蘭「冤魂復仇」前篇
満映作品が全満に先駆けて大連で日本人に初御目見え・・尤も本社主催の満州映画祭で公開はされたが常設館で封切られるのは、九日(新聞広告では八日)中央館で封切られるのが正真正銘のはじめて
引用「満州日日新聞」昭和14年8月8日朝刊より〜
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引用「満州日日新聞」昭和14年8月3日朝刊より〜

大連の中央館では8月8日〜。
新京の長春座では8月23日〜28日上映。

いずれも3本立てで、中央館の同時上映は
「とらんぷ譚」サッシャ・ギトリー監督 徳川夢声(声の出演)
「良人の価値」大庭秀雄監督・水戸光子主演
新聞広告のキャッチコピーは『日満仏異色プロ三本立て』
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長春座の同時上映は
「良人の価値」大庭秀雄監督・水戸光子主演
「国境」崔虎奎監督・金素英主演
新聞広告のキャッチコピーは『内・鮮・満映画祭』
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また京城、奉天からも上映希望の申し込みがあったという。
引用「満州日日新聞」昭和14年8月3日

中国人専門の映画館で封切られたのが2月だから、それから半年も経っての再上映となる。おそらく幽霊が出てくる  お化け映画   ” だから、8月には丁度良いと判断されたのだろう。
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この映画は当時の満映作品としては珍しく日本人相手に上映される事が多く、先に紹介した満州映画祭や、キネマ旬報主催の試写会(評判は散々だった様だが)
引用「映画と音楽」昭和14年9月号50p
昭和14年の李香蘭ぁ嶂雄寡仇」後編 映画の評価
また「大東亜建設博覧会」(西宮市にて昭和14年4月〜6月開催)でも上映が予定されていた(実際に上映されたかは不明)
昭和14年の李香蘭А崑臈谿〃設博覧会」

デビュー直後の李香蘭の出演作は「東遊記」が有名だが、新京の邦人用映画館、帝都キネマでの封切りは昭和14年10月22日。日劇での日本初の封切りは昭和15年2月7日と、比較的遅かった。
意外にも「冤魂復仇」が「白蘭の歌」以前の代表作だったのかもしれない。

「音楽劇・魔都夜曲」

※注意※ 李香蘭の登場シーンと第一幕の最後をネタバレしてます。

現在上演中の舞台、「音楽劇・魔都夜曲」を観てきました。

昭和14年春の上海を舞台に、実在した日中ハーフの女スパイ・テンピンルーと、総理大臣近衛文麿の息子・近衛文隆をそれぞれモデルにしたキャラクターが主役。更に甘粕正彦、川島芳子、服部良一(モデル)、李香蘭という歴史上の人物まで登場するという、当時の上海に興味を持つ者物ならば興味を引かざるを得ない、この舞台。

現実とはストーリー展開や設定も違っていて、「ファンタジー」として、とても良い舞台だと思いました(ファンタジーといっても、魔法や魔物は出てきませんが)

李香蘭の登場シーン
李香蘭ファンの私にとって最大の注目は、李香蘭がどの様に舞台で扱われ、どんな歌を唄うかでした。李香蘭の登場シーンを箇条書きで書いてみましょう。

.献礇坤ラブに怪しい日本人の男が潜入。あちこちを探し回る。

店主が詰問すると、男は「お忍びで李香蘭が上海に来て、ジャズクラブの貴賓室にいるという情報を掴んだ。李香蘭の大ファンなので、合わせてくれ」と懇願する。
舞台上の李香蘭は「萬世流芳」が上海で上映された直後の様な、中国人も憧れる “ 大スター ” として扱われている。勿論現実の昭和14年春の時点では 李香蘭の知名度は殆ど無い。

G鮴鄒粁粥紛甕卻故瓦モデル)が自分の名刺と手紙を李香蘭に届ける事を提案。李香蘭に会えると、喜ぶ男。

い修海坊兵隊が登場。コミュニスト(共産党員)の容疑で、男を逮捕しようとする。

イ修海僕香蘭が登場。男を庇おうとするが、憲兵隊は意に返さない。すると川島芳子、更には甘粕正彦まで登場して男を庇う。相手が悪いと、退散する憲兵隊。

Π谿多瓦靴唇貽院ジャズクラブの女性歌手・字春(役者は劇団四季「李香蘭」で李愛蓮役の秋夢乃さん)が遅刻している為、代役として李香蘭が「蘇州夜曲」を唄う。

李香蘭の登場シーンは、これだけ。第二幕のフィナーレで少しだけ出てきますが、実質的な出番はほんのわずか。コンサートで言えば、スペシャル・ゲスト的な扱いをされています。

一つ残念だったのが、周紅花(テンピンルーがモデル)との絡みが無かったこと。

李香蘭とテンピンルー。

史実では出会うことが無かった二人で、どんな会話が交わされるのか興味がありました。でも、これでよかったのかもしれません。共通点があるからこそ、下手に描かない。(そういう意図があったかはわかりませんが) 他のフィクションではありがちな“ 悲劇のヒロイン ” ではなく、“ 大スター ” という、一面だけを切り取った扱いは、良いと思いました。 まあ単に、ダブルキャストになっている東京パフォーマンスドールの歌手二人の都合もあるかもしれませんが。

蘇州夜曲
舞台の李香蘭が唄った「蘇州夜曲」ですが、これも史実とは違う扱われ方をされています。まず作曲した人物は服部良一をモデルにした鹿取良治というキャラクター。作曲家ではなく、ジャズクラブ専属のピアニスト。ジャズクラブの女性歌手・字春に片思いをしており、彼女の事を想って作った歌が「蘇州夜曲」という設定になっています。実際の蘇州夜曲が出来たいきさつは、こちらをご覧ください。
「蘇州夜曲 誕生物語・1」 服部良一初めての中国
「蘇州夜曲 誕生物語・2」
「蘇州夜曲 誕生物語・3」

非常にストーリーに沿った使い方をされていますので、これも箇条書きで書いてみます。
〕香蘭が「蘇州夜曲」を歌うバックでは、ガーデンブリッジで日本人の恋人に振られ、悲しみにくれる字春の姿が。

⇒香蘭と字春は別れが暗示された歌詞をデュエット。

2里終わった後、字春は自殺未遂を起こす。

い修海剖遒栄佞韻深紅花と白川清隆の主役の二人。

イ海了点では恋人未満だった二人は、これをきっかけに燃え上がり、キスをして第一幕終了。

「蘇州夜曲」は幸せな二人の背後に、やがて来る別れが暗示された歌です。
(1)「一番・三番解説 桂蘭の心」
(2)「二番解説 長谷の心」
(3)「続・二番解説 桂蘭入水」

NHKの連続ドラマ「ごちそうさん」でも感じましたが、蘇州夜曲は普遍的なテーマがある、物語に使いやすい歌だなあと改めて思いました。
朝ドラ「ごちそうさん」で歌われた蘇州夜曲について

あともう一つ印象的だったのが、ジャズクラブに集った面々です。
客席に川島芳子、甘粕正彦、近衛文隆。ピアノを弾く服部良一と、蘇州夜曲を唄う李香蘭。役者が演じる舞台と言えど、夢のような様な光景でした。

余話 服部良一と近衛文隆
劇中での鹿取良治と白河清隆の絡みを見ていて、感慨深いものがありました。というのも、モデルになった服部良一と近衛文隆の二人は面識があったからです。

近衛文隆は帰国後、上海時代の活動を問題視され軍隊に召集されます。翌月の満州行を控えた昭和15年1月、二人は築地の酒の席で出会います。

「古川ロッパ昭和日記 戦前編」650pより〜
一月二十日(土曜)
(舞台が)ハネると、服部良一・京極と共に、築地秀仲へ。近衛文麿の道楽息子近衛文隆というのがシャムパンをやたら抜くやら、僕は服部良一をつかまえて議論するやら大さわぎ。

「古川ロッパ昭和日記 戦前編」654pより〜
昭和十五年一月三十日(火曜)
夕刻、築地の蜂竜へ、近衛文隆の入営送別会で行く。服部良一・原田・京極という顔ぶれ。近衛が、ディムプル(ウイスキーのディンプル)を一壜封を切って呉れ、飲む。うまし。市丸があらわれたりして、ただめちゃな賑やかさであった。

二人とも社交的で明るい性格だけに、気は合ったかもしれません。そして服部良一は一年後、テンピンルーをヒロインのモデルにした映画「上海の月」の音楽を担当。主題歌「牡丹の曲」「明日の運命」を作曲しています。

服部良一もまさかその時、築地で出会った青年の恋人と噂された中国娘をモデルにした映画の主題歌を作っているとは、思いもよらなかったでしょうね。
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