「李香蘭と支那の夜 〜名曲・蘇州夜曲の謎を解く〜」

かつて多くの国で愛された、日本の歌と映画がありました。 現在「国策映画」だと誤解され、マイナスイメージの多い「支那の夜」が再評価される事を願ってブログを作っています。 現在は「李香蘭」の歩みを昭和12年から順に書いています。 更新のペースは月一の予定。

「萬世流芳」の賣糖歌がyoutubeに

読者の方に教えて頂いたのですが、youtubeに
映画「萬世流芳」で李香蘭が賣糖歌を歌う動画がupされています。
李香蘭ファンには待望の動画ですが、
この時点では再生数400と、存在が殆ど知られていないようです。

賣糖歌のシーンは二つあり、それぞれ動画がupされています。
折角の機会ですから、ストーリーの中でどのような意味を持つのか、
解説していきます。

一回目の賣糖歌


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(0:00)最初に、阿片窟の従業員がオルゴールを奏でます。
これは阿片窟を経営するエリオット夫妻が、
客を楽しませる為に用意したものです。

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(0:05)オルゴールの音色と共に、李香蘭が登場。
Aメロを歌い・・・
(ちなみにこの時飴を客に配っていますが、断られています。)

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(0:28)音色がオルゴールからオーケストラに変わり、
李香蘭が階段を降りて1Fフロアに行く所でBメロ開始。

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(1:26)「阿片で極楽になっている所に飴はいかが」と
歌う李香蘭に客は魅了され、飴は大いに売れます。

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(1:43)左の男は、李香蘭の婚約者役の王引。
阿片中毒者で自堕落な生活をしています。

2回目の賣糖歌
阿片窟経営者のエリオット夫妻は李香蘭を気に入り、
もう一度賣糖歌を歌うよう依頼します。


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(0:14)右はエリオットの妻

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(1:34)今回の曲調は、先程とは売って変わって、スローテンポ。
しかも、背中が弓のように曲がるだの、
口が猿の様になるだの、阿片の害毒を訴えるものに変わっています。

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(1:41)最初はご満悦だった従業員も、顔色を変えます。

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(1:44)客は顔を見合わせ。

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(2:11)王引は反省。

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(2:38)阿片窟は、いたたまれない雰囲気に。

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(2:40)しかし中国語のわからないエリオット夫妻は、
何が起こっているのかわかっていません。

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(2:56)忠告しにきた従業員を黙らせています。

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(3:04)歌のフィナーレに、カデンツァを披露する李香蘭。

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(3:59)拍手を送るエリオット夫妻でオチを付けて、
2回目の賣糖歌は終わります。

この後、事情に分かったエリオットの妻が李香蘭を平手打ち。
(たぶん、映画「支那の夜」のパロディだと思います)
心を入れ替えた王引が助けに入るアクションシーンがあります。

更にこの後、阿片中毒の王引が阿片治療薬「戒煙丸」で全快。
喜んだ李香蘭が、夜の山のセットで「戒煙歌」を歌うシーンがあります。
こちらも賣糖歌に負けないくらい美しいシーンなので、
見たい所ですが・・

昭和14年の李香蘭「5月2日訪日宣誓記念日と陽春小唄」

訪日宣誓記念日
5月2日は、かつての満州国では「訪日宣誓記念日」として、国民の祝日になっていた。
昭和10年、皇帝溥儀が第一回目の訪日してからの帰国後、
『満州の各学校に天皇の御影と即位詔書を飾る』等の内容が書かれた、
「回鑾訓民詔書」が宣布された日を記念して作られた祝日である。

満州の国民教化組織である協和会は、
『全満州国民がこぞってこの良き日讃え、
団結の心を養うよすがにもと舞踏、「陽春小唄」の普及を計画』【1】。
新京の大同公園、児玉公園(現在の勝利公園)にて満映女優が協力して
一般市民が「陽春小唄」を踊る、祭りの様なイベントが開かれる事となった。

このイベントには4月7日テイチク杉並吹込所で満語版レコードを吹込み、【2】
映画「東遊記」で主題歌「陽春小唄」を唄った
李香蘭も参加が予定されていた。
 

李香蘭のレコードは本人より先に満映に届けられた。
4月18日の新京の寛城子撮影所では、
イベントに向けて李香蘭のレコードを聞きながら振付の練習に励む、
満映女優達の様子が伝えられている。【3】
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一方「東遊記」のロケが行われていた東京では雨の連続で
撮影が長引いてた。
日比谷のビルの屋上で「陽春小唄」を唄うシーンと
東宝砧スタジオで李香蘭の出番が終了した日は、
イベントを1週間後に控えた4月25日。
イベントに間に合わないかもしれないと、
関係者は随分心配した様である。【4】
2016年10月21日(Fri)17時31分28秒

盆踊りとの類似点
さて「陽春小唄」の振付は、雑誌「満州映画」昭和14年6月号に掲載されている。
大体のイメージは複数の人間が輪を作り、踊りながら円を描く様に移動する。
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東京音頭の振付

つまり、日本の盆踊りと同じである。
大きな違いは盆踊りが反時計回りであるのに対して、「陽春小唄」が時計回り
である事だろうか。
 
映画雑誌に詳細に振り付けが描かれている事を考えても、
「陽春小唄」はダンサーが舞台の上で踊る事を目的に作られた歌ではなく、
一般人が踊る為に作られた歌なのだ。
そしてこの時代に一般の日本人が踊る歌と言えば、盆踊りである。
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戦前の日本では「東京音頭」が大流行しており、各地で替え歌レコードが
発売されていた。
その人気は日本国内だけにとどまらず、「満州音頭」(昭和9年)
「朝鮮音頭」「台湾音頭」もある程。
KING OF ONDO ~東京音頭でお国巡り~
盆踊り
ビクターエンタテインメント
2016-07-20


振付の類似点や日語版の「サーササーのよいよいよい」という
炭坑節の「さのよいよい」に似た合いの手からも分かる通り、
外地の日本人にも馴染深い盆踊りを “ 満州バージョンで ” という、
狙いが見える。
国策映画会社の満映が作った「東遊記」の主題歌として使われた
事も考えると、「あわよくば満州の中国人にも流行らせてやろう」、
という考えがあったのかもしれない。

なお振付は満州舞踏学校長の中山義夫
ウィキペディアによれば、バレエダンサーの草分けで、
民族舞踏の第一人者。
戦後も世界各国で舞台公演を行い、
ギリシャ政府文化功労章
勲五等双光旭日章を受章している。
盆踊りに加えて各国の民族舞踏のエッセンスが
入っている振付なのかもしれない。

日語版歌詞変更
「陽春小唄」のレコードは李香蘭の唄う満語版と、
楠木繁夫・美ち奴が唄う日語版の2種類があった。
イベント当日は満語版・日語版レコードが交互に使われる予定であったが、
イベントを約1週間後に控えた時点で、大きな問題が起きた。

というのも日語版の歌詞が
「いささかくだけ過ぎて 興亜春会にふさわしからず」【5】
という理由で非難が起きたのだ。

何処からの非難なのかハッキリしないが、満州新聞では
「この歌の製作に対して協和会参興(参与?)の点は
誤りににつき訂正」
と書かれている。
イベントを企画した協和会は、満州国民への宣撫工作、社会教化を
目的として作られた官制国民組織である。
「満州の国策に沿わない」という事で、
協和会のお偉方の逆鱗に触れたのかもしれない。

結局歌詞は改訂され、日語版レコードのイベントでの使用は中止。
楠木繁夫・美ち奴が吹き込んだレコードも、
訂正後の歌詞に変えて発売される事になった。

訂正前と訂正後の歌詞を掲載するので、ご覧頂きたい。
「陽春小唄」
作曲:永尾源 編曲:宮脇春夫
作詞:国分弘(日語版)劉盛源(満語版) 

一、木の芽萌え出て 春が来りや満州よいとこ 
さーさおいでよ さーおいで 杏の花盛り 

(訂正前)好いた同士お友達 心も浮き立つよ
(訂正後)亜細亜復興この地から民族協和して

サーササーの よいよいよい

二、国は広いし富んでるし 満州楽土だよ
さーさおいでよ さーおいで 

(訂正前)仲良く歌おうよ好いた同士の二人連れ 家庭を作ろうよ
(訂正後)宝を拓かうよ 東亜建設この地から 民族協和して

三、風は静かに日はのどか 若草もえてるよ
さーさおいでよ さーおいで 柳も招いてる

(訂正前)好いた同士の新夫婦 手を取り歩まうよ
(訂正後)東洋平和はこの地から 民族協和して

サーササーの よいよいよい

四、国は若いよ街へ出りゃ人は溢れてる
さーさおいでよ さーおいで 家を建てるよ

(訂正前)好いた同士の新家庭 楽しく暮らさうよ
(訂正後)世界再建この地から 民族協和して

サーササーの よいよいよい 
ちなみに映画「東遊記」で「陽春小唄」が唄われるシーンの
字幕スーパー(おそらく昭和15年の日本公開版)では、
訂正前の歌詞がそのまま使われている。

  イベントの内容?
残念ながら5月2日のイベント当日の様子を伝える資料は
現在の所見つかっておらず、
李香蘭が本当に参加したかどうかは不明である。


ここであくまでも想像になるが、盆踊り大会の定石を基に
イベントの様子を考えてみたい。

まずイベント会場の中心に満映女優が集まり、
その周りに観客が円を描く様に集まる。
「陽春小唄」のレコードが流れるや、お手本として満映女優が踊り出す。
観客は満映女優の踊りを横目で見ながら、
何曲も何曲もぐるぐる回りながら踊る。
基本的に盆踊りはこの繰り返しである。
 
李香蘭が参加するとしたら、ミニコンサートの様な感じで
数曲歌う事になるだろう。
当然「陽春小唄」は歌うだろうし、
「何日君再来」、「満州娘」といった先月の大東亜建設博覧会で歌った
有名曲のナンバーが使われる可能性は高い。
それに愛国調の戦時歌謡を数曲といった所。

昭和14年の李香蘭А崑臈谿〃設博覧会」

「陽春小唄」以外にも、舞踏音楽系のレコードで踊ったかもしれない。
先程紹介した東京音頭の替え歌「満州音頭」であるとか、
イベント2週間前の「満州新聞」昭和14年4月15日夕刊には
「国都音頭」(作曲:古関裕而 作詞:藤出虎雄)という歌の
振付が掲載されている事から、
この歌が流された可能性はある。

メインテーマ(「陽春小唄」)でフィナーレを迎えた後、
拍手で終わるのが盆踊り大会の定石である。

余話「満州娘」とレコード検閲
「陽春小唄」のイベントが開催された前日、5月2日夕刊の
満州新聞でヒット曲「満州娘」が内務省検閲課を怒らせた事が報道されている。
(当時の夕刊は明日の日付で発売されていた)

この歌は「王さん待ってて頂戴ね」と、問題作「忘れちゃいやヨ」にも似た
歌詞があるとして検閲で問題になっていたが、
*参照⇒
渡辺はま子「忘れちゃいやヨ」
「派手な宣伝とラジオで流さない」という条件で、
発売を許可されていた。


それが歌手の服部富子が佐世保海軍病院を慰問した際、
「満州娘」を唄った様子がラジオで放送された件が
問題になったのだ。
 
当時は流行歌だけでなく、恋愛をテーマにした映画のメロドラマも
時局に反するものとして検閲で問題になった。

平手打ちの謎・8 「映画検閲とメロドラマ」
「陽春小唄」の日語版を問題にした部署は、レコード検閲を担当している
内務省検閲課では無いだろうが、
表現の規制が厳しくなっている時代の雰囲気があってこその
出来事だったのだろう。

「満州新聞」昭和14年5月2日夕刊より〜
自粛が足りぬ流行歌レコード 満州娘 検閲踏みつけ
最近流行歌のレコードが一般に緊張味を欠き、時局に処して大衆を指導すると
いう精神を忘れ去った卑俗な流行歌が現れ初めて心ある人々を??
させつつある折柄「王さん待ってて頂戴ね」で知られるテイチクの
石松秋二作詞、鈴木哲夫作曲で服部富子が唄っている「満州娘」を
巡り業者間のレコード製作態度につき
事変当初の緊張状態の再認識が強く要望されるにいたっている。
即ち内務省検閲当局では「満州娘」の発売に際して、誇大な宣伝や放送等をしない
という条件を付して製作を許可したところ発売早々このレコードは意外にヒットして
物凄い売れ行きを示し始めている。しかもテイチクでは今月初旬、佐世保海軍病院
慰問演芸で、これを服部富子に歌わせたがその際、先の発売条件に関わらず
この歌は舞台中継により全国に放送されてしまった、そのため検閲当局の意向は
全然踏みつぶされた形となり、早速放送協会に対して厳重な抗議が行われた
と言われこの種の事実に鑑み今後当局の流行歌レコードに対する検閲には
一層の慎重さが加味されるものと見られるにいたったものである。

参考資料
【1】「満州新聞」昭和14年4月26日夕刊
【2】「何日君再来/山口淑子(李香蘭) 」CD解説書
【3】「満州新聞」昭和14年5月3日夕刊

【4】「満州日日新聞」昭和14年4月20日夕
【5】「満州新聞」昭和14年4月29日夕刊

昭和14年の李香蘭(0)「正月の李香蘭」

昭和14年正月の李香蘭だが、接待の様なものだろうか。
映画館のアトラクションに出ていた日本人俳優の宴会に、
他の満映女優と共に駆り出されていた。

当時の芸能人にとって正月は稼ぎ時なのだが、
まだ無名の頃という事もあって、どこの舞台にも
出ていなかったような感じである。

1月2日東宝勢
「満州映画」昭和14年2月号より〜
お正月早々、新京・帝都シネマの舞台よりファンへお見見得の東宝勢三たりは、
1月2日夜を国都飯店の支那料理に・・・。
宴?となるや、伊藤「釜さん、一つ何か」、釜「いや、どうも・・そ・・の」尻込みするを、
沢村貞子「うちの人は却々こんなとき羞み屋で駄目でございますのよ」
と賢妻ぶりを発揮する。近藤「五反田仕込みを知っていますよ!釜さん!」
に舊悪露見ぐっと衝かれるものあったか、「では一つ」。流石は釜さん都都逸を
きかせれば、そのお礼が李香蘭の満州語小唄。次のお鉢は、中島大尉の美声と
四面よりの猛攻にあったが、さすがは干城、却々落ちるとも見えず、
その頃、東宝勢、夜の部出演の時間迫り、解散。

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中央は「支那の夜」や「東遊記」で共演した藤原釜足、右端が李香蘭

1月7日新興勢
「満州映画」昭和14年2月号より〜
こちら正月5・6・7の銀座キネマ(新京)で、
森静子・高山広子・雲井八重のオール女軍。
催し物は本調子・日本舞踏で、舞台衣装のピカピカ光る重たいものを搗けながら
いとも軽やかに踊りまくるのには、寒さに鍛えられた満映演員さん達の心臓にも、
おののいたそうである。

おまけに一日四回の出演ときて、新京市内すらロクロク見物できず、
お気の毒。写真は七日午後、小谷野すぐ横の茶房・ニュー銀座へ、
寸暇をネラって、おびき出し、出されした一団。
新興さんが前記三女性に高橋企画部長(京都)、
満映さんは李香蘭・張敏・孟虹(他)

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