「李香蘭と支那の夜 〜名曲・蘇州夜曲の謎を解く〜」

かつて多くの国で愛された、日本の歌と映画がありました。 現在「国策映画」だと誤解され、マイナスイメージの多い「支那の夜」が再評価される事を願ってブログを作っています。 現在は「李香蘭」の歩みを昭和12年から順に書いています。 更新のペースは月一の予定。

昭和14年の李香蘭「 冤魂復仇  ” 邦人館上映」

この当時、満映の劇映画は通常、日本人相手に上映されることは無い。技術的にも未熟な満映の作品は「つまらない」「商売にならない」と思われていたからだ。

あったとしても試写会や、「アトラクションと映画の集い」(昭和14年1月・新京)、「満州映画祭」(昭和14年3月・奉天、大連)といった、イベントでの上映に限られる。
昭和14年の李香蘭 屮▲肇薀ションと映画の集ひ」

そんな状況の中、商業目的として、初めて満州の邦人用映画館で上映された満映の劇映画が、李香蘭が出演した「冤魂復仇」である。
昭和14年の李香蘭「冤魂復仇」前篇
満映作品が全満に先駆けて大連で日本人に初御目見え・・尤も本社主催の満州映画祭で公開はされたが常設館で封切られるのは、九日(新聞広告では八日)中央館で封切られるのが正真正銘のはじめて
引用「満州日日新聞」昭和14年8月8日朝刊より〜
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引用「満州日日新聞」昭和14年8月3日朝刊より〜

大連の中央館では8月8日〜。
新京の長春座では8月23日〜28日上映。

いずれも3本立てで、中央館の同時上映は
「とらんぷ譚」サッシャ・ギトリー監督 徳川夢声(声の出演)
「良人の価値」大庭秀雄監督・水戸光子主演
新聞広告のキャッチコピーは『日満仏異色プロ三本立て』
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長春座の同時上映は
「良人の価値」大庭秀雄監督・水戸光子主演
「国境」崔虎奎監督・金素英主演
新聞広告のキャッチコピーは『内・鮮・満映画祭』
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また京城、奉天からも上映希望の申し込みがあったという。
引用「満州日日新聞」昭和14年8月3日

中国人専門の映画館で封切られたのが2月だから、それから半年も経っての再上映となる。おそらく幽霊が出てくる  お化け映画   ” だから、8月には丁度良いと判断されたのだろう。
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この映画は当時の満映作品としては珍しく日本人相手に上映される事が多く、先に紹介した満州映画祭や、キネマ旬報主催の試写会(評判は散々だった様だが)
引用「映画と音楽」昭和14年9月号50p
昭和14年の李香蘭ぁ嶂雄寡仇」後編 映画の評価
また「大東亜建設博覧会」(西宮市にて昭和14年4月〜6月開催)でも上映が予定されていた(実際に上映されたかは不明)
昭和14年の李香蘭А崑臈谿〃設博覧会」

デビュー直後の李香蘭の出演作は「東遊記」が有名だが、新京の邦人用映画館、帝都キネマでの封切りは昭和14年10月22日。日劇での日本初の封切りは昭和15年2月7日と、比較的遅かった。
意外にも「冤魂復仇」が「白蘭の歌」以前の代表作だったのかもしれない。

「音楽劇・魔都夜曲」

※注意※ 李香蘭の登場シーンと第一幕の最後をネタバレしてます。

現在上演中の舞台、「音楽劇・魔都夜曲」を観てきました。

昭和14年春の上海を舞台に、実在した日中ハーフの女スパイ・テンピンルーと、総理大臣近衛文麿の息子・近衛文隆をそれぞれモデルにしたキャラクターが主役。更に甘粕正彦、川島芳子、服部良一(モデル)、李香蘭という歴史上の人物まで登場するという、当時の上海に興味を持つ者物ならば興味を引かざるを得ない、この舞台。

現実とはストーリー展開や設定も違っていて、「ファンタジー」として、とても良い舞台だと思いました(ファンタジーといっても、魔法や魔物は出てきませんが)

李香蘭の登場シーン
李香蘭ファンの私にとって最大の注目は、李香蘭がどの様に舞台で扱われ、どんな歌を唄うかでした。李香蘭の登場シーンを箇条書きで書いてみましょう。

.献礇坤ラブに怪しい日本人の男が潜入。あちこちを探し回る。

店主が詰問すると、男は「お忍びで李香蘭が上海に来て、ジャズクラブの貴賓室にいるという情報を掴んだ。李香蘭の大ファンなので、合わせてくれ」と懇願する。
舞台上の李香蘭は「萬世流芳」が上海で上映された直後の様な、中国人も憧れる “ 大スター ” として扱われている。勿論現実の昭和14年春の時点では 李香蘭の知名度は殆ど無い。

G鮴鄒粁粥紛甕卻故瓦モデル)が自分の名刺と手紙を李香蘭に届ける事を提案。李香蘭に会えると、喜ぶ男。

い修海坊兵隊が登場。コミュニスト(共産党員)の容疑で、男を逮捕しようとする。

イ修海僕香蘭が登場。男を庇おうとするが、憲兵隊は意に返さない。すると川島芳子、更には甘粕正彦まで登場して男を庇う。相手が悪いと、退散する憲兵隊。

Π谿多瓦靴唇貽院ジャズクラブの女性歌手・字春(役者は劇団四季「李香蘭」で李愛蓮役の秋夢乃さん)が遅刻している為、代役として李香蘭が「蘇州夜曲」を唄う。

李香蘭の登場シーンは、これだけ。第二幕のフィナーレで少しだけ出てきますが、実質的な出番はほんのわずか。コンサートで言えば、スペシャル・ゲスト的な扱いをされています。

一つ残念だったのが、周紅花(テンピンルーがモデル)との絡みが無かったこと。

李香蘭とテンピンルー。

史実では出会うことが無かった二人で、どんな会話が交わされるのか興味がありました。でも、これでよかったのかもしれません。共通点があるからこそ、下手に描かない。(そういう意図があったかはわかりませんが) 他のフィクションではありがちな“ 悲劇のヒロイン ” ではなく、“ 大スター ” という、一面だけを切り取った扱いは、良いと思いました。 まあ単に、ダブルキャストになっている東京パフォーマンスドールの歌手二人の都合もあるかもしれませんが。

蘇州夜曲
舞台の李香蘭が唄った「蘇州夜曲」ですが、これも史実とは違う扱われ方をされています。まず作曲した人物は服部良一をモデルにした鹿取良治というキャラクター。作曲家ではなく、ジャズクラブ専属のピアニスト。ジャズクラブの女性歌手・字春に片思いをしており、彼女の事を想って作った歌が「蘇州夜曲」という設定になっています。実際の蘇州夜曲が出来たいきさつは、こちらをご覧ください。
「蘇州夜曲 誕生物語・1」 服部良一初めての中国
「蘇州夜曲 誕生物語・2」
「蘇州夜曲 誕生物語・3」

非常にストーリーに沿った使い方をされていますので、これも箇条書きで書いてみます。
〕香蘭が「蘇州夜曲」を歌うバックでは、ガーデンブリッジで日本人の恋人に振られ、悲しみにくれる字春の姿が。

⇒香蘭と字春は別れが暗示された歌詞をデュエット。

2里終わった後、字春は自殺未遂を起こす。

い修海剖遒栄佞韻深紅花と白川清隆の主役の二人。

イ海了点では恋人未満だった二人は、これをきっかけに燃え上がり、キスをして第一幕終了。

「蘇州夜曲」は幸せな二人の背後に、やがて来る別れが暗示された歌です。
(1)「一番・三番解説 桂蘭の心」
(2)「二番解説 長谷の心」
(3)「続・二番解説 桂蘭入水」

NHKの連続ドラマ「ごちそうさん」でも感じましたが、蘇州夜曲は普遍的なテーマがある、物語に使いやすい歌だなあと改めて思いました。
朝ドラ「ごちそうさん」で歌われた蘇州夜曲について

あともう一つ印象的だったのが、ジャズクラブに集った面々です。
客席に川島芳子、甘粕正彦、近衛文隆。ピアノを弾く服部良一と、蘇州夜曲を唄う李香蘭。役者が演じる舞台と言えど、夢のような様な光景でした。

余話 服部良一と近衛文隆
劇中での鹿取良治と白河清隆の絡みを見ていて、感慨深いものがありました。というのも、モデルになった服部良一と近衛文隆の二人は面識があったからです。

近衛文隆は帰国後、上海時代の活動を問題視され軍隊に召集されます。翌月の満州行を控えた昭和15年1月、二人は築地の酒の席で出会います。

「古川ロッパ昭和日記 戦前編」650pより〜
一月二十日(土曜)
(舞台が)ハネると、服部良一・京極と共に、築地秀仲へ。近衛文麿の道楽息子近衛文隆というのがシャムパンをやたら抜くやら、僕は服部良一をつかまえて議論するやら大さわぎ。

「古川ロッパ昭和日記 戦前編」654pより〜
昭和十五年一月三十日(火曜)
夕刻、築地の蜂竜へ、近衛文隆の入営送別会で行く。服部良一・原田・京極という顔ぶれ。近衛が、ディムプル(ウイスキーのディンプル)を一壜封を切って呉れ、飲む。うまし。市丸があらわれたりして、ただめちゃな賑やかさであった。

二人とも社交的で明るい性格だけに、気は合ったかもしれません。そして服部良一は一年後、テンピンルーをヒロインのモデルにした映画「上海の月」の音楽を担当。主題歌「牡丹の曲」「明日の運命」を作曲しています。

服部良一もまさかその時、築地で出会った青年の恋人と噂された中国娘をモデルにした映画の主題歌を作っているとは、思いもよらなかったでしょうね。

昭和14年の李香蘭「田村泰次郎との出会い」

昭和14年5月3日、李香蘭は新京を訪れた「大陸開拓文芸懇話会」の作家達と、
満映主催の晩餐会で出会う。
その中でも特に親しくなった人物が当時28歳の若手作家、田村泰次郎だった。

田村泰次郎は翌年徴兵され、戦後、中国での従軍経験を基に、
ヒロインのイメージを李香蘭にして小説『春婦伝』を書く。【1】
小説は「暁の脱走」のタイトルで昭和25年映画化され、山口淑子本人が主演した。
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映画のロケ現場にて。中央が山口淑子。一番右が田村泰次郎。

友人として長く付き合いがあった二人が
初めて出会った日の出来事を、複数の資料を基に再現したい。

大陸開拓文芸懇話会
満州での開拓地視察を目的として結成された
大陸開拓文芸懇話会一行は昭和14年4月25日東京を出発。
京城、奉天で宿泊、5月1日〜3日まで新京に3日間滞在した。【2】

5月2日は李香蘭もイベントに参加した、満州の祝日「訪日宣誓記念日」。
昭和14年の李香蘭「5月2日訪日宣誓記念日と陽春小唄」
(先日、新しい資料が見つかったので、文末を書き直してます)

李香蘭と田村泰次郎が初めて出会った5月3日は、その翌日にあたる。

晩餐会
「大陸開拓文芸懇話会」一行は喫茶店で偶然、
「白蘭の歌」取材の為、新京に滞在していた久米正雄と出会う。
久米正雄の招きによって、
晩餐会が中央飯店で行われた。【3】
満映側からは、根岸寛一理事、マキノ製作部長、多くの満映女優が参加。
その中でも、作家達の注目の的となった人物が李香蘭だった。

「わが文壇青春記」田村泰次郎112pより〜
つらねるというよりも、満映では、李香蘭をこれから大いに売り出そうとして
色めき立っていることが、まざまざと感じられる、華やかな中心的存在であった。
私たちは、彼女にばかり話しかけた。

その李香蘭の向かいに座っていた人物が、一行の最年少で
李香蘭(当時19歳)とは一番年が近かった田村泰次郎である。


「精悍、無頼、朴訥、含羞などの入り交じった日本の文学青年」

と李香蘭は当時の田村泰次郎を振り返り、

「スクリーン・ステージ」1948年11月号より〜
初対面から彼女の映画女優らしからぬ、ちっともふっていない
茶目っ気ののある娘らしさに好感を持った

田村泰次郎は、次回来日した際の東京案内を約束している。

「李香蘭 私の半生」山口淑子・藤原作弥 新潮社114pより〜
「そんなに東京に興味があるなら、ぜひ一度いらっしゃい。
われわれから満映に話をしてみてもよい。大いに歓迎します。どこでも案内します。」
「ほんとうですか!」〜中略〜
「うけあいます。李香蘭が東京に来たら、まず私のパーティーに招きます」

日本の作家達との出会いは、彼女にとって新鮮なものであった様だ。

「李香蘭 私の半生」山口淑子・藤原作弥 新潮社113-114pより〜
緊張して話を聞いていたが、しだいにこれまで味わったことのない雰囲気に
心が現れる様な気持ちがしてきた。〜中略〜
「作家たちの都会的な話題に、これまでの私の世界にはなかった新鮮な何かが感じられた。
センスのある話術、ウイットに富んだ議論の応酬、巧まぬユーモア、
気の利いた会話にすっかり魅了され、
日本語の美しさを再発見した。
その夜、私はすっかり興奮して夢中になっていた。
そして、おそらくはくだらないことを根ほり葉ほり質問したに違いない。
〜中略〜
当時はまだお酒を一滴も飲めなかったが、
私は酔ったように「これから一所懸命勉強します。そして
偉くなります」と宣言し、久米正雄に対し、
「先生、私と競争しましょう」とからむような調子で言ったという。


馬車
2次会はキャバレーになり、
移動の馬車(マーチョ)では、李香蘭・久米正雄・田村泰次郎が相席となった。
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新京の馬車

すでに李香蘭の正体が日本人・山口淑子である事を知っていた久米正雄は
酔ったふりをして、「山口さん、山口さん」と、ひとりごとのように、
つぶやいたが、李香蘭は知らん顔をした。【5】

キャバレー
文学者達は李香蘭と一層仲良くなり、彼女のサービスに有頂天になった。
その中でもT氏は、李香蘭とダンスをした事を、日本への「手柄話」にしたそうである。【4】
(文学者達の中で、「T」と付くイニシャルは田村泰次郎しかいない)

既に日は変わり、「大陸開拓文芸懇話会」のメンバーが早朝出発する、
汽車の時間が近づいていた。

再会の約束とともに、李香蘭が歌った唄が「何日君再来」。

昭和14年録音盤

「李香蘭 私の半生」山口淑子・藤原作弥 新潮社115pより〜
「記念に何か一曲」と久米さんが言った。私は誠心誠意「何日君再来」を歌った。
田村さんは「僕ももちろんいつの日か再び満州に来るけれど、君こそ何日君再来。
近い将来、必ず日本に来てくれよ。約束だぞ。再見とは別れの挨拶だが、
再び会おうという約束の言葉でもある」
「ハイ」と私は、小学生のように素直に答え
「明朝、朝までお見送りに参ります」と言った。


李香蘭は同年「何日君再来」をレコーディングしており、
前回来日時の「大東亜建設博覧会」のイベントや、

昭和14年の李香蘭А崑臈谿〃設博覧会」
前日の「訪日宣誓記念日」のイベントでも唄っている。
どうやら当時の彼女にとって、「何日君再来」は持ち歌だった様である。


新京駅
その時午前一時をまわっていた事もあり、
『人気稼業の女優のとおり一ぺんの言葉』と聞き流していた文学者達。

「わが文壇青春記」田村泰次郎113pより〜
ところが、翌早朝、まだうす暗い新京駅のプラット・ホームで、
ハルピン行の汽車を待つ、私たちの前に、ロシア娘のように、
色あざやかなスカーツで顔をつつんだ、小柄な彼女の姿が現れた。
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ちなみに李香蘭の自伝【6】によれば、この時「翌朝午前五時」と書かれている。
昭和14年11月改正の時刻表によれば、朝5時台で出発のハルピン方面の便は
5時15分発徳景行のみ。
徳景から8時12分三樹棵行の便に乗れば、12時15分にハルピンに到着する。


「わが文壇青春記」田村泰次郎113pより〜
私たちは一せいに眼をみはった。
恐らく、その夜、彼女はほとんど眠る時間がなかったのではないだろうか。

汽車が出てからも、私たちはみごとに約束を守った彼女の事を、
皆、奇妙な熱っぽさにとりつかれて、いつまでも話しつづけた。


田村泰次郎は帰国後、
満州に李香蘭という素晴らしい女優ありと、
宣伝してまわったので、友人から冷やかされた。【7】


その半年後の昭和14年12月、「白蘭の歌」ロケで来日した李香蘭と
田村泰次郎は「再見」の言葉通り、東京で再会する。
その時のエピソードは、次の機会にしたい。

参考資料
【1】「李香蘭 私の半生」山口淑子・藤原作弥 新潮社345p
【2】「開拓地/植民地への旅」尾西康充4p 
【3】「大陸開拓」福田清人著47p
【4】「わが文壇青春記」田村泰次郎112p
【5】「映画とレビュー」昭和14年7月号
鈴木重三郎
【6】「李香蘭 私の半生」山口淑子・藤原作弥 新潮社115p
【7】
「スクリーン・ステージ」1948年11月号
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