李香蘭


かつて日本が中国やアメリカを相手に戦争をしていた時代。
アジアで人気を博した一人の映画スターがいた。
中国人・李香蘭を名乗る彼女はその美貌と美しい歌声・日本語と中国語を自在に操る語学力を
生かして日本の映画に出演。
支那の夜を含む大陸三部作により、日本で絶大な人気を集めた。

支那の夜ポスター☆本WS000287WS000263
劇中で支那の夜を歌う李香蘭


昭和18年、彼女が出演した映画「萬世流芳」、劇中で歌った「売糖歌」は中国や日本の支配地
となったアジア各国で人気を集める。
李香蘭は一躍、中国のハリウッドと呼ばれる上海映画界のトップ女優となり、李香蘭の名は
アジア全域に知れわたった。*8

萬世流芳☆本WS000023



彼女の歌った「夜来香」は今でもアジアン・ポップス
のスタンダードであり多くの歌手によってカバーされている。
http://www.youtube.com/watch?v=MN871t1uhBE
『夜来香』歌唱・費玉清
http://www.youtube.com/watch?v=Pj9azMIwBAI
『夜来香』歌唱・鳳飛飛
http://www.youtube.com/watch?v=sxRwr7npAY0
『夜来香』歌唱・テレサ・テン

また香港のトップスター・張学友(ジャッキーチュン)によって歌われた「李香蘭」、
はヒット曲となり、現代でもその名をアジアン・ポップスの世界にとどめている。
http://www.youtube.com/watch?v=i61YITESxkc&feature=related

その魅力でアジア人のみならず、映画・支那の夜を見たアメリカ兵までも虜にした李香蘭。
しかし彼女の正体は中国育ちの日本人・山口淑子であり、彼女は日本の国策によって
誕生した映画スターであった。

李香蘭は日本の大陸を宣伝するかのような映画や行事に日本人でありながら親日的な中国人
として参加。偽りの日中親善をアピールし、「五族共和」の国策を信じる大衆を喜ばせた。
しかしその彼女の欺瞞に対し、強烈なしっぺ返しを喰らわせた存在が「支那の夜」である。


支那の夜

渡辺はま子が歌唱した流行歌・支那の夜のヒットを受けて作られた映画・支那の夜。
この映画は日本軍によって家族を失った中国人・桂蘭(李香蘭)が日本人船員・長谷
(長谷川一夫)によって抗日意識を解かれ、彼を愛するようになるというメロドラマである。
この映画公開後、日劇を周囲を観衆がとりまいた「日劇七まわり半事件」で日本の李香蘭
人気は頂点を迎える。


中国でも上映されたが、長谷の平手打ちを受けた桂蘭が今までの
抗日意識を反省し、彼を愛するようになるという描写が日本からの侵略に苦しむ
中国人の怒りを買う。


長谷の平手打ちWS000010


殴られたのに相手にほれこんでいくのは、中国人にとっては二重の屈辱と映った。
その行動様式を、侵略者対被侵略者の日中関係におきかえてみた一般の中国人観客は、日本人
のように一種の愛情表現としてみなして感動するどころか、日本人に対する日頃の憎悪を
いっそうあおる結果となったのである。
「李香蘭 私の半生」 山口淑子・藤原作弥著 新潮社刊138pより


中国人の友人からは責められ、北京の記者会見で記者から
「あれらの映画は、中国を理解していないどころか、侮辱しているとさえ思われます。
 あなたは中国人でしょう? それなのになぜあのような映画に出演したのですか」
「李香蘭 私の半生」 山口淑子・藤原作弥著 新潮社刊272pより
と詰問される李香蘭。

日本と中国との間に挟まれた彼女は次第に、偽りの姿を演じる罪悪感に苦しむように
なっていった。

戦後李香蘭は「中国人でありながら、日本人に協力した罪」で上海での漢奸裁判で裁かれる。
日本人であることが立証され無罪とはなったものの、この映画は問題視された。*9

そして失意のうちに帰国した彼女を待っていたのはアメリカ兵におべっかを使い、
無理やり支那の夜を歌わせようと迫る日本人だった。*1

戦後アメリカでも人気が出た流行歌・支那の夜を李香蘭に歌わせようとコロムビアは
企画を立てたが*2彼女は「支那」という言葉を問題にしたためか、同社からレコードが
発売されることはなかった。*3

ベストセラーとなった「私の半生」を書く際・初めて映画・支那の夜を見た彼女は
「何故こんな映画に出演し、中国人女優・李香蘭として演技しなければならなかったのか」
と悔み、何カ月も眠れない夜が続いたという。



李香蘭と支那の夜

以上が李香蘭が山口淑子として著述。出版した3つの自伝に書かれた李香蘭と支那の夜の
関係である。

支那の夜はドラマやミュージカル等、「李香蘭」という女優の物語においては
常に「中国人の心を傷つけ、李香蘭を苦しめる」悪役として扱われている。
日中両国を愛し、その狭間で苦しんだ「山口淑子」という女性にとっては支那の夜は
トラウマのような存在であろう。
しかし同時に、李香蘭を語る上で外す事が出来ない、重要な存在が支那の夜だといえよう。
支那の夜を改めて再確認することによって、李香蘭についても新しい発見が
あるはずである。

さて、山口淑子の自伝から受けるイメージから、当初私は支那の夜をこのような存在である
と考えていた。

「愛好したのは日本人と一部のアメリカ人だけで、 中国人からは嫌われるだけの存在」
「日本の権力者が喜んだ国策映画」
「支那という差別用語を含む事から、中国人にはタブーである歌」

読者の方も大体このようなイメージなのではないだろうか
しかし、実際調べてみるとそれとは正反対の事例が多く、私は支那の夜に対す
る認識を大きく変えることとなった。その例を挙げてみたい。

・流行歌・支那の夜が戦中戦後アメリカやアジア一帯で愛好される。
、現代でも中国や台湾などで「春的夢」「中国之夜」「春之夢」 のタイトルで
 カバー曲が作られている
 
 
姚莉 - 春的夢
姚莉は戦中の上海・戦後の香港で活躍した人気歌手。
上海百代公司唱片より発売

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Theng Love 箏情満弦Vol:3 
演奏は古箏とMIDI  レーベルの経美国太平洋微音公司は中国・広州市に住所がある。  


・戦中の上海では中国人の間でも流行歌・支那の夜が流行しており、
 映画・支那の夜が昭和18年「春的夢」 のタイトルで再上映された際の観客の反応は
 非常に良かった。*4*5

・映画が太平洋戦争開始後、日本の支配地となった東南アジアのほぼ全域で上映され好評を
 集める。 李香蘭は映画雑誌で「崇拝の対象になりつつある」と書かれるほどの人気を得た。*6

・現在国策映画と思われている支那の夜は戦前の日本では国策映画とされておらず、
 むしろ国策を愚弄する映画だと思われていた。*7

・映画の製作者が国策的なストーリーの裏側に反戦・平和的なメッセージを塗り込めていた。


調査を続ける中、支那の夜が山口淑子の自伝からには書かれていない、
深い歴史を持った存在であることが明らかになっていった。



ブログの趣旨

これらの情報を知ったとき、私の頭は疑問でいっぱいになった。
何故中国人の中に支那の夜を愛好したものがいるのか。
どのようにして支那の夜が世界で広がっていったのか。
何故映画・支那の夜が反・国策的だと思われていたのか。
何故李香蘭はこれらの情報を自伝に書かないのか。
それらの疑問はすべて解けたわけではない。
むしろ謎は雪だるま式に膨らんでいった。
しかし、支那の夜を取り巻く歴史背景を学んだことで得たものは大きかった。

そして私は李香蘭と支那の夜が、多くの人々に愛されると同時に、
ある人々からは嫌われたという歴史。
当時の日本人の中国への憧れを投影した存在であるという共通点から、
両者は似ている存在なのではないのか、と思うようになった。

山口淑子の著書では李香蘭から見た支那の夜が描かれていたが、
当ブログでは逆に、支那の夜側から見た李香蘭を書いていきたい。

当初、私は蘇州夜曲がメインのブログを立ち上げるつもりだった。
しかし、蘇州夜曲に関連して調べるうちに、支那の夜が持つ奥深い歴史。
当時の人々が寄せた想いを知り、心を強く惹かれ
結果的に支那の夜をメインとしたブログを立ち上げることとなった。

私が「支那の夜に対する認識を改めた理由」として挙げた事例に納得できない方も
多いと思う。私自身本当なのか!?と何度も疑った情報なのだから
当然のことである。
私としても出来る限り、丁寧に解説をしていくつもりなのでお付き合い頂きたい


また私は戦前・戦中時代の流行歌が好きな音楽ファンである。
ブログの話題は音楽に時代背景を絡めたものが中心となる。

当ブログでは支那の夜の他に「蘇州夜曲」を特集。
それに関係の深い西条八十
、渡辺はま子、服部良一といった人物。
当時日本や中国などで作られた素晴らしい歌たちを紹介していきたい。
 

なお、このブログを見る際は目次のカテゴリから順番に記事を見て頂く事を
お勧めしたい。


参考資料

「李香蘭 私の半生」 山口淑子・藤原作弥著 新潮社刊 
136〜138p 147p 160p 264〜270p 272、273p
p334 p393、394p

*8「毎日グラフ別冊 李香蘭」毎日新聞社刊109p

*1
「戦争と平和の歌」 山口淑子著 東京新聞出版局刊 29〜31p
入国審査の米兵の通訳をしていた日本人の男が、私だけ別の場所へ引っ張って行って、そこにいた米軍将校に言いつけるのです。
「これ、有名な女優ですよ。いま「チャイナ・ナイト(支那の夜)と歌わせますから」こちらを向いて
「おいっ、歌え。この人たちは偉いんだからな。歌った方がいいぞ」
「いやです!」と首を振っても、しつっこく迫りました。見かねた将校がたしなめました。

*2
「読売新聞」 昭和27・2・23朝刊

*3
「「李香蘭」を生きて」
レコード会社は「支那の夜」の吹き込みを再三依頼してきたが、私は断った。
中国の人々は枝葉を意味する「支」という文字で祖国が呼ばれていることに
怒りを抱いていた。< 山口淑子 日本経済新聞社刊 60p

*4
「映画旬報」 昭和18年4月号 79P 中国人の映画眼 野口久光
われわれが「支那の夜」を上映した唯一つの動機は、日本でも一時流行歌界を風靡した
この映画の主題歌が、昨年(昭和17年)以来上海人に受けているということであった
          〜中略〜
「支那の夜」は大した好成績を想像せずに殆ど突然公開した。それが「ハワイ・マレー
(ハワイ・マレー沖海戦)」10日間の入場者数九千六百名に対し「支那の夜」は十三日間二万三千名という
圧倒的な成績である。「支那の夜」の如きひとりよがりの大陸映画が中国人に好感を興える筈がない。我々はそう信じ切っていただけに一応意外である。
          〜中略〜
私は三月末に再上映されたときにこの館で見たが、二度目、三度目の客が多いとのこと、しかし
歌の場面は矢張り大変な受けかたであった。

*5
「映画渡世・地の巻―マキノ雅弘自伝」 マキノ雅弘著 平凡社刊 139p
この通訳をやった男はどうも見たことがあると思ったら、神戸菊水館で楽士をやっていた
男であった。名前は忘れてしまったが。その男の話では「支那の夜」が大変当たっている
ということであった。
〜以下、ブログ主より〜
映画監督のマキノ雅弘が中国へ赴いたのは昭和18年3月以降で、この文章はマキノが上海に滞在している時のものである。

*6
「日本映画」 第9号 昭和19年8月1日発行28P
「支那の夜」は音楽歌謡の豊富さと、全体にみなぎる甘美な色調によって、南方いづこの地においても
大衆的な歓迎を受けたものであるが、この中の李香蘭は、彼らの崇拝の対象となりつつあるというのもその一例である。
   
〜以下、ブログ主より〜
支那の夜の上映は現在以下の国で確認されている。
タイ・ビルマ・インドネシア・フィリピン・ベトナム・シンガポール・朝鮮・台湾・香港・アメリカ

*7
「映画旬報」 昭和17年5月号37P
「支那の夜」は日本を離れる前から早くもコッピドクこづき廻されたのである。頽廃的で
反国策的であるという理由で・・・


*9「「李香蘭」を生きて」 山口淑子著日本経済新聞社刊114p
書記官が取り調べの経緯と戸籍謄本の信用性について読み上げ、要裁判長が言った。
「日本人であることが証明され漢奸容疑は晴れた。よって無罪」
木槌がトンと打たれた。しかしそこで閉廷にはならなかった。
「が、倫理上、道義上の問題が残っている。李香蘭という中国人の名前で「支那の夜」
などの映画に出演したのがいけない」
命がつながった安堵に混じって中国人記者団に謝罪したあのときと同じ痛みが私を襲った。
「すみませんでした」「葉裁判長が深いうなずきを返すのが見えた。