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福島高専ホープスの活動に対するものです。

諦めないこと

 毎夏の風物詩である甲子園が開幕した。甲子園は高校球児にとって目標であり、大きな夢である。高校球児にとっては、その後の人生さえも左右しかねない大きな存在である。
 この夏の甲子園に14年ぶりに出場した関東一高は、春の選抜では準優勝の経験もある強豪である。この関東一高には、私が高校の監督時代に練習試合でお世話になったことがあった。特に私自身でつてがあった訳ではなく、市内のある指導者の紹介を受けてのものだった。
 「関東一高の監督が後輩だから紹介するよ。練習試合をやって勉強してみたら。」そんな内容だったと思う。私は正直に「うちのチームでは相手にならないよ。相手に迷惑になってしまう。ありがたい話だが・・・」と切り返した。すると「監督がそんな想いでは子供は育たないよ。ぼろ負けしようが、子供達が悔しいと思えばいいんじゃないか。」を叱咤された。
 そんなやりとりの上に実現した練習試合であった。素晴らしい練習施設に野球部寮、全国から集まってくる選手達・・・どれをとっても斬新に感じた。試合の結果は控え組に大敗。予想通りとなった。
 私自身、今振り返ると、短い監督生活ではあったが、思い出に深く残っているやりとりだった。「監督がそんな想いではだめだ!」その言葉が脳裏に残った。
 物事、諦めたらそこで終わり。選手を信じ、夢を見なければ叶うはずもない。人生の先輩方にこんな話をしたら怒られるだろうが、歳を重ねる毎に諦めたり、心が折れかかりやすくなってきた。自分の力や能力がいやおうなしに解ってきたこともあるだろうし、世間が垣間見えてきたこともあるのだろうが・・・
 最近、いろいろあると監督時代の経験を振り返ることにしている。諦めない。夢を持つ。今を頑張る力とするために。

母校の結果

夏の高校野球も本日で3回戦が終了した。いわき勢は3校が残っているが、このシーズンになると母校愛というか愛校心が、ひときわ強くなると思う。誰もが少なからず自分の出身の学校、関係する学校の結果は気になるものだ。
 私も母校である高専の試合には気になるというよりも、胃が痛くなる思いでスタンドから見入ってしまう。今夏は残念ながら初戦で敗れてしまったが、ひいき目で見てしまうのか、本当によくやった子供達だったと思う。高専の試合は野球の神様の悪戯なのか、8回途中で雷雨中断となってしまった。しかも点差はあり、敗色が濃厚な雰囲気は確かに感じられた。そんな中、2時間半の中断をはさみ試合は再開した。
 結果は、中断前からそのままの結果で試合は終了した。私は2時間半の間、スタンドからベンチの選手達を見ていた。「どんな心境なのか?」例えば試合の序盤であれば、また雰囲気というか話す内容も違っていたと思う。試合の形勢が決まりつつある終盤での中断。選手はどんな思いであったのか・・・私がもし監督でベンチに居たらどんな言葉を掛けていたのだろうか?自問自答しながらスタンドから見つめるしかなかった。
 翌日の見ると、自分なりの疑問が解決した。「グランド整備をしていただいた方に感謝です」自分達の結果より、試合を最後まで続けさせてくれた環境への御礼の言葉だったのだ。私は少し誇らしさを思えた。僅かながらでも、一緒に野球をやった子供達がこんな気持ちでベンチで試合を待っていたのかと思うと、うれしかった。
 「感謝を体感する」ことを選手達は味わったのである。『感謝』という言葉は良く耳にする。私自身も数年前までは「感謝」という言葉を使っていても、自分自身の中では曖昧であった。しかし、バス火災事故など様々な出来事を経て、「感謝」の意味が分かり、「感謝」というものを味わえた。感謝を体感したからこそ、感じられたものだと思う。同じような事を今年の選手達の感じたのではないか。
 野球の神様の悪戯というか導きで、野球から人間成長のための人間力を身に付けた選手達はこの先、どんな大人になっていくのだろう・・・他では味わえない出来事を味わえた3年間の高校野球人生。高校野球をやっていたからこそ、見えた世界、味わった感情があったはずだ。
 私としては、この選手達にいつまでの野球を続けてほしいと願っている。勝ち負けの世界は勝負事である以上、不可欠である。しかし、これからの野球は人生の教材となったり、自分の世界を広げるために必ず役に立つものになる。素晴らしい体験をした選手達に心から拍手を贈りたい。

高専の5年生と小学5年生

 7月に入り、野球シーズンも真っ直中である。来週からは高校野球も始まり、野球ファンもそうでない人も母校の結果に一喜一憂する季節となった。
 この週末も市内、市外で各世代の大会が行われている。そんな中、私は今日は母校の試合を観に行った。母校は高専であるが、高校野球ではなく、高専大会である。高専は1年生から5年生までおり、その内1年生から3年生までは高校野球の大会、4年生と5年生が高専大会に出場できる。今日は4年生と5年生による大会であった。東北地方の7校による大会だが、一般的にはほとんど知名度もなくスタンドにも関係者の姿しかなく、閑散とした中、試合は行われていた。
 残念ながら母校の福島高専は1回戦で敗れ、選手達にとっては学校生活最後の試合となってしまった。この試合で野球を辞めるもの、就職して引き続き、草野球を続けるものと野球への携わり方は、選手まちまちであるが、すべての選手に一抹の寂しさはあると思う。「野球はやりたいときにやれるもの」というのは学校生活までという人も多いと思う。就職すれば仕事に追われ、肉体的にも精神的にも野球をやりたくてもやれなくなってしまう人も多いのではないか・・・
 今日は確かに、学生最後の試合となってしまったが、人生最後の野球の試合にはなってほしくない。就職して野球ができない、やりにく環境であっても、いつしか余裕ができたら野球に携わってほしい。選手でなくても大いに結構。地域で指導者になって後進を育てることや、母校への恩返しができる人間になってもらいたい。野球は人生の教材であった高専での5年間。来春になれば5年間の野球から学んだ糧を活かして羽ばたいてほしい。
 今日はもう一つ野球の作り出す、子供の成長力の話をしたい。
以前、小学野球の決勝戦でタイムリーエラーをした5年生の話をした。チームでレギュラー中、唯一の5年生であり、エラーの後遺症というか、その後のこの子の頑張りが私は非常に気になっていた。あのエラーがプラスに働いたのか、マイナスに働いたのか、指導者目線で観ていると非常に関心があった。
 そんな中、うれしいニュースが飛び込んできた。小学野球の2大大会の一つである大会が本日、山形で行われていた。優勝すれば札幌ドームで行われる全国大会に出場できるのである。そんな大一番で、先に述べた5年生が決勝のスクイズを決め、チームを優勝に導いたとのことであった。
 想像するにどんな気持ちでバッターボックスに入っていたのだろうか。自分におきかえてみると弱気の虫が頭の中をちらつき、余裕を持って立てていないような気がする。しかし無死満塁からの3球目、見事にスクイズを決めたそうだ。無死満塁からのスクイズはダブルプレーもあり得る。監督からのサインを受け、スクイズを決めるまでの数秒間、そんな気持ちでいたのか。
 私の想像を遙かに超えた強い精神力の持ち主だったのだろう。大きなエラーを最大限のバネにした結果が執念のスクイズになったのであろう。
 エラーが育てたこの勝利、エラーが大きくしたこの選手の成長、エラーが子供の心を強くしたのだ。この選手の野球人生はまだまだ長い。来年、5年後、そして10年後、どんな選手になっているのだろうか。どんな選手になろうとも先のエラーこの子にとってはプラスのエラーであると思う。
 今日で最後の野球の日となった高専の5年生、今日の勝利が更に野球への魅力にちながったであろう少年野球の5年生。どちらも同じ野球が生み出した心の感情である。寂しさも喜びも野球はいろいろ味わえ、体感できる。そんな野球の奥深さをしみじみ感じた。

審判冥利とは

 先日ある審判員の方と立ち話をした。この方は審判を始めてから30年近くが経つという。私が生まれた頃から審判をしていることに凄さを感じた。野球は審判がいなければ始まらないスポーツだ。
 ここ最近、審判員の高齢化が叫ばれている。野球人口が減っているというのも一つの要因かもしれないが、私が考える決定的な理由は、『大変な役目』だからだと思う。大変な役目とは、
●ボランティアで毎週のように試合があり、自分の時間がなくなる。
●ジャッジで抗議を受けたり、野次を飛ばされる。
●役割としての楽しさが見出せない。
である。当然この他にも、審判員が減っている理由はあると思う。審判に限らずとも、ボランティアで他の人のために何かをやるという気運が、昔に比べて希薄になっているのは野球界だけではないわけだし・・・
 私は、話しをした審判員の方にこんな質問をした。「大変な審判を30年やってきて審判冥利だと感じたことはなんですか?」と。
 審判の方は、少し頬をゆるめて「選手の最高の表情の瞬間に立ち会えることだね。」と言った。審判である以上、私情は捨てて、目の前に起こっているプレーを正確にジャッジするのが審判道義である。そのジャッジの先に待っているのは、喜びか悔しさのどちらかである。その選手の表情を全身で感じられる。それが審判冥利なのだと言う。
 「審判をやっていて、何回も辞めたいと思ったことがあったよ。自分が自信を持ってくだしたジャッジで、極端に言えばその選手の野球人生も変えてしまうこともあったと思う。そんなプレッシャーで自分を責めたこともあったし、抗議や野次で自分を見失うこともあった。人間は間違える動物だと言いながらも、審判だけは許されない。苦しいときが山ほどあったよ。」
 深い言葉だった。自分に同じ事ができるかと自問自答したときに、出来ないだろうなぁと感じるほど30年の時間は長いものだった。
 IBCに携わって約半年の私ですら、いろいろな方の意見や要望などで自分を見失い掛けたこともあった。心が折れそうなこともあったし、耳にしたくないような声も聞いてきた。しかし、もっともっと険しい道を歩んできた野球人もたくさんいることに気が付いた。
 「審判なくして、野球は成り立たず。」「選手なくして野球も成り立たず。」何がなくなっても成り立たないわけで、改めてIBCの意義を感じた部分もあった。すべてに役目があるわけで、IBCの役目を自分に再度言い聞かせた一日となった。 

プレゼントのグローブ

 今日は、ホープスの活動中に大変お世話になった、菊田クラブの川辺監督と久しぶりにお会いし、食事をした。思い起こせば、ホープスを立ち上げ、日本野球連盟に加盟申請をしている最中、同じいわき市内の社会人野球の先輩チームとして、監督として大変お世話になった方である。ホープスの加盟が学生チーム単体では前例がないと、加盟に時間を要した際にも心強く支えていただいた。
 また、ゴールデンゴールズいわき大会の際にも、人生の先輩、野球人の先輩である川辺さんに、大変協力をいただいた。私の方が年下であるにもかかわらず、大会成功に何もかもお世話になった方である。
 出身高校も違えば、会社も違う、近所に住んでいるわけでもなく、野球が結びつけてくれた縁が今でもありがたいことに続いている。今日は久しぶりの野球談議に4時間付き合わせてしまった。
 その4時間でいろいろな野球の話をした。その中で最も私の記憶に残ったのは、ある小学生の男の子の話だった。ゴールデンゴールズいわき大会の収益金でいわき市内の子供達40組を夏休みに東京ドームに招待した。その際、バスに中でクイズ大会を行って1位の子供にはグローブをプレゼントしたのだ。その時、誰が当たったのか、私は記憶に無かったが、なんと川辺さんの知り合いの子供が当たり、今はそのグローブを使って野球をやっていると聞いた。その他にも先日、やはりドームに招待した子が地区のソフトボールチームに入ったというメールをいただいた。
 どちらも嬉しい話題だった。しかも川辺さんは知り合いの子のグローブを見て、手入れをしていないことを叱ってくれたと言う。そしてお互いの昔話になった。今もそうであると思うが、私が子供の頃は自分の道具に非常に愛着を感じていた。毎日練習が終わるとグローブを磨き、スパイクを磨き、やっとそれで一日の練習が終わった感覚があった。今では、少しカビくさくなってしまったが、子供の頃の手入れをしたグローブは捨てられずにいる。捨てられるはずがない。思い出がたくさん詰まった宝物なのだから。
 プレゼントされたグローブであっても、いつの日か自分だけの思い出が詰まった宝物のグローブになることを願いたい。

学童決勝戦から

 昨日は、学童野球福島県大会の決勝が行われ、いわき南野球スポーツ少年団が初優勝を遂げた。ご存じの方も多いと思うが、このいわき地区の学童野球は全国レベルの強豪チームが存在し、非常にレベルが高い。技術面のみならず、保護者、OBのスタンドからの応援も含めて、学童野球をあまり知らなかった私には驚くことばかりだった。
 小学野球でここまで子供達を追い込み、究極の達成感を味わい、保護者までもがチームと一体感となって戦っている。「小学生のうちから・・・」と揶揄する人もいるだろう。考え方は様々で、自分の知らない世界の話しは肯定しにくい。だからこそ、いわきベースボールコミュニケーションを立ち上げ、活動する意義を感じているのだが・・・
 私の立場では、どの団体の活動も肯定も否定もしないし、どの団体、どのチーム、どの子供達も野球を愛し、野球をプレーしていることだけはなのだから。
 話しは、学童野球の決勝に戻るが、スタンドから観ていて、久しぶりに鳥肌が立った試合だった。グランドの外から観る野球は実に視野が広く見える。監督時代には気が付かなかった感覚がスタンドからは感じることが多い。
 この試合も両監督の駆け引き、子供達の考えを自分なりに考えながら見入ってしまった。緊迫の決勝戦は同点のまま、延長に入った。小学野球は延長戦が促進ルールと言われる特別延長方式で、無死満塁から攻撃する。いっけんチャンスに見えるが、攻め手としては、特に監督としては策が難しい。
 先行のいわき南は7番バッターから、後攻の常磐は1番バッターから、また先制したいわき南に対し、試合終盤に追いついた常磐。延長が始まる前までは、明らかに常磐有利の流れだった。
 8回表のいわき南。先頭バッターは7番の小柄な子だった。私はまずいわき南の監督を見た。どんな指示をだすのか?というよりは、もしかしたらピンチヒッターなのかと思ったからだ。その複線としては、同点の6回、結果としては0点に抑えたのだが、1死3塁のピンチがいわき南にはあった。先頭のサードゴロを三塁手がはじき、無死2塁になったのだ。結局スクイズを試みた常磐だったが、投手前に転がったスクイズが正面をつき、本塁で憤死となったのだったが・・・実はこのエラーをした三塁手がこの7番バッターだったのだ。しかも5年生。周りが6年生の中、エラーも重なり表情が強張っているのが、見て取れたからだ。
 しかし、いわき南の監督は迷わず、笑顔でバッターボックスにこの三塁手を送った。無死満塁。勝敗を決する大事なバッターだ。
 打球は地を這うような鋭い辺りだった。しかし不運にも常磐のセカンドの正面に飛んだ。万事休す。ダブルプレーと誰もが思った瞬間、打球はセカンドの子の股下を抜け、右中間を転々と転がった。満塁の勝者は全員ホームイン。
 粘る常磐もその裏1点を返すが時すでに遅し。5対2でいわき南野球スポーツ少年団の勝利となった。
 エラーが決勝点となったこの試合。実はエラーしたセカンドの子も5年生だった。野球は筋書きのないドラマだと言うが、同じ5年生のエラーが勝敗を分ける格好となった。
 野球にエラーは付きものだ。誰も攻めるものはいない。だからこそ、エラーした本人は苦しいのだ。私にも同じ経験がたくさんある。悔しく眠れない日もあった。エラーがあったから、次の日からもっと練習しようと決心できたこともあった。エラーがあったから成長できた自分がいた。
 この二人の5年生はまた来年、対戦することになる。一年は長いようであっと言う間だ。また素晴らしい試合になることを願って、そして、エラーが二人を更に成長させることを願いたい。

子供達の将来の夢

 子供達の将来の夢は?ある保険会社のアンケート結果が新聞に掲載されていました。男の子の1位は野球選手。過去19年間の調査の内、実に13年は野球選手が1位だったそうです。Jリーグが発足し、サッカーブームだった頃は、サッカー選手が1位だったそうですが、昨今、大リーグなどの影響もあってか再び、野球選手が人気となっているそうです。
 しかし、プロ野球のテレビ視聴率が10%を切って、今ではナイター中継も数える程になってしまいました。子供は好きでも、大人になると興味がなくなってしまうのか・・・近年は、世の中に楽しいことはたくさん溢れています。よく昔は野球しかなかったからなぁ・・・と聞きます。ライフスタイルも多様化して、娯楽も数多くなってしまった昨今、野球の人気が下がったというよりも、興味を抱き、野球に触れる時間(ナイターを見る時間も含め)が単純に少なくなったということなのでしょうか。
 今、いわきベースボールコミュニケーションでは、野球人口の拡大、これから野球を始める、始めたい子供達への支援を行っていきたいと考えています。具体的には中学校から本格的に野球をやろうと思っている子供達への野球教室の開催、プロ野球選手と触れ合う機会の創出など、子供達に野球に興味を持ってもらったり、野球に取り組むきっかけを作りたいと考えています。昨年、元巨人の4番バッターである石井浩郎さんからこんな話しを聞きました。「秋田の田舎出身の自分が、長い間、野球を続けられたのは、小さい頃、秋田市で行われた巨人の試合に両親が私を連れて行ってくれたからだ。その時、フェンス越しにサインをねだったら、あるピッチャーに危ないから引っ込んでろ。と怒られてしまった。巨人の選手を見たのも、怒られたのもすべてが強烈な思い出だった。」と。
 野球に限らず、憧れの選手に会ったりすることは、何よりも貴重な経験となり、その後の人生に大きな影響を与えるきっかけにはなると思う。夢を見るのが子供達の仕事であり、夢を見る環境整備をするのが我々大人の仕事ではないかと思っている。
 いわきベースボールコミュニケーションの活動から、将来その経験から夢が実現になれば、幸いであるし、少しでも子供達の刺激になれば幸いである。

教え子達との練習

 ゴールデンウィークとなり企業のよっては長期の休暇となったところもあるようだ。ホープスの教え子達の何人かがいわきに帰省してきた。
 今日は私も久しぶりにグランドに顔を出してみた。すると昨年卒業したメンバーがグランドに訪ねてきた。見た目は「すっかり今時の若者」になっており、学生時代だったら、間違いなく叱られていたであろう長髪になっていた。
 今日の練習メニューが試合形式のバッティングだったので、私はバッティングピッチャーをかってでた。守備にホープスの教え子が4人。なんだか数年前にタイムスリップした錯覚を覚えた。どこか懐かしく、そして時間の経過を確実に感じた。マウンドから背後に目をやると教え子の顔が見える。
 確実に数年前よりも衰えている私の投げるボール。その打球を追いかける動きが散漫になっている教え子達。それ以外は同じ空気だった。相当な数を投げたが痛い体が心地よかった。
 バッティング練習を終え、一人の教え子に声を掛けられた。「楽しいですね。」現役の選手達から力強く放たれる打球に右往左往し、下半身がフラフラになっても戦友と一緒にグランドに立つことは楽しいということなのだろう。
 春季高校野球のいわき支部大会も始まった。母校の高専は1回戦を突破したが2回戦で敗れ、今度の土曜日に行われる県大会への代表決定戦にすすむことになった。
 今度の試合は、ホープスの教え子達と一緒にスタンドで応援しようと思っている。ホープスの選手達はこれまで多くの方々に応援されてきた。今度は応援する番だ。後輩達に勝たせてあげたいと願う気持ちが強ければ、グランドに立つ選手達の背中を押す風になるのでは・・・
 

小さな傷

 先日、ある記者の方とついつい野球談議となってしまった。話し始まってから約2時間が経ち、やっと野球談議の楽しい時間が終わった。私の話に2時間もつきあわせて知ったと、反省をした。
 2時間話すというのは、仕事であったり、きちんとした場では大変なことだ。しかし大好きなことであればあっという間である。昔、水道がない時代に井戸に人が集まって、話しに夢中になった様から井戸端会議という言葉が生まれたが、ここでは野球端会議とでも言うのだろうか・・・野球のあるところに人が集まる。そんな時間がたまらなく心地よい。
 さて、2時間も無為な話しばかりをしていたかというと、そうではない。私からの話しはほとんどが無為だが、相手の記者の方の話しは興味深く、私にとって有意義なものとなった。特に印象に残った言葉があった。その記者の方も高校時代野球部に在籍し、3年間甲子園という大きな目標を追っていた。しかしその記者の方は3年生になってもレギュラーになれなかった。当時、県内でも有数の実力校の野球部に在籍していた記者の方は中学時代はエースで4番。いわゆる大黒柱であった。中学時代、そんな栄華な環境にありながらも、高校では補欠で3年間の野球部生活を終えた。
 3年生の夏で引退した時、記者の方は実父からこんな言葉を掛けられたそうだ。「よく3年間やり抜いた。立派だった。」それまで誉められたこともなく、以後誉められることもなかったが、唯一、その時だけは心から誉められたという。父親として3年間補欠の息子を不憫に感じたこともあったであろう。辞めまいか。と心配したこともあったろう。しかし自分自身に勝った息子に父親は最高の賞賛の言葉を贈ったのだ。私も一児の父親の立場として、記者の父親の立場を考えたら、きっと同じ言葉を掛けるだろう。
 野球で補欠。そんな小さなこと。と思う人も世の中にはいると思う。しかし、18歳の心の中では、様々な葛藤と戦い、苦しんだと思う。レギュラーになれなかったことは心の中の「小さな傷」となったのかもしれない。しかし結果として、その先の人生の道標になったのかもしれない。「小さな傷」に耐えたことに父親はうれしく、我が息子を誇らしげに思ったであろう。
 昨今、この「小さな傷」に耐えられない子供達が増えている。保護者も「小さい傷」に一喜一憂する。「小さい傷」は自分自身で治すしかない。つまり自分でしか乗り越えられないのだ。大きな傷になる前に「小さな傷」を自らが乗り越える。乗り越えたときに、心から最高に褒め称える。こんな構図が私の理想の親子像だ。

マスターズ甲子園から

 今日の新聞記事に「マスターズ甲子園」の記事が載っていた。マスターズ甲子園とは、全国の高校野球OB/OGが、性別、世代、甲子園出場・非出場、元プロ・アマチュア等のキャリアの壁を超えて出身校別に同窓会チームを結成し、全員共通の憧れであり野球の原点でもあった『甲子園球場』で白球を追いかける夢の舞台を目指そうとするものである。
 福島県の予選には、福島商、日大東北、勿来工、安達、須賀川、保原、郡山、学法石川、磐城の9校が参加する。参加する選手の中には、日頃お世話になっている方もいるので、是非頑張ってほしい。何歳になっても「甲子園」というものは野球人にとって特別な存在なのだと思う。
 私は、一度だけ甲子園に試合観戦に行ったことがある。高校3年生の春休みだ。当時、私が通っていた高専は3年生の春休み期間に修学旅行が行われていた。最終日は自由行動で、野球部の仲間と甲子園に行ったのを今でも鮮明に覚えている。
 甲子園に向かう電車の車窓から、甲子園が見えたときの感動、駅を降り、つたに囲まれた甲子園の外周を見たときの感動、階段を駆け上がり、黒土と緑の芝生が目に飛び込んできたときの感動、どれもしっかり私の脳裏に焼きついている。「ここが甲子園か・・・」あの日から随分時間が経った。しかし、甲子園への憧憬は未だに持ち合わせている。監督を務めているときも「甲子園」という目標があったから、必死になれたのだと思う。
 18歳の目に映った甲子園。もし今見ることができたら、今の自分の目にはどう映るのだろうか・・・きっと18歳の時も今も感動と興奮は同じだと思う。ただ変わったのは、野球に対する感謝の気持ちだと思う。18歳当時、野球に感謝して野球をやっていただろうか?
 先の選抜にも出場した聖光学院の選手達からは、皆感謝の言葉が聞かれた。野球に対する感謝、両親、応援してくれる方々への感謝、チームメイトへの感謝。勝てる、勝ち続ける由縁がそこにあるような気がした。
 18歳の自分に一言、伝えることができるのなら・・・「野球に感謝」18歳の自分には伝えられない分、次の世代の子供達に伝えるのが私の役目だと感じた。
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