23区歴史walk(内藤新宿編)

前回、四谷の寺町の話の続きだ。
四谷四丁目を過ぎるとエリアは新宿に。
江戸時代、内藤新宿があった場所だ。
甲州街道にあったこの宿場は、必然的な立地に存在したにも係わらず
開設より20年で閉鎖、再開には50年を要している。
どうも、享保の改革推進中の吉宗さんの意に沿わなかったらしい。
これまでも、品川千住板橋と、現在の「江戸四宿」を周って来たが、
ここ内藤新宿の一番の違いは、道がデカイ事だ。
他の3箇所では、昔ながらの道幅に地元商店街というのが定番だった。
では、何が残っているのか?と言うところで関連史跡を見てみる。
高松喜六の墓 四谷の愛染院には、内藤新宿
開発者高松喜六の墓所がある。
内藤新宿の開設を幕府に申請し
許可されると、その後は、
この地で名主を務めている。
新宿歴史博物館には、内藤新宿の模型がある。
写真は、甲州街道と青梅街道が分岐する新宿追分付近。
宿場の終点にあたり、現在では、伊勢丹などデパートが林立している。
内藤新宿の模型
四谷大木戸跡の碑 反対側の入り口にあたるのが甲州街道と
新宿通りが分岐し明治通りと交差する
四谷四丁目付近だ。
「四谷大木戸跡」の碑が建っている。
石垣の間に木戸があったらしい。
江戸の出入り口であったと言う事だ。
また、ここには玉川上水の水道を
管理する水番所があったんだとか。

新宿御苑に来た。
ここは、内藤新宿の名前由来になっている
高遠藩内藤家の下屋敷がベースとなっている。
写真は、その内藤家の庭園の遺構「玉藻池」だ。
新宿御苑
「旧御亮亭」なる建物が建つ日本庭園もある。
新宿御苑
その内藤家の菩提寺が太宗寺で、内藤家の墓所もここにある。
中央が、内藤家5代目の勝山藩主内藤正勝のもの。
右は、13代目で、高遠藩最後の藩主内藤頼直、左が累代藩主のもの。
内藤家の墓所
左は、江戸庶民にも親しまれたと言う閻魔像。
右は、明治期のものらしい奪衣婆像。
太宗寺の閻魔像 太宗寺の奪衣婆像
最後は、内藤新宿の鎮守花園神社に来た。
尾張藩下屋敷の花園の跡地に建っているのだとか。
花園神社
現在、新宿のこのあたりは、デパート地帯、特に目に付くのは伊勢丹か。
写真では、伊勢丹、丸井の看板が並んで見える。
共に衣料品系のイメージが強いライバル企業だ。
だが、デーパートは現状、デパ地下以外、良いイメージがない。
衣料ともなれば、相変わらずユニクロの一人舞台か・・・
新宿
と、無理矢理株の話に持ってきたところで、
最後に、伊勢丹、丸井、2社のチャートを見てみる。
三越伊勢丹HDのチャート(1年週足)。
短期線がクロスしてきて、降下していた長期線が横向きになりつつある。
ただ、これで、底打ち上昇と言えるかは・・・微妙・・・
やはり、デフレを脱却しないとデパートは厳しい気がする。
伊勢丹のチャート
丸井のチャート(1年週足)。
だいたい似たようなチャート。
ただ、伊勢丹より状況悪そうなので、再び下降トレンド入りもありそう。
丸井のチャート
結局、まだ、デパート株なんか買わないって事だ。
そもそも、今は、株自体、放置してるけど・・・

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