ここは、浅草橋2丁目の江戸通りだ。 今日は、ここから両国に向かう。
通り沿いに、素盞鳴尊を祀る「須賀神社」がある。
創建が600年(推古天皇の時代)ともされる歴史の古い神社で、江戸名所図会に掲載されるなど一帯では、昔から知られた場所であったらしい。
江戸の地図には、「祇園社地 別当大円寺」とあり、明治の神仏分離により須賀神社と改称されたという。
須賀神社
須賀神社の絵馬。
須賀神社
江戸通りを浅草橋(神田川方向)へと歩く。
浅草橋1丁目に、「銀杏岡八幡神社」がある。
八幡神社では定番の源頼義・義家による奥州征伐が由来となっているが、なんでも、銀杏の枝を差して戦勝祈願したのだとか。
このあたり江戸の地図では、浅草福井町となっており、元々は福井藩松平家の屋敷があった場所に開かれた町であるという。
銀杏岡八幡神社
江戸通り沿いは、蔵前あたりから続く問屋街であるが、浅草橋と言えば人形問屋の町として有名だ。
中でも、有名な久月や吉徳は、江戸の地図にも記載がある老舗だ。
浅草橋
“吉徳”の店名の由来は、当主の名乗りであった吉野屋兵衞であるという。
地図で見ると、浅草橋1丁目のこのあたりは浅草茅町1丁目だったようで、 吉徳は、江戸時代時代から同じ場所にあるらしい。
ちなみに、久月は向かい側の浅草茅町2丁目にあり、元々は吉徳から暖簾分けされて出来た店なのだという。
浅草橋
浅草橋を渡る。
この浅草橋は、江戸の地図でも同じ場所に架かっている。
対岸には、浅草御門の記述があり、浅草寺へ至る要所として江戸城警備拠点の一つであった。
浅草橋
神田川を渡って、東日本橋2丁目に入る。
何やらビルの中に神社がある。
「初音森神社」は、創建が1330年頃(南北朝)と伝わる古社だという。
江戸時代、本所一ツ目に(墨田区千歳)に移転されたが、昭和になり、旧地であったこの場所に摂社として建立されたものらしい。
初音森神社
境内には、三日月の井戸の由来なるものが書いてある。
なんでも、関が原に向かう家康の代参で戦勝祈願に来た武将が神社の井戸水を乗馬と共に飲んだのだとか。
まあ、昔、縁起の良い井戸があったということらしい。
初音森神社
引き続き東日本橋2丁目。
薬研堀不動尊の幟が立ち並んでいるので行ってみる。
その昔、辺りには文字通り薬研堀という堀があったらしいのだが、今は影も形もない。 むしろ、七味唐辛子発祥の地として知られる場所だという。
薬研堀
その「薬研堀不動院」があった。現在は、川崎大師の別院であるという。
目黒不動・目白不動と並び江戸三代不動と呼ばれた名所らしのだが、 小スペースに縦長の境内・・・まあ、都心では珍しくないか。
そもそも江戸の地図で見ても、さほど大きなものには見えない。
当時は、通りの向かいにあったようだが、「薬研堀埋立地 薬研不動」とあり、
江戸時代にすでに埋め立てが進んでいた事が分かる。
薬研堀不動院
靖国通り沿いの両国橋手前に、「両国広小路」の碑が建っている。
現在、東日本橋となっている西側の広小路は、江戸でも屈指の繁華街であったという。 東側の広小路も勧進相撲が行われていた回向院の参詣客などにより賑わっていたようであるが、今の両国は、当時は本所であり、 両国といえば、この西側の広小路であったと思われる。
両国広小路碑
両国橋を渡る。
両国に入ると靖国通りは京葉道路に変わる。
両国橋
両国橋の袂に享保3年創業の猪料理屋「もゝんじや」がある。
江戸の地図では、両国橋がやや今より上流に架かっているが、当時も橋の袂(本所尾上町)に店名の記載が見える。 なんでも、獣肉を食べなかったという江戸時代に、“山くじら”と呼んで食べられていたものだという。

現在、5月場所開催中の両国国技館の前には行列が出来ている。
国技館
今回の目的地、江戸東京博物館に着いた。
この後、展覧会を観た話は、また、後日に。
江戸東京博物館

といったところで、今日は、浅草橋5丁目に本社を構え、今回、歩いた江戸通り沿いでも直営店を見かけた シモジマ の株をみてみる。
シモジマは大正9年創業の包装資材卸売メーカーで、 包装用品の他、店舗用装飾品、典礼用品、文具などを扱っている。
四季報の業績予想は「増益」。移転した新工場が本格稼働するのだとか。

シモジマ (2013/5/23)
東証1部(卸売業)
決算 3月(権利確定月)
株価 990円(100株単位)
PER 15倍
PBR 0.77倍
配当 22円(2.22%)
株主優待  100株以上    1,000円相当のクオカード
1000株以上   5,000円相当の自社取扱商品