寒くなりそうな予報だったが思ったほどでもなく、昼前に到着した川越は秋晴れが広がっている。 この街を歩くのも久しぶりだが、まずは、喜多院を中心とする寺社エリアに向かい、 中院の鐘楼前に来た。
中院
家康のブレーン天海僧正ゆかりの寺院として知られる喜多院は、一帯に勢力を張っていた名刹だ。 元々は平安時代創建の星野山 無量寿寺で、中院に対しての北院であったらしく、天海が喜多院で権力を持つまでは、名前の通りこの中院が中心的な施設だったという。
中院
隣にある仙波東照宮を素通りし喜多院へと向かう。
この厳島弁財天の池にはホタルが放たれているらしい。
厳島弁財天
このエリアでは、歴史的にも観光的にも中心である喜多院も素通り。
まあ、ざっくりと周っていく。
さすがに喜多院の建造物は文化財ばかりだが、この多宝塔も江戸初期の様式を止める県の文化財だ。
多宝塔
喜多院山門前にある日枝神社は、境内も社も小さなものだが、赤坂日枝神社の分祀元とされる由緒ある神社だ。
日枝神社
骨董市で賑わう成田山川越別院本行院。
成田山別院
境内には、地元民(推定)から外国人観光客まで、多くの人々が押し寄せ活況を呈している。
骨董市

次は、川越城本丸御殿に向かう。
何やら、途中に「川越城田曲輪門跡」の碑が建っているので、この高台に上がってみる。
富士見櫓跡
特に何かあるというわけでもなく眺望が望めるでもない。
案内板によると、川越城の富士見櫓が建っていた場所ということらしい。
富士見櫓跡
道標によると川越城本丸御殿までは150mですぐそこだ。
郭町という町名は、古いものではなさそうだが、明らかに城を連想させるものだ。 ちなみに、付近には城下町や大手町という町名もある。
郭町
川越藩は歴代藩主に、酒井忠勝・堀田正盛・松平信綱・柳沢吉保といった幕府の重鎮も名を連ねる要衝だった。 本丸御殿の建物は、 嘉永元年(1848)、川越藩主 松平斉典により建てられたもので、現在は、玄関・大広間・移築復元された家老詰所が残っているという。
本丸御殿
  • 本丸御殿の廊下
  • 本丸御殿の庭
  • 本丸御殿 家老詰所
  • 本丸御殿 大広間

蔵の街エリアに向かう途中に「川越城中ノ門堀跡」なんて表示が出てきた。
文字通り堀の跡らしきものがあるのだが、なんでも、 松平信綱による城郭拡張工事により造営されたものだという。
中ノ門堀跡
川越市役所前の交差点まで来た。
左側の箱型のレトロな建物は、「登録有形文化財第11-0009号 旧湯宮釣具店」で、 現在は、手打ちそば百丈の暖簾がかかっている。
今日は、ここで昼食にする。
百丈

川越の象徴的な景観を構成する「蔵造りの町並み 一番街」へと入ってきた。
小江戸と呼ばれる観光地だが、この蔵の街並みは明治のものであるという。
昨年は、同じく小江戸と呼ばれる街「栃木」を歩いている
蔵の街
小江戸横丁なる路地の風景。
いつもは、このラーメン屋で食べるのが、今日は蕎麦を食べたばかりなので素通り。
横丁
菓子屋横丁付近のうなぎ屋にカメレオンが出現していた。
意味は分からないが、とりあえず、注目は集めている。
カメレオン
菓子屋横丁に来ると、遠足らしき子供の群れが通過中。
菓子屋横丁
江戸時代から城下町の人々に刻を告げていたという時の鐘。
現在のものは、明治期の再建で川越のシンボルとなっている。
時の鐘
川越のメインストリートといえるこの道路は、相変わらず交通量が多い。
蔵の街

「大正浪漫夢通り」なる道へと入ってきた。
そう言われると、なんなくそれっぽい建物が並ぶ商店街だ。
「だんご」の幟が立つ和菓子屋「いせや」で、焼き団子を食べて、今日は帰路につくことにする。
大正浪漫通り
最後に「洗弁戝天」の幟が立つ熊野神社を覗いていみる。
熊野神社
さあ、果たしてご利益はあるか?
洗弁戝天

といっったところで、今日は、観光地である川越駅の東口とは逆側の西口前に本社を置く ヤオコー の株をみてみる。
ヤオコ−は、創業明治23年、埼玉を中心に関東に展開するスーパーチェーンだ。 通常のスーパーの他に、ショッピングセンターのような形態の店舗もあり、提案型と呼ばれる売場作りが注目される企業であるという。
四季報の業績予想は「増額」。意外にも消費増税の影響が少ないようなのだが、 生鮮品、惣菜など庶民が切り詰め難い分野に強みがあるということか。

ヤオコー (2014/10/29)
東証1部(小売業)
決算 3月(権利確定月)
株価 6,810円(100株単位)
PER 17.93倍
PBR 2.42倍
配当 60〜62円(0.88%)
株主優待(3月・9月)
買い物優待券またはオリジナルのミネラルウォーター