澤田啓司の「ブラーヴォ! 赤ちゃん!!」

小児科医・澤田啓司(三重県津市乙部ヤナセクリニック)のブログ

検索エンジンから来られた方は最新のページではないかも知れません。こちらをクリックしてトップページにお越し下さい
携帯電話からのアクセスは右下のQRコードをご使用下さい。

2017年02月

 初誕生のお祝いには、もう一つほとんど全国共通の行事がありました。

 お餅踏みでも登場した「箕」の中に、筆、矢立(携帯用の毛筆と墨壺のセット)、そろばん、本、鎌、ものさし、はさみ、餅、百つなぎ銭など、七種の道具や物を入れ、子どもに品選びさせる風習です。子どもが手に取ったもので将来の職業を占うのです。たとえば書物や筆をとれば学者に、そろばんをとれば商人に、はさみや糸巻きを手にする女の子は裁縫上手な人になるというわけです。

 この行事は、もとは中国から渡来したもので、礼(儀礼の知識)、楽(楽器の演奏)、射(弓矢の技術)、御(馬術)、書(文字を書くこと)、数(計算の技術)、合わせて成人するために身につけなければならない「六芸」を象徴する道具から一つを選ばせる行事でした。
 歴史は昭和初期ではなく、ずっと古くから続いてきた風習です。

 この行事もまた、お餅の行事同様、時代を超えて、親が子に託してきた夢を教えてくれます。

 いまのように、無限に大きい可能性の中からその頂点に到達する道を選んで、人をおしのけて、目の色変えてがんばらなければなければならない時代から考えると、身分制度や貧富の格差に苦しめられたむかしの、分相応の道を歩んでくれればいいという親の望み、安らぎのための行事だったと思います。

 時代が変わって、お誕生餅の必要性はもはや無くなったといってよいのではないでしょうか。わざわざ一升餅を通販で購入するより、どんな初誕生祝いでもいい、両親の子に託する思いが子に届きさえすれば。

 さて、たった今、一升餅が一番華やかにインターネットに登場しているのはどのサイトでしょうか?
 答えは、お食い初めや、お宮参り、一升餅など、赤ちゃんの成長に合わせた行事に使う品々のセットを販売している、商魂たくましい通販業者のサイトです。手を変え品を変えて、魅力ありげな宣伝を繰り広げています。赤ちゃんそっちのけで。

 


 「日本産育習俗資料集成」は昭和初期の資料ですから、現在とは違います。

 赤ちゃんが一人歩きを始める時期は、昭和初期の小児科学の医学書には12-15ヶ月と書かれています。現在では、初誕生日には約50%の子がひとり歩きできます(母子健康手帳参照)、昭和初期に誕生日前に歩けた子は、約10%くらいだったようです。この数字を基に、お餅を背負う初誕生の行事を考えてください。

 赤ちゃんが満一年前に歩くと、タッタリ餅と称して餅を背負わせて、わざわざ転ばせる風習が岩手、宮城、山形、群馬から報告されています。群馬からの報告には、一升餅を背負わせても歩く子は、将来、遠方に行って生活し、歩けなかった子は一生親の膝許近くで暮らすと記されています。

 北陸地方では、お餅のかわりに、おはぎやあんころ餅を投げつけます。甘くすると子どもがダメになるといって、あんこに砂糖を入れなかったそうです。餅を足に投げつけて座らせないと親不孝になると考えられていました。

 このほか、倒れずに歩くと、位負けする,利巧すぎてよくない、親を養わない、家に居つかないなど、一歳前に歩くことを、むかしの人は喜ばなかったようです。

 山梨では歩き始めた時に餅を背負わせて箕の中に立たせて健康を祝い、これを立ち餅と呼びました。
 長野では、箕の中に入れて「しいなは出て行け、良い実は残れ」と唱える。「しいな」とは、実の入らないもみがらだけの米のことです。みかけだけで実のない人間になるなという祈りでしょう。箕というのは、口が開いた籠のような道具で、米や麦を実ともみがらに分けるときに使います。選別の道具で、箕は誕生祝だけでなく、子どもの行事によく登場しますが、箕の中に残るような実のあるひとであってくれという祈りをこめたものです。

 関西地方にも餅を背負わせる風習はありますが、力をためさせるとか、立てれば健脚になるとか、東日本・北日本とは違った意味を持たせています。

 九州地方では、餅踏みの風習があります。紅白の餅を踏ませ、子どもの将来を願い、、餅と持ちのゴロあわせでその家の地盤や財産を受け継ぐ儀式とし、その餅を近所に配ると記されています。
 大分県の報告では、子が誕生前に歩くのを嫌い、一升餅を重箱に入れて背負わせ、歩くところをほうきの先で突き倒すならわしがあるそうです。走り者(出奔者)にならぬようにとのまじないです。

 こうやって、初誕生と餅にまつわる全国の過去の行事をみますと、むかし親が子に託した希望、子どもの将来に事無きよう祈った心情がよくうかがわれます。人より出過ぎず、さりとておくれもせず、足腰強い人間になってほしいという、ひかえめな親心がわかります。このほうが人より一歩でも先んじてほしいと目の色を変えるより、親子とも心穏やかに日を過ごせたでしょう。image

 いつから始まった行事かわかりませんが、初誕生のお祝いとして、江戸時代から昭和初期まで日本中共通だったのは、餅を負わせたり、踏ませたりする行事です。
 
 農耕民族、稲作民族の日本人は、米や餅に特別な力があると思っていました。「重体の病人の耳元で、米粒を入れた竹筒を振って音を聴かせると持ち直す」というような言い伝えもありました。
 
 このように米に不思議な力があるという考えは、弥生人がまだ日本に渡来する前からあったのか、江戸時代の農民や奉公人は、年貢を米で納めて自分たちは雑穀を食べ、米や餅はめったに口に入らなかったから、特に米や米製品を大切に思ったのか、私にはそのあたりの知識がありません。

 しかし、初誕生に餅を搗くこと自体たいへんな贅沢だったに違いありません。そのお餅を赤ちゃんに背負わせるのですから、いかに赤ちゃんが一歳を迎えることが嬉しい大切な行事だったか、現代の私たちには想像もつきません。昭和に入っても、一歳までに亡くなる赤ちゃんの数は生まれてくる赤ちゃんの2割以上、時には5割以上だった時代なのですから。

 昭和初期に、民俗学者柳田国男氏が母子愛育会で、日本中のお産と育児に関する習慣、行事(産育習俗)が集められました。戦争をまたいでその記録は、ようやく、昭和50年に、恩賜財団母子愛育会編「日本産育習俗資料集成」として出版されました。私はその当時母子愛育会に勤めていましたから、一冊もとめて今も手元にあります。この中に、「初誕生」という項目があって、そこに日本中の初誕生祝いの習俗が記録されています。もちろん、お餅を背負うことや、それに似た行事が詳しく集められています。それをもとに、初誕生とお餅の関連を書こうと思います。

 「アカネ」ちゃんは、11ヶ月になったその夜に39度Cの発熱、翌々日には解熱しましたが、鼻汁と咳が出始めました。パパが風邪をひいていたので、それが伝染したようです。感冒のウイルスは生まれてすぐでも赤ちゃんに感染しますから、11ヶ月の「アカネ」ちゃんに伝染しても不思議はありません。
 初めての発熱なので、突発性発疹症かと思いましたが、外れでした。
 
 そういえば最近、ヤナセクリニックの健診では、4ヶ月児、10ヶ月児どちらも、突発性発疹症に罹ったという既往歴をママにうかがうことがほとんどありません。ちょっと不思議な現象です。突発性発疹症は3歳までに、ほとんどの子が感染することが血液中のウイルスの抗体検査で分かっているのですが、症状の出ない感染も20-40%あるといわれていますから、罹っても症状の出ない子が増えているのかもしれません。

 「アカネ」ちゃんは、この発熱後、しばらく、ママに抱かれてしか寝なくなったそうです。苦しかった時間を癒してくれる人はママしかありませんものね。

 11ヶ月と9日目、先月からずっと挑戦していた二階への階段を登り、二階を探検することに成功しました。
 
 11ヶ月13日、ひとり歩き4歩、初めてのアンヨです。誕生日に一升餅を背負う資格ができました。
 11ヶ月25日、ひとり歩きが23歩に伸びました。ゼンマイ仕掛けの人形のような、ガニマタ歩きですが、壁の手前でちゃんと足を止めます。シリモチついたり、前に手を付いたりして止まるのですが。

 その他にできるようになったことを紹介します。

 「フーフーしてね」というと、フーフー吹く動作ができます。
 「ヒラヒラ」というと、手をグーパー、グーパーと、開いたり握ったりします。

 食事の時、食器をひとりで持ちたがるようになりました。

 食事は朝昼晩の離乳食と、おやつ。母乳は1日3回、それと風呂上りに牛乳30cc、。

 初誕生祝は家族揃っての食事会で、一升餅は採用されませんでしたが、バースデーケーキにロウソク1本。「アカネ」ちゃんが、自分で吹き消しました。

 これで、ママによる「アカネ」ちゃんレポートは一段落です。
 
 赤ちゃんは、寝返りなり、ひとり歩きなりを、赤ちゃんひとりひとりの別々のペースで、時間を追って刻んでいきます。

 母子健康手帳に記された成長記録は、複数の同じ月齢の赤ちゃんができるようになることを数字化して示しています。横断的観察による数値です。

 一年間の赤ちゃんの成長過程を時間を追って記録する方法(縦断的観察)は、時間とこまめな記録が必要で、たくさんの赤ちゃんの縦断的記録は得ることがとても難しいと思います。
 このブログでは、「アカネ」ちゃんというひとりの赤ちゃんをママに1年間レポートしていただいて、小児科医である私がハッとするような新しい情報を勉強させていただきました。
 
 「アカネ」ちゃんの記録を目安にして、たくさんのママに、ご自分の赤ちゃんの成長過程を理解していただくことができますように願っています。image
image
image
image

「アカネ」ちゃん、10ヶ月になりました。

 アンパンマンが好きな「アカネ」ちゃんは、、絵本のアンパンマンや、アンパンマンアンパンをずっと記憶しているようです。3週間ほど前から言い始めた「アンパンマンパンパン」とか、アンパンマンに似た言葉を繰り返して口に出したいるようです。写真のアンパアンマンを見ても、笑ってアンパンマンと言っています。

 10ヶ月と20日で、ヤナセクリニックの10ヶ月健診でした。見慣れないスタッフが数人で計測したりだっこしたりするせいか、大泣きの健診でしたが、2週間前に顔を合わせた私を見て、泣き止んでしばらくじっと見つめていました。

 乳児の記憶持続時間は、6ヶ月から1歳半くらいまでは24時間という研究結果が最近発表されていましたが、繰り返し見ているものに関しては、もっと長く記憶が持続するようです。そうでなければ、10ヶ月健診ではどの赤ちゃんも大泣きするのですが、その理由が説明できません。10ヶ月の赤ちゃんは、家族と家族以外をちゃんと見分けているのですからね。前回のブログに書きましたように、「アカネ」ちゃんがアンパンマンの絵本の筋をちゃんと覚えていることも説明できません。反復して目にするものに関しては、9ヶ月以後の赤ちゃんは1ヶ月以上記憶が残るのだと思います。

 10ヶ月と2週の「アカネ」ちゃんは、8つ切りの林檎を手にとって、かじるようになりました。バナナが好きになって、バナナを見ると、バババと興奮するのだそうです。

 この時期のエピソードをいくつかご紹介します。

 絵本の読み聞かせ会でおとなしく聞いていたそうです。アンパンマンミュージアムで、ショーを見ながら拍手したり楽しそうに過ごしたそうです。

 伝い歩きが始まり、、階段を上りたい衝動が強く、目が離せなくて大変とのことです。

 ちょっと変わったエピソードとしては、ママ同士がお友達の、2歳児のアイリちゃんとの初対面。

 終始「アカネ」ちゃんは不機嫌だったそうです。「アカネ」ちゃんがアイリちゃんを触りに行くのですが、叩くようにしか触れず、アイリちゃんがそれを嫌がり、ママが「アカネ」ちゃんの手を押さえたりするのが気に入らなかったようです。アイリちゃんにオモチャをとられても不機嫌になり、ママはかなりくたびれたそうです。

 これは無理からぬこと。2歳児は「テリブルツー」(恐ろしい2歳)と呼ばれるように、自我が発達してきているので、歳下の赤ちゃんを可愛がる余裕はありません。
 子ども同士で協同遊びができるようになるのは早くて3歳になってからです。9ヶ月の「アカネ」ちゃんと2歳児のアイリちゃんの組み合わせは少し早すぎました。

 赤ちゃんと2歳児の兄姉の組み合わせは家庭でもよくあります。2歳間隔の出産は、一番多い組み合わせではないかと思います。
 2歳児には、ダメ、アトデ、マッテという言葉は通用しません。近寄ってきたら抱き寄せてハグしてあげることが唯一の方法です。赤ちゃんがうらやましく、嫉妬もあって、甘えたがり、赤ちゃんと同じように扱って欲しいのですから。
 でも、2歳児が悪い子に見えても心配いりません。無理なしつけはかえって悪い結果を生みます。
 3歳児になれば、アトデ、マッテがある程度理解できるようになり、4歳児5歳児は我慢ができるよい子になりますから、このあたりの幼児の扱い方を間違えないでくださいね。image

↑このページのトップヘ