江戸川柳は、飾らない江戸庶民の姿を今に甦らせるタイムマシーンです。
 誹風柳多留という川柳集から幾つか拾って見ましょう。

”かみなりを まねて腹掛け やっとさせ”
 金太郎の腹掛けをご存知ですか。昔の男の子には、おなかを冷やさないように、腹掛けをさせていました。
昔話の絵本の定番だった、熊と相撲をとる金太郎の絵なんて、もう過去のものでしょうか。
夕立がきて空気が冷えてくると、子どもがおなかを冷やすのが心配です。そこで、「かみなりさんにおへそ取られるよ」と腹掛けをさせる口実に雷さんが登場するのですが、江戸時代に限らず、つい50年位前までは、子どもがおなかを悪くすると生命に関わることが多かったので、この川柳はおかしいだけでなく、懸命な親心も感じられますね。

”取揚婆 屏風を出ると 取り巻かれ”
 取揚婆は産婆、今の助産師さんのこと。お産は家でするもので、屏風の陰で。産婆さんの手で赤ちゃんが取り揚げられていました。生まれた子が五体満足か、男の子か女の子か、一刻も早く知りたい気持ちは今も昔も変わりません。

”子ができて 川の字なりに 寝る夫婦”
 明治以後の欧米育児学が、川の字なりの添い寝添い乳を奪ってしまいました。赤ちゃんを窒息させるから危ないとか、自立心を妨げるとかいう理由で。でも、赤ちゃんは這えるようになると、勝手にママの布団にもぐりこんで来ます。現在では、母と子のふれ合いや、授乳の視点から、添い寝添い乳の利点が見直されています。睡眠薬や、泥酔や、睡眠薬・鎮静剤の服用の場合を赤ちゃんの窒息の危険も考えられますが、ママはそばに寝ている赤ちゃんの体動に合わせて、ベッドの上でダンスをしていると、添い寝の観察をしたイギリスの研究者が表現しています。

”乳貰いの 袖につっぱる 鰹節”
”乳貰いは 冬の月へも 指をさし”
”南無女房 乳をのませに 化けてこい”
 この3句は母をなくしたこのために貰い乳に行く男やもめの父親がテーマです。
 
 産後の母子の死亡率が高かった時代には、乳の無い子と、飲む子がいなくなった母が、町にたくさんいました。乳の無い子の父親が、子を亡くした母の乳を飲ませてもらいに子を抱いて歩く姿が珍しくなかったのでしょう。袖に突っ張る鰹節は、赤ちゃんが泣いたら鰹節をしゃぶらせて一時しのぎをするためのもの。貰い乳のお礼は鰹節だったという説もあります
 
 2句目は、母を亡くした子を貰い乳に連れて行く途中、泣き出した子ををあやすために、冬の寒空の月を指差して、ホラお月さんだよと話しかけている父親の姿。
 
 3句目は、亡くなった妻の位牌に、乳を飲ませに化けてきてくれと拝んでいる困惑した父親像でしょうか。

 いまや、日本中どんな離島でも山の中でも育児用粉乳が手に入ります。母を亡くす子も、子を亡くす母もほとんどありません。
 この川柳は、幸いなことに過去のものとなりました。 でも、母乳の通信売買という記事が新聞に載ったのは、ついこのあいだでしたね。