柳瀬幸子の「地球(ここ)に生まれて」

三重県津市にあるヤナセクリニックの院長・柳瀬幸子のブログです。 ヤナセクリニックの基本理念: 私たちは、患者様の思いを尊重し、患者様に寄り添った医療やケアを目指します。 ヤナセクリニックの基本方針: 1.安全、安心なお産を提供し、出産の喜びと子育ての楽しさを感じられるような支援を行います。 2.女性の健康増進のために地域から信頼される医療を提供します。 3.子どもを大切にする街作りを応援します。 ヤナセクリニックのモットー:良いお産、楽しく子育て!!

三重県津市にあるヤナセクリニックの院長・柳瀬幸子のブログです。

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<ヤナセクリニックの基本理念>
私たちは、患者様の思いを尊重し、患者様に寄り添った医療やケアを目指します。
<ヤナセクリニックの基本方針>
1.安全、安心なお産を提供し、出産の喜びと子育ての楽しさを感じられるような支援を行います。
2.女性の健康増進のために地域から信頼される医療を提供します。
3.子どもを大切にする街作りを応援します。
<ヤナセクリニックのモットー> 
良いお産、楽しく子育て!!
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妊娠は病気?

日本の年間の出生数は、第1次ベビーブーム期には約270万人、第2次ベビーブーム期には約210万人であったが、1975年に200万人を割り込み、それ以降、毎年減少し続けた。1984年には150万人を割り込み、2016年に生まれた子どもの数は97万6979人で、1899年に統計をとり始めてから初めて100万人を割り込んだ。1人の女性が生涯に産む子どもの数(合計特殊出生率)は、第1次ベビーブーム期には4.3を超えていたが、1950年以降急激に低下した。その後、第2次ベビーブーム期を含め、ほぼ2.1台に推移していたが、1975年に2.0を下回ってから再び低下傾向になった。1996年には1.57、2005年には過去過去最低の1.26まで落ち込んだ。その後少し増加傾向であったが、2016年は1.44と前年を0.01ポイント下回った。
妊産婦死亡率は、戦後の施設分娩中心の出産になってから急激に減り、第1次ベビーブームの頃には出産10万に対し161.2人であったが、第2次ベビーブーム期には、83.9人に減少、2000年には6.3人、2013年には4.0人で、世界的には死亡率が低い国になっている。
私たち産科医は、必死の努力で妊産婦死亡を0にしたいと、日夜診療に励んでいる。誰一人、出産で死なせたくないと切実に願っている。戦後、自宅分娩から施設分娩に移行していき、妊産婦死亡は急激に減った。バブル期は、お産はファッションのようになり、豪華な産院ができ、産院でのアメニティや美味しい料理などを競い合う時代もあった。しかし、妊産婦死亡が減り、安全に安心して満足のいく出産を沢山の女性にしてほしいという私たちの思いとは裏腹に、それに比例するかのように、出生数は減り、合計特殊出生率も減少していった。

「妊娠は病気?」という問いかけがある。おそらく、多くの産科医は、臨床現場で「赤ちゃんが死ぬのではないか、お母さんが死ぬのではないか」と顔が青ざめた経験がある。それほど、妊娠・出産は急に死と直面することがある。妊娠がわかり、妊婦検診で毎回顔を合わし、出産、そして元気に母子が退院していく姿をみるまで気を抜くことはできない。元気に赤ちゃんを連れて家族と一緒に幸せいっぱいで退院する姿をみると、ほっとする。医療者側は、「妊娠は病気」と考えている人が多いと思う。自宅出産から病院での施設分娩に移行し、医師や助産師が病気として積極的にかかわることによって、妊産婦死亡は減少した。

しかし、一般の人達は「妊娠は病気」と思っているのだろうか?そう思うなら、みんな病気にはなりたくないから、妊娠は恐怖でしかない。今は、沢山の情報が、あふれていて、ネットをあければ、様々な情報が入ってくる。「妊娠は病気」という内容だけをみれば、「妊娠、出産、子育て」は、未知の世界の恐ろしい、心配、不安なもので、妊娠したら私はどうなるのだろう?子どもはちゃんと育つのだろうか?そんなことばかりが頭に浮かんでくるのでないだろうか。
「妊娠は病気でない」という考え方になれば、妊娠していない時と一緒のようにできないことに非難がくる。仕事や家事が今までのようにできないことを責められる。上司や、義父母、実父母、ご主人などの周囲の人の何気ない言葉で傷ついている妊婦さんが多くいる。

「妊娠、出産、子育て」とは何なのだろうか?
「妊娠・出産・子育て」は人が生きていく中で普通のことだが、今までの日常と大きく変化することであり、戸惑うことも多く、責任も大きくなる。だからこそ、社会全体が一番大切にし、支えなければいけない。周囲が温かく見守り、みんなで支えてくれる社会では、妊婦さんにも子育て家族にも優しい社会になり、若い人達が子どもをもちたいと思う社会になるのだろう。
生物にとって種を残していくことは、最大の仕事であり、次の世代に自分の命を引き継いでいくことが最大の使命で、そのために生きているといっても過言ではない。次の世代に命を引き継げば、親は死んでいく種も沢山いる。命がけで自分の種を残している。しかし、人間は高度に発達して、頭で考え、いろいろな能力を持ったことで、次の世代に命を引き継いでいくことより、自分自身の生き方を大切にし、そこに幸せを見出すようになっていった。自分の幸せのみを考えれば、妊娠といった“病気”に自ら好んでかかりたくないし、家族といった煩わしいもので自分の人生を非難されたくないし・・・。
そういった風潮が少子化につながっていったように感じる。

これから日本の人口は超少子高齢化の時代に突入していく。人口ピラミッドで出産や子育ての中心となる若い女性に着目すると、20歳~39歳の人口は1572万人で、総人口の12.3%、5年前の同年台の人口と比べ6.6%の減少である。住民千人当たりの出生数は、2016年は7.80人、前年からマイナス0.06人減少。また、10年前の2006年からマイナス9.2%で0.79人減少という統計がでている。街の中で、妊婦さんや子ども達に出会うのが珍しい時代になってくる。ますます妊婦さんや赤ちゃんはマイノリティになっていく。多数決の民主主義の社会では、人数の少ない世代や投票券を持たない子ども達の意見は聞いてもらえるのだろうか?
「妊娠は病気?病気でない?」ということよりも、妊娠・出産・子育て・子どもの成長は、社会が持続可能になるための最も基本で大切ににしなければいけないことである。妊娠・出産・子育て・子どもの成長が、もっともっと大切にされる日本であってほしいと思う。若い女性達が、妊娠・出産・子育てに対して、恐怖と不安と心配と負担感で押しつぶされないように、私たちは何とか社会を変えていかなければと思う。

国際ボンディング協会

2000年にNPO法人国際ボンディング協会が、産婦人科医鮫島浩二先生の呼びかけで発足しました。2017年7月、鮫島浩二先生から私に理事長がバトンタッチされました。発足当時には国際ボンディング協会に入会していなかった私にとって、活動を引き継ぐのは大変なことです。7月2日、熊谷市のさめじまボンディングクリニックに理事、事務局が集結し、鮫島先生を囲んで、国際ボンディング協会の今までの歩み、ボンディングの理念、今後の活動について時間をかけて話し合いました。

国際ボンディング協会発足時 世界への宣言 (2000年12月3日)
『いま世界中どこにあっても家庭内暴力・青少年の性犯罪・悪質にエスカレートしたいじめ・自殺・乳幼児虐待・殺害・引きこもり・不登校・理由のない無差別殺人・学級崩壊など、いつの時代にもまして心の病やストレスから引き起こされる様々な事件がクローズアップされています。その原因はどこにあったのでしょうか?これらの事件に関与した当事者の背景を追求していくと、かなりの割合で乳幼児期、新生児期の親子関係のもつれにあることが推測されます。さらにその根源を出産時、さらには胎児期の環境にまで求めることができると主張する研究者もいます。つまり、周産期に心のケアが十分なされていれば、子どもの行動異常や成人してからの社会的不適応なども防ぐことができると考えられます。
ボンディング(Bonding)とは、親と子のきずなをより深く築くこと。ライフサイクルの中でその側面は妊娠中に始まり、出産時・新生児期・乳幼児期・思春期の子どもたちとのボンディング、高齢者やガン患者、障害者、寝たきり老人を抱えた家族におけるボンディングなど、実にたくさんあります。わたしたちはボンディングの概念を世界に啓蒙すると同時に、ボンディング形成の様々なノウハウをより具体的に皆さんに提案し、共に学びながらより良い社会の実現のために貢献することを目的に、国際ボンディング協会を設立いたしました。
当協会は、世界中の様々な分野の専門家たちと、政治・宗教・慣習・文化のわくを超えて協力しあい、ボンディングに役立つ情報を相互に公開し、会員たちがさらなるボンディング形成のいい働き手となるように研鑽する場所を提供したり、ホームページや会報誌を通じてボンディングに役立つ情報を発信していきます。またより良いボンディング形成のための技術と知識とハートを持つ指導者を養成し、世界中にその活躍の場を求め、今日の社会の根底にある、親と子のコミュニケーション不足に起因すると考えられる事件については、将来的に減少することを強く望み、より良い家庭とより豊かな社会が実現するよう努力と協力を惜しまない団体であります。
私は宣言します。小さな子どもたちにとって愛情深い両親に見守られて育つこと以上に素晴らしことはありません。これこそがボンディング形成の基本単位であり、物質的な豊かさ以前に子どものために整えるべき環境の中で最優先すべきものであり、教えていくべきことであると思います。
では、子どもたちが愛を感じる家庭はどうやって作られるのでしょうか?まず、夫婦がお互いを尊重し合い、信頼し合い、いたわり合い、自分の権利を主張する前に相手の幸福を優先する心を持って生活するなら、おのずと互いに最高のパートナーとなれるでしょう。また、家族のために時間を喜んでとることは、伴侶にとって、子どもにとって、最高のプレゼントとなり、密度の濃い思い出深い時間となります。
父と母が信頼し合っている家庭で育つ子どもは、人を信頼する心、愛する心を家庭でしっかり身につけることにより、人生を肯定し、その後の人生において安定した幸福な人間関係を築いていく事ができるようになります。そしていつかその子が家庭を築いた時、良い連鎖を生み出し、ボンディングはされにその子どもに脈々と受け継がれていくことでしょう。』

国際ボンディング協会は、その後、様々な活動や講演会、セミナーを行ってきました。4本の柱として、最初は、「ベビーマッサージ」「フィータル(胎児からのボンディング)」「カウンセリング」「アロマセラピー」で活動を始めましたが、理事の交代等があり、4本の柱は「ベビーボンディングケアマッサージ」「カウンセリング」「ボンディングアロマセラピー」「ボンディングフィットネス」に変更し、各資格をとれるようになりました。発足当時は、ベビーマッサージが日本に入ってきてブームとなったこともあり、ベビーマッサージ部門の活動のみが進んでいきました。ベビーボンディングケアマッサージの資格をとり、地域の子育て支援のためにベビーマッサージの教室を開催されて活躍している会員さんが沢山います。しかし、ベビーマッサージの資格をとる団体と勘違いされている側面もあり、最初の国際ボンディング協会の目的が不明確になってしまった感も否めません。

そこで、今年の7月の理事会では、現理事自身がボンディングをどのようにとらえているか。そして、何を発信していきたいかを再度確認する作業をしました。

あなたにとってボンディングとは?:「人を否定しない。人を信頼する。その人自身を肯定する。」「居心地の良い居場所。」「人と人とをつなげる。孤独にしない。」「時代の変化に応じたコミュニケーション・関係性・伝え方。」「子ども主体。子どもの気持ちを中心に考える。」

ボンディングについて何を伝えたいですか?:「一人じゃないよ。安心感。寄り添い。」「苦しいことがあっても楽しく子育てをしてほしい。」「思う存分子ども達とハグしよう。」「親子の絆づくり、多世代の絆づくり、胎児からの絆づくり。」「便利じゃないところも大事にする生活。」「父親の役割。」「弱い人の立場に立つ。誰一人取り残さない。」「社会や環境の変化についてもっと知ろう、国際的な活動にも目をむけていこう。」

発足当時からの理事は現在一名だけです。しかし、ボンディング協会発足当時の「世界への宣言」の中のボンディングの目的や理念は、理事の中にしっかり根付き、受け継がれていました。
今の世の中は、グローバル化のなか、世の中の急激な変化で先行きが不透明になり、各地で戦争やテロが起こり、地球がこのままで大丈夫なのかと不安になります。次ぎの世代に明るい未来を残していくためにも、国際ボンディング協会の活動は益々必要とされてくると確信しています。人を信頼する心、愛する心を育むためには、命が始まるその時から、愛情深い環境の中で育つことがとても大切です。ボンディング=絆づくり=「人と人との信頼。一人じゃないよ。安心できる居場所はあるよ。」そんな社会になれるように、国際ボンディング協会は活動していきます。一人でも多くの人に活動を知っていただき、一緒に活動していきたいと思います。

親になる

2年前に、当院で生まれ、特別養子縁組となった養親さんと子どもが会いに来てくれた。私達と養親さんとは初めての対面。お互いにちょっと緊張気味。「この子が生まれた場所、そして取り上げてくれた先生を2歳になって少し周りのことがわかるようになった娘と一緒にみておきたかった。」とわざわざ会いに来てくれた。出産したLDR室、そして切迫早産で入院していた部屋をみてまわった。「お腹の中、そして、生まれてからのの数日は、ここの部屋で過ごしたんだね。ここで、あなたは生まれたんだね。」とまだ理解できない2歳の娘と話しをされていた。子どもも、初めは緊張していたが、しばらくすると、とてもリラックス。ゴロゴロとベッドに寝ころんだり・・・何か感じてくれるといいな。

私と担当だった助産師、養父母さんとゆっくりお話しをすることができた。
高校生だった実母のことを詳しくしりたいかと聞くと、今はあまり知りたくないと。自分達が聞いたことで想像する実母のイメージで、この子に実母のことを伝えたくないので・・・。この子が、もう少し大きくなった時には、きっと、乗り越えなければいけないことが出てくる、その時に、この子から出てくる気持ちに素直に答えてあげたい。その時に、必要なら、また会いにきていいですか。私達にとっても、貴重な体験、そして、沢山のことを学ばせてもらった。忘れるはずがない。いつでも来てくださいと答える。
養父からは、話しがでるのは実母の話ばかりで、男して実父のことを聞いておきたいと。実父は、最後まで悩んでいた実母の気持ちを尊重していたこと。特別養子縁組に出すと決めたことを理解し、ちゃんと手続きをしてくれたこと。そして、祖父(実母の父親)のことについても話しておいた。入院中も生まれてからも絶対面会に来てくれなかった祖父。特別養子縁組の話し合いの場所でやって来てくれた。そして、クリニックで孫をしっかり抱いてくれた。その姿をみて、高校生の実母は、やっと自分の父母としっかり向き合うことができ、生まれてきた子どものことについて父母と真剣に話し合うことができた。祖父は、「本当に赤ちゃんはかわいい。かわいいからこそ、養子に出して、きちんと育てられる養父母の元で育ってほしい」と言っていた。父親が娘ときっちり向き合って話し合ったことで、実母のなかでも養子にだす決断ができたのだと思う。自分が愛されているからこそ、父母も苦渋の決断をしてくれたのだとわかった。父親とは、そんな存在なのでしょうねと養父に伝えた。

養親になるために、どんなことを学んだのかを聞いてみた。児童相談所での里親研修、そして、鮫島ボンディングクリニック(安心母と子の産婦人科連絡協議会)での養親研修では、教えてもらったことより、レポートがとても大変だったと。
自分の嫌なところ、いいところを徹底的に見直させられた。自分の嫌なところには、みんな蓋をしてみないようにする。その蓋をあけて自分の嫌なところを出しなさいと言われ、その作業がとても大変だった。自分にとっては、不妊症の治療が思い出したくない嫌なこと。それを自分自身で認めることが大変だった。私が、子どもが授からないなんて、全く思っていなかった。自然に妊娠して子どもができるものだと思っていた。生まれるって本当に凄いことなんだと、今は思う。だから、中学生や高校生の頃から、「生まれるって凄いことなんだ」と教えてほしい。自分は、バリバリと仕事をしていた。もし、すぐに子どもが授かったら、何も考えず、仕事も育児もして・・・、子育てについて今のように感じなかったと思う。本当に子どもがいる幸せを感じながら、子育てをしていなかったと思う。自分が子どもが授からないとわかった時、色々なことを削っていったら、子どもを育てたいと本当に思い、養子をもらうことを選択できた。
自分の育ってきた親子関係についても、良かったことと、嫌だったことを振り返る作業をした。振り返ることで、自分が親にされて嫌だったことは、子どもにしないようにしようと、きちんと思えるようになった。
今でも、自分達が出産していないことで、普通の親達の仲間に入っていけないこともある。鮫島ボンディングクリニックで開催してくれる養親の会はとてもありがたい。同じ立場での悩みを相談でき、身内のような関係になれる。他の特別養子縁組の斡旋団体では、養子縁組が成立したら、全くフォローのないところもある。養父母をずっと支えてもらえることで、安心して子育てができている。

養親になるためにいろいろ学んだと思うが、親になるために、何が一番大切だと感じたかを聞いた。
「子どもときちんと向き合うこと。そして、信じること。」
親が最も大切にしなければいけないことだと私も思う。私達のような出産施設が、無事に赤ちゃんが産まれてその後の育児技術は教えていても、「親になる」ということを伝えられているのだろうか。

「また、遊びにおいで」と養親さんと子どもに手を振りながら、「うまれる、親になる」のスタートとなる現場にいる私達が大切にしなければいけないことをもう一度考えたいと思った。

特別養子縁組

特別養子縁組を知っていますか?

実母が、自分が生んだ子どもを育てられないと判断した時、子どもを手放し、子どもを育てたいと思っている養親に託し、裁判で養子縁組を行い、養親が自分たちの子どもとして育てていくことが、特別養子縁組である。子どもの幸せを第一として考える。

自分の子どもを手放す生母に対し、本当に自分では育てられないのか、周囲の人に助けてもらえないのか、自分の気持ちは本当にそれでいいのか・・・。一緒に寄り添い、考えていく支援者が必要である。養子に出したいという妊婦さんに対し、自分自身と向き合い、自分で育てる選択肢についてもしっかり考え、自分で養子に出す決心をしてもらう。養子に出してからも、生母の気持ちに寄り添い、避妊指導などの、自分の望むときに妊娠
できるような知識を教えていくことも必要になる。

妊娠期間という普通なら子どもを育てる準備があるはずなのに、養親は突然に子どもが決まったことを伝えられ、子どもを迎える準備を慌ただしくしなければいけない。周囲の目も気になる。ママ友などの仲間ができるかも不安である。子どもが生母の元に帰りたい、自分たち親を否定したら・・・という不安と一生付き合うことになる。自分たちが、この子どもを養子にしたことを後悔することはないか、子どもから「あなた達が親でなければ・・・」という言葉が発するのではないかと思う時もあるだろう。養親をずっと支えていく支援者も必要である。

そして、養子となった子どもの気持ちはどうなのだろう。
養子当事者の本音20の項目(Sherri Eldridge,Twenty things adopted kids with their adoptive parents knew(1999)より)養子当事者の本音(わかってください)
1. 私は養子縁組される前に深い喪失を経験しました。それはお父さんやお母さんの責任ではありません。
2. 私は何の恥じらいも無く、自分が養子縁組のための喪失による特別なニーズをもっていることを学ばなければなりません。
3. 私の喪失を哀悼しなければ、お父さんやお母さんや他人の愛を受け入れづらくなります。
4. 私の解決されない悲しみが、お父さんやお母さんへの怒りとして表れるかもしれません。
5. 私の喪失を悲しめるように助けてください。養子縁組に対する私の感情と接し、認める方法を教えてください。
6. 私が実親について話さないからと言って、彼らのことを思っていないわけではありません。
7. お父さんお母さんから先に、実親に関する会話を始めてください。
8. 私を身ごもった時から出生、家族の歴史について詳細に知りたいです。たとえそれが痛々しい話だとしても。
9. 私は自分が悪い赤ちゃんだから、実親が私を託したように感じます。害となる恥じらいから解き放たれるように助けてください。
10. お父さんお母さんが私を見捨てるのではないかと怖いです。
11. 実際の私よりもより完全に見えていると思います。隠れている部分を表し、自分のアイデンティティーを統合できるように助けてください。
12. 私は自分に力があることを知る必要があります。
13. 私がお父さんやお母さんに似ているとか、同じ行動をすると言わないでください。互いに違うことを認め喜んでください。
14. 本当の自分自身になれるように助けてください。でも、私をお父さんやお母さんから突き放さないでください。
15. 養子縁組に関する私のプライベートも尊重してください。私の同意なしに他の人に話さないでください。
16. 誕生日は私にとってつらい日でもあります。
17. 家族歴がわからなくて苦しいです。
18. 私がお父さんやお母さんから手におえない子ではないか怖いです。
19. 私が恐れを過激な方法で表現するとしても、私を受け入れて思慮深く対応してください。
20. 私を産んでくれた親を見つけたとしてもお父さんお母さんがいつまでも私の親であることを願います。

養子に出された子どもは、生まれた時から、悲しさや恐れをもっているのでしょう。「優しい素敵な養親に育ててもらって、幸せね」といった簡単なものではない。でも、これは養子に出された子どもの本音だけでなく、実の親に育てられている子どもの心にもあるのかもしれない。自分の本当の姿を認めてほしい、一人の人間として尊重してほしい、自分の力を信じたい、何があっても自分を見放さないでほしい。そんな子ども達の声が聞こえてくるように思う。

未来の子どもたちのために必要な持続可能な開発フォーラム

平成29年5月7日三重県総合文化センターにて「未来の子どもたちのために必要な持続可能な開発フォーラム」を開催した。持続可能な開発・みえ(SDGs・Mie)を設立した記念フォーラムでもある。

2015年国連総会にて、グローバル社会の目標として「持続可能な開発目標(SDGs)」が合意された。この合意により、貧困を終わらせ、すべての人が平等な機会を与えられ、世界環境を壊さずに、よりよい世界を送ることができる世界を目指して努力することが約束され、2016年から2030年までの15年間、世界中の国々はこの「グローバル目標」の達成に向けて取り組んでいくことになった。
持続可能な開発とは、将来の世代のために環境や資源を壊さず、今の生活をよりよい状態にすること。そのためには、より公正で公平な社会に向けてみんなが努力し、大きな変化をもたらしていく必要がある。持続可能な開発・みえ(SDGs・Mie)は、自分の暮らしている地域が、誰一人取り残されず、持続可能な地域となり、次世代に豊かで優しい未来を残していけるように、全ての人びとが関心を持ち、一緒に取り組んでいくことを目的とした。

基調講演「持続可能な開発とSDGs」~地域から地球へ、私たちから子どもたちへ~茨城大学人文社会学部 准教授:野田真里先生
持続可能な開発とは?定義:将来の世代の欲求を満たしつつ、現在の世代の欲求も満足させるような開発→世代をこえた開発が課題

開発(Development)とは?:De+envelope→封印されたもの、閉じこめられたものが開放されること。
日本語の開発とは、もともとは、仏教用語の開発(かいほつ)の意味で、生きるあるものすべてに備わっている、種が開花すること。仏性開発(ぶっしょうかいほつ)とは、仏になる(悟りを開く)潜在能力が開花すること。
開発とは、潜在能力の開花と考えると・・・外から、上から一方的に押しつけられる、持ち込まれるものではない。多様な主体が協働して、自分達の潜んでいた力を開花していくことが重要。お金や偏差値などの画一的な価値ではかれるものではなく、比べられるものでもない。それぞれの社会の歴史、伝統、文化、風土、地理、社会のあり方等に根ざしたものであるべき。多様でそれぞれが尊い存在である。つまり「誰一人取り残さない」

持続可能(Sustainable)とは?:Sus+tain+able=「下、下位」+「保つ、含む」+「可能・できる」→語源から考えると「下から支えて、踏ん張って、多様性を含み、保ちつづけられる」。
伊勢神宮では式年遷宮と言われる行事があり、25年ごとに神の社を新しく建て替えていく。なぜ、それが必要なのか?伝統を受け継ぐためには、技術をもった職人達が次ぎの世代に技術を伝承していく必要がある。そして、常に新しいものへ引き継がれていく。伊勢の地で持続可能な開発を発信していくのは、伊勢神宮の「常若(とこわか)」の思想が根付いている地であることから意義があると思う。

以上のことを考えて持続可能な開発を再定義すると・・・個人、組織・団体、地方自治、国、世界、地球等の潜在能力を開花させていき、下から支え、踏ん張りながら、包括的に誰一人取り残されないように保ちつづけるとこと。

持続可能な開発(SDGs)というと、難しい言葉で、自分とは関係なく、世界の環境問題などをしているえらい人達が話し合っていることでしょ?というイメージが強かった。しかし、この講演を聴くと、持続可能な開発とは、一人一人が大切にされ、多様性をもち、内発的・自発的なものから立ち上がり、自分達の潜在的な力を開花させ、より良い社会になるように、協働しながら進んでいきましょう、ということなのだと気づかされる。自分達が日常の生活のなかで、自分の力を開花していくことが、グローバル社会に通じていくのだ。

ESD(持続可能な開発のための教育)のフォトランゲージの手法を経験した。
日本の宴会場で、ケーキがテーブルの上にありあまるほど並んでいる写真と、東北タイの農村の干ばつでひからびた大地にすわりこむこども達の写真を同時にみる。白砂糖の写真とサトウキビ畑の写真を同時にみる。
学校での○×の授業では、正解は一つだ。発展途上国での原材料の生産は、価格が不安定で大暴落すれば益々貧困を生み、消費する先進国はそんなことは関係なく、安い原材料を大量に求め、格差を増大している。といった答えが正解になるのだろう。
しかし、SDGsの観点から見てみると、正しい答えというのはない。
先進国の豊かな生活、贅沢な生活は、途上国の環境破壊や貧困の上に成り立っている部分もある→SDGs1:貧困、SDGs10:人々や国の不平等
砂糖価格の下落に伴い、タイのサトウキビ島では、栄養失調、飢餓の問題が深刻化→SDGs2:飢餓
行き過ぎた贅沢な食生活は生活習慣病の要因→SDGs3:すべての人々の健康
農村の生態系の破壊、貧困化、出稼ぎ、土地なし農民による地域社会や家族の絆の崩壊→SDGs15:陸の豊かさ、SDGs13:気候変動、SDGs6:安全な水、SDGs11:持続可能なまちづくり、
都市部の成長と農村の貧困化による格差。都市にでた農民は不安定な雇用、児童労働、人身売買・売春、不十分な教育、劣悪な居住→SDGs8:適切な雇用と経済成長、SDGs5:ジェンダー、SDGs4:質の高い教育
このように、様々な視点から課題がみえてくる。

地域から地球へ、私たちから子どもたちへ:今後のSDGs・Mieの活動
1)「ないものねだり」より「あるものさがし」:地域には、持続可能な開発を行動するための宝がたくさんある。それをまずは、見つけていこう。
2)地域社会のネットワークを作っていこう:県内だけでなく、県外、世界と交流し連携していこう。
3)みんなが主役:協働のパートナーシップとして活動していこう。
4)次世代に向けての活動:多様な価値、多様な学びの場をつくっていこう。

地域での持続可能な開発を実践している静岡県牧之原市の西原茂樹市長の「協働のまちづくりとは?」の講演。
協働のまちづくりで一番大切にしているのは、「対話(ダイアログ)」。
対話のルールは
1. 全ての人が対等。
2. 人の意見に耳を傾ける。
3. 頭から人の意見を否定しない。
4. 一人だけがしゃべらない。
5. 明るく、楽しく、中身濃く。
理念;対話で話し合う
スキル:市民自身がファシリテートする。市民ファシリテーターの養成(今は高校生も参加している)
インフラ:みんなが話しやすい空間をつくる
H25年には「牧之原市政への市民参加に関する条例」でこのシステムを担保した。
人が行動するためには、対話のプロセスが必要。学んで→気づいて→共感して→してあげて、してもらって→ありがとうの気持ちが幸せを作っていく。してもらって、してあげること(SHIEN)で、人と人、組織と組織、つながって重なって、互いの力を引き出しあうことが協働のまちづくり。
協働のまちづくりでなぜ対話をするのか?:重要な事は市民と一緒に決める。市民が主体的になり、皆でやる気を出してまちづくりに取り組むために。人はだれでも主役になれる。一億総活躍社会は、国民が主役になってやる気になるようにしてあげること。

今回のフォーラムの参加者達は、持続可能な開発(SDGs)とは、世界の難しい話ではなく、自分たちの身近な課題について、自分たちが主体的に取り組むことだと感じたはずだ。自分たちが今生活しているなかで、自分たちが少し立ち上がり、より良い未来に向かって開発(かいほつ)していくこと。そう考えると、明日からが、少しずつ楽しく幸せな気持ちに向かっていくように思う。そして、それがグローバルにつながっていくのだろう。

映画「LION/ライオン~25年目のただいま~」

「LION/ライオン~25年目のただいま~」の映画を見た。
ストーリー:インドのスラム街で暮らす5歳の少年サルーは、兄と仕事を探しにでかけた先で停車中の電車で眠り込んでしまい、家から遠く離れた大都市カルカッタまで来てしまう。そのまま迷子になったサルーは、やがて養子に出されオーストラリアで成長。25年後、友人のひとりから、Google・Earthなら地球上のどこへでも行くことができると教えられたサルーは、おぼろげな記憶をたどりながら、本当の母や兄が暮らす故郷を探し始めるという実話に基づいて映画だ。
私のクリニックでは、特別養子縁組について勉強し、産婦人科施設で特別養子縁組を行っている協議会に参加している。最近、1組の特別養子縁組を経験した。この映画から、深く考えさせられるものが沢山あった。

少年サルーについて:5歳までは、インドのスラム街で貧困の中、家族のために母や兄の仕事を手伝っていた。貧困の中でも、家族の役に立てている幸せを感じ、母や兄弟の愛に満ち溢れた中で楽しく暮らしていた。特に母と兄の愛情が、彼の記憶の中に深く刻まれていた。子どもの発達の中で、3歳までの親子の愛着形成はとても大切で、親が子どもの「安全基地」になると言われている。「安全基地」というのは、安心して眠れる場所である居場所、いろいろと行動する時の拠点である居場所という意味がある。子どもは、「気持ちを受け止めてもらい」「あるがままの自分に戻れる」安全基地があるから活発に外に出ることができる、自分が安心できる安全基地があることが、その後の外に向かって行動していくための必要条件である。サルーは、5歳で迷子になったが、実の母親や兄が「安全基地」になっていた。そして、小さいながらも記憶に残る光景があった。だからこそ、成人になり、十分に幸せな生活や将来があるのに、それを放棄してでも実の母や兄を探す道を選んだのではないかと思う。

養子・里親について:サルーは、素晴らしい慈悲深い里親のもとで成長する。もう一人養子にもらわれてきた弟は精神的に問題のある子どもだったが、里親は二人の子供を苦しみ悩みながらも本当に愛情深く育てた。里親になる理由は、いろいろある。日本では、子供に恵まれなかった夫婦が、特別養子縁組することが多い。この母親は、アルコール依存症の父親がいる家庭環境で育ち、それがとても嫌だった。しかし、ある雷の日に神の啓示を受け、里親になることを決意し、その気持ちを理解してくれる夫と結婚した。自分が子どもを産み自分の子どもを育てるのではなく、最初から世界の中の不幸な子どもを引き取って育てようと決めていた。そんな慈悲深い両親に育てられたサルーは、本当に幸せだったと思う。インドのスラム街で育っていれば、教育も受けることができず、全く違う人生となっていただろう。でも、大学生になり、親元から離れ、友人たちと自分の母国の話題になった時、自分のルーツに苦しむ。自分は本当は何者なのだと。
養子になった子どもに、実の両親ではなく、生みの親と育ての親が違うことを告知することは難しい。特に特別養子縁組では、自分の記憶のない時に養子となり、戸籍も変わっている。育ての親は、実の子どもとして大切に育ててくれている。でも、実際には自分を産んでくれた親はどこかにいる。早い段階で告知したほうがいいと言われている。自分のアイデンティティが確立してくる思春期以降に告知されると、非常に本人は苦しむと言われている。今回の映画のラストで、里親がインドに行き、育ての親と産みの親が抱き合う現実の映像が流れた。二人の母親の思いを考えると、なんとも言えない感動を覚えた。

社会的な問題:世界の中では、貧困の中で暮らしている子ども達がいる。労働のため教育を受けられない子ども達がいる。いろいろな理由で孤児となり路上で暮らす子ども達がいる。人身売買される子ども達がいる。サルーは、劣悪な孤児院に入ったが、本当に運よく素晴らしいオーストラリアの里親に引き取られることになった。サルーは、迷子になった時、自分の意思で危ない大人から走って逃げた。逃げなければ、この里親に出会うことはなく、どんな人生が待っていたかわからない。不幸な子ども達が世界からいなくなるように。子どもが物として扱われ、大人のお金の対象にならないようにと願う。

周りをみると、何の不自由もなく育ち、自分の幸せのために生きている人が多い。でも、世界には、沢山の問題があることに目を向けてほしい。自分たちが何かすることはできなくても、その問題に意識を向けることはできる。是非、沢山の人に見てほしい映画だと思った。

「持続可能な開発(SDGs)みえ」を立ち上げました

2017年1月3日、仲間4名で「持続可能な開発(SDGs)みえ」を立ち上げた。
テーマ:「地球規模で考えて、地域から行動する」~私たちの三重の生活は、グローバル社会とつながっている~
三重は豊かな自然や産業、観光資源に恵まれている一方、少子高齢化や地域社会の弱体化、多文化共生等の課題にも直面している。私たち三重の生活はグローバル社会とつながっている。2015年国連総会にて、グローバル社会の目標として、「持続可能な開発目標」(SDGs)が合意された。この合意により、貧困を終わらせ、すべての人が平等な機会を与えられ、世界環境を壊さずに、よりよい世界を送ることができる世界を目指して努力することが約束され、2016年から2030年までの15年間、世界中の国々はこの「グローバル目標」の達成に向けて取り組んでいくことになる。
持続可能な開発とは、将来の世代のために環境や資源を壊さず、今の生活をよりよい状態にすることである。そのためには、より公正で公平な社会に向けてみんなが努力し、大きな変化をもたらしていく必要がある。持続可能な開発・みえ(SDGs-Mie)は、自分の暮らしている地域が、誰一人取り残されず、持続可能な地域となり、次世代に豊かで優しい未来を残していけるように、全ての人びとが関心を持ち、一緒に取り組んでいくことを目的としている。

「持続可能な開発のためのグローバル目標」
目標1:貧困をなくすこと;あらゆる貧困(お金がないだけでなく、教育や仕事や食料、病院、住むところなどの必要な物やサービスがない、あるいはうけられないことや、自分の意見を言えないなど、自分のもっている本当の力を十分に生かせないことも含まれます)を終わらせる
目標2:飢餓をなくすこと;生きていくために必要な食料を安定して手に入れることのできる権利を保障し、栄養状態を良くして、持続可能な農業を高める
目標3:健康であること;何歳であっても健康で、安心して満足に暮らせるようにする
目標4:質の高い教育;だれもが平等に質の高い教育を受けられるようにし、だれもが生涯にわたってあらゆる機会に学習できるようにする
目標5:ジェンダーの平等;すべての人が性を理由に差別されないようにする
目標6:清潔な水と衛生;だれもが水と衛生的な環境を得られるようにする
目標7:再可能エネルギー:価格が安くて、安定した発電ができ、持続可能なエネルギーを使えるようにする
目標8:適切な良い仕事と経済成長;自然資源が守られ、みんなが参加できる経済成長を進め、すべての人が働きがいのある人間らしい仕事ができるようにする
目標9:新しい技術とインフラ;災害に強いインフラをつくり、みんなが参加できる持続可能な経済発展を進め、新しい技術を生み出しやすくする
目標10:不平等を減らすこと
目標11:持続可能なまちと地域社会;まちや人びとが住んでいるところを、だれもが受け入れられ、災害に強く、持続可能な場所にする
目標12:責任を持って生産し、消費すること;持続可能な方法で生産し、消費する
目標13:気候変動への対策
目標14:海のいのちを守ること;海や海の資源を守り、持続可能な方法で使用する
目標15:陸のいのちを守ること;陸のエコシステムを守り、再生し、持続可能な方法で利用する。森林をきちんと管理し、砂漠がこれ以上増えないようにし、土地が悪くなることを止めて再生させ、生物多様性が失われることを防ぐ
目標16:平和で公正な社会;持続可能な開発のために、平和でみんなが参加できる社会をつくり、すべての人が司法を利用でき、地域、国、世界のどのレベルにおいても、きちんと実行され、必要な説明がなされ、だれもが対象となる制度をつくる
目標17:目標のために協力すること;実施手段を強化し、持続可能な開発に向けてすべての人びとが協力する

2017年1月31日 朝日新聞にSDGsの特集、国谷裕子キャスターのインタビューが掲載された。
日常生活の中にも、SDGsにつながる動きはたくさんある。短いサイクルで大量に生産されるファストファッションのおかげで、おしゃれな服を安く手に入れることができるようになった。一方で、まだ着られるのに捨てられたり、数回着ただけでたんすの肥やしになったりする服もある。こうした服を作っている国では、、大量生産に伴う環境汚染や、働く人たちが酷使されていることも問題になっている。
そんな生活への疑問は、物にあふれた暮らしを見つめ直す「断捨離」ブームや、環境や持続可能に配慮した「エシカル(倫理的)消費」への関心の高まりにも表れている。少し高くてもお金を出す消費者が増えれば、企業も変わっていく。【つくる責任・つかう責任(目標12)】が掲げる理念だ。
すでに多くの企業が、SDGsに向けた取り組みを始めている。資源も人材も、持続可能な仕組みを作らなければ、ビジネスを続けられないということが見え始めているからだ。
今日の買い物の仕方を見直すことは、SDGsで未来を変えていくことにつながっている。

私の仲間がいる三重県答志島では、島民が立ち上がっている。平成27年11月に突然「鳥羽市小中学校統合計画」が発表され、答志中学校が廃校になる予定だと知らされた。どうしたらいいのか?と相談された。廃校反対の署名活動をしても意味がない。答志には、「寝屋子」など素晴らしい他にはない良さがたくさんある。それを住民達で話し合い、持続可能にしていくためにどうすれば良いかをみんなで考えていくことが大切だとアドバイスした。先日、答志に行ったところ、答志コミュニティスクール実行委員会がたちあがり、地域未来宣言を鳥羽市長に提出してきた、とすごい報告を受けた。

地域未来宣言:学校が地域に果たす役割は大きく、神祭等、祭りや伝統行事には中学生は欠かせない存在です。また、子ども達が地域活動を通じて、自己肯定感を高め、地域愛を育み、沢山の愛に包まれながら、自立した大人へと育つように私たちは努めています。もしも、学校が無くなれば、若者の流出にも歯止めがかからず、地域の存続にも影響を及ぼす恐れがあります。しかしながら、今回の統合計画により地域の現状を把握し、地域の抱える課題に向き合い、皆が共有し、克服していかなければならない責務も感じています。そのために、私たち答志コミュニティスクール実行委員会は、自らの使命に誇りをもち、地域のあらゆる団体の力を結集、その力を十分に発揮し、地域の明るい未来に向けた活動を展開していく覚悟です。ここに、答志コミュニティスクール実行協議会の意向に基づき、私たち実行委員会は「地域未来宣言」を表明し、その実現に向けて取り組んでいきます。
「寝屋子の島」みんなの学校宣言:私たちは、答志島の豊かな自然と伝統文化、島に暮らす人々の経験を生かし、未来ある子ども達の為に島育ちを応援していきます。子育ての島を宣言し、全国から子ども達を受け入れ、分け隔てなく愛情を注ぎ、世界に誇れる人材に育てあげる事を誓います。

答志島の課題は、SDGsの目標とどのようにつながるのだろうか?そして、その課題をどのように克服していっているのだろう?
目標4:質の高い教育をみんなに;答志中学校が廃校になれば、船での通学になる。住んでいる地域差のない平等な教育が受けられるのだろうか?地元の中学校だったからこそ、地域活動による学びがあった。その伝統を受け継ぐことはできるのだろうか?→答志中学校存続に向けての活動、「寝屋子留学」を行い島外からの生徒数確保、小規模特認校制度を導入し、広く全国から生徒を受け入れる体制、小中連携を強固にした学校運営など
目標8:働きがいも経済成長も;地元に働く場所がないため、若者の流出がとまらない。働く場所をどのように作っていけばいいのか?→働く場所を作っていくための動き
目標9:産業と技術革新の基盤をつくろう:海苔養殖が主要な産業→若者達が主になり新しい技術の獲得、販売路の獲得、海苔養殖に携わる者達の異年齢での交流などを行っている
目標10:人や国の不平等をなくそう;離島に住んでいるための不便さがたくさんある。それが、若者の流出につながる→島暮らしだからこその良さを推奨し、移住定住促進につとめる
目標11:住み続けられるまちづくりを;住民の減少、少子高齢化は、離島だけでなく過疎化が進んだ地域の共通の課題である→地域発展のために行政と連携しながら課題を共有し、問題解決に取り組んでいく。シングルペアレントの移住を促進し、子育ての島を宣言する。
目標13:気候変動への対策;海での養殖産業では、海水の温度は致命的となる。→世界規模での地球温暖化に対する対策が必要
目標14:海の豊かさを守ろう:漁業が主要産業である。→海の資源を守り、持続可能にしていくことは、最大の課題である

答志島という小さな島の課題は、グローバル社会とつながっている。一つ一つの課題への取り組みは、グローバル目標につながっている。小さな島民の問題と考えず、つながりながら、様々な知恵や技術を駆使すれば、困難な壁も乗り越えられる。
SDGs・みえからの呼びかけ
「自分の周りの問題に目を向けよう。グローバル目標を達成するためには何が必要なのか、何ができるのかを考えてみよう」
「自分ができることを一歩ふみだしてみよう。仲間を作ろう、つながっていこう。県外の人、世界の人とつながろう」
「実現するための知識をつけよう、学び合おう、意見を交換しよう、人を育てよう」
「相手のことを思い合える世界にしていこう。相手の利益、幸福を考えていこう」
「未来に向けて何ができたか検証しよう。自分達の幸せや未来に繋がったかを考えてみよう」
持続可能な開発目標は、私たち一人一人が取り組んだり、考えたり、生活を変えていくことで達成できていきます。

国連総会で採択された「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ」我々の世界を変える行動の呼びかけでは、次ぎのような文章がある。
これは、人々の、人々による、人々のためのアジェンダであり、そのことこそが、このアジェンダを成功に導くと信じる。人類と地球の未来は我々の手の中にある。そしてまた、それは未来の世代にたいまつを受け渡す今日の若い世代の中にある。持続可能な開発への道を我々は記した。その道のりが成功し、その収穫が後戻りしないことを確かなものにすることは、我々すべてのためになるのである。

SDGsを成功させるためには、若者達がキーワードになるように思う。SDGsは、「誰も置き去りにしない(leaving no one left behind)」が共通理念である。発言権が少ない若者達や子供達が置き去りにならないよう、発言権が少ない社会的弱者が置き去りにならないようにしていくことが必要だと思う。若者達を議論のテーブルにつけ、若者達の意見を注意深く聞き、どうすれば、未来の世代にたいまつを受け渡すことができるのかを考え、実行していくことが必要だ。未来の子供達に、美しく住みやすい地球が残せるように、今、動きださなければと思う。





家族のカタチ

妊娠・出産・子育て期の途切れない支援が必要と言われるようになり、産後ケア事業が各市町村で公的な補助を受けながら行われる地域が増えてきています。三重県津市でも一昨年より、地域の出産・産後を支える施設が協力して、津市在住の方を対象に7日間を限度に産後ケア事業が始まりました。津市在住の方、子育てを手伝う人がいない場合などの縛りがあるため、昨年からは、当院独自でも産後ケア事業を始めました。

産後ケアを受けてもらって良かったというケースが沢山あります。
産後の頼りにしていた実母が出産前に骨折し入院してしまい、自分は帝王切開での出産となり、自分の思い描いていた産後と全く状況が変わってしまったAさん。とりあえず夫と二人で頑張ってみますと退院していきました。その後は、当院での母乳外来で助産師が経過をみていましたが、育児技術というより、Aさんの心身の疲労感が心配とのことでした。1ヶ月健診では、赤ちゃんはすくすくと健やかに育っていましたが、眠れない、食べられない、夫がいるときは手伝ってくれるが仕事が忙しくて夜遅くしか帰ってこない、子どもがかわいく思えない、実母のことも心配だがお見舞いにもいけない、と涙を流していました。産後ケアの話しをしたところ、そんなことができるなら是非利用したいと、もう一度赤ちゃんと一緒に5日間当院で過ごしてもらいました。しっかりと身体を休め、スタッフといろいろな話しをし、「私は以前はこんな性格ではなかったんですよ・・・。こんな風になるなんて・・・」と言いながらも、少し元気になりましたと自宅へ帰っていきました。

この10年程で社会や家族のカタチが急激に変わってきたことを痛感します。以前は、専業主婦の実母が多く、出産時も入院中も実母がつきっきりで世話をしてくれる姿が多くみられました。おばあちゃん達のちょっと間違った子育ての押しつけもありましたが、娘も母親に頼っていました。私自身も産後1ヶ月間は実家にお世話になり、実母が赤ちゃんのお風呂も全部いれてくれて、ゆっくりと過ごさせてくれました。厳しい言葉を言われることもありましたが、自分を育ててくれた母親への信頼感があり、母親に腹を立てるというよりも母として見習い感謝することが多くありました。
今はどうかというと、出産時も入院中も実母よりも夫が頑張ってくれています。夫が出産に立ち会い、入院中も赤ちゃんの抱っこ、オムツ変え、ミルク哺乳など率先してやってくれています。出産した妻へのいたわりも十分してくれています。実母は、仕事をしている、離婚していて再婚した家族がいる、高齢で頼れない、他界している、母娘関係がよくない・・・などいろいろな理由で実母より夫を頼りたいママ達が増えてきました。それはそれで、とても良いことだと思います。しかし、社会のシステムがついてきてくれていません。赤ちゃんが生まれてから、3ヶ月程は本当に大変です。特に最初の赤ちゃんを育てる時は、頼れる人が側にいてくれる、助けてくれる人が側にいてくれることが絶対に必要です。家族だけではやっていけない時代になっています。イクメン、イクボスとは言っても、子育ての十分手助けになるほどご主人が自宅にいてくれることはありません。税金を子育てしている家族のためにもっと使い、社会全体が子育て家族を支えていけるようなシステムに変えていく必要があります。

朝日新聞に特集記事が掲載されていました。
批評家の東浩紀氏が中心となって2012年に発表した「新日本国憲法ゲンロン草案」。前文に「日本は繁栄する国でなければならない」と書かれていた。繁栄とは何だろう。尋ねると、東氏は即答した。繁栄とは子どもを産んで育てられることです、と。「今後の世界で何がポジティブな目標になるのか。思いついたのは、次世代が生み出されることぐらいでした。次の世代の未来が手渡されること。つまり繁栄です」
「保育園落ちた」現象をどうみているのだろう。東氏は、日本でこの10年~20年の間に人々の考え方が変わってきた、と語った。グローバル化を背景にした収入減少で共働き家庭が増え、「妻は家で育児」のモデルは行き詰まった。教育費がかさむ時期に手厚い給与をくjれた年功賃金の会社や労働組合もやせ細った。そうした中で「せいぜい国家ぐらいしか頼るものがない」という認識が広がったと見る。だから、怒りも国家へむかのだ、と。

別の日の特集記事では次ぎのようなことが書かれていました。
「経済的な要因が家族の形を変える」と服藤氏。戦後は経済成長でサラリーマンが増えて都市に人口が集中し、核家族化が進んだ。その後の低成長やグローバル化による収入減で女性のパート就労が増加。保育所などの整備がそれに追いつかず、少子化を招いた一因となった。
日本がモデルとした西欧の家族は多様化の道を歩む。結婚していない男女から生まれた婚外子の差別撤廃が60年代から進み、スウェーデンやフランスは婚外子が5割を超える。同姓婚を認める国も増えている。
結婚するのか、子どもを産むのか、誰と住むのか、死後をどうするのか、生き方の多様化が、家族も多様化させる。あらゆる家族を受け入れる未来を、私たちはつくれるのだろうか。

これから家族のカタチは、ますます変わってくると思われます。国家という大きな組織に頼る部分も必要ですが、国の政策で一つ一つの家族のカタチに答えられるシステムを作ることは不可能だと考えます。これからの多様の家族のカタチを受け入れ、生きる力をしっかりもった子ども達が育つためには、一つ一つの家族に関わる地域社会が変わっていかなければならないのでしょう。そして、私達一人一人の生き方を大切にしながらも、変化していく社会に対応できるよう、自分達の考え方や価値観も変えていく必要があるのだと思います。

災害時の母児を守る

平成28年11月20日三重母性衛生学会に参加し、「災害というキーワードを通じて考える本当の意味での母子保健」 国立保健医療科学院 吉田穂波先生の講演会を聴きました。吉田先生は、三重大学医学部出身で私の後輩であることがわかり、とても親近感のある5人のママさん産婦人科医でした。母として産婦人科医としての熱い思いが伝わる興味深い講演会でした。
吉田先生は、ご主人の都合でフランクフルト、ロンドンで出産・子育てし、第三子を出産後に渡米し、ハーバード大学公衆衛生大学院を卒業後、第四子を出産し、ハーバード大学リサーチ・フェローとして女性の生き方や少子化などの研究を行っていました。2011年3月11日東日本大震災で日本プライマリ・ケア連合学会・東日本プロジェクトの派遣医師として、石巻市、南三陸町を中心に母子のアセスメントをして回った経験を通して、災害時の母児を守るための取り組みが必要と感じ、臨床医から研究職に転身し、災害時の母子保健システム政策研究を始めたそうです。

災害時要援護者として、高齢者、心身障害者、外国人、乳幼児、妊産婦があげられます。日本は世界一の少子高齢化国となったため、他国に比べて妊婦や乳幼児の人口割合が少なく、妊婦はマイノリティとなりました。地域による格差はありますが、一般的に日本では、災害時要援護者の人口における割合が、高齢者(25~40%)、心身障害者(6%)、外国人(1.2%)、乳幼児(5%)、妊産婦(0.8%)となっています。
妊産婦は、要援護者となっているのに、今までは災害時の母子に対する対策がなされていませんでした。避難所では、自分が妊婦だということは、声に出しにくい状況があったそうです。妊娠中の女性は若いため、元気な健康な人と周囲から思われている。産科医や家庭医など産科の知識がない医師は、妊婦の診察をしたがらない。母として妻として家族を守ることが最優先と考え、妊婦自身が辛い状況を我慢している。妊婦のことを理解している支援者が声をかけないと、自分からは手を挙げて援助を希望しにくい現状があったそうです。石巻では、5つの出産施設が津波で流されたため、石巻赤十字病院しか出産施設がなく、出産2日後で退院させるしか方法がなく、出産後すぐから避難所生活をせざるをえない状況がありました。
他の資料を検索すると、東日本大震災の時に、産後の母子を被災地域に近いホテルや温泉施設で短期間受け入れたり、家族を含めた助産院で長期間受け入れたりする申し入れがありましたが、これらの利用は少なかったと報告されています。また、隣県や東京などの受け入れ支援事業では、一定の成果をあげた一方で、このうような活動が波及しなかったことも言われています。これには、家族と離れ離れになることの気がかり、生活基盤のある土地から離れることへの抵抗、自分と子どものことだけを考えて動ける状況でなかったこと、見知らぬ土地へ妊産婦が移動する困難さが考えられると報告されていました。
妊産婦を守るということは、母と胎児あるいは赤ちゃんという二人の命を守ることになります。いくつかの自治体では災害時母子避難所が立ち上がりました。災害というキーワードは、まちづくりの重要な部分です。そこに母子という対象をいれることで、妊産婦や子どもに優しいまちづくりができるのではないでしょうか?日常から、妊産婦や乳幼児が被災した時のことをシミレーションすることで、マイノリティになってしまった妊産婦のことをみんなで真剣に考える場になるのではないでしょうか。それが、少子化への歯止めの一つの方法になるかもしれません。

最後に受援力についての話しがありました。防災の分野でよく使われていて、被災した場合に、ボランティアの援助をどのように受け入れるかという意味で使われているようです。受援力とは、助けを求め、助けを受ける心構えやスキル。吉田先生は、海外で暮らしている時、受援力の大切さに気づきました。日本人は、「こんなことを人に頼んだら恥ずかしい」「自分が頑張らなくては」「頑張れない自分が悪い」などの気持ちが強い民族だと思います。海外では、隣人に出来ないことはお願いするし、隣人も困ったことはない?と声をかけてくれる。誰も頼る人がいないなかでの子育てでは、自分の壁を取り払って、知らない人にもお願いすることで、コミュニケーションが生まれ、暮らすことができたそうです。
頼むこと=相手への信頼、承認、尊敬
今の時代、困ったことがあると、隣の人に聞くよりもスマホで調べます。そこには、隣人とのつながりも信頼もコミュニケーションも生まれません。スマホで調べたことには、常に不安感がつきまとい、どんどん泥沼に入っていきます。隣人に助けて、教えて、わからないのですが・・・というだけで、つながりが生まれます。
私にも経験があります。昔、クリニックは二人医師体制でやっていましたが、もう一人の医師が退職することになり、自分一人でクリニックをやっていかなければならなくなりました。「困った」「やっていけるのか」と気持ちで落ち込みましたが、搬送先の医師に当院の状況を説明したところ、搬送先の医師は、「困った時は、『助けてください』と大きな声でいいなさい。そうすれば、バックアップするから大丈夫」と言ってくれました。その言葉で、どんなに勇気づけられたことか・・・。
私が学んでいるSHIEN学でも同様な考えがあります。他者との関係は、「してもらう・してあげる」の交換。でも、「してもらえる力」をつけることが大切。受援力でも、助けてあげるよりも「助けてもらえる力」をもつことが大切なのでしょうね。人は、いろいろな人に助けてもらって生きている。助けてもらったことへの感謝の気持ち、嬉しかった気持ちが、今度は人を助けたいという気持ちに変わり、行動することができる。自分が行動したことで、つながりがうまれ、信頼や感謝の関係がうまれ、幸せな気持ちになれる。「してもらう・してあげる」「助ける・助けられる」「頼る・頼られる」そんな循環が自然にできる社会になるといいなと思います。

虐待を防ぐために

平成28年9月29日は、三重県立小児診療センターあすなろ学園の新園長 金井剛先生の講演会を聴いてきた。金井先生は、横浜で児童相談所の所長を長年経験してきた児童精神科医である。虐待で傷ついた子供達の心のケアを子どもを保護した児童相談所でするべきだと思っているが、児童精神科医の数が少なく、児童相談所の職員も担当性になっていたため、保護するので精一杯で子供達のケアができていないのが実情とお話しされていた。

平成28年10月13日医療機関向け虐待対応プログラム(BEAMS Stage2)の講習を受けてきた。
BEAMS Stage2の目的は、虐待の可能性がある子どもと親への接し方の基本を学び地域と家族を適切に繋げるための「安全の架け橋」となること。急性期に必要な医学的検査・カテゴリー診断ができるようになることである。

今まで、虐待対応については、児童相談所や市町の子ども支援課などの行政が担当だった。医療的には、虐待を受けた子ども達を診察する小児科医や児童精神科医が関わってきた。産婦人科医は子どもを診察するわけではないので、虐待について今まで無関心だった。しかし、このような講演会や講習で講師の先生に挨拶にいくと、産婦人科医が参加していることを、とても歓迎される。これからは、産婦人科医も是非、繋がってほしいし、繋がる必要があると言ってくれる。最近、妊娠・出産・子育てにおける切れめのない支援が必要と言われ、妊娠中からの虐待リスクの把握や育児指導・育児支援など産科医も虐待予防を担う重要な役割があると意識されるようになってきた。
なぜ、産婦人科医が重要な役割を担うのか?今までは、虐待が起こってからの対応であった。でも、虐待を受けた子供達は、心の問題を持ったり、重大な身体障害や後遺症をもったり、最悪のケースでは死亡にいたる。それを防ぐためには、虐待の通告や対応だけでは不十分で、虐待がおこらないためには何が必要なのかを考えていかなければいけないからだ。

思春期教育:思春期は、子どもの身体から大人の身体に変わる時、そして、心も子どもから大人になっていく必要がある。性教育では、自分自身の身体の変化や月経・妊娠の正しい知識を教えること、妊娠できる身体になったこと、避妊の方法や望んだ時に妊娠・出産するためにどうしたらいいかを教えてきた。しかし、心の変化については、だれも教えてくれない。身体の変化とともに、異性に興味をもち、親から巣立とうとする。性行為をもてば妊娠する可能性はある。でも、それが結びついていない子供達が多くいる。いざ、妊娠となれば、家庭を持ち、子育てをし、家族を養っていくことは、自分の思い道りにいかないことの連続だ。他人との関わりで、他人をどう思いやるか、自分がどのように変わっていったらいいか、変化のなかで対応していかなければいけない。しかし、学力のみで自分を評価してきた子供達、親からのネグレクトで何も教えてもらってこなかった子供達、親子関係が上手くいっておらず親に頼れない子供達・・・。未熟な子供達が親になった場合、自分の思い道りにいかないストレスは、弱い者=幼い子どもに向けられていき、虐待につながっていく。思春期から、身体の変化の知識の授業だけでなく、一人の大人として他人をおもいやること、家庭を築くことや子どもを育てることなどを考える機会が必要だと思う。

性虐待・性暴力被害:性に対して被害を受けた女性達の講演を聴いたことがある。身体的なダメージだけでなく、「自分は生きている価値のある人間なのか」「自分は汚い」「自分は愛される価値がない人間」などといった自己が肯定できなくなる精神的なダメージの方が大きいという。今は、性暴力被害に対して、ワンストップの対応がされるようになってきた。しかし、性虐待については、非常に対応が難しい。虐待が家族の中や知人の中で起こっているため、「誰にも話してはいけない」といった恐怖や圧力のなかで子供達は生きているからだ。最近では、性虐待や性被害に対する支援者の聴き取りの講習会が開催されてきている。しかし、性虐待に専門的に対応できる医師は日本では極めて限られているという。産婦人科医が関わっていかなければいけないことだと痛感する。

社会的・経済的問題:経済的に生活に困窮している。離婚を繰り返し、親が違う子どもをたくさん育てている。頼る身内がだれもいない。精神的な疾患をもっている。・・・外来で診察しながら、大丈夫かな、子育てできるかな、と心配になる家族がいる。今は、地域の保健師に繋ぎ、地域で見守ってもらうシステムができてきた。心配していたが、何とかやっている家族がほとんどだ。でも、虐待予備軍として、保健師やこども支援課の職員が家庭訪問したり、保育園の通園をすすめて保育士が関わったり、子育て支援センターの利用をすすめて、地域が見守ってくれている。大変な生活のなかでも、何とか子どもを育てている様子を聞くとほっとする。子育てに困難が予想される家族には、早くから地域の見守りに繋げていくことで、虐待が防げると思う。子育てには、誰か寄り添って見守ってくれる人が絶対に必要だ。

虐待の連鎖:子ども時代は、養護施設で育った患者さんが二人目を出産した。一人目の妊娠の時は何となくオドオドしていた。年の離れた優しいご主人と時々一緒に通院し、ご主人の両親と同居でうまくやっているようだった。入院中の育児も上手くできていて、夫と義父母の協力のもと何とか子育てをやっていけていると言っていた。すぐに二人目妊娠、出産。今回は、義父が病気になり、義母には頼ることができなくなったと言っていた。当院のスタッフには、何でも話せる関係になっているので、一ヶ月健診の時には、1時間程スタッフと話しをしていた。「実母には頼れないし、養護施設でも虐待を受けたこともあるので、施設の職員には頼れない。施設での友達はいるけれど、大変やなって言うだけ。車の免許がないから、外にもいけない。夕暮れになると上の子どもが泣くので、抱っこをしているけれど、二人抱っこしていると、夕食が作れなくて、どうしようって思う。裏の人は、お年寄りで子どもの泣き声が続いていたら、虐待だと通報されたらと思うと、怖くて窓が開けられない。周りはお年寄りが多くて、ママ友なんて出来ないし・・・。仕事にでて、保育園に預けたらとも言われる。でも、車がないから行けるところが限られている。今日、看護師さんに良く頑張ってるね、て言われたら泣けてきた。最近、頑張ってるねと言われると泣けてくる。心病んでるよね。やばいよね。でも、大丈夫。」などと笑いながら外来で話してくれた。虐待を受け、施設で育ち、本当の親の愛情をうけていないながらも、何とか子育てを頑張っている彼女を心から応援している。何かあれば、連絡しておいで。こんな些細な繋がりでも、虐待の連鎖を防げたらと思う。
プロフィール

柳瀬幸子(やなせさちこ)
産婦人科医。三重大学医学部卒業後、三重大学大学院医学研究科博士課程修了。
ヤナセクリニック院長として多くの命の誕生に立ち会う中、女性のライフサイクルに応じた幅広い医療の提供、お母さんと赤ちゃんに優しい出産、妊娠中から育児中を通してのサポート、育児支援に力を入れている。著書に「地球(ここ)に生まれて」、共著に「効果テキメン! アロマ大百科」など



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