柳瀬幸子の「地球(ここ)に生まれて」

三重県津市にあるヤナセクリニックの院長・柳瀬幸子のブログです。 ヤナセクリニックの基本理念: 私たちは、患者様の思いを尊重し、患者様に寄り添った医療やケアを目指します。 ヤナセクリニックの基本方針: 1.安全、安心なお産を提供し、出産の喜びと子育ての楽しさを感じられるような支援を行います。 2.女性の健康増進のために地域から信頼される医療を提供します。 3.子どもを大切にする街作りを応援します。 ヤナセクリニックのモットー:良いお産、楽しく子育て!!

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<ヤナセクリニックの基本理念>
私たちは、患者様の思いを尊重し、患者様に寄り添った医療やケアを目指します。
<ヤナセクリニックの基本方針>
1.安全、安心なお産を提供し、出産の喜びと子育ての楽しさを感じられるような支援を行います。
2.女性の健康増進のために地域から信頼される医療を提供します。
3.子どもを大切にする街作りを応援します。
<ヤナセクリニックのモットー> 
良いお産、楽しく子育て!!
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東京医科大学入試の女性差別について

東京医科大学入試の女性差別が報道されて、多くの人が意見を述べていますが、現役の女性医師として思うことを書いてみます。
男女雇用機会均等法「職場における男女の差別を禁止し、募集・採用・昇格・昇進・教育訓練・定年・退職・解雇などの面で男女とも平等に扱うことを定めた法律」が施行されたのは1986年。私が大学に入学したのは、1983年なので、男女が不平等に雇用されるのが当たり前の時代に、進路を決めていきました。女子は、高卒、短大卒の方が就職しやすく、就職後は職場で良い相手をみつけて寿退社して、専業主婦になるのが女性の幸せと思われていました。結婚相手の条件には、三高「高学歴」「高収入」「高身長」を求めることが主流で流行語となっていました。男子は、有名な大学に進学して学歴を得ること、大企業に就職するか、高収入を得られる職業につくことが幸せと思われていました。その時代に社会に出ていった世代の人たちが、今の大学の理事クラスになっていると思われますので、女性は家庭に入って家を守ることが役割という固定観念から、なかなか抜けられないのでしょう。大学、医療界といった狭い世界のエリートの人達が、自分達の時代と世の中の考え方が随分変わっていることを理解することもなく、時代錯誤の男女差別をしていても、だれもそれを疑問に思うこともなく、批判することもなく、当然と考えていたのかもしれません。
私の通っていた高校は、公立の進学校でした。父親は大学病院で精神科の医者をしていましたが、私が進路を決める時は、「医者は男女差別のない社会。女性に向いているし、一生続けられる仕事だから、いいと思うよ」とアドバイスしてくれました。父親の時代は、女性医師はひと握りの超優秀で根性のあるスーパーウーマンしかなれなかったので、そんなことを言っていたのかもしれません。父親の世代の先輩女医さんからは、「国の税金を使って医者にさせてもらいました。恩返しをするのが当たり前。医者を辞めるなんてありえない」と言われたことがあります。
私が入学したのは、国立大学の医学部だったので、女性差別、裏口入学などはありませんでしたが、私立大学の医学部では、裏口入学というのは良く聞きました。多額の寄付金を納め、大学関係者に口をきいてもらって、入学する。大病院のご子息であれば、病院を継いでもらわないといけないのだから、それはそれで家業を継ぐという意味では、大変だし、仕方ないことなのだろうと思っていました。1976年にはアメリカの航空機メーカーから政治家に多額の賄賂が流れたロッキード事件があったように、社会全体が、接待・賄賂・裏金などで、事が進んでいくのが当たり前の時代だったように思います。
大学に入ると、女子学生はほとんどが真面目で優秀でした。卒業後、進路を決める時には、女性の壁を感じました。循環器内科、外科、脳外科、胸部外科など、重症患者さんが急変すると、数日間病院で寝泊まりするのが当たり前の診療科では、女医さんは毛嫌いされました。それでも、入局したいのなら、男女の区別はないよということです。入れば、女性医師の方が、やる気もあり真面目で優秀なことが多いので、先輩医師からは大切にされることが多かったように思います。体力的に自信のない女医さんは、もともと皮膚科、眼科、耳鼻科、麻酔科などの体力的にきつくない診療科を選択していました。私たちの頃は育休という考え方がなかったので、働き続けたい女医さんは、子どもが生まれても、両親、親戚、隣人、友人、ベビーシッターなどあらゆる手段の子育て支援者をみつけて働いていました。でも、子どもができて辞めていく、あるいは、パートや残業のない仕事に変わっていく女医さんも多くいました。医者という仕事には収入という面で大きな矛盾があります。医者の仕事は、第一線でバリバリ仕事をして、長時間働いている人が高収入というわけではないのです。常勤で臨床をし、研究や教育をしている大学病院の医者が低収入なのです。研究や教育は、病院の収入にはならず、支出になるだけですが、最先端の医療を追及していく、後輩医師を育てることは将来にとっては、とても必要で大切なことですが、日本の医療では、そこの部分を評価され収益につながっていくことがないのです。パートの掛け持ちや、時間内勤務の楽な職場の方がずっと高収入ということもよくあるのです。そして、パートであれば、真面目で、患者さん受けのいい女医さんが好まれる傾向があります。これが、今回の東京医大の女子減点をして女医さんを増やさない理由の「女性は結婚や出産で長時間勤務ができない」「年齢が高いと医師になった後、大学病院に残らず独立する」という理由になるのだと思います。
患者さんのために、医学のために、後輩医師の教育ために自分の時間を割いてでも長時間労働をしている大半の医者の善意の気持ちで日本の医療は成り立っているのは事実です。そんな医者が文句を言わないのはなぜでしょう。やっぱり医者としてのやりがいがあるからです。仕事の面白さであったり、新しいことを探求する楽しさであったり、自分の後につながっていく後輩医師の成長であったり、患者さんや患者さんの家族からもらえる勇気と元気と幸せと感謝があるからでしょう。
先日、大学の同窓会がありました。卒業して30年たって、男女で働き方が違うのではなく、一人一人が何を大切にして生きてきたかで働き方が違っていました。男女に関係なく、教授になっている人、開業して院長になっている人、総合病院の副院長や診療部長になっている人、勤務医として自分の時間を大切にしている人、家族を大切にしながらパート勤務をしている人。だだ、違いがあるとすれば、女性医師は、独身や子供を持たずに仕事を第一線で頑張っている人もいるということです。
「働き方改革」が医療現場の中でも考えられ始めました。女医さんの増加により女医が働き続けるためには・・・、研修医の過労死など・・・。女医さんを増やさないようにするといった時代錯誤の考え方ではなく、こらからの医者が、男女問わず、仕事のやりがいをもち、どんな職場にいても医療技術や知識を学び続けられ、人格的にも成長し、地域や社会全体にも目を向けて、チーム医療の中で医師としての役割を最大限果たしていけるかが、問われていく時代になると思われます。男性医師も家庭に目を向け、家庭での役割を果たすことで、患者さんに寄り添う医療が提供できます。地域活動に参加することで、患者さんの生活や暮らしている環境を把握することができます。
アメリカでは、時間内に仕事が終わらない医者は能力がないと言われ、病院も時間外労働をさせることが研修医受け入れの減点になるそうです。高収入を得ている医者は、休日には無償診療所のボランティア、地域活動などに参加していることが多いそうです。医者になることが目標ではなく、自分の人生の中で、自分の仕事でどれだけ社会貢献ができるか。そして、人生の中で、今大切にすることが、仕事でなく家族である時期があってもよいと思うのです。それは、男性、女性の性差ではありません。男性だから、女性だからという考え方しかできないボスではなく、一人一人の大切にしていることを理解し、その人の力を伸ばし、チーム医療あるいは地域医療としてその人がどのような役割を果たせるかのアドバイスができるボスが、これからの日本の医療界には増えてほしいと思います。

同窓会

平成30年7月15日に三重大学医学部平成元年卒業の同窓会を開催しました。平成元年卒業ということは、医者になって30年、節目の年なので、今年は同窓会をしようということになり、地元に残っている同期が準備委員となり、開催することができました。卒業した約半分の50名程の参加となり、懐かしい顔に会うことができ、楽しい時間を過ごしました。

私たちの大学生の頃はバブルの時代。大学というのは、勉強するところというよりも、社会に出る前の社会勉強をするところのような感じでした。日本の大学は、入るのは難しいけれど、出るのは簡単。有名な大学に入れば、有名企業に就職できる、そんな時代でした。
地方大学といえども、国立大学の医学部はそれなりの学力がないと合格しないので、浪人して入学してきた人も多く、入学したら勉強ずるぞというよりも、勉強から解放されたという雰囲気でした。

最初の2年間は教養。医学と全く関係ない授業を受けます。先輩から単位のとりやすい授業を教えてもらいます。今ならきっと興味をもって講義を受けていたと思いますが、ほとんど寝ていたか、出席だけとって講義を抜け出していました。みんな車の免許を取ったばかりで、車を運転したくてしようがないので、よく三重の道をドライブしていました。私は地元ということで、同じ高校の先輩達も多く、高校時代やっていたバスケット部に誘われ、あんなしんどいスポーツはするもんかと思っていたのに、大学でもバスケット部に所属することになりました。その当時は、東海地区の一部リーグに所属していたため、素敵な先輩や後輩に恵まれ、試合では全国優勝するチームと試合をすることができ、花の女子大生ではなく、汗にまみれた大学生を送っていました。でも、この時経験したチームワークやチームでの自分の役割が、社会に出てからの大きな基礎になったことは間違いないと思います。体育会系の卒業生は、社会にでてから役に立つと言われますが、自分の技術をどれだけ伸ばせるか、そのためには自分自身にどれだけ厳しくなれるか、チームのなかで自分はどんなポジションなのか、勝つために自分やチームが何をしなければならないのか、身体で学ぶことができるのがスポーツだと思います。

医学部の学生は、割の良い家庭教師のアルバイトをすることが多いですが、私も家庭教師のアルバイトをしていました。そして、ほんとに沢山の種類のアルバイトもしました。家庭教師では、小学生から高校生までを教えていましたが、それぞれの学力レベルで教え方を随分変えなければいけないことを学びました。進学校で学力レベルの高い生徒には、ちょっとした考え方のヒントを与えるだけで、理解するとドンドン自分で解決して問題を解くことができます。学力レベルが低い生徒には、一度教えてわかったと言っていても、同じような問題でも少し内容が変わると解けません。少し時間があくと、同じ問題でも解けなくなってしまいます。この経験は、患者さんに説明をする時に、とても役に立っています。医学用語を沢山ならべて、医療者側がわかるように一生懸命説明しても、患者さんはほとんど理解できないということです。いかに、その患者さんに合わせて、理解できるように、根気よく説明できるか。患者さんの知りたいことをいかに的確に説明できるか、一人一人に応じた対応が必要だということです。
レストランの厨房のアルバイトもしてみました。一日中、大きなスープの鍋の中身を混ぜていました。時給はとても安かったです。この社会経験は、今の経済的問題などを抱えている社会的ハイリスクの患者さんの気持ちを理解するうえで、役にたっています。フリーターでは、家族をもつことは難しい、そんな気持ちが良くわかります。

3年生からは、医学の専門を勉強していくことになります。いくつかの難関がありますが、まずは、解剖。ラテン語で全身の骨の名前を覚えます。病理では、正常と病気の組織のプレパラートを顕微鏡でみていきます。試験前は、みんな教室に泊まり込みで顕微鏡をのぞいています。そして、最終難関は、病理の症例報告。その当時三重大学の学長だった武田先生は、学生全員の病理の症例報告をチェックしてくれて、毎年恒例の病理パックというのがありました。一人一例ずつの症例が当てられ、その病気を勉強し、病理組織について記述し、臨床経過を記載していくという研修医レベルの症例報告を数ヶ月かけて書き上げます。全員のレポートを武田先生がチェックするのですが、そのコメントが強烈で、今ならパワハラと言われかねない書き方でしたが、その当時はみんなで、その強烈なコメントを楽しんでいました。数回の書き直しの後、不合格の者は、夏休みに病理の合宿があり、病理パックと言われていました。できの悪い男子学生10名程度が対象者になるのですが、それも、大変ながらも、みんな楽しんでいました。今思うと、100名の学生のレポートに真っ赤になるくらいのコメントを、ユーモアたっぷりに書いてくれた武田先生は、偉大でした。
5年生からは、臨床の勉強になっていき、5名程のグループでずっと過ごしていきます。最後の一年間は、そのメンバーで臨床実習の勉強をしながら、医師国家試験に向けて勉強をしていきます。
医師国家試験が合格するまでは、一生の中で一番勉強したと思いますが、学年全員で乗り越えた気持ちが強く、卒業して30年たった今でも、同志の気持ちがとても強いです。

卒業して30年たちましたが、みんな医者として頑張っていました。大学の教授になっている者、総合病院の副院長クラスになっていて、臨床現場より管理者の立場になっている者、開業医として臨床に励んでいる者、少しペースダウンして家族との生活を大切にしている者・・・。
頑張っている人に共通していることは、チャレンジャーで好奇心旺盛、探求心がある。継続していける持久力がある。大変なことでも楽しめる。明るくおもしろくユーモアがある。
そして、30年たって、感心したのは、みんな話しが上手になりました。一人1分間の近況報告でしたが、みんな1分間の間に面白くユーモアたっぷりにみんなの注目が集まるようなスピーチをしていました。患者さんに毎日、簡潔にわかりやすく説明することを求められるから、みんな鍛えられたね。
学生時代は、大丈夫かな、と思っていた同級生も、みんな立派になっていました。次回は、還暦の年に同窓会をと話しています。それまで、みんな元気でね。

奇跡のすぐそばにいるということ

5月26日、27日は日本臨床アロマセラピー学会と国際ボンディング協会の総会が東京で開催されました。この2日間で、親子の相互関係、子どもの虐待の問題、命と向き合いそして家族となっていくこと・・・など、様々な方面から素晴らしい話をきくことができました。

講演していただいた精神科医の加茂登志子先生がすすめている親子の関わり方のプログラム。
PCIT(Parent Child Interaction Therapy)とは、幼い子供のこころや行動の問題、育児に悩む親(養育者)の両者に対し、親子の相互交流を深め、その質を高めることによって回復に向かうように働きかける行動科学に基づいた心理療法。
CARE(Child―Adult Relationship Enhancement)子どもと関わる大人のための心理教育的介入プログラム。子どもとの間に、温かな関係を築き、関係をよりよくする際に大切なことを体験的に学ぶ。
育てにくい子ども、育児に悩む親を、私たちはしばしばみることがあります。子育て支援をしていると、私たち支援者が、親子に適切なアドバイスができているのでしょうか。自信をもってできていると言える人はいないと思います。支援者も悩み困っています。親が子どもに適切な関わりをしていない時、どのようにアドバイスしていいかわからず、見守っているだけの場合が多くあります。他の親からのクレームなどを気にして、その親子に注意することもあります。他の親のことを気にして注意すると、その親子は二度とそこには来なくなります。その親子は外に出ることが怖くなります。周りから困った親子とみられているのではと思い、孤立してしまいます。周りの人との交流が苦手になります。それが不適切な養育や虐待に繋がっていくこともあるでしょう。私たち支援者の方が、親子の関わり方についてもっと学ぶべきだと思っています。三重県でもそのような学びができるようにしていこうと思っています。

子ども虐待と脳科学:ずっとお会いしたかった福井大学子どものこころの発達研究センター教授 友田明美先生の講演を聴くことができました。子どもが虐待を受けると、脳が発達するうえで、ダメージを受ける場所がはっきりと研究されてきました。身体的虐待よりも、心理的虐待は大人になってからの様々な精神的問題につながることがわかってきています。心理的虐待は、大声や脅しなどで恐怖に陥れる、無視や拒否的な態度をとる、著しく兄弟間で差別する、自尊心を傷つける言葉を繰り返し使って傷つける、子どもがDVを目撃するなどを指します。子どもの心を死なせてしまうような虐待と理解することができます。身体的虐待は、身体のあざなど、見てわかることが多いですが、心理的虐待は周りからはわかりにくいことが多いです。スーパーの中で、子どもを罵倒して怒っている親をみて、周囲はなんと声をかければよいのでしょう。友田先生はおせっかい運動をすすめています。
調べてみると、東京OSEKKAI計画というのがありました。OSEKKAIが子どもを救う。
子供を虐待から守るためのOSEKKAI5か条
1. 子育てしている保護者(親)を優しく見守る
2. 保護者(親)はいろんな問題をかかえていると理解する。
3. 隣近所、地域社会でのコミュニケーションを図る。
4. 子育てに不安を感じている人には、声をかけてみる。
5. それでも心配な時は189(地域の児童相談所)へ連絡して。
地域のおせっかい運動は、とても大切だと思います。特に、乳幼児期の言葉を話せない子どもを抱えている親にとって、他人のおせっかいは、とても助かります。子どもが泣き止まない時に、周りの誰かが抱っこしてあげる。ベビーカーを押しているママを優先し、手伝ってあげる。「かわいいね」と声をかけてあげる。いつも頑張っているねとママを励ましてあげる。困ったときには助けるから大丈夫と言ってあげる。それだけで、ママ達は、子どもが生まれたことに喜びを感じ、周囲の人達への感謝の気持ちで満ち溢れてくると思います。そうすれば、心理的虐待は必ず減ると思います。地域のおせっかい運動を広めていかなくては。

「奇跡のすぐそばにいるということ~周産期医療の現場から~」:ドラマ「コウノドリ」のモデルになった産婦人科医 荻田和秀先生の講演と対談があり、私も一緒にお話しをさせていただきました。やっぱり温かく、熱く、優しく、素敵な先生でした。産婦人科医は、いつも親子の命と向き合っています。命を助けるために全力投球をしています。そして、その命を中心に家族ができ、家族になっていきます。その現場に寄り添わせてもらっている周産期医療の現場の人間は、やっぱり幸せだなと感じました。ドラマ「コウノドリ」を見ていた時も、いつも医療者サイドの気持ちで見ていました。主役は赤ちゃんであり、その家族。それを支えるのが私たち医療者スタッフ。ドラマ「コウノドリ」では、赤ちゃんと家族をチーム医療が支えている姿が、ずっと貫かれていて、とても好感がもてました。今回の講演で、私が一番印象に残った話しは、ドラマでも取りあげられた「死戦期帝王切開」についてです。心停止した妊婦に対し、お腹の赤ちゃんを緊急帝王切開で取り出し、母体の救命をはかる方法です。それを成功させるためには、日頃の準備とトレーニングとチームワークが必要なことは言うまでもありません。今回、実際の死戦期帝王切開で助かった子供の写真をみせていただきました。「お母さんは植物状態、子どもは脳性麻痺、でも、お父さんからは自分達は家族になれましたと、子どもを連れて会いにきてくれるのです」というエピソードを聞きました。突然の事故、家族全員を失ってしまうかもしれないなかで、助かった命。その後の日常は、大変だろうけれど、助かった命を本当にこのお父さんは愛おしく思っているのだろう、そして、それに寄り添っている医療スタッフの姿を想像すると、涙がでてきました。荻田先生の講演は、聴いている人の立場によって、いろいろ感じるものがあったと思いますが、会場にいたみんなが、温かい気持ちになり、明日からまた頑張ろうという気持ちになれました。それは、命の奇跡のすぐそばにいる生の声だからだったと思います。

そして、今年3月、東京都目黒区で船戸結愛ちゃん(5歳)が虐待死した事件が報道されました。地元の香川で児童相談所に一時保護されていた経緯があることを考えると、救える命だったのではと悔やまれます。そして、結愛ちゃんが、親に書かされていたという反省文「きょうよりかあしたはできるようにするから ゆるしてください」が報道されて、あまりにも悲しく、多くの人が心を痛めたと思います。命が誕生するという奇跡が、こんな形で終わってしまわないように。私たちは、どうしていけばいいのでしょうか。地域が、親子のOSEKKAI応援隊になれるようにと、そう思っています。

映画「いのちのはじまり」

5月5日、私が副理事長をしているNPO法人世界SHIENこども学校のびすくの総会とフォーラムが開催されました。午前は映画「いのちのはじまり」を鑑賞しました。世界の様々な9家族の姿から、子どもの育ちに大切なこと、子どもが育つ環境の問題など・・・沢山のことが胸に響くドキュメンタリー映画でした。ユニセフ推奨の映画でしたが、子どもにとって、親にとって大切なことは何なのか、そして、それを社会がどのように守っていくかを深く感じさせる映画でした。

親の存在:生まれたばかりの乳幼児にとって、信頼できる親からの愛情は不可欠です。目と目をあわせて笑いかけ話しかけてくれる存在、優しく抱き上げてくれる存在、自分の行動について反応してくれる存在が必要です。親も子どもがお腹のなかで成長し、誕生し、母乳を飲み、自分のことを信頼し愛してくれる。本当に愛おしい子どもの存在に、今まで生きていたなかで、一番の幸福感を感じます。
子どもは発達段階の中で、何回も何回も自分の世界に集中して繰り返して行動します。大人にとっては、いたずらとしかみえず、腹立たしくイライラすることかもしれません。しかし、子どもは何回も何回も同じ行動をすることで五感を使って学び、親の反応を見ながら学習していきます。
だから、親と子どもの時間を奪わないようにしなければなりません。親が子どもと一緒にいる時間を守ってあげなければなりません。

子どもの発達:子どもの発達のなかで必要なものは、自由な空間であり、自然との触れ合いです。子ども達は周りの世界のすべてを、遊びに変えてしまいます。沢山の物を買い与える必要はないのです。必要な物は子どもの周りにあり、大切なことは周囲の関わりかたです。
小さな家の狭い隙間で子供達は遊びます。段ボール一つで楽しい隠れ家になります。布一つで小さなお部屋になります。日の光をキラキラと感じ、雨の音はおもしろい音楽になります。雨の日の水たまりは楽しい遊び場です。それを大人が子供達と一緒に感じ、子供達の空想の世界に飛び込んで、自由な発想を一緒に楽しんでみましょう。そして、子ども達が空想の世界で楽しく遊んでいることを邪魔しないことです。それが、子どもの発達のなかでとても大切です。

誰が育てるか:父親が積極的に育児に関わる家庭、シングルファザーの家庭、里親の家庭、同性愛者の家庭など、様々な家族が映像で流れていきます。
育児に積極的に関わっている父親からは、「自分は子育てを一緒にやると決めたから、母親と子どもが仲良くしていて自分が関われなくても悲しいと思わない。母親と子どもが一緒に仲良く過ごせる時間を作れることも、家事をするのも、自分が子育てに参加しているのと一緒のことだから。」「子育てを一緒にすることはあたりまえ。妻にだけまかせるつもりはないし、だからこそ仕事もがんばれる」
シングルファザーの父親は、「仕事を辞めてシングルファザーになったことは後悔していない。今、子供達と一緒にいる時間が大切で幸せだから」。
同性愛者の女性の家族は「不安はあるけれど、自分達はお母さんにもお父さんにもなれることができる。」
里親の家族は「この子がいない生活は考えられない。実の親でないことは、伝えます。でも、この子の癖はどんどん自分達に似てくるのです。」
いろいろな家族があっていい。子どもを愛し、子どものことを大切に思い育てることができれば、どんな形の家族であっても子供達は幸せに育つ。

親のいない子供達:親のない子供達を預かり育てている貧困地域の施設。施設の環境は悪く、食べるものがない時もある。そこで世話をしている女性は、「自分もここで育ててもらったから、今度は私がこの子達の世話をすると決めたの。食事がない時には、みんなで水を飲みながら「水をありがとう」といって神に感謝して水を飲むのよ。」と笑いながら話している。女性も子どもも明るい。笑い声がたくさんあり、歌声が響く。

親の問題:父親が母親へひどい暴力をしているのを毎日のように見ていた女性。早くから家を出て、ドラッグをやり、次から次へと子どもができた。子どもが病気で死にそうになっているのも気がついてやれなかった。しかし、息子に「麻薬中毒者の母親」と言われ、家を出ていかれた時に、やっと気づいた。良い母親になりたい。この子供達のために今から良い母親になりたいと。

貧困の問題:インドの貧困地域に住む小学生くらいの女の子が弟と妹の面倒を見ている。学校に行くこともできず、少ない賃金で労働している。彼女に「将来の夢は?」と聞いたところ、「ありません」という答え。毎日生きることが精一杯の子ども達にとっては、夢という言葉も頭の中にはありません。貧困地域に暮らす親達も同じ。子ども達に食事や教育を与えたくても、生きていくことが精一杯で、将来につながるものを何も与えることができない。貧困をなくすこと、それは、未来ある子ども達が未来の夢を持つことができるということ。そして、子どもたちが大人になった時に貧困の連鎖を断ち切れる道が開けること。だから、世界から貧困をなくすことは、第一に取り組まなければいけないことなのです。

そして、最後に「子どもを育てるには村一つがいる」というメッセージ。
子どもは親だけで育てるのではなく、社会が育て、子育て家族を社会が支える。

いろいろなことを感じる映画でした。今の私にできることは、生まれてくる赤ちゃんと家族が幸せになれるように、一人一人にあった寄り添いをしていくこと。そして、赤ちゃんと家族が幸せになれるように周りの環境を整えてあげること。私自身も、もっともっといろいろなことを知って、一人一人にあったアドバイスをしてあげたいと思う。そんなことを思いながら日々診療に励み、家族の力になっていこう。

嬉しい訪問

先日、「報告したいことがあって来ました」と若い女性がクリニックを訪ねてきてくれた。あまり見覚えのない顔に、最初は、誰だろう?と思ったが、彼女は、高校生の時に妊娠・出産し、悩んで悩んだすえに、特別養子縁組に子どもを出すことを決めたA子さんだった。3年たって大人っぽくなり、別人のようにしっかりしていた。
高校を卒業した後、進学したというのは聞いていたが、その後のことは知らなかった。
A子さんは、「就職が決まりました。公務員試験に受かり、春から公務員として社会人となります。それが、報告したくて来ました」と言ってくれた。わざわざ、クリニックを訪れてくれたことが、本当に嬉しくて、我が子のように涙が出そうだった。

A子さんが初めて外来に受診した高校生のとき、その当時付き合っていた彼と、出産したら一緒に子どもを育てることを考えていた。しかし、両親は絶対反対だった。彼はどうするのかがはっきりしない人で、自分は子どもをA子さんと一緒に育てたいけれど、A子さんの意思に任せるという意見だった。切迫早産のため出産するまで入院することになり、長い入院生活で、スタッフも家族のような気持ちでA子さんのことを見守っていた。親子のちょっとしたボタンの掛け違いで、両親とA子さんは、お互いに正面を向き合って話ができなくなっていた。妊娠中、母親は面会に何度も来てくれたが、お互いに差し障りのない会話をすることしかできず、赤ちゃんのことについて本音で話し合うことができなかった。お互いに嫌いなわけではなく、愛情があるのに、差し迫った大切な決断に対しては、なるべく触れないように、表面的な話しをして仲良く過ごしているようにみえた。無事に出産し、赤ちゃんと触れ合いながら、A子さんも母親も赤ちゃんのことをかわいがり、楽しそうに過ごしていた。しかし、自分達で育てるのか、特別養子縁組に赤ちゃんをお願いするのかを決断しなければならなかった。話し合いをしたが、両親の特別養子縁組に出すという意思は揺るがなかった。赤ちゃんをクリニックに残して、数日間A子さんは実家に帰り、両親との時間を過ごした。そこで、本人と両親がやっときちんと正面に向き合って話し合うことができた。決断は、特別養子縁組をお願いすることだった。クリニックに帰ってきたA子さんとお母さんは、すっきりした顔で「特別養子縁組をお願いします」と私達に言ってきた。親に言われたからではなく、自分で決めたことなのだと、その顔をみてよくわかった。そして、母親との関係もとても良くなっていた。自分がどんなにご両親の愛情を受けて育ててもらったのかが、わかったのだと思う。

昨年は、養親さんと子どもがクリニックを訪れてくれた、とても素敵なご夫婦に育てられ、とても可愛く賢くすくすくと育っていた。養親さんが、いつかきちんと子どもに「あなたには生んでくれた母親がいる。事情があって育てることはできなかったけれど、とてもあなたのことを愛していたのだよ。」と伝えてくれる日がくる。きちんと伝えるために、クリニックを訪れてくれた。そして、子どもは、きっと生母さんの決断を理解して受け入れてくれる日がくるだろう。生まれてすぐにA子さんから沢山の愛情をもらっているから、きっとわかってくれると思う。

A子さんが報告に来てくれたのは、退院後、自分なりに一生懸命生きて、頑張ってきたことを私達に報告したかったのだと思う。あの時、本当に苦しい決断をしたけれど、彼女の人生においてあの決断は間違ってなかったねと心の中で言ってあげた。そして、あの時のあなたへの私達スタッフの関わり方は間違っていなかったよねと、少しほっとした気持ちになった。「お母さんは、就職が決まって喜んでいた?」と聞いたら、「私以上に喜んでいます」と言っていた。ご両親が、A子さん以上に苦しく悲しい決断を自分のためにしてくれたことをわかっているから、これからは、沢山親孝行してあげてねと思う。

高校の校長先生に、「教師の仕事をしていて良かったと思うことはありますか?」と聞いたことがある。「三年に一度くらいは、こいつの人生で少しは俺が関わったことが役に立ったかな、と思う経験がやってくるんですよ。そんな時に、本当にこの仕事をしていて良かったなと思います」と話しをしてくれた。今回、私もA子さんの人生にとって、私達スタッフが一生懸命関わったことが、少しは彼女の人生の選択に役に立ったかなと思えた。彼女の訪問は、本当に良かったねと思える幸せな時間だった。

カンボジアからの客人

2018年3月3日、4日とカンボジアからSam An Rosさんが来日して、一緒にミーティングをする機会がありました。彼は、サンティ・セナというカンボジアにあるNGOの事務局長代行をしています。今回、SDGsみえ副代表の茨城大学野田准教授が日本に彼を招待したご縁で、三重県に訪問してくれました。

カンボジアの歴史や仏教について、今までほとんど知識がない私にとって、今回の彼の訪問は、カンボジアに興味を抱くきっかけとなりました。日本の寺は、昔は、地域における様々な役割を果たし地域コミュニティの中心でありましたが、カンボジアにおいて農村部の仏教寺院は、コミュニティの中心であるだけでなく、教育、孤児や女性のためのシェルターの機能、道や橋の修復などの公共事業も担っていました。1970年代前半までは、南伝仏教は、カンボジアの価値観の基礎であり、仏教儀礼実践は人々の生活に規律と秩序をもたらしていました。
しかし、1970年から、カンボジアは長い内戦の時代となります。そして、1975年4月にクメール・ルージュは首都プノンペンを占領します。そして、1976年5月にポルポトが民主カンプチアの首相になります。民主カンプチアの国家体制は中華人民共和国の毛沢東主義を基盤にした「原始共産主義社会」であり、その実現のために都市住民を農村に強制移送させ、食料増産に従事させました。200万人のプノンペンの市民が強制退去させられ、農村に連行され、知識人と言われる教師や僧侶が大量虐殺されました。ポルポトの時代に150万人以上が殺害されたといいいます。寺院は封鎖され、ほとんどが解体され、仏像は兵士によって破壊され、古代からの経典は焼き払われました。その後、1991年にカンボジア和平パリ協定が調印され、1998年ポルポトはジャングルで死亡し、20年以上にわたる内戦は終了しました。
内戦終了後は、仏教僧が、人々の心の支えとなり、貧困・教育などの社会貢献を行っている団体がいくつか立ち上がりました。Sam An さんが働く、サンティ・セナ(Santi Sena)は、その一つです。
サンティ・セナ(Santi Sena)は、カンボジアのベトナム国境近くにあるスバイリエン州にあり、仏教僧の二ェム・キムテン氏が代表をつとめています。1994年に設立されたNGOです。サンティ・セナのビジョンは、「カンボジアの人々が平和・正義・社会福祉および尊厳ある生活を送ること、そしてカンボジアの豊かな生態系と自然環境の調和の取れた生活を送ること」。そのミッションとして「関連の行政機関とよりよい親密な連携の下に貧困を撲滅すること、社会的弱者に焦点を当てて活動すること、社会的暴力をなくすこと、人権・民主主義・社会の法そしてアドボカシーを推進すること、女性のエンパワーメントを行うこと、そして天然資源の保護に貢献すること」。活動のゴールとして「全ての人々、とりわけ小農、女性、障害者、若者、高齢者そして子どもたちによりよい充実した生活を確かにするものとする」。と掲げています。

Sam Anさんは、貧困の家に生まれました。カンボジアでは普通の学校と仏教学校があり、貧しい家の子ども達は仏教学校に入ることができます。僧侶になるための勉強以外に、普通の学校で学ぶ勉強もできます。仏教学校で学んだあと、Sam Anさんは、サンティ・セナで働くことになります。働きながら片道3時間かけて、プノンペンの大学に通いました。土曜日の早朝に出発して、日曜日の夜に帰ってくる生活を続けました。交通事情がその当時はとても悪く、友人は途中で命を失くしたそうです。彼がサンティ・セナで今後の力を入れたい活動は、教育、特にChild Careだといます。親たちに衛生概念がなく、手を洗ってから食事をするということから、幼児の間に教えていきたいといいます。
各国の保育園や子育て支援施設を参考に、Child Careの施設を作っていきたいとの思いで、今回の来日でも保育園や私の産婦人科施設内の子育て支援の場所を興味深く見学していきました。ディスカッションをするなかで、私は、乳幼児の子育てには、その地域や民族の伝統や文化が深く関係しているので、他の国の新しい近代的な子育て方法が全て良いというわけではなく、逆に、古くからの伝統的な慣習や方法が全て時代遅れで悪いわけでもないと思っていることを話しました。日本の古くから受け継がれてきた子育ては、戦後、アメリカからの先進的な子育て論が入ってきて、日本人が古くから大切にしてきたものが、随分失われてしまいました。自分が住んでいると気がつかないけれど、カンボジアの伝統的な子育てや育児方法にも素晴らしいものが沢山あるのではと思います。とりあえず、カンボジアに行って、カンボジアの生活や文化に触れて、それから一緒にChild Careについて考えていきたいと話しをしました。

今回の彼の訪問でのもう一つの大きな目玉は、茨城大学生と三重大学生のコラボによるフォーラム運営です。茨城大学の野田ゼミ生達は、夜行バスで三重県津市に来てくれました。前夜祭では、我が家の「のびすく」でお寿司とおでんを食べながら翌日のフォーラムの打ち合わせをしました。大学生達がSam Anさんの英語の通訳をしてくれます。私の大学時代には、こんな経験をしたこともなく、若い時にいろいろな経験ができる今の大学生を羨ましく思い、大学生の若く自由で楽しい姿に、こちらもリフレッシュさせてもらい、パワーを沢山もらいました。
そして、翌日の本番です。津市の前葉市長も駆けつけてくださり、大学生達にとても素敵な話をしてくれました。持続可能な開発をすすめていくためには、「君たち若者が、声をだし、意見をいうことが必要です。その声をしっかり受け止め、行政は動きます。そして、未来の社会に向けて進んでいきましょう」熱いメッセージを若者達に投げかけてくれました。市長自らの声を届けてもらって、大学生達は感激したのではと思います。
今回のテーマは「子どもの貧困」です。野田准教授、Sam Anさん、私の講演のあと、学生たちが発表してくれました。三重大学院生からは、授業で話し合った「子どもの貧困」について。さすが大学院生だけあって、「子どもの貧困」について自分たちがどのようにとらえたか、そこからの様々な資料を通しての自分の考えをまとめてくれました。お金がないという面だけでなく、貧困をどのようにとらえ、子ども達にどのような影響を及ぼすかの視点がとても興味深かったです。次は、三重大学カンボジア支援団体(CSU)メンバーからの発表。「カンボジアの小学校で運動会をしよう」という活動の発表でした。自分たち学生が、企画し、準備し、寄付を募り、カンボジアの学生や大人の協力のもとで、子供達との大運動会の様子を報告してくれました。「やりたい」を行動にうつし、実現し、感動と幸せをもらって帰ってきた姿がとてもまぶしく、素敵でした。最後に茨城大生の発表です。ゼミの中でSDGsについて学び、カンボジアに研修ツアーにいった紹介でした。自分たちがカンボジアに行って感じたことで、何かできないかを考えました。SDGs茨城の缶バッチを作ったり、フェアトレードでカンボジアの小さな置物を学祭で売ったりしました。その資金をサンティ・セナの学校建設の資金に充ててもらおうと今回Sam Anさんに寄付をしていました。国際的な目線で大学の授業を受け、学ぶことができる学生は幸せだなと思いました。
打ち上げの食事会では、ほとんど女子大生だったため、ジェンダーについての私の思いを少し話しました。妊娠・出産というのは、女性にしかできない、とても素晴らしいことであり、自分のライフプランの中に考えていってほしい。そして、これから大学を卒業して、社会人として生きていくなかで、「女性だから」とか「親が女の子なんだから○○にしなさい」という理由で不満を持ちながら自分の生き方を選択していくのではなく、「自分はどのような生き方をしたい」と自分の声で、親や友人やパートナーや社会に対して発言できることが、ジェンダーの平等ということだと思うと話しをしました。若い人達には、もっともっと伝えたいことが沢山あります。

今回、Sam Anさんと会うことができ、そして、大学生と一緒に過ごすことができ、私にとって大きな学びと収穫の時間を過ごすことができました。いつか、近い時期に、カンボジアに行こうと思います。Sam An さんの温厚な優しい風貌から、きっとカンボジアは感謝の国なのだと想像しています。そして、私の知識が少しでもお役にたてるのなら一緒に何かしていきたいと思います。これから、何ができるのか、また楽しみが増えました。ありがとう、Sam Anさん。

オリンピックで思うこと

平昌オリンピックが始まりました。期待された選手がメダルを獲得しています。メダリスト達のコメントを聞きながら、感動とともにいろいろなことを考えています。
メダリストになるためには、個人の才能は一番大切でしょう。しかし、それだけではメダリストにはなれません。メダリスト達は、必ず、「自分一人でとったメダルではありません。支えてくれた人達全てに感謝します。」と感謝の言葉を口にします。

メダリストなるために、私が思うこと。
自分にあった競技:どの選手も人並み以上の身体能力があるのでしょうが、競技種目を変えたことで、トップアスリートになった人もいます。そして、自分が全てを捧げてもよいと思える競技に巡りあえたことは幸せなことです。巡りあうためには、いろいろなチャレンジが必要です。やってみたら、とても楽しかった、上手くいったという経験が、その後につながっていくのだと思います。チャレンジする勇気、一歩を踏み出す勇気、そして、ダメな時には道を変える勇気も必要なのだと思います。

家族の協力:どの競技でもお金がかかり、資金面や快適な競技生活を送るための家族のサポートはかかせません。周りの子ども達とは違う生活、学業との両立、小さい頃から親元を離れて競技に打ち込んでいる子ども達もいます。両親の心配は並大抵ではないと思います。大きなケガや命の危険と隣り合わせです。子どもを信頼して送り出す親の気持ち、親も肝が据わっていないとできないことでしょう。

指導者との出会い:自分の能力を最大限に引き出してくれる指導者が必要です。指導者は、自分の経験だけでなく、最新の知識や技術を習得し、科学的な分析を行い、トレーニング内容、メンタルのサポート、身体作りなどの様々なアドバイスが必要となります。チーム体制で沢山の専門家が関わって選手を支えています。自分が信頼できる指導者とサポート体制の中で、いかに競技に集中することができるかは一番大切なことでしょう。自分一人がとったメダルではないとみんなが言うのは、自分のために沢山の人が本気で関わってくれるていることをわかっているからこその感謝の気持ち、そして、そういったことがわかっているからこそ、一流になれるのだと思います。

応援してくれる人達:羽生選手は、東日本大震災で拠点となるリンクが使えなくなった時、全国各地を転々としながら、招待してもらったアイスショーに参加し、リンク管理者の厚意で練習時間を確保してもらったといいます。苦境にたった時に手を差し伸べてもらった恩は忘れません。自分のためだけでなく、自分を支えてくれた人のためにも、人は頑張れるのだと思います。

ライバルやあこがれの存在:目標がないと、なかなか人間頑張ることができません。競技の成績だけでなく、人間的にも素晴らしいライバルや先輩・後輩の存在は大きいと思います。目標とする人、負けたくない人がいることは幸せなことですし、自分を成長させてくれます。尊敬できる友が、本気で闘っているからこそ、自分も必死に闘えるのでしょう。オリンピック中で、メダリスト達がお互いに賞賛しあう姿は、美しく清々しいものです。人生の中で、そんな仲間に巡りあえることは幸せですね。

めぐり合わせ:そのスポーツが、今注目される競技で、競技生活を快適に行える環境であった。自分のピークがちょうどオリンピックの年であったなど・・・。その反面、実力があってもオリンピックのメダルはとれなかった人は沢山います。ついている人とついてない人はやっぱりいます。人生のなかには、「ついてる」ときはあります。でも、それを結果につなげられるかは、日々の努力がなければつながりません。

自分に負けない心、レジリエンス:最後は、やっぱり自分に勝つことでしょう。どんな人間でもさぼりたい、楽をしたい、苦しいことから逃げたい気持ちがあります。不調な時、ケガをした時、後輩が追い上げてきた時・・・もうやめたい、不安で心が押しつぶされそうな時があります。他人をみて、羨ましく思い、妬みに変わることもあります。他人のせいのアクシデントで競技ができなくなり、憎しみに変わることもあるでしょう。それでも、その気持ちに打ち勝つ自分があるか。試合に負けて悔しくたまらない時、冷静に自分を見つめて、それをばねにすることができるか。調子がよい時、上手くいっている時には、有頂天にならずに、自分を見つめなおしてもっと高いところを目指せるか。メダリスト達には、自分に負けない強い心を感じるから、人を感動させるのでしょう。

このオリンピックを見て、自分もこんな風になりたいと、大きな夢を抱いた子どもがいるかもしれません。夢は実現できると信じて、前にすすめるか、それは周りの環境が大きく影響します。全ての子ども達に夢をもってほしい。子どもの頃に、自分に負けない心を育んでほしい。全ての子ども達が前に進めるように、応援できる社会であってほしいと思います。そして、大人たちも、いつまでも夢をもって進んでいきたいと思います。

私の夢は、「赤ちゃんとママに優しい」産院を作ること、女性の駆け込み寺のように気軽に相談できる医師であること、そして、生まれてきた全ての赤ちゃんが幸せに育つこと。そんな夢を実現できるように頑張ろうとオリンピックを観ながら勇気をもらっています。

広げよう!ボンディング

孫が生まれて1カ月半が過ぎました。
私は、親子の絆作りを目指した国際ボンディング協会に参加しています。赤ちゃんが生まれてボンディング(絆つくり、つなぐ、つながる)について改めて考えてみました。

娘は、ヤナセクリニックに4月から助産師として勤務を開始したのですが、その月に妊娠が発覚しました。現在ヤナセクリニックは職員の出産ラッシュのため産休、育休者が多く大変ですが、みんな快く妊娠中のスタッフを応援し支えてくれています。新しく入ったスタッフも一生懸命やってくれています。職場でのスタッフ同士のボンディングです。働き方改革、女性の優しい職場になるためには、スタッフ間のボンディングがとても大切ですね。

出産後は、娘は母子同室でずっと過ごしました。一晩陣痛が続いたので疲れていましたが、母乳だけで、ミルクを足さずにいきたいという本人の希望に添うように、生まれた日から母子同室です。しかし、夜は少し休んだらと、3時間だけ新生児室に預かってくれて、泣き止まない赤ちゃんにミルクは足さずにずっとスタッフが抱っこしてくれていたそうです。生まれたばかりでの頻回授乳は大変だったようですが、この時の母子同室、頻回授乳、そして、少しだけ赤ちゃんを預かってみてくれたこと、ミルクを足さなかったことが、完全母乳につながっていると娘は言っていました。また、乳房のうっ滞期の痛みを伴う時には、助産師が適切に乳房マッサージをしてくれました。母乳哺育は、ミルクを作る手間がなく、退院してからもとても楽に育児ができているようです。母乳哺育は、母子のボンディング形成にはとても重要です。助産師という母乳に対するプロがいかに適切に指導、支援してくれるか。母乳哺育が上手くいくことは、子育てのスタートに親としての自信につながります。助産師とママのボンディングです。

産婦人科医として毎日仕事が忙しいパパは、できる範囲内で子育てに参加してくれています。実家に娘が里帰りしている間も、よく泊まりにきてくれて、おむつかえ、抱っこ、お風呂をいれてくれます。買い物もしてくれます。でも、ゴルフに行くし、飲み会にもいくし、自分の時間も大切にしています。無理のないパパの育児参加です。パパとママ・赤ちゃんのボンディングです。

入院中から産後1カ月まで、沢山の友達がお祝いにかけつけてくれました。楽しく生き抜きの時間になっていたようです。友達とママのボンディングです。

1カ月間の里帰り中は、私は仕事が忙しく食事の用意ができないため、毎日昼食と夕食を病院の厨房スタッフが作って届けてくれました。本当に助かりました。周囲の協力者とママのボンディングです。

おばあちゃんである私も無理のない範囲で、子育てのお手伝いをしています。実家にきているときは、お風呂の手伝い、泣いている時の抱っこ、夫婦二人でお出かけしたい時には、赤ちゃんを実家でみています。お宮参りの時は、パパのご両親が遠方から来てくださり、みんなで外食をし、パパがご馳走してくれました。赤ちゃんを中心として無理のない程度で両家がつながります。三世代のボンディングです。

今日、入院中の私の母のところに赤ちゃんも一緒に面会にいきました。曾祖母は赤ちゃんの訪問で満面の笑顔になります。赤ちゃんから元気をもらったようです。四世代のボンディングです。

1カ月過ぎてからは、「のびすく」で子育てママさん達と楽しい時間を過ごし、託児の少しお手伝いもしています。4月からは、ヤナセクリニック内の託児「ふうか」や私の自宅での託児「のびすく」を利用しながら、少しずつ職場復帰する予定です。地域の子育て支援とのボンディングです。

子どもが生まれたことで、新しいつながりや、今までのつながりがさらに深まりました。親子の絆作りは、ママと赤ちゃんとのボンディングだけでなく、家族、周囲の人々を巻き込み、どんどん広がっていくボンディングです。子育ては、ママ一人がするものではなく、赤ちゃんを中心としてどんどんつながっていくことで楽に、楽しく、幸せに子育てができます。どんなに大変なことも辛いことがあっても乗り越えていくことができます。

孫育てをしながら、もっともっとみんなにボンディングを広めていこうと思っています。





孫の誕生

今年はいろいろなことがありました。
9月5日に父が亡くなりました。そして、12月5日に娘に可愛い女の子が生まれました。
命が終わり、そして、命が始まる。命が受け継がれていくことをとても深く実感する一年でした。

12月21日が予定日だったので、まだまだだろうと思っていたのに、12月4日妊娠37週、お腹が痛くなってきたと娘から朝7時にLineが入り、その後、破水したみたいと電話がはいりました。産婦人科医である婿が私のクリニックまで送ってくれました。子宮口は1㎝でまだ固く、赤ちゃんもまだ下がってきておらず、婿は一度職場へ。午後、本格的な陣痛にならないため、陣痛促進剤を内服することにしました。夕方からは本格的な陣痛が開始しました。婿は、病室に内診セットを持ち込み、ずっと娘に付き添ってくれて、分娩経過をみてくれます。先輩産婦人科医である義母から、「今はどんな状況?」と常に聞かれるのだから、プレッシャーだろうなと思いつつ、分娩は自分がみて取り上げると宣言したからには、頑張れ。大学病院の先生が心配して面会に来てくれました。分娩は微弱陣痛でゆっくりとしか進行せず、病室で婿はずっと夜中娘に付き添って二人でうとうとしながら、陣痛時には腰をさすってくれていました。朝になって子宮口は8㎝開大してきましたが、陣痛が弱く、児頭は高い。陣痛促進剤の点滴を行うことに。私は外来をしていたので、ずっと婿がお産をみてくれていました。順調に分娩となり、婿が無事に自分の子どもを取り上げました。とても誇らしげな父親の顔になっていました。分娩の時は、何かあってはいけないと教授の指示で、産科の病棟医長がかけつけて待機してくれていました。ありがたいことです。私も分娩に立ち会いましたが、結構冷静でいつものように振舞っていました。しかし、必死に出産に臨んでいる娘の姿をみて、娘も母親になるのだなと、心の奥からにじみでるような嬉しさがこみあげてきたのも事実です。元気に赤ちゃんは産声をあげてくれました。婿は助産師と医師の二役をこなしたため、疲れ切ったようで、その後は爆睡。産科医としてとても良い経験ができたのではと思っています。

その後の育児は、やはり、娘は助産師だけあって、赤ちゃんの抱っこは戸惑うこともなく、完全母乳で育てています。ベテラン助産師の適切なアドバイスとおっぱいケアにより、母乳もトラブルなく良くでています。良く飲み、良く寝る、とても育てやすい赤ちゃんで、お父さんとお母さんの愛情を一杯受けています。赤ちゃんが一人いるだけで、みんなに癒しと幸せを与えてくれます。

おばあちゃんになってみて、感じること。今までいてくれることがあたりまえだった両親は、父が亡くなり、母は年老いて病院の入退院を繰り返しています。あんなにしっかり者だった母は、少し痴呆も入ってきてしょっちゅう電話をしてきて、私に頼ってきて大変です。その反面、まだまだ子どもだと思っていた娘が、親になり、しっかり子育てをしています。時の流れを感じます。
そして、赤ちゃんが家にやってきました。こんなに小さい身体で何も話すこともできないのに、その存在感はだれよりも大きく、そしてだれよりもみんなを幸せな気持ちにしてくれます。日々の生活は大変で、先行きが見えなくなっている時でも、赤ちゃんは全てを忘れさせ、未来を感じさせてくれ、希望がわいてきます。本当に不思議な愛おしい存在です。
私の両親がいなければ、この赤ちゃんも存在しない。ずっとずっと命はつながっていく。そんなことを考えると、自分の命も愛おしく、自分を誉めてあげたい気持ちになり、命をつなぐことができたことに深く感謝の気持ちがわいてきます。
これからは、孫とのどんな生活が待っているのだろう。そう考えるとこれからの人生も楽しみで満たされていきます。おばあちゃんにならせてもらって、ありがとう。

ドラマ「コウノドリ」

ドラマ「コウノドリ」のシリーズ第二弾をよく見ています。かっこいいヒーローの医師が活躍して人を助けるといったドラマではなく、病院に勤める様々な職種の人たちが、個々の立場や個性がありながらも、患者さんの幸せのために一生懸命に考えて頑張っているところにとても好感がもてます。また、医療スタッフ側の心の悲しみ、くやしさ、葛藤、疲労感、そして幸せも一緒に描いてくれているところに共感しながらみています。
前回の話は、若手の女医さん(下屋先生)が、当直先で患者さんと仲良くなり、症状に不安を感じながらも病院に戻って勤務をしていたら、その患者さんが甲状腺クリーゼで急変して心肺停止の状態で搬送され、母親は亡くなり、赤ちゃんだけ助かるというストーリーでした。下屋先生は、泣き崩れ、何もしてあげられなかった自分を責めます。次の日の外来で、全妊婦さんに甲状腺の検査を行います。先輩医師から仕事を休むように告げられます。休んでいる間、何も手につかない状態でしたが、「やっぱり自分は産科が好きだ。産科にもどりたい。」でも、自分がもっと実力をつけなければと救急の現場にいくことを決めます。
下屋先生が、「この悔しさを乗り越えて、患者さんを助けられる医者になりたいのです。」といった時、コウノドリ先生は「乗り超えることなんてできないよ。上手くいかなかったことはずっと心の中に残るものだ」と言っていました。医療者であれば、とてもこの言葉は響きます。上手くいかなかった辛い経験は、その経験が自分にとってよかった、乗り越えられたなどとは絶対に思えません。自分の心の中にずっと重いものとして残るものです。
目の前の全ての患者さんが、良い結果になるようにと、自分なりに医療者は日々最善をつくしています。でも、自分の予想とは裏腹に、良くない結果になってしまうことがあります。逆に、もうダメかもと思っていたのに、良い結果になっていくこともあります。良くない結果でも、患者さんから感謝の言葉をもらい、励ましの言葉をいただくこともあります。しかし、良い結果になっても非難の言葉を浴びせられることもあります。
心が折れそうになる時も多々あります。でも、医師を続けられるのはなぜなのか・・・と考えてみました。それは、良くない結果であっても「ありがとうございました。先生も頑張ってください。」と言ってくれた患者さんの言葉があるからのように思います。だから、頑張らなければと思います。
医師としての辛い経験は乗り越えるものではなく、心にしまっておくものだと思います。心に積み重なっていったものが「経験」と言われるものだと思います。医師としての技術だけでなく、診察や診断能力、患者さんへの態度や話し方は、患者さんから教えてもらった「経験」の積み重ねです。若い医師の方は、新しい知識も豊富で、体力もあり、手先も器用です。でも、患者さんから教わった一つ一つの心の中に積み重なった経験は、ベテランの医師にはかないません。長い年月、患者さんと真剣に向き合ったからこそ出来上がるものだからです。
「私たちの教科書は目の前にいる患者さんです」そんな言葉を忘れずに、一人一人の患者さんを大切に診察していこうと思います。そして、若いドクターにもそれが伝わっていってほしいなと思います。
プロフィール

柳瀬幸子(やなせさちこ)
産婦人科医。三重大学医学部卒業後、三重大学大学院医学研究科博士課程修了。
ヤナセクリニック院長として多くの命の誕生に立ち会う中、女性のライフサイクルに応じた幅広い医療の提供、お母さんと赤ちゃんに優しい出産、妊娠中から育児中を通してのサポート、育児支援に力を入れている。著書に「地球(ここ)に生まれて」、共著に「効果テキメン! アロマ大百科」など



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