柳瀬幸子の「地球(ここ)に生まれて」

三重県津市にあるヤナセクリニックの院長・柳瀬幸子のブログです。 ヤナセクリニックの基本理念: 私たちは、患者様の思いを尊重し、患者様に寄り添った医療やケアを目指します。 ヤナセクリニックの基本方針: 1.安全、安心なお産を提供し、出産の喜びと子育ての楽しさを感じられるような支援を行います。 2.女性の健康増進のために地域から信頼される医療を提供します。 3.子どもを大切にする街作りを応援します。 ヤナセクリニックのモットー:良いお産、楽しく子育て!!

三重県津市にあるヤナセクリニックの院長・柳瀬幸子のブログです。

検索エンジンからこられた方は、こちらをクリックしてトップページにお越し下さい。

<ヤナセクリニックの基本理念>
私たちは、患者様の思いを尊重し、患者様に寄り添った医療やケアを目指します。
<ヤナセクリニックの基本方針>
1.安全、安心なお産を提供し、出産の喜びと子育ての楽しさを感じられるような支援を行います。
2.女性の健康増進のために地域から信頼される医療を提供します。
3.子どもを大切にする街作りを応援します。
<ヤナセクリニックのモットー> 
良いお産、楽しく子育て!!
============================================
このブログが本(アマゾン・電子ブック)になりました。(日本円・300円)
お住まいの国のアマゾンでお買い求めいただけます。中身の本文はどの国で購入されても、日本語です。

日本   http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00KPO78CE
米国   http://www.amazon.com/dp/B00KPO78CE
インド  https://www.amazon.in/dp/B00KPO78CE
英国   http://www.amazon.co.uk/gp/product/B00KPO78CE
ドイツ  http://www.amazon.de/gp/product/B00KPO78CE
フランス http://www.amazon.fr/gp/product/B00KPO78CE
スペイン http://www.amazon.es/gp/product/B00KPO78CE
イタリア http://www.amazon.it/gp/product/B00KPO78CE
ブラジル https://www.amazon.com.br/dp/B00KPO78CE
カナダ  http://www.amazon.ca/gp/product/B00KPO78CE
メキシコ https://www.amazon.com.mx/dp/B00KPO78CE

『ぼくたちは、あらそうために生きるのか?』

『ぼくたちは、あらそうために生きるのか?』山極寿一文 あべ弘士絵を読みました。

私は、人間も動物。動物の子育てから、沢山のことを学べるはずだと思っています。以前、そんな思いをこどもの本専門店の店主増田さんに伝えたところ、あべ弘士さんが津に講演会に来てくださいました。それ以降、毎年のラジオ番組に電話出演していただいています。元京大総長の山際寿一氏は、ゴリラ研究者の第一人者。ゴリラの子育てや家族関係から、人の子育てや家族関係についての本を執筆されています。そんな内容に共感することも多く、沢山本を購入したり、講演を聴きにいったりしていました。そのお二人がコラボしたということで、早速、本を購入しました、

まずは、動物の中でもゴリラの絵が素晴らしいあべ弘士さんのゴリラの絵から始まります。あべ弘士さんの絵は、いつも優しくて豪快で、あたたかい気持ちになり、大好きです。

~野生のゴリラは、言葉ではなく、歌のような声や体のリズムで、気持ちをつたえあっている。木からおりて地面に立った大むかしのヒトも、いっしょになって、うたったり、おどったりすれば、「じぶんたちは仲間だ」という思いが自然にわきあがってきただろう。~
現代のヒトもカラオケ大好き、盆踊り大好きです。みんなで、歌ったり、踊ったりすることで、ストレスの発散になるし、自然に気持ちが楽しくなり、幸せになる。そして、仲間の意識が強くなる。

~弱いヒトが草原で生きのびるために必要だったのが、仲間たちのたすけだ。
おなかにあかちゃんのいるおかあさんや、小さなこどもたちは、仲間がもちかえってくれる食べものが、どんなにうれしかったことだろう。遠くまで食べものをさがしにいく仲間のすがたが見えなくなっても、きっと帰ってきてくれると、しんじてまっていたんだ。
とってきた食べものは、けしてひとりじめにしない。年をとって狩りにいけなくなった人や、病気の人にも、みんなで仲良く分ける。~
現代でも、ヒトの心には、困った人を助けたいという気持ちはしっかり残っています。震災など、困っている人がいると、多くの人がボランティアで助けにいきます。それを自慢するような人はいません。
そして、困っている人達も、きっとだれかが助けに来てくれると信じています。そうやってヒトは生き延び、困難にも立ち直ってきました。

~ヒトのあかちゃんは、はいはいをするのにも、立つのにも、時間がかかる。とても、おかあさんだけでは、育てることができない。森から出たヒトは、みんなで一緒に赤ちゃんを育てるために、いくつもの家族があつまってくらすようになった。そして、家族があつまって、おたがいに食べものを分けあってくらすうちに、ヒトの心のありかたも、少しずつかわっていったんだ。~
核家族化し、夫婦だけで子育てをするのは、本来のヒトの子育てではないのです。まわりのヒトに助けてもらい、みんなで一緒に赤ちゃんを育て、一緒にご飯を食べ、助け合うことで、自然にヒトの心が育ってくる。だから、今は自分達夫婦だけで子育てを頑張ろうと思うから、子育てが辛く大変になってしまっている。そして、子どもの心が自然に育つことが、難しくなっているのでしょう。

~仲間のために、よいおこないをしようという気持ちは、アフリカの草原で生きるようになったヒトが、おおぜいでたすけあってくらすようになり、じぶんのこどもだけでなく、仲間のこどもいっしょに育てるようになったときから、めばえてきたものにちがいない。~
現代は、自分の子どものことだけが一番大切で、仲間のこどものことを助けようとしない親を時々みます。他の子どものことは、見て見ぬふりだったり、親が気に入らなければクレームを言ったり。仲間のこどももいっしょに育てる感覚がみんなにあれば、子育てはきっと楽しくなるし、親の人間関係も広がっていくのに。競争社会になり、人を蹴落としてでも、上にいかなければいけないという時代が、ある時からやってきました。その頃から、生きにくい社会になってきたのかもしれません。

~手に入れた食べものを分かちあってくらしていたヒトは、やがて長い年月がたってから、農業をはじめるようになった。だれのものでもない土地を、獲物をもとめて移動するくらしから、ムギやコメを育てるために、ずっとおなじ土地にくらすようになったんだ。それぞれの集団が、きまった場所に住むようになると、この土地はだれのものか、という考えが生まれてきた。実った食べものは、すぐには食べきれないので、たくわえるようになった、そのとりぶんのちがいから、ゆたかに食べものをもつ人と、そうではない人が出てきた。そうして、ゆたかな土地をうばいあうための戦いがはじまった。その戦いは、いつまでもつづいている。~
今日は、終戦記念日。原子爆弾という非人道的な兵器が使用され、世界を巻き込んだ第二次世界大戦後、世界は平和を願ったはずなのに、戦争は終わりません。罪のない人たちが殺され、今まで大切に育まれてきた日常が一瞬で破壊されていきます。誰が考えても愚かだと思うことをヒトは止めることができません。地球からいただいている自然の恩恵は、だれのものでもないのに、自分のものとして、利益を得たい。それをヒトの本性だから、止めることはできないと言う人たちもいます。それは、本当にヒトの本性なのでしょうか?

~ゴリラもチンパンジーも、アフリカの森を出ることができなかったけれど、ヒトは農業をはじめるずっと前に、アフリカを出て、ほかの大陸にひろがっていった。するどい牙も爪ももたないヒトが、世界にひろがっていくことができたのは、共感の力によって、たがいにたすけあってきたからだ。
ヒトが農業をはじめたのは、いまから約1万2千年前だといわれている。土地をうばいあって、武器をもったおおぜいの人どうしがたたかう戦争がはじまったのは、そのあとのことだ。ぼくたちの祖先が木からおりて、ヒトになってからはじまる700万年の歩みを考えると、戦争の歴史はあまりに短くて、1パーセントにも満たない。暴力であいてを支配することが、ヒトの本性だとはいえないんだ。~
赤ちゃんの時、ヒトは一人では生きていけません。ヒトは20年以上かけて、ヒトとして社会に役立てるように成長していきます。共感の力を育てるのは、子育てや教育、そして周囲の社会の力だと思っています。現代の社会は、何かが間違っている。そして、今は、ドローン攻撃などのように、直接人の手を使わなくても、人を殺す戦争になってきている。共感力が育っていない人間たちが増えれば、それをストップすることができなく、どんどんエスカレートしていくのではないかと危惧しています。子どもを育てることを、もっと大切にする社会にしていかなければ、人を思いやる心を持たない大人が増え、世界は、ますます間違った方向に進んでいくのではないかと不安になります。

~出会った人と人がつながって、そのつながりが、また新しいつながりを生みだす世界。そんなふうに共感の輪をひろげるのは、むずかしいことじゃない。
いっしょにごはんを食べて、ともにすごすことで、心は近づいていく。いっしょにうたったり、おどったり、スポーツをしたりすれば、言葉がなくても気持ちがわかりあえる、
そんなあたりまえのことが、じつは、生命の進化のなかで、ぼくたちヒトが手にいれた、だいじな宝物なんだ。
身近なふれあいからはじまる、そんな仲間たちのあつまりをていねいにつないでいくことができたら、きっとばくたちは、もっと平和な世界をつくっていける。~
ヒトの最高の能力は共感力だと思います。自分の利益のみだけに生きるのではなく、他人の気持ちを思いやり、助け合う。いくら大金持ちになったり、有名人になったりするよりも、人とつながり、助け合い、一緒に楽しい時間を過ごせる家族や仲間がいる方が、心の幸せに通じるのだと思います。私たちは、富を求めて争うために生きるのではなく、仲間達と幸せな時間をもつために生きるのだと思います。それが、本来のヒトの中にあるDNAだと思います。

「二十一世紀に生きるきみたちへ」

精神的に病んでいる子ども達、不登校の子ども達が増加しています。子ども達に何が必要なのかを考えて、「二十一世紀に生きるきみたちへ」司馬遼太郎著を再度読んでみました。

~昔も今も、また未来においても変わらないことがある。そこに空気と水、それに土などという自然があって、人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、それに依存しつつ生きているということである。自然こそ不変の価値なのである。なぜならば、人間は空気を吸うことなく生きることができないし、水分をとることがなければ、かわいて死んでしまう。人間は、―くり返すようだがー自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである。歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。この態度は近代や現代に入って少しゆらいだ。―人間こそ、いちばんえらい存在だ。というおもいあがった考えが頭をもたげた。~

司馬遼太郎氏は、「おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、二十一世紀に近づくにつれて、終わっていくにちがいない。」と書いています。この予想は大きくはずれてしまいました。地震、地球温暖化による豪雨、今までには比べものにならない酷暑など。ありとあらゆる自然災害があとを絶ちません。地球規模で自然災害が起こっているにもかかわらず、資源の取り合い、領土の取り合いのため、各地で戦争が起こっています。
2015年国連総会で続可能な開発目標(SDGs)が採択されました。2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す、だれ一人取り残さないための、 17のゴールを掲げています。しかし、アメリカのトランプ政権は、「米国第一主義」の観点からSDGsに反対し、国連決議案への反対やユネスコ脱退通知を行うなど、国際的な持続可能性政策に逆行する姿勢を強めています。気候変動対策の国際合意であるパリ協定からの離脱など、環境・サステナビリティに関する多国間協調から距離を置いています。

~自然へのすなおな態度こそ、二十一世紀への希望であり、君たちへの期待でもある。そういうすなおさを君たちが持ち、その気分をひろめてほしいのである。そうなれば、二十一世紀の人間は、よりいっそう自然を尊敬することになるだろう。そして、自然の一部である人間どうしについても、前世紀にもまして尊敬し合うようになるにちがいない、そのようになることが、君たちへの私の期待でもある。~
21世紀にはいってから、司馬遼太郎氏の未来予想図とは、全く逆の方向に進んでいます。自国第一主義の力が益々強まっています。大国のアメリカにそっぽを向かれたら、どこも自国の経済がやっていけないので、大きな声で反対意見を言うことができません。それくらい世界はグローバル化したため、大国の動きが全世界に影響を及ぼす時代となってしまい、自然の驚異に対して、地球規模で話し合われることがなくなってきています。人間どうしが尊敬し合うことが、なくなってきました。多様性をうけいれない、人種による差別が広がってきています。そんな世の中で暮らしている子ども達や若者達には、明るい希望のある未来ではなく、不安と恐怖が大きい未来になっている事実があります。

~君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。―自分に厳しく、相手にはやさしく。という自己を。そして、すなおでかしこい自己を。
人間は、助け合って生きているのである。私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。ななめの画がたがいに支え合って、構成されているのである。そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きている。社会とは、支え合う仕組みということである。
自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。
「いたわり」「他人の痛みをかんじること」「やさしさ」みな似たような言葉である。私たちは訓練をしてそれを身につけなければならないのである。その訓練とは簡単なことである。
例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分の中でつくりあげていきさえすればよい。この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、多民族へのいたわりという気持ちもわきでてくる。~
現代人は、この感情が極端に育たなくなってしまっていると感じます。小さいころから、スマホの画面で全てを理解しています。親も他人と繋がるのが苦手な人がふえてきました。そうなると、他人に起こったことを自分の中で感じる力が極端に落ち、わかっているつもりでも、根っこの感情として育ってこないのだと思います。だから、人に対してどこまでやって良い事なのかの限度がわからない、他人にされたことに対して極端に傷つく。生身の人とのやりとりを小さな頃から丁寧に訓練していく機会が極端に減ってしまっていると感じます。

~私は自己を確立せよ、といった。自分に厳しく、相手にはやさしくとも言った。いたわりという言葉も使った。それを訓練せよ、とも言った。それを訓練することで、自己が確立されていくのである。そしてたのもしい君たちになっていくのである。
以上のことは、いつの時代になっても、人間が生きていくうえで、欠かすことができない心がまえというものである。君たち。君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつあるかねばならない。私は、君たちの心の中の最も美しいものを見続けながら、以上のことを書いた。~
21世紀は、司馬遼太郎氏が、思った社会とは、かなり違う方向に進んでいます。しかし、自然の一部である人間ということは、どの時代でも変わりません。子どもが生まれ、そして、成長していく過程で、人間がいきていくうえで、大切なことも変わらないはずです。歴史を愛した司馬遼太郎氏だからこその、普遍的な子ども達へのメッサージだと思います。子どもにも親にも読んでほしいです。

東ロボくん

「東ロボくん」と名付けた人工知能を我が子のように育て、東大合格を目指すチャレンジを試みてきた数学者の新井紀子氏の講演を聴き、『AI VS. 教科書が読めない子どもたち』の本を読みました。
 
発明や新しい技術の登場で仕事がなくなることは、今に始まったことではありません。むしろ、人々の歴史は繰り返してきたと言ってよいほどだと思います。一昔前まで兜町の花形職業だったトレーダーの仕事はAIに取って代わられつつあります。AIによる株取引を「アルゴリズム取引」と呼びますが、アメリカでは法規制がかかるほど取引のシェアが急速に伸びました。金融業界は、ITによる業務効率化で事務作業を減らし、店舗の統廃合を進めて、大幅なリストラを行っています。AIに代替させれば生産性が向上する部門に関わらず、無理に雇用を維持しようとすれば、AIを導入した企業との競争で落伍し、労働環境がブラック化していきます。今まで高収入だった職業が、突然いらない仕事になっていく可能性が多いにあります。
しかし、AIが人間の知能に代わることはできず。東ロボくんか東京大学には入学できないという結論になりました。

私達の日常は予想できないことで満ちており、さまざまな場面で、常識や柔軟性を働かせて問題を解決しなければなりません。「中学生が身に付けている程度の常識」であっても、それは莫大な量の常識であり、それをAIやロボットに教えることは、とてつもなく難しいことなのです。
今は、AIは私達にとって身近なアイテムになりました。どこにいても、行先を教えてというと、すぐに教えてくれます。AIは私達の質問の意味を理解し考えてから、答えを教えてくれているのだと思っている人も多いと思いますが、AIは意味を理解しているわけではありません。AIは入力に応じて「計算」し、答えを出力しているに過ぎません。数学は、人間の認識している事象を説明する手段として、倫理と確率、統計という言葉を獲得してきました。しかし、数学には「意味」を記述する方法がありません。意味としては「真・偽」の2つしかありません。
AIがなんとか意味がわかっているように振る舞えるようにするための不断の努力を積み重ねられています。音声認識応答システムSiriに「イタリア料理の店をさがして」と「イタリア料理以外の店をさがして」と問うと「以外」という意味がわからないので同じような店を案内します。「和食」とか「中華」と話しかければよかったのです。今の自分の気分に応じて店を探してくれることはありません。Siriが意味を理解できるようになることはありませんが、実用的な情報を手っ取り早く知りたい時や、暇つぶしに、どういうことのない話し相手が欲しい時に使うのならば、今よりずっと優秀なAIは登場するでしょう。

人間のすべてを肩代わりするAIの時代は、まだしばらくの間は到来しないと思われます。しかし、勤労者の半数を失業の危機にさらしてしまうかもしれない実力を培ったAIと共に生きて行かざるを得ない社会となるでしょう。「残る仕事」は、高度な読解力と常識、加えて人間らしい柔軟な判断が要求される分野です。

現在、日本の中高生の読解力は危機的といってよい状況にあります。読解力というような素養は、ほとんど高校卒業までに獲得されます。「基礎読解力が低いと、偏差値の高い高校には入れない」という統計がでています。基礎読解力がなければ、教科書だけでなく、試験問題の問題も速く正確に読めないからです。
表層的理解はできるけれど、推論や同義文判定などの読解ができない場合、文章を読むのは苦ではないのに、中身はほとんど理解できていないことが起こり得ます。最近は、「それぞれの子の進度にあったドリルAI」を提供しますという塾がありますが、小学生のうちからデジタルドリルに励んで「勉強した気分」になり、テストでいい点をとれても、読解力を身につけてない限り、そこから先は成績は伸びません。読解力のある生徒が受験勉強に精を出し始めると、読解力のない子の相対的な成績は、むしろ下がる一方です。東ロボくんも、英語の偏差値は50前後で伸び悩みました。
AIに代替されない人材とはどのような能力を持った人なのでしょうか。それは意味を理解する能力です。AIと共存する社会で、多くの人々がAIにはできない仕事に従事できるような能力を身につけるための教育の喫緊の最重要課題は、中学校を卒業するまでに、中学校の教科書を読めるようにすることです。世の中は情報に溢れていますから、読解能力と意欲さえあれば、いつでもどんなことでも大抵自分で勉強できます。

安全マニュアルや仕様書が読めない、ビジネス文書を書けない、eラーニングで勉強させても最終テストがパスできない、具体的な場面の判断に使えないといった社員が多くなったという実感をもつ企業が増えています。そして、最近では、わからなければ、すぐに、退職してしまう若者が増えていると感じます。
AIでは絶対に代替できない仕事の多くは、女性が担っている仕事です。介護しかり、子育てしかり。けれども、男性社会では、女性が担っているというだけの理由で、十分な地位と対価を払ってきませんでした。そして、そのような仕事に就く人達が減ってきています。今後、AIが広まることで、どの仕事が真に稀少かということは、非情なAIと自由経済の前では明らかになっていかざるを得ないでしょう。

AIが急激に進歩して、調べるという時間は急激に短縮しました。しかし、自分が何がわからないのか、間違った文章で質問すると、正しくない答えが返ってきます。質問した答えが、正しいのかを読み解く力がないと、間違った答えに誘導されていきます。最近の若者には、その傾向を強く感じます。何を聞かれているのかを正しく聞くことができない。何を書かれているのかを正しく読むことができない。短絡的な答えを全て信じて行動する。短い文章が好きで、長い文章をきちんと読むことができない。
小さいころから、観察する力、想像する力、文章を読む力、もの事を柔軟にとらえる力、間違っているのではないかと疑問に思う力・・・。それが養われていないと、AIの言う通りにしか物事を判断できず、自分で正しいのか間違っているのかもわからず、自分で考える能力が極端に落ちている大人に育ってしまいます。間違っていることを指摘されても、何をいわれているか理解できず、質問することすらできずに、その場を去っていく大人が増えたように思います。
AIを上手に利用し、自分の力で考える人間に育つためには、中学生頃までの教育は非常に大切だと痛感します。こども支援、子育て支援をしている私にとっても大きな課題だと思っています。

映画 『プラダを着た悪魔2』

GW中に話題の映画『プラダを着た悪魔2』を観てきました。
以前『プラダを着た悪魔』を観た時は、私とは分野の違うファッション業界の話で、若い女の子がファッションセンスも上がり、成長していく話くらいにしか思わなくて、あまり関心のなかった映画でした。
今回は、自宅で『プラダを着た悪魔』を観てから、いざ、映画館へ。観客は、ほぼ私世代の方達で、満席でした。20年を経て、同じ俳優陣が登場すると、自分達の生きてきた時代と重なりあい、色々な意味で感じる映画でした。

ファッション業界のトップ誌「ランウェイ」のカリスマ編集長ミランダは、私たちの少し上の世代の女性と重なりあいます。日本では、男女機会検討法「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律」が1985年に制定されました。それ以前の女性で、社会で活躍して働き続けトップにたっていくためには、並み大抵の努力ではありませんでした。
どの社会でもほぼ男性社会です。美しく、厳しく、優秀、完璧、そして、男性に負けないための賢さがある女性のみが、頂点を目指すことができました。しかし、その陰では、ミランダは2回の離婚、子供の成長を見ることができず、家族でいる幸せを感じることはできず、自宅では化粧を落とした時には疲れ切った顔・・・。仕事では、みんなの憧れだけど、こんな女性にはなりたくないと思う人も多いでしょう。
ミランダは、自分の人生を振り返ると犠牲にすることも多かった、でも、「私は仕事が好き」。自分の人生を自分でつかみ取ってきた人の強さと誇りを感じました。

カリスマトップの仕事についていくことも並大抵のことではありません。アンディは秘書として、ミランダから多くのことを学びました。ミランダの厳しい指摘と理不尽な要求に耐えながら、ファッション界のカリスマに君臨する働きぶり、仕事に対する厳しい目、人から指示されたことのみを完璧にこなすのでは半人前、そのもう一つ上を考えて、その人が望む先を考えて仕事をすることで認めらていくという、本当の仕事の意味を教えてもらいました。最後には、本当は自分が何をしたかったのか、自分で道をみつけ、それを陰ながら応援してくれたミランダの優しさが1作目でした。
ジャーナリストとして、非常に優秀な業績があったにもかかわらず、解雇されるという状況から「ランウェイ」に再就職。今度は、理不尽な対応をされても、自分には、ライターとしての武器がある。今までに経験してきたことで、難局に向かうアイデアと行動力がある。今回は、アンディにミランダは助けられました。

第一戦で頂点で働いてきても、人間は老いてくる。社会は否応なしに変化していく。紙の雑誌は購入されなくなり、アナログからデジタルへ。売上のない部署は切り捨てられていく。ファッションも全くわからない投資家に企業価値だけで買収されようとする。「ランウェイ」を残していくために、奔走するミランダとアンディ。ミランダが「引き際をいつどうしたらいいのかわからない」と言うと夫は「明日の朝ミラノの街を見ながら決めたらいい」と言ってくれる。トップにいれば、引きずり降ろされるか、自分で引き際をきめるか。大好きな仕事に人生を捧げてきた人だけにしかわからない孤独だと思いました。

ファッション界の頂点に立ちたい野心家のエミリーは、大金持ちのいけてない男性と結婚し、「ランウェイ」の買収を計画する。しかし、それが上手くいかなかったときに、アンディから言われた台詞「あなた自身がアイコンよ」は、若い人たちに刺さったのではないでしょうか。こんなに自分が一生懸命やっているのに、認められていないと感じる。その時、人は、誰と付き合っているか、自分の子供がどんなに優秀か、どんなすごい会社に就職したか、など自分以外の周りのことで、自分自身の評価を求めたがります。しかし、周りからみたら、「あなた自身が素敵なのよ。もっと自信をもって生きなさい」と言いたくなる。それをこんな素敵な言葉で応援されたら、本当に自分のことをわかってくれているんだと。ライバルと友情は紙一重。お互いをリスペクトしているからこそ、どこかで応援している。そんな友人がもてたら、本当に幸せだと思う。

この映画は、観る人によって、何を感じるかは全く違うと思う。
おそらく、いろんなことを犠牲にし、苦しいことや挫折しそうなことがあっても、大好きな仕事をやり続けてきた女性に一番ささるような気がしました。



プレコンセプションケア

「プレコンセプションケア」とは、生涯にわたり、身体的・精神的・社会的に健康な状態であるための取り組みとして、「性別を問わず、適切な時期に、性や健康に関する正しい知識を持ち、妊娠・出産を含めたライフデザインや将来の健康を考えて健康管理を行う」概念です。プレコンセプションケアを理解し、知識を得て、実践に繋げることで、今の健康、将来の健康、そして未来の家族の健康がより良いものになることは、仕事、出産や子育て等、自身の可能性を広げることに繋がります。
私達、産婦人科開業医は、女性の一生に寄り添っていく仕事なので、プレコンセプションケアは、非常に重要な仕事の一つです。

1980年代に、妊娠前の肥満や糖尿病等の健康問題を抱えた妊婦が、周産期死亡率や母体死亡率等の増加要因として指摘されたことも踏まえ、2006年に米国疾病管理予防センターが「女性の健康や妊娠転帰に対する医学的・行動的・社会的リスクを、予防と管理を通じて特定・修正することを目的として一連の介入」をプレコンセプションケアとして提唱しました。
2012年には、WHOがプレコンセプションケアを「妊娠前の女性とカップルに医学的・行動学的・社会的な保健介入を行うこと」を定義し、対象者の健康状態を改善し、母子健康アウトカムに影響しうる行動や個人的・環境因子を減らすことを目的としました。
日本政府は、2025年に「プレコンセプションケア推進5カ年計画~性と健康に関する正しい知識の普及と相談支援に充実に向けた~」を策定し、来年度からは三重県でも動き始めます 。

1包括的性教育の推進:幼稚園から高等学校段階まで、「生命尊重」「生物的側面」「心理的側面」「社会的側面」について、性に関する教育を系統的かつ横断的に行う必要があります。成長に伴う身体や心の変化、月経について、性交渉、避妊、性感染症等についての知識、ジェンダーの平等、多様な性、身体の尊重など多岐にわたる知識を、ライフステージに応じて取り組む必要があります。
2.大学や就業後においても、プレコンセプションケアに関する知識を普及させる必要があります。性や健康・妊娠に関しては、自身だけでなく、パートナーや将来のこどもの健康への影響についても十分に理解したうえで必要な行動が促されることが大切です。
3.プレコンセプションケアに関する相談支援体制:私達産婦人科医が中心になり、性教育や様々な相談に対応できるようにしていく必要があります。しかし、産婦人科医師といっても、今は様々な分野があり、女性医療や性教育に興味をもち、関わっていきたい産婦人科医は少ないのが現状で、マンパワー不足であることを否めない現状です。
4.基礎疾患のある女性のプレコンセプションケア:病気をもっていても、妊娠前からの準備や妊娠中のケアで安全に元気な赤ちゃんを産むことができるようになってきました。妊娠する前から準備していくことが重要で主治医と十分相談していくことが大切です。

専門職が中心になり、プレコンセプションケアをすすめていきますが、マンパワーが不足しています。現在、こども家庭庁では、プレコンサポーターを養成しています。プレコンセプションケアに関する研修を修了すれば、誰でもなることができます。是非、たくさんの方に受講していただきたいと思います。

若い女性の月経や妊娠に対する知識不足、性行為感染症、避妊についての知識不足、拒食や過食なでの問題、食生活の問題の栄養不足、喫煙や飲酒、ストレスによる精神疾患など、外来では、様々な問題を抱える女性が受診します。私達産婦人科開業医が、女性の一生に寄り添う医師として、もっと、やっていかなければいけないことが、沢山あります。
女性の健康と幸せ、家族や子どもの健康と幸せが、私のライフワークです。これからも頑張っていきますよ。

ラジオ出演 2026

毎年恒例のラジオ出演 サンデースペシャル こどもまち三丁目が 2026年1月12日成人の日にありました。今回のテーマは「大人ってなに?」でした。
それぞれの年代に応じて、生きてきた道によって、「大人になる」という感じ方は違うのだと思います。出演者は、メリーゴーランド店主の増田喜昭さん、世界SHIENこども学校のびすく理事長の松井強さん、私、津西高校生5名、電話ゲストは音楽家の谷川賢作さん、絵本作家のあべひろしさん、代田アナウンサーです。色々な人からの「大人ってなに?」を聞きながら楽しく、そして内容の深いラジオ番組となりました。

津西高校生からは課題探求授業で取り上げた「赤ちゃんポストと内密出産」について探求した内容を発表してもらいました。なぜ、このテーマにしたのかは、「赤ちゃんポストと内密出産」の記事をみて興味をもったからだそうです。熊本での現在行われていることのオンライン取材を交えて、各国で取り組まれていることや、日本の現状について調べてあり、「赤ちゃんポストと内密出産」を広く知ってもらい、法制化していってほしいとの結論でした。産婦人科医としては、ディスカッションしたい内容が山積みでした。望まない妊娠をしないための取り組み、望まない妊娠をしたときの相談窓口の存在、産婦人科につないでもらうことの重要性を話しました。彼女たちは、危ない出産をしない、生まれたすぐの虐待死をなくすことしかわかっていませんでした。それもとても重要なことですが、妊娠する前から妊娠についての知識をもつこと、妊婦健診を受診してもらうことが、安全な妊娠や今後の子育てにつながることなどをわかってほしいと思いました。そして、自分が、誰からどうやって生まれてきたのかがわからずに生きていかなければならない、大人たちの苦しみもわかってほしいと説明しました。難しい問題ですが、高校生たちに少しでも伝わってほしいと思いました。

あべひろしさんの新作絵本「ひぐま」を紹介してもらいました。今は、クマの出没や被害が大問題になっていますが、その社会問題については、コメントはありませんでした。あべさんは、クマは冬眠中に子ども生みます。その子どもたちが、冬眠から明るい世界に出たときに、どんな世界がみえるのか、それを描きたかったといいます。地元北海道の峠からみえる素晴らしい景色。それを初めてみるこぐま達のことを考えて描いたそうです。動物にも誕生があり、成長があります。生き物の視点から描かれる絵本は、いつも感動します。

谷川賢作さんは、谷川俊太郎さんの息子で音楽家です。小室等アルバム「プロテストソング2」から 作詞:谷川俊太郎、作曲:小室等、ピアノ:谷川賢作の曲がラジオのなかで流れました。

『おしっこ』
大統領がおしっこしてる
おしっこしながら考えている
戦争なんかしたくないんだ
石油がたっぷりありさえすればいい

テロリストもおしっこしてる
おしっこしながら考えている
自爆なんかしたくないんだ
恋人残して死にたくないもん

兵隊さんもおしっこしてる
おしっこしながら考えている
殺すのっていやなもんだぜ
殺されえるのはもっといやだが

男の子もおしっこしてる
おしっこしながら考えている
ほんとの銃を撃ってみたいな
ゲームボーイじゃまどろっこしいよ

武器商人がおしっこしてる
おしっこしながら考えている
銃がなければ平和は守れぬ
金がなければ自由も買えぬ

道で野良犬おしっこしてる
おしっこしながら考えている
敵もいなけりゃ味方もいない
ただの命を生きているだけ

今日は、突然決まった衆議院選挙でした。候補者達は、「国のために、日本を強くするために、日本を守るために、国民のために、暮らしをよくするために・・・」を訴えています。でも、その人達は、おっしこしながら考えた時の本音はどうなのかと、思ってしまいます。敵もいなけりゃ、味方もいない。世界の人々が自分の命を生きていけるだけでいいのでは。みんな、それが本音なのではと思いました。

私が考えた「大人ってなに?」は、自分ことだけを考えて生きるのではなく、誰かのために、社会のために、何か責任をもって生きるようになっていくことではないかと思います。これから、責任が少しずつ外れていく年齢になっていく私達の世代も大人です。次の世代の未来が、少しでもより良いものになるように、これからも生きていきたいものだと思いました。

映画『てっぺんの向こうにあなたがいる』

山登りが好きになったので、映画『てっぺんの向こうにあなたがいる』を観ました。主人公のモデルの田部井淳子さんの本『人生、山あり”時々”谷あり』も読みました。

~山登りに魅了された理由の一つに「他人と競う必要がない」ということです。私はもともと運動は大の苦手。体育が得意な生徒と一緒だったので、最初は少し不安でしたが、先生に「ゆっくりでいいからね」と言われて、気持ちがスーッとラクになりました。ひと足ごとにかわっていく風景を観ながら、ついに頂上に立ったときは、「やったー」という思いでいっぱいだった。~
私は、山登りをしていると、早く歩く人達にドンドン追い抜かされていきますが、誰もイライラする感じはありません。必要な時は道の端で待ってくれていたり、「がんばってくいださいね。もうすぐですよ。」と知らない人から声をかけてもらいます。譲り合い、励ましあい、ありがとうの気持ちがあふれています。山道は狭いし、危ないし、一歩間違えば大きな事故につながり、死にもつながります。オーバーペースで行けば、途中で自分の限界を超えてしまい、動けなくなってしまいます。「ゆっくりでいいからね」は、魔法の言葉です。

~「頂上に行きたい」という気持ちが募るあまり、隊員が嘘をつくことも珍しくありません。そのときに痛感したのは、「人の話しは鵜呑みにしてはいけない」ということです。高山で狭いテントの中に閉じ込められていると、その人の本質が顔をのぞかせます。人間、究極まで来るとこんなふうになるんだな、とびっくりしたことも一度や二度ではありません。人の話を鵜吞みにせず、自分の目で判断することの大切さを、山は教えてくれました。
隊長は常に公平でなければならないし、必要とあれば言いにくいことも言わなければならない。八方美人ではとてもリーダーは務まらない。私は、登山隊のリーダーの役割とは、「全員を無事に帰す」ことに尽きると考えています。そのためには、常に全体を見通し、事実を正確に判断する力が必要です。また、大勢の隊員を一つにまとめるためには、他人の意見に真摯に耳を傾ける謙虚さを持ち、公平かつ寛大でなければなりません。口先だけでなく、率先して働き、和を大切にすること。それから、「明るい性格」であることも、リーダーに求められる大切な資質の一つです。~
どの組織のリーダーにも共通することだと思います。
社会の中では、自分勝手な行動、様々な噂話、告げ口、影では悪口を言う人など、色々な場面に遭遇します。その光景をみると、がっかりしたり、悲しくなることもあります。しかし、リーダーは、それに一喜一憂して感情が乱れてしまってはいけません。その組織の目的が何かを見失っていくと、その組織そのものが、崩壊する原因になってしまいます。だから、人の陰口や噂話、悪口などは、鵜呑みにせず、自分の目でみたことで判断する。山の天気は急変し、リーダーの判断が誤れば、みんなを巻き込んで死につながる。自分自身の目でみたことで判断することの責任の重さはありますが、他人の意見に真摯に耳を傾ける謙虚さも必要です。自分自身の判断が100%正しいわけではなく、他人の目が正しいことも多々あります。自分よりも未熟だと思う人でも、そちらが正しいこともあります。だから、先入観を持たず、公平に寛大に接することが大切です。
そして、自らが行動し、和をもって、みんなを明るい気持ちにさせてくれる人。命と隣り合わせの究極での登山でのリーダーと組織のリーダーに求められる資質は同じですね。

~山には、人を優しく包み込み、傷ついた心と体を癒してくれる不思議な力があります。大自然に抱かれながら山を歩いていると、下界での悩みがちっぽけなものに感じられ、再び生きる力が湧いてくるのです。山のパワーに触れて、被災地の子どもたちに元気になってもらいたい、そんな思いで、2012年からあるプロジェクトを始めました、それが、「東北の高校生の富士登山」です。~
今の効率化ばかりが優先され、それについていけない、精神的に病んでいってしまう人が沢山います。自分のせいではなく、理不尽なことで、打ちのめされて、立ち上がれない人達がいます。そういった人たちには、山登りにチャレンジしてみてはどうでしょうか。「ゆっくりでいいからね」は魔法の言葉です。自分のペースでゆっくり歩く、美しい景色をみながら休憩する、「あー、綺麗だね」と思うだけで、心が豊かになります。そして、最後まで登り切った達成感は、生きていく力になるのではと思います。

~山は人間にとって、美しいだけの存在ではありません。大自然には人智を超えた、はかり知れない力がある。その力を侮ったら最後、人間の命など芥子粒のように吹き飛ばされてしまいます。私は今までに雪崩で死にかけたことがあります。死に直面した経験が、その後の人生を大きく変えたのです。どうせ生きるなら、困ったときこそ明るく生きたほうがいい。何があっても「生きているから味わえるのだ」と思えるようなり、愚痴や不満もあまり言わなくなりました。皮肉なことに、山で遭難したことが、ポジティブシンキングに一層磨きをかける結果となったのです。
抗がん剤の治療中、寝てばかりいたわけではありません。無理のない範囲で山歩きを再開しました。このまま寝ていては、病人みたいな気分になってしまう。病気になっても、病人になってはいけないと思ったからです。~
「生きていることが奇跡だ」と思えると、人間強くなれるのだと思います。産科医という仕事柄、いつも「元気に生まれてきてくれたことが奇跡だ」と思います。なかなか妊娠できない人、妊娠しても流産を繰り返す人、妊娠中のトラブルで大変な経験をされる人、そんな日常と常に取り合わせで仕事をしていると、自分自身も「無事にこの世に生まれて、生きていることは奇跡だ」と思います。そう思えると、自分の人生を大切に、前向きに向き合えるのではと思います。癌になれば、誰でも精神的なダメージは計り知れません。しかし、田部井さんは、大好きな山登りをすることで、病人ではない今までの通常の自分でいられる。なかなか、並大抵なことではないと思いますが、精神的に病人になってしまわないことが、病気を克服する第一だと思います。

映画を観ていて、何歳になっても山には登れるんだなと思いました。私は、山登りを始めましたが、なかなか時間がとれなくて、最近は山には行けていません。初心者の私には、山登りで時間の余裕がなく、時間に追われてあせると、遭難のリスクがあるからです。ゆっくりとした時間がとれるようになったら、自分の実力にあった山や色々な場所に行きたいなと夢を膨らませています。




映画『女性の休日』

映画『女性の休日』を観ました。ジェンダーギャップ指数16年連続1位のアイスランド。その大きなきっかけとなった運命の1日を振り返るドキュメンタリー映画です。

1970年代前半のアイスランドは、今までの日本のように良妻賢母が女性の理想の姿とされていました。女性達は、仕事をして、家事をして、子育てをして、毎日が疲れ果てて1日が終わっていく。疲労困憊の毎日。寡婦以外の女性は、男性と同様に農作業をしていても農業協同組合員に参加することはできない。男性たちは、仕事が終われば酒場で談笑の毎日。会社で仕事をしていても、女性は昇格することはできない。同じように優秀な仕事をしていても、男性のみが昇格し、自分達のボスになっていく。女性は低賃金の仕事しかさせてもらえない。男女の賃金格差は大きく、女性のできる仕事は限られている。そんな中、各地にいた女性活動家たちは、この状況を何とかしたいと考えます。

「私達女性がいないと、社会はどうなるのか」シスターフッド(女性たちの連帯)が世界に示した柔らかな革命が企画されました。「女性のストライキ」をしようと考えましたが、それでは女性達は参加しないのではという意見があり、『女性の休日』という名称で、アイスランドの全女性に当日の参加を呼びかけました。「もし女性が1日すべての仕事をやめたら、社会はどうなるか?」を示そうと呼びかけたのです。女性たちは、家族に、職場にその休日に参加することを宣言します。
1975年10月24日、アイスランド全女性の90%が仕事や家事を一斉に休んだ、前代未聞のムーブメント『女性の休日』。女性達は、プラカードも持ち、笑い、歌いながらデモ行進をしていきます。学校・保育園・会社が機能しなくなりました。男性たちが、家事・育児をせざるを得なくなりました。国は機能不全となり、女性がいないと社会がまわらないことを証明したのです。
そして、その5年後には、アイスランドで世界初の女性大統領が就任し、16年間大統領として、教育、文化、女性の権利向上に強く貢献しました。

この映画をみて、「男性だから優秀」「社会を決定する場所には女性はいれるな」「男の言うことを聞いていればいいのだ」といった男性社会に対して、喧嘩をうるのではなく、「女性も社会のなかで必要」「男性と同等に評価されるべき」「女性でも自分の夢を叶えたい」「女性の発言も社会で受け入れられるべき」そういった当然の人権を、平和的なデモで社会に気づかせる。怖い顔で大声をあげるのではなく、みんな笑って楽しんでいる。男性達も、その事実に腹を立てるのではなく、困った顔で受け入れ、その後の女性に対する意識を変えていく。その国が問題意識を持ち、発言し、受け入れ、社会を変えていく雰囲気。そのような国の文化が、ジェンダーギャップ指数1位を16年間続けている理由だと思います。

日本は、男女ともに生きにくい世の中にどんどんなっているように思います。一人一人が認められる社会、それを実現するためにお互いが協力できる社会、お互いを尊重しあえる社会。それがジェンダー平等なのだと思います。
日本はジェンダーギャップ指数が118位です。しかし、今年、日本で初めての女性総理大臣が誕生しました。どのように日本の国が変わっていくのかが、楽しみです。国民が少しずつ政治に関心を持ち始めました。この国の閉そく感を、何とか変えてくれるのではないかと、期待されています。
今の政治や女性政治家の活躍をみて育った若者達が、女性でも政治家として社会を変えることができるのだと思えたら、日本の世の中は変わっていくのではないでしょうか。
ジェンダー平等は、「あなたは○○だから・・・」という固定観念にしばれらない、自分らしく生きることができ、自分と違う人達を認めあい、尊重しあうことだと思います。日本にもそんなムーブメントが起こってほしいと思っています。

『迷路の外には何がある?』

『迷路の外には何がある?―「チーズはどこへ消えた?」その後の物語』スペンサー・ジョンソン著を読みました。『チーズはどこへ消えた?』の続編で、チーズがなくなったチーズ・ステーションに一人だけ残っていた小人のヘムのお話です。

ヘムは何日もチーズ・ステーションの近くの自宅にこもって、あれこれ思い悩み、いらいらしていた。「ホーはどうして戻ってこないんだろう?」から「僕はどうして一緒に行かなかったんだろう?」という考えに変わった。そして、わかっている事実は、1.新しいチーズをみつけなければならない。さもなければ死ぬ。2.迷路は危険なところで、暗がりや袋小路があちこちにある。3.すべては僕しだいだ。自分で何とかしなければならない。
ヘムにとって、迷路は育った場所であり、生活を築き、自分の生活そのものだったのに、迷路は変わってしまった。ホーは行ってしまい、自分だけが取り残されて、通路をさまよい、ひとりぼっちで、どんどん弱っていく。ヘムにはどうしてこんなことになったのかわからなかった。迷路は暗く恐ろしい場所になってしまった。

迷路の中で、新しい小人ホープに会い、今まで食べたことのない塊をもらった。あまりにお腹が空いていたので、食べてみたらとても美味しく、少し元気になった。リンゴだと教えてもらったが、自分はチーズを探しているのだ、リンゴではないと思った。ホープから「思い込みを捨てて、やってみればいいのよ」と言われたが、どうすればいいかわからなかった。新しいチーズをみつけることができるかは、もっと頑張ることだと思った。しかし、今までの方法でチーズステーションを探しに行ったが、チーズをみつけることはできなかった。
ヘムは、なぜホーと一緒に行かなかったのかを考えた。そのまま動かないでいつづければ、事態は好転するという、自分が正しいと信じていた古い考え方が、迷路の探索に出るのを阻み、自分を部屋の囚人にしたのだと悟った。そして、自分の足を引っ張る信念があるが、自分を向上させる信念もある。自分の考えを変えることができる新しい信念を選びとることもできると気づいた。そして、新しい信念を選ぶことは、自分が自分でなくなることではないと悟った。

以前にやっていたやり方では、いくら頑張ってもうまくいかず、チーズもリンゴもみつけることはできなかった。今までと全く違うことをする必要があった。それは、まったく違う物の見方をする、考えを変え、新しい信念を得る必要があった。
「チーズはどこから来ていたのか?問いつづければ、きっといい答えがみつかるはずだ」と思った。ホープは「迷路の外には何があるのかしら」と聞いてきた。ヘムは迷路に閉じこもってきたので、外のことは何も想像できなかった。それでも、迷路の外には素晴らしいものがあると信じられるようになってきた。そして、今までは進まなかった暗闇を進むことで、迷路の外にでていく方法がみつかった。

迷路の外の世界には、沢山のリンゴとチーズがあり、何もかも輝かしく見えた。そこには、スニッフ、スカリー、ホーもいた。ホーはヘムを抱きしめ「きみがいなくて寂しかったよ。迷路を出るすべをみつけられて本当によかった。もっと嬉しいのは、きみが信念を変えるすべをみつけたことだよ」。ヘムは、迷路の中のものがどんなに薄暗くぼやけていたかを始めてわかった。迷路から出ることは自分の古い信念の檻から出るのと同じことだと思った。多分それが迷路の本質だ。

この話は、色々な年齢、色々な立場、困っている時、悩んでいる時・・・様々なことに役立つと思います。この本を読んで、私自身は何ができるのかと考えてみました。クリニックには、様々な患者さんが来院されます。その中には、自分の思い込み、間違った知識、周囲からの言葉、役割の重圧、育ってきた環境などで、体調を崩したり、精神的に病んでいったり、快方に向かわなかったりすることも多くあります。特に、最近は、ネットやSNSの情報で自分には合っていない考えや知識を思いこまされている状況をみます。それが自分の足を引っ張る思い込みに繋がってしまうことがあります。
私は、一人一人に応じた適切なアドバイスをすることで、患者さんが迷いこんでいる迷路から抜け出すお手伝いでできればと思います。特に、子育てスタートの時期に両親が迷路に迷いこんでしまうと、親の産後うつや子育てにも影響していきます。私自身が、古い信念にとらわれることなく、一人一人に適切なアドバイスができるようにならなければ、そのためには、常にいろいろなことにチャレンジし、色々な人と対話し、オープンな気持ちをもっていなければと思いました。少しでも、患者さんが元気になれるように、何ができるのかのヒントをくれる本でした。

『チーズはどこへ消えた?』

『Who Moved My Cheese? チーズはどこへ消えた?』スペンサー・ジョンソン著を読みました。
現状維持、新しいことにチャレンジすることが怖い、昔の良かったとことにしがみつきたい・・・でも、世の中はどんどん変化していく、これからどうなっちゃうのだろうと不安になる。現代は、世の中の変化が激しく、不安や心配の中で生きている人の方が多いように思います。ネット情報が氾濫し、AI、ChatGPTなどがどんどん開発され、自分で考えたり、恐怖を乗り越えたり、チャレンジすることなく、ネットやAIが答えを教えてくれる。その答えを信じて、自分で考えることなく物事を決定していくと、その通りにならないことで不安や恐怖が助長される・・・ そんな光景を目にすることが多くなりました。
2000年に発刊され、今も多くの人に読まれているこの本には、自分自身に自問自答するが多くありました。

第1章 ある集まり
 物語のおかげで、変化に対する見方が変わったんだー変化とは、何かを失うことだと思っていたのが、何かを得ることなのだ。そのためにはどうすればいいかということも教えられた。単純なことがわかっていなかったこと、物事の変化に対して効果的な手が打てないでいることにいらだっているんだ、ということがわかった。物語に登場する四つのキャラクターは、僕ら自身がもっているいろいろな面を象徴しているんだが、それを納得するとともにどのキャラクターのようになりたいかがわかった。そして僕は変わったんだ。

物語 チーズはどこへ消えた?
二匹のネズミ「スニッフ」と「スカリー」二人の小人「ヘム」と「ホー」は、自分達の特別なチーズをみつけようと、長いこと迷路を探し回った。
ネズミのスニッフとスカリーは、単純で非効率的な方法、つまり試行錯誤を繰り返しながらチーズを探した。スニッフはよく利く鼻でチーズのある場所をかぎつけようとし、スカリーのほうはひたすら突き進む。案の定、二匹は道に迷い、袋小路に突き当たることもしばしばだった。それでも、そのうち道をみつけて進んでいった。
一方、小人は、過去経験から得た教訓と思考による方法をとっていたが、複雑な頭脳にたより、もっと高度な方法をつくりあげた。二人はうまくいくときもあったが、強力な人間の信念と感情がものの見方を鈍らせてしまうこともあった。
それでも、とうとうそれぞれ自分たちのやり方で、チーズステーションを発見した。小人たちは幸せになり、うまくいったことを喜び、自分達は安泰だと思った。
ところが、ある朝、行ってみると、チーズがなくなっていた。
二匹のネズミは驚かなかった。置いてあるチーズが毎日、だんだん少なくなっているのに気づいていたので、いずれなくなるだろと覚悟していたし、どうすればいいかは本能でわかっていたので、新しいチーズを探しに出かけて行った。
小人の二人はチーズがなくなったことが、大変ショックで、これからどうすればいいか決めるのに長い時間がかかった。考えついたのは、よく調べて本当にチーズはなくなったのを確かめ、なぜなくったかを分析することだけだった。『自分のチーズが大事であればあるほどそれにしがみつきたがる』
チーズが戻ってこないと確信した「ホー」は、思い切って迷路へ入っていくことを決断した。その自分の姿を想像したら、気分がよかった。ときには道に迷うだろうが、最後には新しいチーズがみつかるに違いないと思った。そうなれば他にもいろいろといいことが起こるだろう。彼は勇気を奮いおこした。
ヘムは「チーズはどこへ消えた?」としか考えられなかったが、ホーが思うのは、「なぜすぐに立ち上がり、チーズを探さなかったんだろう?」ということだ。
ホーは暗い小路をみて、恐怖を感じた。先に何があるのだろう?何もないのか?危険が待ち構えているのではないか?死ぬほど怖かった。しかし、ホーは今まで恐怖にとらわれていたことを悟った。新しい方向に踏み出したことで、恐怖から解放され、想像以上に楽しくなるのがわかった。ホーは、失ったものではなく手に入れるもののことを考え続けた。変化は何かもっと悪いことをもたらすなどとどうして思っていたんだろう。変化はもっといいものをもたらしてくれるのに。
以前のチーズステーションに戻り、少しみつけたチーズを差し出し、ヘムに一緒にいくことを誘ったが、ヘムは、「新しいチーズは好きじゃないような気がする。慣れていないから。私はあのチーズがほしいんだ。変える気はないよ」と一緒に出発ることはなかった。
ホーはやっと新しい素晴らしいチーズステーションをみつけることができた。そこにはすでに二匹のネズミがいた。ホーは今までの経験で沢山のことを学んだ。
物事を簡潔に捉え、柔軟な態度で、すばやく動くこと
問題を複雑にしすぎないこと。恐ろしいことばかり考えて我を失ってはいけない。
小さな変化に気づくこと。そうすれば、やがて訪れる大きな変化にうまく備えることができる
変化に早く適応すること。遅れれば、適応できなくなるかもしれない。
最大の障害は自分自身の中にある。自分が変わらなければ好転しない。
つねに新しいチーズはどこかにある。その時点ではそう思えなくても。そして、恐怖を乗り越え、冒険を楽しむなら、報いはあるということだ。

この小さな物語は、人生のどんな場面にも当てはまるように思います。急激な社会の変化の中、自分の人生はどうなるのだろう、自分達の住んでいる街はどうなるのだろう、日本はどうなるのだろう、世界はどうなるのだろう。そして、これだけ急激な気候変動がおこると、人間は地球上で生きていかるのかと不安になります。でも、その変化を感じ取り、恐怖を乗り越え、より良くなるように進んでいくしかないのだと思います。色々な不安、心配、恐怖があっても、自分自身の考え方で物事はよくなっていくと信じて。
プロフィール

柳瀬幸子(やなせさちこ)
産婦人科医。三重大学医学部卒業後、三重大学大学院医学研究科博士課程修了。
ヤナセクリニック院長として多くの命の誕生に立ち会う中、女性のライフサイクルに応じた幅広い医療の提供、お母さんと赤ちゃんに優しい出産、妊娠中から育児中を通してのサポート、育児支援に力を入れている。著書に「地球(ここ)に生まれて」、共著に「効果テキメン! アロマ大百科」など



電子ブック・柳瀬幸子の
「地球(ここ)に生まれて」 柳瀬幸子の地球に生まれて
アマゾンの販売ページはこちら
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

携帯電話用QRコード
QRコード
ギャラリー
  • 「うまれる」映画と対談の集いを終えて
  • 出産力餅
  • 出産写真
  • 寄りそい
  • 地球(ここ)に生まれて
アーカイブ
最新記事
  • ライブドアブログ