柳瀬幸子の「地球(ここ)に生まれて」

三重県津市にあるヤナセクリニックの院長・柳瀬幸子のブログです。 ヤナセクリニックの基本理念: 私たちは、患者様の思いを尊重し、患者様に寄り添った医療やケアを目指します。 ヤナセクリニックの基本方針: 1.安全、安心なお産を提供し、出産の喜びと子育ての楽しさを感じられるような支援を行います。 2.女性の健康増進のために地域から信頼される医療を提供します。 3.子どもを大切にする街作りを応援します。 ヤナセクリニックのモットー:良いお産、楽しく子育て!!

三重県津市にあるヤナセクリニックの院長・柳瀬幸子のブログです。

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<ヤナセクリニックの基本理念>
私たちは、患者様の思いを尊重し、患者様に寄り添った医療やケアを目指します。
<ヤナセクリニックの基本方針>
1.安全、安心なお産を提供し、出産の喜びと子育ての楽しさを感じられるような支援を行います。
2.女性の健康増進のために地域から信頼される医療を提供します。
3.子どもを大切にする街作りを応援します。
<ヤナセクリニックのモットー> 
良いお産、楽しく子育て!!
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高校生の「自分らしくプロジェクト」

津東高校1年生の探究活動「自分らしくプロジェクト」の学外メンターとして参加することになりました。

津東高校土方校長のプロジェクトへの熱い思い:
生徒達に『自分らしく社会に参加する(社会に良い影響を与える)』力をつける。今、(これからの)社会で求められる力「答えが一つでない問い」に対して、他者と協働して、「正解」ではなく「納得解」を作り出す力を育む。
プロジェクトの趣旨:「総合的な探求の時間」は、生徒自身がより主体的、意欲的に探究学習に取り組むことで、自己の在り方生き方を考え、変化の激しい時代でも自分らしく社会で活躍していく為の力を養える内容とする。また、「本気の大人」(実際に社会で主体的に価値の創造を実践している三重県内の外部人材の方々)(外部メンター)と連携することで、「社会に開かれた教育」を目指していく。

9月15日 第1回 大正大学地域創生学部教授 浦崎太郎先生の講演「なぜ今探求(マイプロジェクト)なのか?」
高校生が地域に出て、チャレンジしてほしいことは、まず、自分の「やってみたい」をみつける。自分らしいことでもいいし、興味関心のあることでもいいし、今後の進路に向けてのことでもいい。そして、学校の中で、そのことを調べてみる。教科の中で学習する。そして、「やってみたい」を「やってみる」。自分らしく社会に参加することがマイプロジェクト。その挑戦が、地域の誰かの役に立つことができた、喜ばれたという経験を体験してほしい。
探求を実践している高校生や大学生のいくつかの事例紹介がありました。同年代の高校生が探求で成長していく姿をみて、津東高校生も刺激になっているようで真剣に聴いていました。
今までに探求の経験をしたことがなく、すぐには動けない人には・・・
1. 自分軸を探る。多様な世界にふれ、「!」となる瞬間を待つ
地域に出たり迎えたりして、多様な現場・人々と直に関わってみる
多様な大人・先輩によるプレゼン・スピーチを視聴してみる
図書館に浸り、多様な書物にふれてみる
気分に応じ、先行して動いている同級生と活動を共にしてみる
2.「自分の現在地や往く道」を「先人が来た道」から学ぶ
先人の歩みを通して「課題発見・解決」のプロセスを探求する
3.「自分が往く道」を探る
先生や外部メンター等に想いや構想を語り、相談を通して具体化する
4.見習いとして動いてみる
大人や先行的な同級生に混じって活動し、動き方を習得する
5.独力で動いてみる
地域プロジェクトや学術的探求の全てを自力で計画・実践する
浦崎先生から高校生へのメッセージ:高校生一人ひとりが「知りたい」「やってみたい」を大切に。夢中になって挑戦した先にこそ自分らしく社会に参加する道が開け、持続可能な社会も実現に近づきます!

最近、「非認知能力」を幼児期から学童期に育むことが、大人になってからの社会性に大きく影響することが言われています。
「認知能力」とはIQ(知的指数)に代表されるような、点数などで数値化できる知的能力のことです。一方、「非認知能力」とは、認知能力以外の内面的なスキルを指します。自己認識(やり抜く力、自分を信じる力、自己肯定感)、意欲(学習志向性、やる気、集中力)、忍耐力(ねばり強く頑張る力)、セルフコントロール(自制心、理性、精神力)、メタ認知(客観的思考力、判断力、行動力)、社会的能力(リーダーシップ、協調性、思いやり)、対応力(応用力、楽観性、失敗から学ぶ力)、クリエイティビティ(創造力、工夫する力)など。
このように、学校のテストでは評価できない力が、社会では求められてきています。高校生の課題探求でも、この非認知能力が必要です。
非認知能力は、何歳からでも鍛えることが可能ですが、幼児期から学童期にかけて取り組むことがすすめられています。その頃の子どもは、新しいことに挑戦する力や、そこから多くのことを吸収する力が特に高く、大好きな「遊び」から学べるからです。
子ども達が、非認知能力を育てる上で大切なのは、日常生活の中で無理なく楽しく取り入れることです。さまざまな「遊び」を取り入れることがおすすめです。遊びの中で子どもが「自分で考える力」「工夫する力」「最後までやり遂げる力」をつけることができます。一緒に友達と遊び関りをもつことで「協調性」「リーダーシップ」「思いやり」などを育めます。
「子どもが好きなことをする」という視点も大切です。子どもの興味は一つに集中しているときから、次々と新しいものに移るときもあります。親が遊びを指示するのではなく、子どもの意思を尊重することで、自然とその時の子どもの発達に応じた様々な力が育まれていきます。
認知能力と非認知能力の大きな違いのひとつに、「周囲との関り」という視点があります。自分の作品をお友達に見せ合ったり、他の素敵な作品をみて自分で取り入れてみたり、楽しく遊ぶために協力しあったり、喧嘩したときは仲直りの方法を考えたり、失敗したときには友達と新しい方法を考えたり、沢山のお友達と触れ合う機会や異年齢の子ども達と関わることが大切です。大人のお手伝いをして、人の役に立てたという経験も大切です。
今回メンターで参加するNPO法人世界SHIENこども学校のびすく理事長の松井強さんは、遊びで子どもの成長を育む「のびすく」を運営しています。幼児、学童期の子ども達の非認知能力の育みと、高校生課題探求は、共通ることが多いです。メンターとして高校生とどのように関わるのか楽しみです。私自身も、外部メンターとして高校生がどのように成長していくのか、直に感じられることが、とても楽しみです。今までの自分の人生や活動についての15分間のスピーチ動画を作りました。「!」となる高校生が一人でもいてくれれば、嬉しいなと思います。

富士山登頂

2022年7/17~7/18富士山に登頂してきました。

大学時代の旅行で、富士山五合目にドライブをしたとき、いつかは富士山に登りたいと思っていました。婿の留学時に娘家族に会いにニュージーランドに行ったとき、美しい自然の景観を楽しむために、沢山の人がトレッキングや山登りをしているのをみて、仕事の休みがとれるようになったら、ゆっくりのんびり日本の美しい自然を楽しむためにトレッキングをしたいと思いました。

富士山を登るためには体力がいる。「一生に一度は富士山に登りたい」という夢を叶えるためには、今、行動しなければ、体力的に難しくなる。そう思い、一年前に富士山に登ろうと決意しました。

まずは、『好日山荘』に行って、「富士山に登りたいのですけれど」と相談しました。登山靴とトレッキングポール、登山服を購入しました。歩く練習をしてください、富士山に登る前に、少しでも山登りを経験してくださいと言われました。
ジムに行く時間のない私は、仕事が終わり、晩御飯を食べた後、夜の10時頃から毎日30分3㎞程度のウォーキングを開始しました。仕事が遅かった時、雨の時以外は、無理のない程度で継続していきました。婿が帰国してからは、1か月に1回程度、私の代わりに当直をしてくれることになりました。今まで、ほぼ自由な時間がなかった私にとって、とても嬉しい時間です。

昨年夏には、登山靴ならしのために行きたかった熊野古道へ。冬には、初登山。雪の御在所。これは滅茶苦茶大変でした。昨年冬は、雪が深く、登山をしたことのない者が雪山に登るという無謀な行動でしたが、何とか登りきることができて、感無量でした。その後は、経ヶ峰、長谷山、曽爾高原のある俱留尊山、鈴鹿山脈の入道ヶ岳、富士山の練習になると言われた伊吹山に登りました。山の歩き方、体温調節のための衣服の着方、水分の取り方、トレッキングポールの使い方など、少しずつマスターして、いざ、富士山へ。

ガイド付きのツアーで登った方が良いと言われて、少人数のご来光ツアーを申し込みました。5月から山に登っておらず、登頂できるのか、とても不安でした。
仕事が終わってから、前日の夜に富士宮入りしたのですが、静岡は局所的な豪雨で大雨洪水警報が出ているし、新東名が土砂崩れのため一部通行止め、本当に登れるのかと不安な出発となりました。

7/17の朝は、曇り。朝食を食べて、シャトルバスがでる水が塚駐車場へ。霧と雨。天気は回復するという天気予報を信じて、シャトルバスに乗って、富士宮登山口へ。バスは、満席。富士宮登山口五合目に到着すると、快晴。天気は良くなりましたが、登頂できるか不安と心配と楽しみと。ツアー参加者は9名+ガイド1名。私が一番高齢者です。みんなに迷惑をかけずに登れるのか、不安でした。案の定、登り始めると、私が一番歩くペースが遅い。ガイドさんに手招きされて、ガイドさんの真後ろで、私の歩くペースで登山が始まりました。プリンスルートで登ります。まずは宝永山の方向に向かいます。宝永山には雲一つかからず、大迫力でした。素晴らしい景色をみながら、歩きにくい砂利の道を登ります。高山病にならないために、ゆっくり歩く、呼吸はゆっくり吐く、砂利道は人の足跡の上を歩く、水分を少量ずつこまめにとる、などのアドバイスをもらいます。山小屋までもう少しのところから、足がつってきました。持参した芍薬甘草湯を服用して、小さな歩幅で足に負担のかからないようにジグザク歩きに変更。「早くついて~」フラフラになりながら、やっと、山小屋のわらじ館に到着。登頂アタック用のザックを貸してもらえるということで、荷物整理。夕食のカレーライスを頂きながらも、また足がつってくる。明日登頂できるか不安。夕食後は、山小屋からの景色を堪能することもなく、すぐに寝袋で横になるが、狭すぎる~。周りのいびきがうるさく、耳栓もってくればよかったと反省。何となく頭痛いし、脈が速いな。ロキソニン服用しました。誰かが、吐いている。高山病になった人がいるみたいです。ご来光をみるためには、夜中から登頂開始ですが、体調的に登れるか心配。

出発の時間になり、準備開始。少し頭痛、少し足が痛いが、登れそう。がんばるぞ。昨夜吐いていた若い女性は、体調大丈夫ですと、参加者全員で登山開始です。標高は3000m以上になっており、呼吸がしんどい、足の運びもゆっくりです。一人の男性が、足の痛みで小屋に戻りました。夜に吐いていた女性は、やっぱり高山病で途中から吐き気がでてきました。ガイドさんにザックを持ってもらい、私と交代して、ガイドの後ろを歩きます。何度もストップして嘔吐。私たちはその間休憩。少し空が明るくなってきましたが、ガスがかかってきて周囲は白くなってきます。頂上がみえてきました。ご来光に間に合うかギリギリです。高山病の女性はゆっくり登ることになり、他のメンバーは頂上へ。なんとか、ご来光に間に合いました。頂上は滅茶苦茶寒い。手元の温度計では零下です。雲の間から朝日がみえました。雲海が広がり、綺麗でした。登頂できて、よかった。でも、その後は、すごいガスが出てきて、真っ白。寒さで山小屋へ。高山病の女性は、寒い寒いと震えていて、吐き気と嘔吐で大変そう。早めに下山しましょう、と急いで下山します。私のいつものペースよりも少し早いので、何度か滑って尻もちをつきましたが、下山はスムーズでした。六合目付近になったら高山病の女性はけろっとして、元気になっています。これが、高山病かと。彼女は二度と登りたくないと言っていました。
無事に下山し、登山後恒例の日帰り温泉に入り、ゆっくりして帰路につきました。翌日は、体調も問題なく、普通に仕事もでき、スタッフに富士山登頂の報告をしたら、拍手してもらいました。登った直後よりも、今の方が、じわじわと富士山登頂の嬉しさがこみ上げてきます。次はアルプスに登りたいと、ウォーキングも再開しています。

山登りの時は、自分の足元を踏みしめながら、自分のペースで一歩一歩登っていきます。ゆっくりペースでしか登れない者は、登山計画をたてるときに、早朝から登る、山で泊まるなど、自分の力量にあった計画を立てます。他人に合わせることや他人と競争するのではなく、自分の呼吸と向き合いながら、自分の足で歩くしかない。最後は、自分の力を信じて、頑張りきる。そしたら、富士山も登頂できました。
いつもは、頭をフル回転させて仕事をしているけれど、山登りの時間は、小さな花をみつけたり、鳥の声を聴いたり・・・何も考えなくて、自然に向き合う楽しい時間です。でも、急にガスがでてきたり、急に寒くなったり、急に天候が変わったり、自然の厳しさも感じます。
山は、修行の場でもあり、修験者が山に登っていました。富士山でもほら貝を吹きながら登っている修験者に会いました。山のふもとや頂上には神社や鳥居があるところが多いです。登山後は、今日も無事に下山できてありがとうございましたと、山に礼をして登山を終える方が多いです。私も下山したときは、安全に登れて、無事に下山できたことに本当に感謝の気持ちになります。山の神様が守ってくれた、そんな気持ちになります。山に登ると、人は謙虚な気持ちになれます。
一つの山に登ると、また次の山に登りたくなります。どの山も一つ一つ違って、それぞれの楽しさを味わわせてくれます。まだまだ、仕事中心の生活で、時々しか、山に登れませんが、体力を維持して、これからも自分に合った山登りができたらいいなと思っています。

映画『ベイビー・ブローカー』

映画『ベイビー・ブローカー』を観てきました。
望まない妊娠、赤ちゃんポスト、児童養護施設、養子縁組など私たち赤ちゃんに関わる者が、取り組まなければいけない深い問題がテーマになっている映画でした。

望まない妊娠:自分が希望しないときに、思いがけず妊娠してしまうことがあります。産むか産まないか、本人は悩むことになります。相手の男性がわからない、連絡がとれない、相談できるような相手ではない、相手の男性に産むことを反対される、など一人で孤独に悩む女性達がいます。男女の問題なのに、相手の男性は逃げ腰、本当に逃げていってしまい連絡がとれないこともあります。一人で悩んだすえに、産まないという選択をする女性もいます。自分が悩んで決めた決断については、産科医はその気持ちを尊重します。産むという選択をする女性もいます。でも、その時は、周囲の人々から反対されることが多々あります。出産後には、「なんで産んだのだ」と周囲から冷たい言葉を浴びることもあります。妊娠中、出産後も一人で孤独に悩み、これからどうしたらいいのか八方塞がりで、産婦人科を受診することもなく孤独に出産し、赤ちゃんを放置あるいは遺棄してしまい、犯罪となってしまうこともあります。
この映画は望まない妊娠が始まりです。女性ソヨンは家族に捨てられ、居場所がないなか、売春を斡旋するアパートで暮らしていました。不倫の男性との子どもができたけれど、望まない妊娠。でも、産もうと決めた。産んだけれど、誰も助けてくれず、誰からも祝福されることはなく、赤ちゃんポストへ行くことになります。

赤ちゃんポスト(baby box):子どもを育てることができないと思ったソヨンは「必ず迎えにくるから」というメッセージをいれて赤ちゃんポストの前に赤ちゃんを置き去りにします。赤ちゃんポストのある施設で働く児童養護施設出身のドンスと 古びたクリーニング店主で借金に追われるサンヒヨンが、ベイビー・ブローカーという里親に赤ちゃんを金銭で売る裏稼業をしていて、この赤ちゃんを盗みます。しかし、母親のソヨンは、赤ちゃんを連れ戻しに赤ちゃんポストのある施設に戻ったために、3人の奇妙な里親探しの旅が始まります。
日本にも赤ちゃんポストを設置している病院があります。望まない妊娠で、子どもを育てることができない女性が匿名で赤ちゃんを置きにきます。その子どもたちは乳児院・養護施設や里親の元で生活することになります。子どもの命は守られました。でも、子どもの心のなかには、「自分はなぜ捨てられたのか?自分は望まれて生まれてきたのか?自分の母親・父親はどんな人なのか?」といった気持ちが残ります。映画の中では、「必ず迎えにくる」というメッセージが入っていても、本当に迎えにくる母親は40人に1人だ、とドンスはいいます。ドンスも「必ず迎えにくるから」というメッセージとともに、養護施設の前で置き去りにされた赤ちゃんでした。必ず迎えにくるというメッセージを信じて、養護施設で大人になりました。赤ちゃんを置き去りにした母親は、きっと迎えにはこない。だから、赤ちゃんポストに置かれた赤ちゃんを優しくあたたかい里親に育ててもらえるように、養護施設の職員でありながらも、ベイビーブローカーという犯罪に手を染めていたのだと思います。

養護施設:里親探しの旅の途中で、ドンスの育った養護施設に立ち寄ります。施設で育っていた男の子がこっそり車の中に潜んで、一緒に旅をすることになります。男の子は、旅の中で、一番楽しかったことは、洗車機の中で、窓をあけてふざけたら、みんなが水浸しになって笑いあったことだと言います。擬似家族だけれど、日常のなかで、たわいもない遊び、遠慮なく笑いあい、ふざけあうことが家族の絆を作っていく。観覧車の中で高所恐怖症の男の子が、気分が悪くなった時には、サンヒヨンの膝枕のなかで、怖くないように頭を撫でてもらいます。怖いときには、大好きな大人が優しく守ってくれる。そんな経験がこどもには必要で、大人への信頼感や安心感につながっていくのでしょう。

旅が終わる前に、ソヨンはみんなと赤ちゃんに、そして男の子はソヨンに、「生まれてきてくれて、ありがとう」と静かに声をかけます。旅をしてきた全員が、それまで「自分は生まれてきてよかったのか?生まれてくる意味があったのか?」と思っていたのではないでしょうか。「生まれてきてくれて、ありがとう」という言葉が、あたたかく心に響き、そこから新しい人生、新しい生き方が始まっていったように思います。

ソヨンが刑務所に入っている間、里親と警察官が赤ちゃんを大切に育てていました。赤ちゃんの幸せを一番に考えて、どのように子どもを育てるか、実母のソヨンと一緒に話し合っていきたい、と映画は終わっていきます。子どもの幸せを一番に考えることが、周囲の大人の役割だと私もいつも思っています。それを確認させてくれるとても良い映画でした。

子どもの貧困

先日、三重県保険医協会主催の「新型コロナと子どもたちの貧困~格差解消のために何が必要か?~」前川喜平氏の講演を聴きました。

憲法13条 すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
憲法14条 すべての国民は、法の下に平等であって、人権、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
憲法23条 学問の自由は、これを保障する。
憲法25条 生存権及び国民生活の社会的進歩向上に努める国の義務
1. すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する
2. 国は、すべての生活全面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
憲法26条 すべての国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
日本国憲法は、戦争の反省点から、人の命、生存権が最も大事と書いてある素晴らしい憲法であり、子どもたちは、等しく教育を受ける権利をもっています。

「子どもの貧困」というのは、この人権が踏みにじられているということです。
子どもがお金を稼ぐわけではないので、「子どもの貧困」=「親の貧困」=「子どもが育つ環境の貧困」=「国の貧困」。従って「子どもの貧困」については、社会が責任を負わなければいけません。
格差社会が大きくなってきたのは、1980年代以降の新自由主義以降と言われています。民営化、規制緩和、市場拡大をすすめ、その結果、格差の拡大と固定化が問題になっています。富めるものは、ますます富、貧しいものは、ますます貧しくなっていく。切り捨てられる人がいるのは仕方ない。それは自己責任だ、という時代になりました。でも、どんな家庭に生まれたかは、子どもの責任ではありません。

国が「子どもの貧困」に対して、何もしていないわけではありません。2019年に「子どもの貧困に関する大網」が改定されました。
大網の目的・理念:
現在から将来にわたって、全ての子供たちが前向きな気持ちで夢や希望を持つこのできる社会の構築を目指す。
子育てや貧困を家族のみの責任にするのではなく、地域や社会全体で課題を解決するという意識を強く持ち、子供のことを第一に考えた適切な支援を包括的かつ早期に講じる。
基本的方針:
1. 貧困の連鎖を断ち切り、全ての子どもが夢や希望を持てる社会を目指す。
2. 親の妊娠・出産期から子供の社会的自立までの切れ目ない支援体制を構築する。
3. 支援が届いていない、または届きにくい子供・家庭い配慮して対策を推進する。
4. 地方公共団体による取組の充実を図る。

「子どもの貧困」とは、「相対的貧困」の状態にある18歳未満の子どもの割合を指します。国民を可処分所得の順に並べ、その中央値の人の半分以下しか所得がない状態を相対的貧困と呼びます。こういった子どもたちは、毎日の衣食住に困るような「絶対的貧困」ではありませんが、教育や体験の機会に乏しく、地域や社会から孤立し、様々な面で不利な状況に置かれてしまう傾向にあります。日本では、7人に1人の子どもが「相対的貧困」にあると言われています。今回のコロナ禍で、「相対的貧困」は増えているのではないでしょうか?
学校給食が一日の中で唯一栄養の整った食事の子どもたちもいます。コロナ禍で休校となり、給食が食べられない子どもたちがいました。地域の有志の人達が「こども食堂」を運営してくれました。弁当や食料の配給をしてくれました。自宅に一人でいなければいけない子どもたちが多くなりました。学童はコロナ禍でも開かれていました。地域のボランティアの方達がこども達に無償の塾を開講してくれています。

コロナ禍で子供の自殺、引きこもりが増えていると言われています。貧困家庭が増え、親も疲弊し、孤独となっています。日本には素晴らしい憲法があり、子供に対する様々な法律も作られています。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」この憲法の条文が遵守されるように、政治家の方々は頑張ってほしいと思います。もうすぐ、参議院選挙です。子ども達への政策をしっかり語っていただきたいです。私たちは地域で、ママ達、子供達が健康で文化的な生活が送れるように頑張りたいと思います。

小さな子供たちと絵本との出会い

国際ボンディング協会の講演で、三重県四日市市にある子どもの本専門店メリーゴーランド店主増田善昭氏の「小さな子供達と絵本との出会い」を聴きました。
増田さんとは、年に1回ラジオ番組に一緒に出演しているので、いつも子どものこと、本のこと、音楽のことなど沢山のお話をしている仲です。今回の講演もとっても楽しみにしていました。

親は、小さな子どもを膝にのせて、一緒に絵本のページを開いていくのがいい。子どものペースで本をめくっていく。文字を読めない小さな子ども達は、読んでくれる人の声のトーンや響きを感じながら、絵を隅から隅まで見て、ページの感触を感じて、自分の感じる世界に入っていく。そのペースに親が合わせてあげればいい。子どもの自由を奪わない。大人は上手に読もうとする必要はない。読み手の気持ちをこめて、読み手も楽しみながら、子どもの表情をみながら、読んであげればいい。子どもの成長に合わせた、読む人が好きな本を選んであげればいい。知育教育などと教育しようと思わなくていい。

物語を読んであげると、子どもは物語の世界の中に引き込まれていく。大人が自分自身では伝えられないような喜びや楽しみを絵本が体験させてくれる。そして、大人も、もう一度子どもの頃に戻って物語としての喜びや楽しみを体験するチャンスがやってくる。子どもは一人一人が素敵な能力をもっていて、一人一人が自分自身の物語を作っていき、私自身の幸せを感じていく。

アンデルセン童話、グリム童話、日本の昔話など、昔からあるお話は、結構残酷な話が多い。これから、経験していく社会は、怖い事、悲しい事、辛い事などが沢山ある。それを物語のなかで体験すると、自分自身の今の幸せを感じることができる。「家にいれてよかったな。ごはんが食べれてよかったな。お母さんがいてよかったな。・・・」そんな些細なことが幸せと感じることができる。
お話のなかで、子ども達はファンタジーの世界に入れる。映画「千と千尋のかみかくし」では、父母は食べ物に目がくらんで、橋を渡ることができなかったが、千尋は橋を渡って様々な体験をしていく。辛い事、悲しいこと、楽しいこと、様々な冒険、そして、はくという素敵な男の子とも出会う。子ども達は、物語にひきこまれていくと、物語の世界を自分自身で経験し、ファンタジーの中を冒険し、恋をする。そんな経験が子ども達にとっては、とても大切で、自分自身の幸せを感じる力となる。

子ども達に、本物の筆と絵具を持たせると、その子しか表現できない素晴らしい色と線を引く。でも、学校では、みんなと同じようにできることが要求される。親もみんなと同じようにできることを望む。子ども自身の湧き上がってくるものに、大人が蓋をしていませんか?親にとって大切なことは、自分の子どもをよくみる。子どもの表情をよくみる。他の子どもと比較しない。兄弟で比較しない。人は、それぞれ歓迎されて生まれてきたのだから。

コロナ禍のなか、社会や親の不安な様子を子ども達は感じている。子ども達も不安でパンパンになっている。パンパンになっている子どもをへこましてあげてください。ぎゅっと抱きしめてあげてください。子ども達はエネルギーにあふれています。外に出て十分身体を使いましょう。子どもは今を生きています。明日のために生きていません。今をしっかり生きることは、大人になっても大切です。大人も子どもから学ぶことは沢山あります。

子どもの頃に好きだった本をもう一度読み直してみましょう。新たな気づきがあります。自分自身も大人になって感じることが変わったのだから、小さなときに読んだ本に新たな気づきがあります。

子どもが危険だと思っても、すぐに親が手を出さずに 5秒待ちましょう。5秒は結構長いです。でも、5秒の間に、子どもは自分自身で解決策を見出してくるかもしれません。高い木に登っても、自力でおりてくるかもしれません。笑って考えられる子どもになってほしい。

増田さんの講演を聴いて、本が買いたくなり、早速メリーゴーランドにいきました。孫にも私にもお気に入りの本を買いました。子どもにとっても大人にとっても本は大切。いくつになっても自分の力になってくれるものです。親子で本に没頭する時間がもてるといいですね。

更年期と林住期

「林住期」五木寛之著を読みました。
古代インドでうまれた『四住期』という考え方は、人生を四つの時期に区切って、それぞれの生き方を示唆する思想です。「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」という四つです。
0歳から25歳「学生期」は、青少年時代。心身をきたえ、学習し、体験をつむ。25歳から50歳「家住期」は、社会人の時期。就職し、結婚し、家庭をつくり、子どもを育てる。これまでの人生で黄金期といえば、その前半の青・壮年時代がすべてのように考えられてきたのではないでしょうか。
50歳に達すると、人はおのずと自分の限界がみえてきます。体力の衰えも感じられる。若者達からは、旧世代あつかいされ、家庭でも組織のなかでも必ずしも居心地はよくない。自分にこれからなにができるのか。50歳というのは、じつにむずかしい時期だ。
50歳をはっきりひとつの区切りとして受け止める必要がある、と私は思う。そして、そこから始まる25年、すなわち「林住期」をこそ、真の人生のクライマックスと考えたい。
50歳から75歳までの25年。その季節のためにこそ、それまでの50年があったのだと考えよう。考えるだけではない。その「林住期」を、自分の人生の黄金期として開花させることを若いうちから計画し、夢み、実現することが大事なのだ。
人が本来なすべきことはなにか。
そもそもこの自分は、生きてなにをなそうと心に願っていたのだろうか。私たちの日常は、そういう自己への問いかけすら、なすいとまもなく、雑事に追われて過ぎていく。自分が本当にやりたいと思うのはなにか。以前から、やりたいとひそかに願っていたことは?
そういう問いかけは、追われながら走りつづけている日常からは、うまれてはこない。「林住期」にさしかかった人間にできることの一つは、そういった生活の足しにはならないようなことを本気で自分に問い返してみるということだ。本来の自分をみつめる、とはそういうことだろう。
「学生期」「家住期」にたくわえた体力、気力、経験、キャリア、能力、センスなどの豊かな財産の、すべてを土台にしてジャンプする。その意志のあるなしこそが「林住期」の成功と失敗を左右する。ジャンプしても、必ずしも満ち足りた日々が保証されるわけではない。しかし、かりに清貧というにもささやかすぎる暮らしをすることになったとしても、そこには人間としての、奇妙な充足感が得られるだろうと思う。
50歳から75歳までの25年間。その、「林住期」こそ人生のピークであるという考えは無謀だろうか。私はそうは思わない。前半の50年は、世のため人のために働いた。後半こそ人間が真に人間らしく、みずからの生き甲斐を求めて生きる季節なのではないか。人間には、本当に自分がしたいと思うことをする自由がある。それがないとみえるのは「家住期」にいるからだ。「林住期」とは、そこを抜け出していい、という時期である、まさにそれが許される時なのである。~『林住期』より

女性の場合は、更年期が「林住期」のスタートの時期と重なります。更年期障害で様々な身体の不調を訴えて受診される患者さんがたくさんいます。薬による治療をしながら、私は患者さんと色々なお話しをしています。更年期は、女性ホルモンが下がることが原因で様々な不調が起こりますが、あなたの人生を見直していく時期だと教えてくれているのかもしれません。今まで、子育てをして、家事をして、仕事をしてと、めいっぱい働いてきたけれど、今までと同じペースでは、やっていけません。20代や30代の頃は、寝不足が続いても体力があったし、何かストレスにぶちあたったとしても、気力で乗り越えられました。しかし、その年齢に戻ることはできません。今は、人生100年時代。折り返し地点です。今まで家族のために、子どものために、仕事のキャリアのために、頑張ってきたけれど、これからは自分の好きな事、やりたいこと、趣味をみつけたりする時間をもってみてもよいのでは。そのために、人生の歩みを少しスローダウンして、自分の人生を見つめなおす時期なのかもしれませんね。今までの生活のままだと、体力は落ち、筋力も落ち、代謝も落ちて、体重が増えて太ってきます。老後を元気に過ごすために、自分の身体をメンテナンスしないといけない年齢になってきました。食事を見直し、適度な運動をしていくことが必要です。今までのペースで、死ぬまで突っ走れる人もいますが、自分は無理だと思ったら、その時点で人と比べるのは止めましょう。自分が幸せだと思える生き方をさがして、実行していきましょう。
女性は、閉経になるということで、自分の身体が変化したことに気づかされます。更年期は辛い時期だと思わず、治療しながら、自分のこれからを見直す大切な時期にしていきましょう。「更年期」と聞くと、皆さん暗く寂しく辛い時期だと思っている人が多いですが、私たち婦人科医が伴走します。「更年期」は「林住期」の始まりです。「林住期」を自分の人生の黄金期にしていきましょう。

抱っこの意味

2022年1月30日ボンディング協会リレーセミナー 「触れ合いによる親子の非言語コミュニケーション」吉田さちね先生の講演を聴きました。子育て中に、赤ちゃんを抱っこして歩き回ると泣き止む、という経験をしているママやパパは多いと思います。なぜ?ということを科学的に研究されています。

全ての哺乳類の子どもは、親から世話をしてもらわないと生きていくことができません。親子の間では、絶え間ない情報のキャッチボールが行われています。赤ちゃんは、吸い付く、しがみつく、後追いをする、泣くなどの行動で、親と離れないようにいつも接近している状態を保とうとします。親は子どもの生存率をあげるために、子どもに栄養をあげ、安全を確保し、居心地の良い場所を整え、生きていくための方法を教えていきます。その親子のキャッチボールがうまくいかないときには、自然界では赤ちゃんの死に直結します。だから、この親子のコミュニケーションは、生きるために絶対必要なことです。

親に運ばれている子どもはみな同じような姿勢を保ちます。多くのママやパパは、抱っこやおんぶをして歩くことで、赤ちゃんが泣き止むことで眠りにつきやすいことを経験的に知っています。同じような行動はライオンやリスなで、人間以外の哺乳類にもみられます。母親が赤ちゃんを口にくわえて運ぶと、子どもはまるくなって運ばれやすい姿勢になり、おとなしくなります。これは輸送反応と呼ばれます。
人間の赤ちゃんで研究したところ、抱っこしながら速足で歩くと、運動量、泣く量が減って心拍数が減りました。マウスで研究したところ、子マウスの首の後ろをつまみ、輸送反応が起こると、子マウスは、四肢を縮めたコンパクトな姿勢になり、体幹は脱力し、人間の赤ちゃんと同じように運動量、鳴く量が減り、心拍数が減少しました。そして、マウスの場合、輸送反応は離乳するまでの一時的な反応ということがわかりました。
新生児期には、特定の運ばれる(carrying)という刺激がくると泣き止むという反射が起こるのですが、月齢が上がるにつれ、置かれている状況によっておとなしくなったり、ならなかったりすることがわかりました。生後13日(瞼が開く時期)以降の子マウスでは、母マウスと引き離すと輸送反応が起こりにくくなることが実験でわかりました。その頃からは、前帯状皮質(不安や恐怖に関連したネガティブな予測)が状況に応じた輸送反応の調整に関与することがわかり、子が輸送反応できないと母親の移動効率がさがることもわかりました。つまり、目が見えて周囲の状況がわかるようになってから、母親が近くにいないと輸送反応が起こりにくくなり、危険な状況から逃げるための子どもの行動がにぶくなるということです。
自然界で赤ちゃんが生き延びていくことは、天敵や自然災害など、沢山の危険から母親が安全な場所へ赤ちゃんを運ぶということが、必要不可欠です。自然界で敵に襲われそうになった時や移動しなければいけなくなった時、輸送反応がおこると、赤ちゃん自らが親に運ばれやすいような体制になり、鳴くことを止めてじっとして、親が運んでくれやすいように自らも協力しています。生まれた時から、親子は協力して生きているのですね。

さて、人間の子どもは、歩けるようになってからも抱っこが好きなのでしょうか?生後1年間の変化をみてみると、生後4か月からで赤ちゃんのハグされたときの心地よさが大きく変化することがわかりました。新生児期では、誰が抱っこしても同じような反応だった赤ちゃんが、生後4か月以上では、両親によるハグと見知らぬ女性によるハグでは、乳児の心拍数は異なることがわかりました。その頃から、いつも抱っこしてくれている人の抱き方を認識している可能性があり、両親も自分の子をハグするとリラックスすることがわかりました。その頃からは、いつも抱っこしてくれる人がわかり、その人の抱っこで子どもは安心感が得られるようになっていき、愛着形成につながっていくのでしょう。
抱っこの重要性が科学的に証明されていくと、親子にとって、抱っこはとても大切なことだとわかります。抱っこ抱っこの毎日は大変ですが、ママ、パパ、頑張ってくださいね。

さよなら子どもの時間

毎年恒例になったラジオ出演、成人の日に子どものことを話します。出演者は、子どもの本専門店「メリーゴーランド」店主増田喜昭さん、世界こどもSHIEN学校のびすく理事長の松井強さんと私です。
今回は、増田さんから「さよなら子どもの時間」というテーマをもらいました。ラジオの打ち合わせの時間に増田さんから「さよなら子どもの時間」今江祥智著の本をプレゼントしていただきました。

『さよなら子どもの時間』
健の家族はたしかに、<なんでもそろって>いて、ちゃんと、にぎやかなはずです。けれど、みんなそれぞれに、とてもいそがしくって、健にはあまりかまっているひまがないのです。そして家の中で、健がぽつんとしているのを見ても、
健だって、もう小学校の四年生だもんな。
というのが、家族の口ぐせでした。家族のみんながいそがしがるのも、むりはありません。みんな、それぞれにはたらいているのですから・・・。
(ぼくって、小さいときから絵本一つ読んでもらったことがない、お話一つしてもらったことがなかったみたい・・・)と思ってしまうのです。
もちろん、ほんとはそんなことなどありませんでした。けれど、はっきりものをおぼえている年ごろからあとのことを、ゆっくり思いだしてみればみるほどー健にはそうとしか思えなくなってくるのでした。
{ぼくには、子どもの時間がなかったんだ・・・}
ところが、健が風邪をひいた一週間、毎晩、両親はじめ家族のものが、それぞれとっておきの話をしてくれることになりました。健にとっては、うしなわれた子どもの時間が、まとめてかえされたような気がしました。
そして、家族のみんなの話を聞いたあと、健はみんなの話がごちゃごちゃになった不思議な夢をみます。
そして、風邪で学校を休んでいる間に同級生のこずえちゃんと友達になります。こずえちゃんは、おかあさんは小さいときなくなっていて、おとうさんとにいさんが、同じ船で海へでていって、帰らなくなり、きゅうにひとりになってしまいました。こずえちゃんは、花市場への買い出しのお手伝いをしていました。
こずえちゃんの存在で、学校で苦手な鉄棒のさかあがりができるようになりました。健は友人の弘くんのおうちの花やさんを手伝うようになりました。夢に出てきていたお話のなかのれんちゅうはきれいさっぱりわすれていき、健は弘くんとそのいとこのこずえちゃんと仲良くなっていきました。

この本のあとがきで著者は、次のようなことを書いています。
ところで、この作品は、戦争と敗戦によって、まともな子どもの時間を、なしくずしに消されてしまったおのれの少年時代のことを考えていて書いたものでしたが、今はまた今で、子どもたちにとって本当の子どもの時間がまた、受験勉強や公害によって、なしくずしに消されている気がしてなりません。せめて大人がもう少しまともな姿勢で子どもとむきあって生きるといいなあとも思うのですが、そんなところがどうやらわたしが子どもの本を書き続ける理由のような気がしているこのごろです。

子どもの時間とは、何なのでしょうか?
時間にとらわれず、ファンタジーの世界に飛び込んでいけるのが子どもの時間。「千と千尋の神隠し」の映画で10歳の千尋は両親と一緒に不思議なまちに迷いこんできます。両親は美味しい食事に目がくらんで豚になってしまいますが、千尋は、どんどん前へ進んでいき湯婆婆に会いにいき、千という名前に代わって様々な体験をしていきます。そのファンタジーの世界に入って湯婆婆に会いにいけるのが子どもの時間。大人は現実の欲に目がくらむので豚になってしまう。と増田さんは言います。

時間にとらわれず、世間の常識で判断することなく、自然に空想の世界で遊ぶ子ども達。その空想の夢の中で、怖いこと 辛いこと 不思議なこと 酷く理不尽なこと 幸せなこと 好きな人や物との出会い、嬉しいこと 悲しいことを体験し、それを乗り越えて冒険の世界を進んでいけるのが「子どもの時間」のように思います。その大切な時間に、周りの大人たちが上手におつきあいしていくことが、大切だと思います。子どもの空想を馬鹿にせず、一緒に楽しんでくれる大人がいると、その子どもは幸せですよね。少なくとも、子どもの時間を大人が邪魔しないようにしたいものです。
空想のなかで、勇気をもって、いろいろな難関に立ち向かって、乗り越えていった子どもたちは、それが、現実ではないと次第にわかります。空想の世界から現実の世界に置き換わっていったときに、「さよなら子どもの時間」になるのでしょう。空想の世界のことは、忘れていくけれど、心の奥底にその記憶は残ります。そして、現実の世界で、たくさんの嫌なこと辛いことにぶち当たっても、「子どもの時間」に体験した力が、現実を乗り越える力になり、チャレンジしていく力になるのだと思います。子どもの時間に戦争や虐待、いじめ、飢餓、社会の混乱など厳しい社会の現実がつきつけられると、子ども時代から厳しい現実と常に向き合わなければいけなくなります。子ども時代は、ゆったりとのんびりと平和に過ごせるようにしてあげたいですね。



初登山

「人生の中で一回は富士山に登りたい」
大学時代、友人達と伊豆方面に旅行に行きました。富士山を見たいなと思い、五合目までドライブ、そのあたりを散策しましたが、富士山に登るためには、それなりの準備が必要と聞き、いつかは日本一の山、富士山の頂上に登りたいと思っていました。でも、その夢は、社会人になってからは仕事が忙しすぎて、お蔵入りとなっていました。
でも、年齢的には、そろそろ限界。富士山登山に向けて、昨年夏から準備開始です。
まずは、近くにある登山ショップの『好日山荘』へ。「富士山に登りたいんですけど・・・。初心者でも登れますか?」
登山靴や登山服などとりあえず登山に必要な物品を購入。山登りは、天気や気温も急変するし、一つ間違えば死につながるので、代用品ではなく、山登り用のきちんとしたものを、そして、遭難しても救助がくるまで自分で耐えしのげるものは必要ということでした。それから、山登りのためには、体力は必要なので日々トレーニングしてください、富士山に行く前に、低山でよいので山登りの経験をしてくださいと言われました。
夜、歩けるときは、毎日3~4㎞のウォーキングを始めました。私は、中学、高校、大学とバスケット部です。ストイックに身体を鍛えるのは嫌いじゃない。夜中のウォーキングが楽しくなってきて、時々ランニングもいれて、ちょっと体力ついてきたので、初登山にチャレンジすることにしました。最近、婿が月1回週末の当直を代わってくれるので、年末に計画。
せっかくなので、旅行気分もかねて、湯の山温泉―御在所岳登山としました。『好日山荘』の店長さんに冬の御在所岳登山のアドバイスをもらいました。雪山登山用の服装、靴下、アイゼンを購入、「雪山は、歩くのが大変です。時間が倍くらいかかります。無理だと思ったら勇気ある徹底をしてください。撤退は全然恥ずかしいことではありませんから。」と言われました。
天気予報を毎日のようにチェック。登山前の週末は寒波がやってくるけれど、登山日の12月30日は、晴れてよい日になっている。初登山が雪山でも、天気が良ければ、決行しよう。
週末の寒波で湯の山温泉は雪景色。12月29日からは晴れていて、登山者のトレースができているようなので、私にとっては絶好のチャンス。12月30日朝から御在所岳裏道コースへ。曇り時々晴れの天気で、登山者もいます。とりあえず、頑張ってみよう。「自分のペースで、ゆっくりでいいから」とアドバイスされ、ベテラン登山者の方には、どんどん先に行ってもらいました。私と同年代らしきベテラン登山者は女性も男性もスイスイと登っていかれます。年齢とは関係ないのだと思うと、ちょっと嬉しくなりました。登山をする人は、みんなマナーが素敵です。「こんにちは。頑張ってください」とみんなが声をかけてくれます。必ず登りが優先ということで、下山する人は、私のゆっくりのペースでもイライラせずに私が通り過ぎるまで待ってくれています。
「けがをしない、滑落しない。」これだけは肝に銘じて、ゆっくり前の登山者がつけてくれたトレースの上を一歩一歩進みました。初心者にとっては、難関な箇所も多く、木にしがみつきながら、岩にはいつくばって登らなければ登れないところも多くありました。距離も長くて、なかなか頂上に着きません。でも、撤退ということは頭の中にはありませんでした。大学時代の全学のバスケット部は、将来体育教師になる教育学部の人が多く、医学部の私にとっては体力的にはきつかったです。部活の「ファイトー!元気―!頑張ろー!ファイトー!」の掛け声が頭によみがえってきました。これくらいのしんどさでは、へこたれません。医学部競技スキー部にも入っていたので、雪は慣れています。スキークロスカントリーもやりました。あの時のしんどさは、この比ではありませんでした。登りの坂道はハの字であがっていきますが、登ったと思っても滑り落ちたり、平坦なコースでもなかなか前に進まないし、下り坂では曲がれなくてこけるし、そんなことを思い出していました。
5時間くらいかかって、やっと頂上へ。山々の景色をみながら、頑張れた自分に涙が出てきました。学生時代の部活では、悔しいとき、うれしい時、よく泣いていたな。そんなことを思い出させてくれた初登山でした。
今の年齢になっても体力の限界まで頑張れる自分を作りあげてくれたのは、学生時代に部活を精一杯頑張ったからかなと、当時のことをとても懐かしく思い出しました。
山登りは、いろいろなことを教えてくれます。装備や準備は大切。甘く考えていると命取りになる。山登りのための日々の体力作りが必要。危険と隣り合わせなので、山登りのための知識が必要。ベテランの人を見ていると無駄なく効率よく登っているので、経験を重ねることで体力が衰えてきても十分楽しめる。過信は禁物、勇気ある徹底も必要。下山の開始は時間の余裕をもって。山の天気は変わりやすい。状況に応じて、服装を変えたり、待機する場所をみつけたり、下山したりと臨機応変な対応が必要。道を間違えたと思ったら、元の道まで戻って考える。などなど。
自然のなかで日常から離れて素晴らしい景色を楽しめる山登りに少しずつはまっていきそうです。1月は経ヶ峰に登りました。自分のレベルにあった登山を楽しみながら、夏には富士山を登る予定です。

映画『そして、バトンは渡された』

映画『そして、バトンは渡された』を観てきました。
映画のあらすじは、血の繋がらない親の間をリレーされ、4回も苗字が変わった森宮優子。わけあって料理上手な義理の父親、森宮さんと二人暮らし。今は卒業式でピアノを弾く「旅立ちの日に」を猛特訓中。将来のこと恋のこと友達のこと、うまくいかないことばかり・・・。そして、夫を何度も変えて自由奔放に生きる魔性の女・梨花。泣き虫の娘のみぃたんに精一杯愛情を注ぎ共に暮らしていたが、ある日突然、娘を残してきえてしまう・・・。そして、優子の元に届いた一通の手紙をきっかけに、まったく別々の物語が引き寄せられるように交差していく。「優子ちゃん、実はさ・・・」森宮さんもまた優子に隠していた秘密があった。父が隠していたことは?梨花がなぜ消えたのか?

私は産科医という立場から、様々な家族と出会います。妊娠中、子育て中に様々な問題が出てくる場合、本人が複雑な環境で育っていたことが多々あります。親が離婚・再婚して、生んでくれた親と育ててくれた親が違う。親と仲が悪く、音信普通。祖父母に育ててもらって実親は育児放棄。里親や特別養子縁組など、血のつながっていない親が愛情深く育ててくれることもあります。

映画の主人公の森宮優子のようにお父さんが3人、お母さんが2人、4回苗字が変わった環境では、現実の世界では心の傷を負わずに素直に育っていくことは難しいように感じます。「私が悪い子だから親が変わったのだ」「私なんか生まれてこなければよかった」「大人は勝手だ」「大人は信用できない」「親は私のことが嫌い」そんな気持ちになるのが普通で、心の病を発症したり、自分を大切に思えなかったり、自分に自信が持てなかったり、苦しみながら大人になっている人がいます。

映画のなかとはいえ、森宮優子は素直に育っていったのはなぜでしょう?この映画のなかには、親として大切なことが沢山ちりばめられていました。
実のお父さんの水戸さん:3歳まで信頼できる大人に育ててもらうことが、その子供の安全基地ができると言われています。お母さんが亡くなった後、お父さん一人で沢山の愛情を注いでみぃたんを育てます。お父さんは仕事のために海外へ行ってしまい、手紙の返信も全くない状況だったけれど、パパは私を絶対に愛しているという思いは、ずっとなくならなかったのだと思います。
育ててくれた梨花さん:パパがいなくなった後、貧乏な生活の中でも、愛情とユーモアたっぷりで明るくみぃたんのことを育ててくれた梨花さん。「笑っていれば、いろんなラッキーが転がり込むの」というママの言葉は、ずっとみぃたんの心の中に残っていました。寂しい時も悲しい時も嫌な時も辛いときも、とりあえず笑っていよう。梨花は、みぃたんの夢を叶えるためには、次のパパをみつけます。自分のためではなく、愛する娘のために。そして、ママは元気で長生きしてね、というみぃたんの願いを叶えるために、命がけの作戦にでます。
二番目のパパの泉ヶ原さん:みいたんがピアノを弾きたいという夢を叶えるために、梨花がみつけたピアノのあるお家でお金持ちのパパ。でも、この家にいえると息がつまるとみぃたんを置いて梨花は家を飛び出してしまいます。みぃたんは、大好きなピアノの練習ができて嬉しいのですが、ママがいなくて寂しい。そんなみぃたんを祖父のような大きな愛情で包み込んでくれるパパ。
三番目のパパの森宮さん:東大出の頭のよいパパですが、会社でのやりがいはなく、優子のパパとなり、父親としてのやりがいを見出します。梨花には逃げられますが、料理で優子への愛情を表現。優子が結婚するまでは、父親としての責任を果たすと、心に決めています。優子には森宮さんと言われて、父親なのか同居人なのか微妙な関係性。でも、優子が結婚を考えた時には、ここが自分の実家で自分が一番頼れる安心できる場所だと気づきます。食事という毎日毎日の日常は、思春期の子供にとって、うっとうしいようで、でも、一番親の愛情を感じるものなのだなと思います。食は大切です。
血のつながりが親子ではない。娘のことをどれほど大切に思っているかが、娘の気持ちをどれほど尊重しているかが親子のつながりだと思います。

私の子育ては、ワンオペ育児に超多忙な仕事で、自分一人ではとてもやれず、優子のように沢山の愛情深い人たちに関わってもらいました。両祖父母、高校生になってからは病院の厨房の人に夕食を作ってもらっていました。遅くなっても夕食を待ってくれていた娘。一緒に食べると寂しくないからね。私の実母は料理上手で、主菜と副菜2品に汁物とごはんといったちゃんとした食事を作る人だったので、娘には受け継がれていったかな。
子どもが育っていくなかで、大切なことが、映画のなかにはいっぱい散りばめられていました。そして、自分自身の子育ても振り返って涙があふれてきました。小さくて可愛かった頃、思春期の難しかった頃、高校の卒業式では泣きました、大学からは自由に羽ばたき、社会人になり一人暮らしを始め、そして、結婚式では親としての責任が果たせた安堵で泣きました。梨花とそれぞれのパパが娘のことをどんなに大切に思っているかが響いてきて、自分と重なって懐かしい思いになりなした。
子どもの成長は、どんなことよりも沢山の幸せをくれます。今は、孫もいてくれて、もっと沢山の幸せをくれます。
暖かい気持ちにさせてくれる映画でした。

プロフィール

柳瀬幸子(やなせさちこ)
産婦人科医。三重大学医学部卒業後、三重大学大学院医学研究科博士課程修了。
ヤナセクリニック院長として多くの命の誕生に立ち会う中、女性のライフサイクルに応じた幅広い医療の提供、お母さんと赤ちゃんに優しい出産、妊娠中から育児中を通してのサポート、育児支援に力を入れている。著書に「地球(ここ)に生まれて」、共著に「効果テキメン! アロマ大百科」など



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