美術館・博物館・資料館

2011年08月17日

 BBQ2011終了後、リーダーの車に乗り込んで、田原市内の吉胡貝塚へ。立派な資料館が出来ているという噂をリーダーがキャッチ(いつもどうやってこんなマニアックな情報を……)したため。
 ホネホネロック2011開催!



吉胡貝塚(1)
 やってきました、吉胡貝塚。今では吉胡貝塚史跡公園、愛称「シェルマよしご」!
 その中心が資料館というわけだ。





吉胡貝塚(2)
吉胡貝塚(3)
 看板も充実。





 ちなみに吉胡貝塚、日本史必須アイテム、山川出版社の『日本史用語集』第1版第25刷(1994.10)では、1988年4月の時点で世に出ていた教科書19種のうち、3種に記述されていたということになっている。まぁ、マニアックな部類ではある。
 その用語集に拠れば、

 愛知県渥美郡田原町(現 田原市…熊谷注)の縄文後期〜晩期の貝塚。300余の人骨と40余の甕棺を発掘。東西の縄文文化の接点としても重要。

ということだ。
 ちなみに300以上のホネホネが見つかったのは、大正11・12(1922・1923)年の、京都帝国大学教授、清野謙次による発掘の時。清野の所属は医科だったというから、学問の区切り方なんて、いくらでも変わるんだという例としても興味深い話。
 資料館の展示は人形満載で、みうらじゅん的な楽しみ方もできる。粘土状のものを表面に塗った疑似縄文土器に、縄などで文様をつけられるコーナーでは、大人げなくいじってしまうこと必至。その他、2Fにはちゃんとした体験コーナーも設けてある。スタッフに頼めば、親子で工作、学校の体験学習、なんかに使える。



吉胡貝塚(4)
 さて、順路に添って資料館を飛び出した2人は、超牧歌的な風景を目にする。見渡せば視野いっぱいに広がるビニールハウスと田んぼ。見下ろせば、牛舎のホルスタイン。クンクンすれば、堆肥の香ばし酸っぱい、懐かしい香り!
 ちょっと丘を下ると、貝塚を祈念する石碑。リーダーが以前来た時には、この石碑しかなかったそうな。





吉胡貝塚(5)
 そして、目玉のひとつ、貝塚断面展示施設へ。貝塚にありがちな、断面を固めてディスプレイする、あれ。それが屋外にある。
 階段があるから降りられるのかと思ったら、立ち入り禁止だった。理由は「動物が入ってくるから」ということだが、どうも怪しい。





吉胡貝塚(6)
 リーダー、何かを察知。





吉胡貝塚(7)
 ホネホネ、キター!!





吉胡貝塚(8)
吉胡貝塚(12)
 どうやら甕に入れて埋葬した(パンフ写真参照)ので、こんな屈伸状態になっているらしい。





吉胡貝塚(9)
 それにしても、のどか過ぎるロケーション!リーダーの歩き方もおのずとのどかに!!





吉胡貝塚(10)
吉胡貝塚(13)
 近くには、こんな巨石も。これは「矢崎岩」といって、戦後の昭和26(1951)年、文化財保護委員会(現 文化庁)による調査の際、考古学者連(パンフには「若き」とある)が記念撮影した、考古学ファンにはたまらない聖地なのだ。
 パンフの写真(資料巻にも展示されている)を見ると、女性が参加していることがわかる。こんなところにも考古学の歴史を感じてしまうことよ。





吉胡貝塚(11)
 ここだけわざと撒いてあるのかもしれないが、資料館附近の地面には貝殻が表出していた。まぁ貝塚の近くなら普通か。



 いやぁ、シェルマよしご、なかなか良いですな。極東愛知の優秀な歴史系箱モノの代表格となっていって欲しいな、と、個人的に思う。

yarigatake2002 at 15:18コメント(0)トラックバック(0) 

2011年06月11日

 学会大会会場である龍谷大学のご厚意により、運よく話題の龍谷ミュージアムのフリーパスを入手。学会大会前のひと時を、お洒落ミュージアムで過ごした。
 中身はというと、これが予想以上の高レベル!企画にもよるだろうが、仏像も結構展示されていた。しかも、多くが硝子なしで「近い」!



龍谷ミュージアム(1)
 こちらが正面入口付近の様子。七条堀川交差点の北、西本願寺の真正面。外観はホテルのようだが、立地的に迷うことはない。





龍谷ミュージアム(2)
 受付はなぜか地下。一度エスカレーターで下り、その後でもう一度上って行く構造。ちょっと面倒かな?





龍谷ミュージアム(3)
 そのかわり、こんな展示物/仏がワンサカ!





龍谷ミュージアム(4)
 展示を鑑賞し終わったら、迷わず1Fの併設お洒落カフェ兼ミュージアムショップへGo!
 上の画像にある図録もこちらで販売。その他、オリジナルストラップ(根付?)や一筆箋等も。





龍谷ミュージアム(5)
 これがお洒落カフェのメニュー。よくある、一応珈琲と軽食出しますよ的な「やっつけ」系ではない。何なんだ、「龍谷ブレンド」って?図録を買う時に運ばれていたお洒落カフェランチのパスタは、京都北山界隈の行列のできるカフェとかで出されていそうなものだった。
 とにかく、グッズもカフェメニューも、あなどれないレベル。



 今後の企画にも期待したい。

yarigatake2002 at 21:14コメント(0)トラックバック(0) 

2008年06月28日

 現在、地味で面倒な仕事をいくつか抱えている。といっても、世の中の仕事の多くが地味で面倒なはずなので、この言い方は良くないかな。ただ、我々の「仕事」の形態はちょっと説明しづらいので、許していただきたい。
 おやおや、話がずれそうだ。
 そんなジミメンな仕事関係の調査で、神戸市の中央図書館に行った。なぜ神戸まで?と聞かれるかもしれないが、そこにしかない資料を見なければいけないんだから仕方なし。帰京後、もうひと調べすることを見越し、大学までアルカディア号で行き、そこから地下鉄〜阪急と乗り継いだ。京都から阪急ってのは久々かもしれない。「高速神戸」にいたっては、初下車かもしれない。そういえば以前、神戸っ子の奇行士とともに、あの辺りの駅名を分析して笑い転げたなぁ。神戸がどう高速で動くんだよ、とか。あ、ずれた。
 で、例によって複写の限りを尽くしたのだが、下調べの段階からどうしても情報を得られない詩人がいて、司書さんにリサーチをお願いした。公立図書館でこういうお願いをしたのは初めてだ。そうしたら、さすがだね。地元兵庫の詩人ということもあったが、簡略なデータが掲載されている事典系を幾つも出してくれた。あれだけ人名辞典を探しても見つからなかったのに……。ただ、市中央図書館には詩集の所蔵がないとのことだった。
 落胆していると、県立図書館に数冊の所蔵があるという事実が判明!

 円町野郎:(喜び勇んで)県立図書館って、どこですか?
 司書さん:明石です。
 円町野郎:あ、かし……。

 総ての複写を終えたのが15時半前。円町野郎、がっくりと方を落としながらも、パンフを片手にJR神戸駅へ。快速西明石行に乗り込み、ひたすら西へ。


 今回は、そういった経緯で図らずも8年振りに足を踏み入れることになった、兵庫県明石市にある兵庫県立図書館附近の路上観察。初めての訪問は大学に入学する妹の引越しのため。前回の訪問は確か1999年、大学院博士前期課程のレポートの調査で妹の通うその大学の図書館に行くため、だったな。


 パンフどおりに道をゆくと、いつの間にか周囲は公園のような、森林のような、薄暗い小道に。どうやらなし崩し的に明石城跡に入りこむルートらしい。ほんとにこの先に図書館があるのか?と疑いたくなるような石垣。ダンジョンだ。


明石(1)










 周囲には阿部真樹さんが屹立。


明石(2)









 このダンジョンの中に、約束どおり、目的の県立図書館は建っていた。


明石(3)










 インパクトはないが、直球勝負的ネーミングのお店も。


明石(4)










 さて、県立図書館での実り多き(といってもリターンはないからみすみす交通費と複写代を花火のように打ち上げただけの仕事)複写を終えての帰途、出遭ってしまったよ、防犯系!今回は空き巣(否、「コソドロ」)&痴漢。


明石(5)










 「コソドロ」という言葉は、こういう看板に書かれると一層安っぽく見える。
 そして、もう一つの問題点は、ご婦人をつけねらう「痴漢」のファッション。


明石(6)










 青色のスウェット・パーカーにミリタリーorワーク系の太め緑パンツに茶系シューズ。まぁまぁ普通のいでたちだが、何だ、その帽子は!?明らかに首から下のアイテムと喧嘩しているぞ!しかも麦藁っぽいぞ!釣り師か?
 怪しい、これは、怪しい!痴漢かどうかは別として、とにかく怪しい!

 とても割に合わない移動と散財で、徒労に満ちた1日だったが、いい観察ができたということだけは明記しておこう。


BGM:フィアレス


yarigatake2002 at 23:08コメント(0)トラックバック(0) 

2008年03月27日

 先日、4月1日からの閉館が決まっている大津市の琵琶湖文化館に行って来た。
 お目当ては「近代の美術 第三期 仏教美術の精華」。先日上洛したリーダーから閉館の経緯とこの「イタチの最後っ屁」的展示の話を聞いており、参勤交代で都を離れる前に是非とも訪ねてみたかったわけで。
 展示はもちろん素晴らしかった。「最後っ屁」が下世話な表現ならば、「最後の輝き」という麗句を以て言い表すべき、珍品の数々。
 立地は本当に琵琶湖の湖岸。というか、琵琶湖に突き出ているね、こりゃ。遠く叡山や比良の山々を望むグッド・ロケーション。

琵琶湖文化館(1)琵琶湖文化館(2)











 そして、出会いってやつは、いつも突然で。
 やっぱりいたよ、マスコット・キャラ、「あきつ君」。秋津=蜻蛉=トンボからきているのだろうが、ややナショナルな匂ひもするわけで。
 住所は琵琶湖文化館の「テッペン」だって?

琵琶湖文化館(3)












 退出後、改めて館の「テッペン」をふりさけ見れば……。

琵琶湖文化館(4)










 で、出たー!!
 これ、恐竜がいた頃のドラゴンフライじゃん!
 閉館後の彼の処遇や如何に?展示品を見てふと思った(思って「しまった」)のだが……、これは時流にそぐわぬことは重々承知で書きつけるのだが……、「文化」のある部分には、やっぱり赤字覚悟の「おほやけ」の庇護があって然るべきなのでは?別に役に立つ/立たぬではない。想像力のバリエーションを「陳列」し、「ははぁん、そんな心持の表現の仕方もあるのかもね。」っていうことを知る機会が、吾々や吾々より若き人々の前に残されても、いいのじゃないかな、と。
 おやおや、らしくないこと書いちゃった。

琵琶湖文化館(5)












BGM:ローラ対パワーマン,マネーゴーラウンド組 第1回戦(紙ジャケット仕様)


yarigatake2002 at 23:13コメント(0)トラックバック(0) 

2006年08月20日

豊橋市中央図書館画像左)】
 私が小学生時代、初めて仏像関係の図書に出会ったのが、この図書館。天体観測関係の本を借りまくったのもここ。
 高3の夏から秋にかけて、形ばかりの家庭外受験勉強を、虎露那メンバーと行ったのも、ほかでもないこの場所。長めの休憩時間には、めいめい、「将来につながる」読書をしよう、というキャンペーンをはった。リーダーはなぜか講談社学術文庫版の『平家物語』読破を、私は大した理由もなく岩波文庫緑の制覇を目標に掲げた。当然、挫折。しかし、リーダーはなんとか3巻まで辿り着き、私も芥川作品を中心とした幾冊かを読むことができた。その後私は本格的に漱石にハマっていったのだが、今思えば、あの頃のヘンテコなキャンペーンが「〈文学〉とは、ある時無理に出会うことで読者と変な関係を結ぶことがある」ということを知るきっかけになったのだと思う。
 あれから12年、貸し出し用のカードはいつしか紛失してしまった。しかし、仕事で必要なレア詩集の複写のために訪れた「脱豊者」に対して、2Fのオジサンは非常に親切な態度で複写等の手続きへの対応をしてくれた。

中学校画像右)】
 母校の中学校は、全くもって四方を田んぼに囲まれた新設校であった。その囲まれ具合といったら、笑ってしまう程だった。いや、笑うようになったのは、政令指定都市をウロウロするようになってからだろうか?時期になると、そのグルリの田んぼからオタマジャクシから成長した小さな蛙がピョコピョコ飛び出し、少年少女に踏まれたり、車によって轢死の憂き目に遭ったり、愚連隊によって電信棒に叩きつけられたりしたものだ。
 久々に眺めた中学校。さすがに壁面はくすんで、少々時代をつけたようであった。田んぼの四季を知っていること。それ自体には大して意味はないが、そこから農業と農業関係者についての想像力を養うこと、自分の周囲にふんずけてしまう程脆いが、しかし様々な生を全うしようとする小さきものたちの存在を知ることには、ちょっとだけ意味があるのかもしれない。

豊橋市中央図書館本郷中

yarigatake2002 at 05:10コメント(1)トラックバック(0) 

2006年01月06日

京博新春特別展示06京博から見る京都タワー 無聊は止まらない。本日は、京博に新春特別陳列「京都寺社伝来の名刀」「神像と獅子・狛犬」を(画像左:チラシ)眺めに行った。平常展扱いだからただでさえ安いのに、学割で¥130(だからこそ、春からこれが使えないのは痛い)! 博物館は大好きなのだが、布・文字・壺・塗物というのは苦手だ。
 「名刀」は今後見方を覚えて楽しみたいアイテムである。元来武器は大好きである。気に入った「名刀」は、「豊国神社蔵 伝粟田口吉光 薙刀直し刀(13c鎌倉時代)」だ。なんと薙刀を改造して作ったものらしい。鋒(きっさき)が明確に区切られておらず、流麗な印象を与える。案内によれば、「切るふりをしただけで相手の骨が砕けてしまうということから「骨喰藤四郎(ほねばみとうしろう)」と号する」ということだ。恐ろしい。実際に切りつけたら何が起こるかわかったもんじゃない。根元には見事な倶利伽羅龍(なんか、剣に龍が巻きつき、その先をくわえるという意匠)が刻まれているところもかなりお洒落だ。今後の課題は、案内表示にある様々なタームを覚え、「ははぁ、なるほどね」と感じ入ることができるようになることだ。
 「獅子・狛犬」も秀作揃いだった。なかでも、「八坂神社蔵 獅子・狛犬」は秀逸だった。獅子・狛犬は時代が下るに従って愛くるしくなるという傾向があるらしい。確かに、「八坂神社蔵」像も口元や全体のシルエットがなんとなく愛くるしく、犬でいえばシェルティ系だった。愛犬家の私にはこたえられない。ただ、玉眼が施されていて、眼光だけはやけに鋭く、神社の番人にふさわしいオーラを放っていた。
 お約束のグッズを買って外に出ると、世間は夕暮。「考える人」越しの京都タワーが沈む夕日に照り映えて、都市的な抒情を醸し出していた(画像右)。

yarigatake2002 at 22:26コメント(0)トラックバック(0) 
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