2010年05月22日

陽だまり

456f197a.JPG






美しい供物が存在する
厳然と
そして愛らしく

なんという神のわざか
その由来はさておく
ともかくも
それは僥倖のように開花し
運命のように結実したのだ
あなたのように
そしてあなたのように

多くは語るまい
今はただ陽だまりのなかで
言葉なく充足している
    

      ★★★
 
 例のごとく更新が止まりすみません。
 とりあえず更新してお茶を濁します。
 いただいたコメントのお返事は、後ほど必ずいたします。
 
 

yas1653han at 15:02|PermalinkComments(9)TrackBack(0)Sea 

2010年04月29日

漂流物

804bca9c.jpg






沈む船の窓から見えたのは
揺れるひとすじの吃水線
それはいのちの線だ

いのちの線を越えた瞬間
すべてはこの世の漂流物となる

お前たちはこの世の漂流物だ
どこにも根を持たず
どこにも所属していない
この世にお前たちの居場所はない
ただ永久に難破したあるじを探し続けている

yas1653han at 20:16|PermalinkComments(6)TrackBack(0)Sea 

2010年04月26日

船に乗る

ffae2149.JPG






滑らかに船は川面をすべり
瀟洒な屋根にひかりが跳ねる
澄んだ大気を追ってきたのだ
ただそれだけのこと
風が頬を手荒く愛撫する
明るい陽射しにわたしは目を細める
わたしは笑う
少年のように無邪気に
そして現れたプロメテウスの威容には
「おお」という声で応える

yas1653han at 22:08|PermalinkComments(7)TrackBack(0)Sea 

2010年04月24日

水のエスキス 13 〜 流れる水、そして時間

e499a85f.jpg











ひさびさの更新です。
ではさっそく、いつもの水をめぐるお話、いきます。

よく水の流れを時間の推移に喩えたりしますね。
歴史の進行を大河になぞらえたりします。
時間の推移と水の流れはよく似ているのです。
上流から下流へ水が流れるように、過去から未来へ時間は流れます。
水と時間…。
両者とも、掬い取ることが難く、とどまることを知りません。

水の景色がいたるところで見られるシーは、そのまま時間というものを深く考えさせられる空間であると私は感じています。
不可逆的な性質を持つ水と時間ですが、シーの水たちが千変万化の姿態を見せるように、シーでは時間も流れる方向が一定していないと感じられます。
シーの景色は過去と未来が入れ子状態で共生しているようです。
あるいは、思い出と願望が共存していると言ったらいいでしょうか。
私のブログはある意味、シーの景色が引き起こす回想と願望の個人的妄想のようなものです。

なぜ私はこんなにもシーに魅了されたのでしょうか。
シーを歩いていると感じるあの感覚。
この光景をかつて私は見たことがある。
この場面にかつて私は遭遇したことがある。
いわゆるデジャ・ヴといわれるものですが、シーでこの現象が頻繁に起こるのは私だけでしょうか。
これもシーの時間的マジック、水のパークであるシーの不思議なありようです。
つまりシーは、その時間的錯綜性が本質的にデジャ・ヴを誘発するのではないかと私は考えているのです。

満々と湛えられた水の表面の、刻々と変っていくひかりや色彩のうつろい。
流れ迸り散乱する水の表情をじっと見ていると、時を忘れます。
水に心を奪われ、時間の観念が失われていく。
不思議なことです。
水を語ることは時間を語ることです。
水に想いを馳せることは、悠久の時間のなかでの自分という存在に想いを馳せることかも知れません。

あまりに身近な水という存在。
でも本当は、私たちは水というものの底知れぬ意味のほんの一部しか知らないのかも知れませんね。
同様に時間というものの本当の意味も、私たちは知らずに人生というものを過ごしているのかも知れません。

yas1653han at 10:22|PermalinkComments(6)TrackBack(0)水のエスキス | Sea

2010年04月06日

魔法のランプ

0f75ac10.JPG






インディゴに染められた夢
漂う至福の時間
その青い照明のなかに
あれは存在したのか
アラジンの魔法のランプ
触れればたちまち現れる
豪奢な財宝のかずかず
おもいでの放つ輝き
胸ふるえる感動
そしてたちまち消え去る
至福の時間たちよ



  ★★★★★★
  
   ご訪問いただいたかたがたへ
   更新が滞りすみません。
   お返事も書けず面目ありません。
   必ずお返事します。
   いましばらくお待ちください。

yas1653han at 22:51|PermalinkComments(7)TrackBack(0)Sea 

2010年03月27日

ゆらめき

165c6db7.JPG











わたしはゆらめくほのお
さざめくこころです

わたしはきらめくひかり
くらめくおもいです

わたしはおののくおそれ
ざわめくかなしみです

そうしてわたしはときめくあこがれ
めくるめくよろこび…

つまるところわたしは
ひらめくいのちがもやすいっしゅんのゆらめきなのです

yas1653han at 18:07|PermalinkComments(10)TrackBack(0)Sea 

2010年03月25日

巨大な絵画

7ab1c746.JPG






かつてこんなときを持っただろうか
美しく巨大な絵画を見上げるように
豊かな時間を胸いっぱい吸い込んでいる
幾重にも装飾をほどこされた壁面が
ついに大空を装飾して完結するとき
わたしをとりまく賑やかな雑踏も喧騒も
もはや遠く退いていく背景でしかない

yas1653han at 22:30|PermalinkComments(9)TrackBack(0)Sea 

2010年03月21日

ジンジャー&フレッド

83781bca.JPG











「グリーンマイル」という映画をご存知でしょうか。
無実の罪で囚われた大男のコフィーが、本当は繊細で純粋な天使のような男だったというお話です。
彼はすべての苦悩を感じ取りそれを癒す能力を持っていますが、あまりの悲惨な現実に傷つきむしろ死刑を願います。

さて、映画のなかでそのコフィーが、理解のある看守に請うて一本の映画を見せてもらう場面があります。
その映画には、ふたりの男女が歌を唄いながら楽しそうにダンスをしているシーンが映し出されています。
古い古い私たちが生まれる前の映画です。
大男のコフィーはその映画を見ながら「まるで天使だ」と言ってさめざめと泣くのです。
その映画に映っているふたり、男性のほうはフレッド・アステア、女性のほうはジンジジャー・ロジャースです。
ハリウッド映画華やかなりし頃、ジンジャー&フレッドと呼ばれ、ブロードウェイ・ミュージカルのなかでも最高のカップルと言われたふたりのダンサーです。
ふたりのダンスの優雅な美しさは、レベルの高かった当時のミュージカル・スターたちのなかでも群を抜いていました。

映画は、おそらくそのダンスのあまりの邪気のなさと、コフィーの純粋な魂とを重ね合わせたのでしょう。
踊ることが生きることであるとでもいうような、生きることはそのまま楽しむことと同義であるというような、そんな思いに私たちを誘います。
シーの「ビッグ・バンド・ビート」が私たちに与えてくれる思い、このショーを観終わったあと私たちのこころを満たす思いも、やはりそのような思いではないでしょうか。

その古いミュージカル映画、題名を「トップ・ハット」といいます。
なんと1936年の作品で、私も通して観たことはありません。
YouTubeで上記のシーンを観ることができます。
3分30秒あたりからが見ものです。
興味のあるかたはどうぞクリックを…。

yas1653han at 19:19|PermalinkComments(5)TrackBack(0)Sea | Cinema

2010年03月20日

記憶

756e49ea.jpg






いつも通り過ぎてきた
憧れを目の隅に残してきた
また会えると思っていた
もう会えないのかな
記憶が遠くくすぶっていて
みんな霞んで見えるね

yas1653han at 12:31|PermalinkComments(5)TrackBack(0)Sea 

2010年03月14日

シュールなシー

6eb9a7e8.jpg






「美は痙攣的なものである」と言ったのは、シュルレアリスムの中心的存在だったアンドレ・ブルトンです。
20世紀初頭におこった超現実主義と訳されるこの運動に、私は若い頃かなり共感したのを覚えています。
現実に対する切実な反抗心を抱えた若い心を、このシュルレアリストたちはある意味満たしてくれたのでしょう。
一風変った非現実的な事柄をシュールなどと言いますが、もとはこのシュルレアリスムからきています。
当時フロイトやユングといった革新的な精神分析学の創始者たちにより、人間の意識の深層に光りが当てられたことと、この運動は深い関連があります。
夢の解釈、潜在意識の追求、人間の無意識的欲求の解放…。
そんなものが目指されました。

シーに最初インしたとき、ああシュールだなと思える光景がいくつかありました。
とくにこのミステリアスアイランドに初めて足を踏み入れたときはそうでした。
火山のど真ん中にめり込んでいる地底探索車の異様な姿を見たときはほんとうに驚きました。
「美は痙攣的なものである」というアンドレ・ブルトンの言葉が思い浮かびました。

以前このブログで、若きウォルト・ディズニーが、シュルレアリスムといった20世紀初頭の革命的な芸術運動の洗礼を受けていたに違いないといった記事を書きました。
それは『ファンタジア』などのアニメーションに少なからぬ影響を及ぼしたのではないでしょうか。
ウォルト・ディズニーとシュルレアリスムの画家サルバドール・ダリとの関係はつとに有名です。
そのウォルトの意志を継いでいるはずのシーであってみれば、シュルレアリスムの遠い反響をその光景が宿しているのは、ある意味当然のことと言えるのかも知れませんね。

yas1653han at 00:40|PermalinkComments(7)TrackBack(0)Sea 

2010年03月11日

幕間の口上

38dd9ecc.jpg











さてもお立会い。
世に人生は劇であると申します。
観客席にいらっしゃるのは神々という冷徹な批評家のだんながた。
この劇に代役はおりません。
舞台に登場したが最後、あなたはその役をラストシーンまで演じきるのです。
舞台の上ではどんな悲喜劇があなたを待っているか知りません。
けれどその劇をハッピーエンドで終わらせることが、神々からあなたに与えられたたったひとつの条件です。
さてお立会い。
幕間の口上はこれくらいにするとしましょう。
皆さま準備はよろしいですか。
それではお待たせしました。
第二場、第一幕の始まり始まり…。


★ 追記 ★★★★
先に過去にアップした写真を使ったスライドショーをYouTubeに投稿し、それをご紹介しました。
その続きができました(4タイトルも!)
すでにご覧になったかたもいるかと思いますが、ほとんど自己満足の世界ですね(笑)
お時間と興味のあるかたは、どうぞ見てやって下さい。
なお、各題名の冒頭にあるのは、使われた音楽の曲名です。
それから、これらはサイト内の 『kellyblue8388の他の動画』 からもアクセスできます。
これからも投稿のたびにしつこくお知らせしますのであしからず…。

アベ・マリア 〜 シーの思い出のために 2
ダニーボーイ 〜 シーの思い出のために 3
僕じゃない 〜 シーの思い出のために 4
クロッシング 〜 シーの思い出のために 5

※ 使われた音楽は著作権に抵触しないものを選んでいます。
  もし問題があるとしたら、その責任のいっさいは私にあります。

yas1653han at 21:54|PermalinkComments(9)TrackBack(0)Sea 

2010年03月09日

王の言葉

c090b1f9.JPG











地中深く眠っていた
いにしえの王の言葉を
仮借ない我らのこの世界に
ひとたびは屹立させよ

書かれてしまったものは
書かれたときの魂魄のままに
誰に気付かれることもなく
神の不在の時を息づいてきたのだ

いままさに言葉は取り出された
何千年にわたる時空を越えて
象形文字に封印された秘法とともに
王の低く深い声が解き放たれる

yas1653han at 19:17|PermalinkComments(8)TrackBack(0)Sea 

2010年03月07日

天国を夢見る

5420c9d0.JPG











ザンビーニ兄弟のリストランテはワイナリーを改装したため、ワイン造りの名残りがそこかしこに残っていますね。
ワインはもちろんのこと、お酒の大好きな私がこのあたりにいると落ち着くのは、考えてみれば当然のことかもしれません。
「どんだけ飲んべーなんだ」というご意見、ごもっともです。

さて、優秀なイタリア・ワインの生産者の祖先たちは、名のある歴史的な名士だったようです。
ワイン造りは広大な土地を持つ貴族によって行われていたわけです。
中世からルネサンスにかけてその中心はトスカーナ地方でした。
そのトスカーナの貴族たちのなかにはメディチ家はもちろんのこと、『君主論』で有名なマキャベリ、そして『神曲』のダンテなどもいたそうです。
イタリア・ワインの伝統を伝えるワインの造り手であるザンビーニ兄弟も、マキャベリやダンテの末裔であると言えなくもないのです。
このリストランテは、ポルト・パラディーゾにありますが、「パラディーゾ」、つまり「天国」という言葉も、ダンテの『神曲』のなかの『天国編』を連想させますね。

c6457ac5.JPG






ザンビーニ兄弟のリストランテでワインを飲みながらイタリア料理に舌鼓を打つ。
そして、いささか酔いのまわった頭でポルト・パラディーゾに眼を向けて天国を夢見る。
ちょっとそそられますね。
あるいは中世ルネサンスに思いを馳せつつ、その末裔たちの造るワインをじっくり味わいながらシーの昼下がりを楽しむ。
それはそれで、シーにおける趣きのある大人な遊び、と言えるのではないでしょうか。

yas1653han at 22:22|PermalinkComments(9)TrackBack(0)Sea 

2010年03月06日

海語り 8  「怖い話」

ae76e2e7.JPG(注) 久々の海語りですが、今日の話はちょっと怖いかもしれません。
お嫌いなかた、読まずに素通りしてください。 



呼び止められたのは、出航に間もない時刻だった。
その男は、目深に被った帽子から眼光だけは鋭く光らせながら静かに語った。
「海に出てしばらくはいい。しかし、寄港地が近づいてきたら気をつけることだ」
周囲の慌しさをよそに、男の声はゆっくりと噛んで含めるような響きを帯びていた。
さらに男は続けた。
「デッキに近づくな…。いいな、けっしてデッキに近づいてはいけない」
言い終えると男は踵を返した。
男が船から下りていく姿は見られたが、彼が振り返ることは一度もなかった。

船室に居続けることは容易ではなかった。
退屈で死にそうな思いに耐えながら、船室の中をただ歩き回った。
幾日かが過ぎ、ようやく寄港地に近づいたことが廊下を行き交うひとびとの様子で分かった。
デッキに近づく気にはとうていなれなかったが、しかしそんな不安をよそに、船は何事もなく寄港地に接岸した。
歓迎の音楽が鳴り響いた。
たくさんの荷が下ろされ、そしてそれ以上にたくさんの荷が積み込まれた。
c064b06a.jpg






船に幽霊が出ると噂がたったのは、そのころからかも知れない。
しかしその噂を面白がるものこそいたが、それによって客足が遠のくということはなかった。
そんな噂を誰が本気にするだろう。

やがてまた出航の時刻が近づいてきた。
すると、驚いたことにふたたびあの男がやってきた。
いや、前の男と瓜二つだが、何かが少しずつ違っていた。
「デッキに近づいていないだろうな」
男の声からはかすかな苛立ちが感じられた。
男の口からの饐えた口臭が鼻にかかり、顔をそむけた。
「デッキに近づくな。いいな、けっしてデッキに近づいてはいけない」
前の男と同じことを繰り返し、男は下船していった。
いやな感じだ、いまいましい。
穢された気持ちを払拭するように、船室の洗面台で乱暴に顔を洗った。
タオルでごしごし顔をこすり人心地ついた。
そして鏡を見た。
もちろん、そこには誰も映ってやしないのだけれど…

yas1653han at 12:21|PermalinkComments(8)TrackBack(0)海語り | Sea

2010年02月27日

アラベスク〜シーの思い出のために 1

f51c78ae.jpg






これは私がこのブログを始めるにあたって、いちばん最初にアップしたときの写真です。
シーをじっと見つめる視線、そんな思いがありました。

過去にアップした写真を使って、スライドを作りYouTubeに投稿してみました。
題して、「アラベスク〜シーの思い出のために 1 」
初めて挑戦してみたのであまりうまい出来ではありません。
写真ももちろんシロートですので稚拙なものばかりですが、ひとつのささやかな思い出といった気持ちです。
もしお時間がありましたら見てやって下さい。

yas1653han at 19:59|PermalinkComments(8)TrackBack(0)Sea 

2010年02月23日

トスカーナの夢

8585906e.JPG






いくたびかトスカーナの夢を見たことがあります。
一度も行ったことがないのにそこはトスカーナなのです。
メディチ家のことや権力の栄枯盛衰、そして青い空。
行ったことのないトスカーナが懐かしいのは何故だろう。

シーの家並みが明るい冬の陽光を浴びています。
美しい屋根が静かに傾くのんびりとした午前です。
にわかにトスカーナの夢が澄んだシーの空を渡ります。
青い空を見上げながら私はしばし途方にくれています。

yas1653han at 22:07|PermalinkComments(8)TrackBack(0)Sea 

2010年02月19日

氷上の舞(オリンピックにことよせて)

4d15cf59.jpg※ この記事に関する映像をご覧になりたい方は、下から5行目の映像という文字をクリックしてください。










今回はシーには直接関係ありませんが、お付き合いいただければ幸いです。

オリンピックの話題が世間を賑わせていますね。
なのでオリンピックに関するお話をひとつ。
フィギュアスケートで高橋大輔さんが銅メダルを獲得しました。
素晴らしい偉業と思います。
私は、さほどフィギュアの熱心なファンというわけではありません。
でも、ただひとつだけ今でも忘れられない演技があります。
1984年のサラエボ・オリンピックで金メダルを獲得したイギリスのジェーン・トービルとクリストファー・ディーンのペアよるアイスダンスです。
当時、この演技を見て恥ずかしながら私は泣きました。
もう26年も前のことです。
上の写真はこのペアによるそのときのものです。
斬新でその流れるようなふたりの氷上の舞は、それまでのアイスダンスとはまったく違う概念をもたらしました。
技という意味では現在のほうが格段に進歩しているのかもしれません。
しかしここには独創的な美のかたちがあり、淀みない肉体のフォルムがあり、美しくも恋焦がれる物語があると感じました。
曲はラヴェルのボレロです。
その演技を見たのは一回だけでしたが、私の記憶に深く残りました。
ネットで検索してみると、この演技がフィギア界では伝説になっているのを知りました。
多くの人がこのときのこのペアの演技を特別な思いで記憶しているのを知ったのです。
このときの演技の映像がYouTubeで見られます。
画質はよくありませんが、興味のあるかたは1行上の映像という文字の部分をクリックしてください。
私も26年ぶりに見ましたが、感動は薄れることなく私の心を満たしました。

yas1653han at 18:12|PermalinkComments(8)TrackBack(0)

2010年02月18日

家紋?

06be2ff4.JPG






これはなんでしょうか?
いわゆる家紋の一種なのではと思いましたが…。
たしかにイタリアには屋根に当家のシンボルを掲げたりする伝統があるようです。
でも、確信はありません。
どなたか心当たりのあるかた、教えてください。

シーにはなんなのか分からないものがここかしこにありますね。
どんな用途に使われたのか分からない道具や器具や機械の類い。
ただの装飾なのか意味のあるものなのか、よくわからないオブジェの類い。
でも、そのどれもが美しい形状を示しているのはさすがです。
作り手のセンスを感じます。
さらに装飾過多になっていないのがいいですね。
そこにゲストの想像力の遊べる余地が生まれるからです。

上の写真の家紋のようなものも私は美しいと思います。
なにかの世界観、宇宙観を表しているような。
宗教的な意味も少なからず感じます。
まったく違うのかもしれませんが…。

yas1653han at 22:48|PermalinkComments(6)TrackBack(0)Sea 

2010年02月16日

去りがたい…

05cc71ac.jpg






「去りがたいな。去りがたい…、それが生きたという証しなんだよ…」

『ジョー・ブラックをよろしく』という映画のなかのセリフです。
ファンタジックなラブ・ストーリーで、ユーモラスでありながら、しかもしみじみとした余韻を残す美しい映画です。
人間を愛してしまう死神の役を、若きブラッド・ピッドが演じています。
彼の澄んだ眼差しと人間離れした表情がとても印象的でした。
相手役のクレア・フォラーニという女優さんも品があってとても綺麗でした。

セリフはラスト近く、クレア・フォラーニの父であるアンソニー・ホプキンスがこの世を去る直前、死神に扮するブラッド・ピッドに語りかける言葉です。
死神であるブラピは、人間の生がいかに美しくかけがえのないものであるかを深く理解します。

上の写真はシーの立体駐車場から撮っています。
去りがたいな…。
シャッターを押す指はそう思っているはずです。
私にとって、そう思える場所はそんなに多くはありません。
去りがたい…。
シーというところは、そういう場所なのです。

yas1653han at 17:16|PermalinkComments(13)TrackBack(0)Sea | Cinema

2010年02月15日

水のエスキス 12 「ひかりの画家」

d047ade4.JPG






久々に水をめぐるお話です。

水の紋様は無限のフォルムを見せて、しかもとどまることがありません。
水は美しいと同時に、美がいかに移ろいやすいものであるかを教えます。
水の美しさを、その移ろいやすさとともに描いた画家がいます。
印象派の巨匠、クロード・モネです。
彼の晩年の連作「睡蓮」には、水が織りなす表情がその変化の相のもとに定着されています。
じつはモネは晩年、目を患っていたそうです。
「睡蓮」の連作を見ていると、彼の目の病いの進行とともにその絵が変化していくのがわかります。
睡蓮とそれが浮かぶ池の水が次第に融合していき、判然としなくなっていくのです。
そこには水がその本質として持っている光りと影の粋が表現されています。
別の言いかたをすれば、あらゆる衣服を剥ぎ取られた裸体の水そのものの美がそこにあるのです。
目が不自由であることが、かえって水の光りと影そのものに肉薄する眼力をモネに与えたといえないでしょうか。
彼が「ひかりの画家」といわれる所以です。

シーは水のテーマパークとも言えますね。
水のさまざまな表情がここかしこでその美を競っています。
その美しい姿は一瞬ごとに変化し、どの瞬間を切り取っても同じものはありません。
その一期一会のかけがえのない瞬間をこの目に焼き付けるために、もしかしたら私はシーに通うのかもしれません。

yas1653han at 17:39|PermalinkComments(9)TrackBack(0)Sea | 水のエスキス
Recent Comments