2007年06月

2007年06月29日

真紅の命

53575a44.jpg南仏やイタリアの家の窓には、よくゼラニウムの花が飾られています。
明るい乾いた太陽のもと、赤やピンクのゼラニウムが咲きほころんでいる写真をよく目にします。
窓辺ではありませんが、そして太陽のもとでもありませんが、シーのイタリアにも真紅のゼラニウムが…。
ゼラニウムの赤は、可憐でありながら、どこか真剣さを感じますね。
生真面目な少女の一途な想い、といったことろでしょうか。

シーの夜は光りと闇の饗宴ですね。
その独特の大人びたロマンティシズムの世界のなかで、ゼラニウムが眉根を決した少女のような面持ちで真紅の命を燃やしているように見えるのです。

yas1653han at 22:30|PermalinkComments(7)TrackBack(0)

2007年06月27日

マーメイド礼賛

3ec00b7f.JPG「スプラッシュ」というディズニー映画をご存知でしょうか?
実にチャーミングでイノセントな人魚をダリル・ハンナという女優さんが演じていました。
ダリル・ハンナは、SF映画に革命をもたらしたあの「ブレード・ランナー」でレプリカントの一人を演じた人です。
「ブレード・ランナー」でもそうでしたが、もともとイノセントな女優さんという印象です。
実はマーメイドの私のイメージも、このイノセンス性にあります。
「リトル・マーメイド」のアリエルもかなり天真爛漫に描かれていますね。
人魚の物語は、アンデルセンのものも、日本の小川未明作のものも、悲しい物語です。
調べてみると、人魚伝説はほとんどが悲劇なのです。
でも、以前にも書いたことがありますが、人魚伝説の前身とも言える水の精は実に無邪気です。
神話において水の精は、生命・健康・富・霊感を象徴する存在とされているのです。
悲劇どころか、幸福の妖精なのです。

マーメイド・ラグーンは人魚の遊び場です。
無邪気な子供たちを、さらに無邪気にさせる場所です。
フォークで髪を梳くアリエルに悲劇は似合いませんね。
実はディズニーは、もともと具わっていたマーメイドの忘れられたイノセンス性を、現代によみがえらせたと言えるのかも知れません。

yas1653han at 23:23|PermalinkComments(5)TrackBack(0) Sea | Cinema

2007年06月26日

ジャズの本道

97336c39.jpg久々のジャズ・アルバムの紹介です。
以前、だまてらさんよりご紹介頂いたティファニーのアルバムを取り上げます。
遅まきながら、やっと購入しましたもので。
このアルバムには、「いつか王子様が」が入っています。
ご存知「白雪姫」の挿入歌ですね。
ティファニーは、だまてらさんが言うように素直な唱法が魅力のシンガーです。
オーソドックスであるがゆえに飽きがきません。
慧眼のだまてらさんに敬意を表します。

実はジャズ・ボーカルは、ジャズの本道であると思います。
ジャズには「歌う」という行為が根っこの部分にあるからです。
まあ、音楽はみなそうであるともいえるのですが、ことのほかジャズは「歌う」ことが重視されます。
ピアニストであろうと、トランペッターであろうと、サックス奏者であろうと、その楽器が歌っているかどうかが評価の機軸になります。
ドラムスでも同じです。
「彼のドラミングは歌っている」という言い方をするのです。
デクスター・ゴードンというサックス奏者は、アドリブをしているときでも、歌詞を頭のなかで味わいながらフレーズを作ると言っていました。
歌うがごとくサックスを吹く。
いいジャズ・プレイヤーになる極意と言えるでしょう。
ジャズ・ボーカルでスタンダード曲の歌詞とメロディーをじっくりと味わい、そのあとインストルメンタルを聴くと、さらにジャズの深さを理解できます。
何か当たり前のことを言っているようですが、このことが解るのに私はずいぶんと長い時間がかかりました。

ティファニーのようなジャズの本道をいくジャズ・ボーカルを聴くと、ジャズの真髄が奈辺にあるかがよく解ります。
言ってみれば、歌を歌うがごとく歌っているのです。
アルバム名は「ニアネス・オブ・ユー」
最新作「マイ・フェバリット・シングス」では、さらにパワーアップしたティファニーのパフォーマンスを聴くことができます。

yas1653han at 22:21|PermalinkComments(5)TrackBack(0) Jazz 

2007年06月23日

司厨長殿のレシピ

4c56915b.JPG大航海時代の帆船による長期の航海では、乗組員の多くが壊血病で倒れたらしい。
壊血病がビタミンCの不足により発症するということがわかったのは、1747年ことだ。
有名なキャプテン・クックはこの知識を生かし、出帆するとき、ライム果や塩漬け野菜などを十分に積み込ませたという。
船の中での食事を一手に引き受ける司厨長は、乗組員の舌を満足させるだけでなく、食品の管理、調理場(ギャレー)の衛生の管理、はては皆の健康の管理まで任されている。
司厨長が乗組員全員から一目置かれていることは、想像に難くない。

「司厨長殿、船長から今夜のメニューを聞いてくるように言われました」
「うむ、船長には“ムール・マリニエール”と伝えなさい」
「司厨長殿、それはどんな料理ですか」
「ああ、心配はいらぬ。わしのレシピは完璧だ。それより、船長に伝えなさい。今回の航海の行き先をわしがたずねておったとな」
「えっ! 知らないんですか?」
「ふむ、行き先を知ってどうなるものでもあるまい。なにしろ、わしのレシピは完璧なのだからな」
「レシピ‥‥」
「覚えておきたまえ。世の中で最も重要なもの、それは完璧なレシピなのだよ」

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2007年06月22日

船乗りの夢

5f2cbf7e.JPG船乗りはどんな夢を見るのだろう。
遠く離れた陸で待つ家族の夢か。
桟橋で手を振っていた恋人の夢か。
それとも船長になった夢でも見ているのか。

船は大洋のただなかで波に揺れている。
ハンモックのなかで、船乗りの体も揺れている。
船乗りの夢もハンモックのなかで、あちらこちらと揺れている。

「左舷に陸地発見!」
これは船乗りのいつもの寝言だ。
だが彼の寝言を気に留める奴は、この船にはひとりもいない。

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2007年06月21日

船長の孤独

ba33c920.JPG船長の午後は孤独だ。
すべての決定は、自分が下さなければならないから。
自分の未来は、自分で決めなければならないから。
自分の人生は、自分で歩かなければならないから。
船長室で船長は、ひとり物思いにふけっている。
船長の思索は尽きない。

大海原のなかで一艘の船が孤独なように、
この世界のなかでひとりの若者が孤独なように、
この宇宙のなかでひとつの地球が孤独なように、
孤独な船長は航海日誌にあてどない文字を綴る。

船と運命を共にする。
それが船長の覚悟だ。
船長は船そのものである。
それが船長の誇りだ。

船長は言うだろう。
きみの人生において、きみはひとりの船長だ。
私の航路において、私がひとりの船長であるように。

きみが船長室を覗いたとき、そこに船長の姿はなかった。
船長の椅子には孤独な魂という空白が、ただ静かに座を占めていた。

yas1653han at 21:00|PermalinkComments(5)TrackBack(0) Sea 

2007年06月20日

未開の書斎

ad117189.JPG分厚い書物と拡大鏡。
これが学者の書斎であったら、べつにどうということはない。
ここが探検家の小屋であるということで、俄然興味が沸く。
ジョセフ・コンラッドの小説に「闇の奥」という作品がある。
有名なフランシス・フォード・コッポラの映画「地獄の黙示録」の原作となった小説だ。
「未開」の地に君臨する文明の国からやってきた男のはなし。
探検は、肉体の鍛錬を要するが、きわめて知的な欲求がもとにある。
インディー・ジョーンズ博士もそうだ。

奥地の小屋で、文化人類学的な、そして考古学的な夢想にしばし浸る。
知的興奮を覚えるひとときである。

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2007年06月19日

アラベスク

eb392627.jpgシーのアラビアン・コーストを歩くと、アラベスク模様のさまざまなヴァリアントに遭遇し、飽きることがない。
Wikipediaによると、
「これらの文様は、可視的物質世界を超えて広がる無限のパターンを構成している。イスラム世界の多くの人々にとって、これらの文様はまさに無限の(したがって遍在する)、唯一神アラーの創造のありのままを象徴するのである。」
とある。
私はイスラム教徒ではないが、たしかにシーのそれらを見詰めていると、無限のパターンの中で創造の神秘を感じ取ることができそうだ。
ましてやこの写真のように、投影する光の織りなす複雑な世界は、私たちの心を不思議な桃源郷にいざなう。
小さな小宇宙である私たちひとりひとりが、無限の大宇宙と相似する関係性をそれらは密かにに言い当てているのではないか。
一瞬のなかに永遠を垣間見たり、永遠を希求する心が一瞬のかけがえのなさに思い当たったりするのをそれは示唆しているようだ。

アラビアはめまいのするような呪縛で私たちを魅了する。
ベルナルド・ベルトリッチ監督の「シェルタリング・スカイ」という映画をご存知だろうか。
砂漠を民のあの美しい存在のあり方。
単純で複雑な精神。
とても肉感的でありながら、シンメトリカルな数学的整合性をあわせ持っている世界。
アラビアはさながら、矛盾と混沌とそして科学的思考が混在する、現代人が憧憬してやまない世界と言えよう。

yas1653han at 20:01|PermalinkComments(2)TrackBack(0) Sea | Cinema

2007年06月16日

パパはたいへん

db15a6f5.jpgどこの国のパパも、シーではパパはたいへんだ。
子供たちがまだまだ小さかった頃を思い出す。
その頃、もちろんシーはまだなかった。
小さな3人の子供を引き連れ、私と妻はランドのなかをへとへとになりながら歩き回った。
夢見がちの長女は、よくひとりでふらふらとはぐれていしまい、探すのにとても苦労した。
そんな時、私は下のふたりを両手に抱いて右往左往した。
それも今は楽しい思い出。
いまや子供たちも大きくなり、私の奇妙なシーへの思い入れに寛大な理解を示すくらいなまでに成長した。
最近では、写真を撮ることに夢中になってしばしば皆からはぐれてしまい、妻から非難の目を向けられるのは、私の役どころとなった。

yas1653han at 17:38|PermalinkComments(2)TrackBack(0) Sea 

2007年06月15日

美の浪費?

468ae603.jpgこの美しいフォルムはどうだろう。
シーは、探すと、このような美しいモノが窓の奥や道の片隅でで私たちの視線を待っていたりする。
いや、むしろ無関心に放置されているというべきか。
シーの奥深さはひとえにこの豊かな美の浪費にこそある。
浪費とは不穏当な言葉だが、シーの細部への際限のないこだわりを言いたい。
シーにどこかデカダンスの匂いがするのは、この贅沢な蕩尽のゆえか。
あなどってはいけない。
この魅力にはまるとなかなか抜け出せないのだから‥

そこで恥ずかしながら下に歌一首。


※ 内容が誤解をまねくかも知れないので、少し加筆しました。
※ デカダンスは退廃というよりも、芸術至上主義的傾向と受け取って下さい。

yas1653han at 23:18|PermalinkComments(4)TrackBack(0) Sea 
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