2019年09月08日

大嘗祭の本義

大嘗祭の本義

これは折口信夫の論文のタイトルである。『古代研究』の第三巻「民俗學篇2」に収められている。もとは昭和3年9月に行われた信濃教育会東部部会(諏訪か?)での講演筆記で、それに手を加えられたものだ。この年の11月に昭和天皇践祚後の大嘗祭が執行されることになっており、それに合わせた催しであったのだろう。
今年は天皇が代替わりした。よって、秋の新嘗祭は大嘗祭となることが決まっていて、その装置建設と解体費用が二十億円以上、清水建設が落札したとか、これは皇族による私的な行事なのだから皇室予算内で簡素に執行したいと皇族サイドが望んでいる、とか報道されている。このところの皇族の見解は、政府筋のそれよりはるかに高い、良質なものだと思う。

平成になった時も騒がれたが、この大嘗祭とはどんなものか、儀式は深夜に秘密裡に執り行われるものだから、知悉した人はほとんどいない。自分も、平成の時には入口までしか知らなかった。
その後、折口を読むことによってそれなりの理解を得ることができるようになったが、その核心となる論文がこれだ。
いわゆる「識者」は、右翼の攻撃を恐れてか、折口論文のタイトルさえも口に出したりしないが、決して入手が難しい文献ではない。
折口論文「大嘗祭の本義」を読んで、せめてこのテキストを入口とするくらいにならないものか。そこで備忘のために、折口論文の要点をメモしておこうと考えた。

第一節。 折口は、ここでは皇室のカクレゴト(陰事)を明かすことになるから、不謹慎と受け止められるかもしれないが、本義を知ることは皇室を慕う心の表れだということを理解してほしい、と述べている。世界恐慌の1年前、大正モダニズムも終わろうとしているころ、国家神道の狂信者の気配を折口は感じていたのだろうか。

第二節。「にへまつり」について、いわば基礎篇。贄とは、神または天皇が食す調理されたもののこと。生贄の本来の意味は、調理されずにあるその材料のことで、植物にも用いられる。「まつりごと」とは朝廷の公事(仕来りある行事)全体を指して言うが、その枢要が穀物をよく稔らせること、その結果報告祭が「まつり」である。「まつろわぬもの」とは、朝廷のこの公事に参加しない者たちのことを指す。折口は別のところで、天孫系の政(まつりごと)のみを行う地域を「シマ」(島)という、と書いている。大八島とか秋津島(洲)とか書かれるシマがそれで、任侠世界に残っている「縄張り」と書いてシマと読ませる由来もここからきている、とも。いわば直轄地のことで、これに対してクニとは、宮廷との関係においては天孫系の政に従うが、在地においては郷土の神を祀ることを許されている地域のことを斥す、と指摘している。

第三節。 新嘗と大嘗について。新嘗の古い語義は「には・なわ・ない」だという。飛鳥時代より以前のこの国には、新たに穀物が収穫された秋、新しく縄を綯い、庭にその縄を巡らせて結界を張り、そこに竃をこしらえて煮炊きし、贄を作って物忌みに入る習俗があった。そこには当然、神が訪れる。この習俗が後には恋愛歌謡の下地になってゆく。大嘗は古くは「おほむべ」と訓むが、これは「おほにひなめ」の音変化といわれている。嘗の字は、この国に漢字が入ってきてからの宛て字である。新たに天皇の位につくときの新嘗祭が大嘗祭で、天皇は神(天照大神に代表される)の言葉を受け、その言葉を民に傳える役目をもつ。この役のことを「御言持ち」という。

第四節.神嘗祭・相嘗祭・荷前・神今食、これら新嘗祭の前後に行われる行事について。神嘗祭は新嘗祭前の九月、諸国から奉った早稲の走穂(はつほ)を伊勢の大神に奉る祭りで、この早稲の走穂を荷前(のさき)という。この荷前を天皇の血縁、外戚の陵墓、畿内の大きな社に奉る祭りが相嘗祭で、十月の卯の日に行われる。神今食は六月と十二月、日本中の大きな社の神々が宮廷に招かれる月次祭の後に行われる行事で、宮廷による地方の神々への饗応ということになる。折口はここでは古米が使われたとみている。新嘗祭はこれらの行事の締め括りとなることから、季節は冬(刈り上げ後)になるのだが、国々では荷前の使いを都に送って無事を安堵する季節(刈り上げ前)に秋祭りを行ったことから、秋祭り(豊穣予祝)の総仕上げのように考えられるようになった。折口はここから秋と冬の考察に入る。

第五節.折口によれば、冬は「殖ゆ(ふゆ)」であり、枝分かれして殖えていく様をいう。古くは「ふる」「触る」と同じ語であった。殖えた魂は外から人間に附着する、その様を「ふる」という。新嘗祭はだから、「ふるまつり」であり、「ふゆまつり」なのだ。折口は、秋祭り・冬祭り・春祭りを一連のものと考えており、その中心に新嘗祭が位置づけられている。ここには上代よりはるか以前、縄文のころからの人々の思念が埋め込まれていることがわかる。

第六節.新嘗・大嘗祭にはもう一つの側面がある。それは鎮魂(たましづめ)ということだ。附着した魂を鎮めるための儀式である。高天原で行われた天の岩戸での鈿女(猿女)、神武東征で倭に入るときには物部氏が司った「石ノ上鎮魂法」は一続きのもので、後に奈良朝の少し前に海人部による安曇の鎮魂法が加わった。ここでは天子(天皇)の体は魂を容れる器となり、新しい魂と入れ替わる復活劇でもある。鎮魂の劇は宮廷の奥深い暗闇で行われねばならない。これは私の考えだが、だから生まれ変わる天皇が身に着ける眞床襲衾(まどこおふすま)は胞衣なのであろう。

第七節.折口は第五節の冒頭に「私の考へでは、一夜の中に、秋祭り・冬祭り・春祭りが、続いて行はれたものであって」と書いているが、国々が荷前の遣いを都へ送るようになってまづ「秋祭り」が分節化した。けれども大嘗祭にあっては、冬祭りと春祭りが不即不離の形で残っている。古い歳時記には「逆蓑岡見」という言葉があるそうだが、これは大晦日の夜、蓑を逆さに着て尾根筋(岡)に登り、夜明けの眺望を得て新年の豊凶を占う習俗で、神が蓑を着て山から降りてくる信仰をもとにしている。蓑は「人間でないしるし」に着るもので、天孫神話では、スサノヲもニニギも蓑をまとった。大嘗祭では、眞床襲衾の裳をはねのけたのち、天子は(象徴としての)蓑をまとうことになる。

第八節.天子が眞床襲衾から出て祝詞を唱えると、即、春となる。「のりと」とはもとは「宣る(のる)場所」という意味であるが、後に「宣る詞」となって祝詞と表記されるようになり(延喜式)、宣る場所のことを「高御座」というようになった。天子の祝詞を地方の神々に傳える役を「御言葉傳達(みこともち)」といい、これを司ったのが中臣である。だから大嘗祭、即位式、朝賀の式とは一連のものであり、その間に行われる「四方拝」とは、本来は、高御座から最初の祝詞を発せられることをいったのである。

第九節.群臣は天子の祝詞に対して壽詞(よごと)を奏上する。服従を誓う詞である。令和の最初の壽詞は安倍が奏上することになっているが、国民を代表していうのだから、衆議院議長が行うべきだ。少なくとも内容は公にすべきものと思う。折口信夫はこの儀礼を国文学が発生する場としてたいへん重く見ており、「国文学の発生は抒情ではなく、叙事にある」と『古代研究』第一巻で説いている。新年歌会始も壽詞の系譜に属するのではないか。初春を庶民大衆は今も「おめでとう」と祝うが、これは壽詞の最短縮されたものと折口はいう。上代では壽詞を最初に奏上するのも中臣の役目で、そのもっとも古い書付を論文中に紹介している。12世紀半ばのもの。また中臣は水を司る家でもあって、悠紀・主基の地方から献上された米を「天つ水」で炊き、酒を醸して天皇に捧げる。

第十節.警護の話。大嘗祭にあっては悠紀・主基の両殿が廻立殿を中にしてそれぞれ東、西の位置に建てられるが、警護はこの祭祀場、宮廷、さらに不破、逢坂、鈴鹿の三関も固められる。警護担当の主力は物部氏だが、物部というのは固有名詞であると同時に普通名詞でもあり、モノノフと訓むときもあった。大伴氏も同様の職。「ゆき・すき」のうち「ゆ」は「斎む」であろうが、他の語ははっきりしない。「往き・過ぎ」であるかもしれない、とも。悠紀殿では東方で採れた稲を用いての新嘗が、主基殿では西方でのそれを用いて行われる。稲田を指定するには近代になってからは亀卜をもって行うが、それ以前はわかっていない。なお折口は、廻立殿は元はこの建物一つで物忌みから復活まで行われていたのが、新嘗が両翼に分かれて悠紀殿・主基殿とされたのではないか、と推定している。今年もこの田圃が決められたことがニュースになっていた。

第十一節。大嘗祭の時には、悠紀・主基の二国から風俗歌が荷前の稲とともに奉られた。この風俗歌も壽詞の短縮されたものである。東歌は萬葉集には採られているが、大嘗祭では捧げられない。これは大嘗祭の儀礼が固められた平安の初期に東国はまだ宮廷の支配下に置かれていなかったためで、悠紀の国の東の境は駿河、甲信越あたりにあったのであろう。国々の風俗歌は在地の巫覡・巫女によって伝えられたが、この巫女は語り部でもあった。捧げられる稲は北野に造られる斎庭に集められ、大嘗祭殿まで運ばれるが、この積荷車を屋台、山車、御船などという。稲の魂は山から降りてくる精霊魂が付着し、中に入った神聖なものと考えられた。山鉾なども同様の神の依代で、これらが夏祭りに用いられるようになるのは、道教が入って以降のことである。

第十二節。「祓ひ」と「禊ぎ」について。「祓ひ」はこちらの身についた穢れたものを神がやってきて清めてくれることで、他動風なもの。後世では刑罰がこれにあたる(お金を払う、も同じと思う)。「禊ぎ」は自動的なもので、身についた穢れを自らが清めること。宮中で言う「大祓」は、本来は「禊ぎ」なのだ。大嘗祭で天子は廻立殿で何回も湯に入り、禊ぎしたところに神(来訪神)がやってきて、悠紀・主基の両大嘗殿でともに新嘗を食す。ここでの神と天子は同格である。

第十三節。大嘗祭で用いられる湯は、羊水の象徴であろう。折口は、湯は斎(ゆ)と同じで、必ずしも温いものではないという。「逝く、行く」の言葉もここに源があるのではなかろうか。大嘗祭で天子は湯の中で衣を脱ぐ(胞衣を解く、というべきか)。脱がすのは巫女の役である。この巫女の役は「壬生」という名の職掌(壬生部)となっていて、早くには河内の多治比(丹比)氏の女がこれを務めた。大湯坐(おほゆゑ)・若湯坐が位高く、若子の育成を司る飯嚼(いひがみ)・乳母は地位が低い。若湯坐は大湯坐の助手役で、大湯坐は天子の、若湯坐は皇子の后となるよう定められていたが、後には中臣の女が務めるようになる。現代では皇后が精進潔斎、物忌みをして処女となり大湯坐を務めるのだと想像するが、明らかにされることはないだろう。なお、折口には「水の女」という秀逸な論考があって、青空文庫で読めるので、未読の人は是非。

第十四節。折口は「天ツ罪」を話の入り口におく。「天ツ罪、国ツ罪」は、日本の刑法・民法の起源を考える文脈で法学では扱われてきたようだが、折口は、スサノオが犯した天ツ罪の数々を、<水と禁忌>との関係にもとめる。すなわち、「天ツ罪」は「霖禁(あまつつみ)」からきているというのだ。長雨は田植えを行う神聖な季節にあたり、この期間、男女の媾いは禁じられる。互いに「眺める」ことしかできないが、この語も「長雨」に結縁しているという。田植えは水の中で新たな命を定着させる神聖な行事なのだ。大嘗祭では、水の中で、稲の神魂となった天子は大湯坐によって褌の紐を解かれ、大湯坐は天子によって天の羽衣を解かれる。この行為が何回も繰り返されることによって、稲魂が一人前の男女としてこの世に生まれるのである。大嘗祭が陰事(かくれごと)である所以だ。

第十五節は最終節である。儀式の最重要部を終えたのち、打ち上げとなる。この式をまとめて「直会」と呼ばれることもあるようだが、折口はこれを「供饌の式・直会の式・宴会(うたげ)の式」の三段階で考えている。主が客を酒食でもてなし、次には返礼に客がもてなし、最後は主客(神と人)混然の酒席となって式を終えるのである。この宴の終わりは現代にも引き継がれている。最後は無礼講、などといわれているのがそれだ。こうみてくると、論考「大嘗祭の本義」の核心は第十二〜十四節にあることがわかる。この核心部の儀礼の精神は、文字(漢字)取り込みの時代から無文字時代、さらには縄文時代にまで続いているのではないか、と思われるのである。

折口信夫という人は、一般的には国文学者として通っていると思うが、その資質の核心は、<巫>の詩人、にあるのではないか。この論文でも折口はよく「昔は」とか「古くは」とかいう言い廻しを使っているが、では<現在>はどこにあるかというと、『三代実録』や「延喜式」などが残された10世紀あたりに設定されているように読める。つまり論考をしたためている書斎からそれらの時代へと、瞬時に移動できる資質が折口には備わっている、あたかも稗田阿礼や役小角のように。折口の「大嘗祭の本義」を、妄言だという人もあるらしいが、折口のこの特異な、類い稀なる資質に驚くことがない人には、そのように映るのであろう。

yas_terui at 18:42|Permalink 書物 

2019年06月05日

英国ミステリィTVドラマ・ベスト10

英国ミステリィTVドラマ・ベスト10

2年前のちょうど今頃、今泉省彦遺稿集『美術工作者の軌跡』(照井康夫編)という書物を海鳥社さんから上梓させてもらった。今泉さんは日本の60年代現代美術を裏面から支えた、知る人ぞ知る、といった人物である。私は、解題、解説、年譜も執筆した。
そのゲラ待ちをしているころだから、2016年のことになる。ゲラの到着が北九州を襲った地震の影響もあって遅れ、時間つぶしにCATVの「AXNミステリーチャンネル」を見ることを家人から勧められた。そこで出会ったのが「モース警部」のシリーズだった。
いまだにこのシリーズを超えるものに出会っていないのだが、以降、現在に至るまで、英国ミステリィドラマはよく見ている。下手な映画はかなわない、英国の日常生活、そこに染み透っている帝国主義の厚み、といったものに感心させられている。
そこでWOWOWで放映された作品もふくめ、自分ながらのシリーズ物・ベスト10を以下に掲載し、読者の参考に供するものであります。

 惻臟し拮凜癲璽后戞INSPECTOR MORSE)
原作は英国推理作家賞を何度も受賞しているコリン・デクスター。主演のジョン・ソウをはじめ、他のキャスト、スタッフいづれもが秀逸。1980年代からのオックスフォードが舞台なので、画面サイズはスタンダードで、携帯電話も使われないが、ドラマそのものはまったく色あせていない。原作ものでは「森を抜ける道」、オリジナルでは「約束の地」がベストか。「オックスフォード運河の殺人」はテムズ中下流の水運事情がよくわかり、令和天皇の感想を聞いてみたくなる。モースのファーストネーム(Endeavour)を明かすシーンの演出は、原作より勝っている。モースの人間臭さを深堀してゆく演出の妙も見せる。

◆愨莪賤撞深圈戞PRIME SUSPECT)
実力派名女優ヘレン・ミレンが上昇志向の強い女警部を演ずる。英国に女探偵、女刑事が活躍するドラマが多いのはクリスティの影響だろうが、さすがのクリスティも警部ジェーン・テニスンのような人物造形はできなかった。時代は1990年〜2000年初にかけてのシリーズ。全篇にみなぎる緊張感がたまらない。ヘレン・ミレンもまだ色っぽい。以上の二作は、DVDソフトが発売されている。

『フロスト警部』(A Touch of FROST)
原作の小説を読んだことはないが、このTVドラマには藤沢周平の市井もののような趣がある。フロスト氏のややユーモラスな鄙びた日常生活があって、そこから事件解決の糸口が撚られていく。制作がヨークシャーTVということがその底にあるのかもしれない。全体に、送り手の上手を前面に出さない、手練れの制作人たちが楽しんで作っている感じが湛えられているのが微笑ましく、また感心させられる。これもDVDになっているようだ。

ぁ悒ックスフォードミステリー ルイス警部』(INSPECTOR LEWIS)
「モース警部」シリーズで、モースの部下を務めたルイスが、モースの死後、警部に昇格してのちのスピンオフ・ドラマだが、スタッフは「モース」の時と変わらず、単なるスピンオフにとどまらぬ出来を示している。「モース」の時、良識ある庶民派ながらモースに散々いじられたルイスが、今度はケンブリッジ大神学科を卒業した新任刑事ハサウェイと組んで、大人びた風格を示す。ハサウェイを主役とした続編も企画されたが、ローレンス・フォックスが断ったため流れた、という話も聞く。オックスフォードの美しい景色の中に、コリン・デクスターがカメオ出演しているところも見せどころ。

ァ愀沙フォイル』(Foyle`s War)
作家で脚本家のアンソニー・ホロヴィッツが原作脚本を手がけた、第二次大戦から戦後復興期を背景にした特異な刑事ドラマ。寡夫のフォイル警視正は寡黙だが、その運転手として助手についたサム(女性)が、社会の窓口の役割を果たしていて、好ましい。ドーバー海峡の出入り口の町ヘイスティングスでの功績によりフォイルはロンドンのMI5に招かれ、最後の数話はロンドンが舞台の権力・スパイもののようになる。しかし作品としては初めの三分の二くらい、ヘイスティングスが舞台のものがはるかに強い印象を残す。

Α惴氷發侶拮凜献隋璽検Ε献Д鵐肇蝓次戞GEORGE GENTLY)
邦題に「孤高」とつくだけあって、主人公の強い倫理観は並外れている。愛妻を交通事故で失ったノンキャリアの彼は、上層部の汚職を追及したためロンドン警視庁を追われ、イングランド北部の町にいわば左遷される。そこで部下についたバッカス刑事は署長の娘を嫁にした上昇志向の強いやや軽薄な男。しかし、このバッカスの成長物語が底に流れるビルディングス・ロマンとなって物語に厚みを加えている。妻を事故死させた犯人と向き合う場面は、ハンナ・アーレントを髣髴とさせる。

А愀沙モース〜オックスフォード事件簿』(ENDEAVOUR)
「モース」シリーズのスピンオフ版の第2弾。モースの成長物語がベースだが、,傍鵑欧織癲璽垢箸い人物がどのように作られていったのか、オックスフォードの美しい風景とともに、興味深く見せる。,妊癲璽垢僚霙垢鯡海瓩訝砲、このシリーズ、初めは制服警官として登場し、ひょんなことからモースを追い越す地位にあがる、そんなエピソードが巧みに仕込まれていて、楽しめる。

─慄笋發譴觧Π奸戞UNFORGOTTEN)
「39年目の真実」「26年の沈黙」「18年後の慟哭」と、今のところ3シリーズが放映されているが、どれも息を継がせない緊迫感に満ちている。各シリーズは1時間もの6話で構成されているが、6時間かけて一挙に見ることをお勧めする。物語は古い遺体が発掘されるところから始まるが、同時に物語は事件に関係する諸人物の描写とともに進行してゆく。この辺のフィルム編集の手際が見事。最新作は2018年の制作だから、続きもまだつくられるかもしれない。これも主人公は女警部。

『メグレ警視』(Maigret)
ご存じ、ジョルジュ・シムノンによる大人気小説が原作で、舞台は当然パリなのだが、これをBBCがパリにロケし、言語は英語、メグレ役にあのローワン・アトキンスを起用、これまでに4作が放映された。きっとこれからも作られることだろう。英本国では、アトキンスが新境地を開く、と好評だそうだから。その意味で、第2話が特に秀逸。

『ヴェラ〜信念の女警部』(VERA)
亡くなった密猟家で剥製フェチだった男の一人娘が、ワーカーホリックの女警部になる。寂しいから仕事に熱中するのか、仕事に熱中するから寂しいのか。北イングランド(ニューキャッスル付近)の美しい田園風景に埋められた人間ドラマだが、出来に若干の揺れがあるのが惜しい。今まで全20話が放映、これも続きが作られるのではないか。


・補足
異能の探偵、というのがあまり好きでない。しかし、普通の人である刑事が難事件に挑むと、どうしてもひどいワーカーホリックになる。逆に言えば、もっとも普通の人に人物造形されたフロスト警部が、上記の中では最も<異能>ということになる。
英国制作に限らなければ、「ミレニアム」シリーズを入れたいところ。スティーグ・ラーソン原作の3部作を、各2時間の前後編、計6作にまとめたスウェーデン・デンマーク・ドイツ製。キネ旬ベスト1となった映画「ドラゴン・タトゥーの女」をはるかにしのぐ。
ウェールズに材を取った「ヒンターランド」、欧州を股にかけた「キリング・イヴ」も入れたかったが。
このところ、これらに対抗できる日本製サスペンスは「坂の途中の家」(WOWOW)くらいか。


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2018年08月25日

諏訪神社および周辺紀行

 かつて蓼科に別荘を持っていた旧友の藤田君、カメラマンの廣澤さんと2泊3日で、諏訪周辺を歴史探索した。
 自分はここ2年ほど、諏訪祭政体とミシャグジに関する文献をあさり、いまも渉猟中であるゆえに案内役を務めた。
たいへん充実した旅をすることができ、二人に感謝するしだいだ。

・ 第1日目 8月20日(月)
午前10時にJR南武線谷保駅北口に集合、廣澤さんの運転で中央高速へ。
諏訪大社上社前宮→上社本宮(宝物殿も見学)。
本宮にて「鹿食免」を購入、諏訪学に興味をもつ長男への土産とする。
駅前ホテルに投宿後、片倉館→居酒屋にて馬刺、鹿刺。

 前宮本殿の前で、ボランティア・ガイドさんと立ち話。本殿はかつて精進屋とよばれ穂屋であった、それが糸萱に移築されてある、とのこと。そういえば、人間社の文庫でそんな話を読んだことがあるような。明日の訪問先にくわえる。

・ 第2日目 8月21日(火)
尖石縄文考古館→糸萱の折橋子之社→下社奥宮(八島湿原)→下社春宮→秋宮。
片倉館(藤田君が大いに気に入った)で汗を流した後、今日も二軒目の居酒屋で鯨飲。

 糸萱集落に入っても標識はなく、集落の案内板で神社のあることを確認、そこであろうと見当をつけて参詣する。
 折橋子之社は糸萱の氏神社といった風格で、立派な御柱も建っていたが、移築の案内板もなく、穂屋でもなかったので、これは精進屋を移築したものではないとそのときは思い、去ることにした。
 帰宅した後、『古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究』(人間社文庫)を開いて確認したところ、昭和7年に前宮精進屋の古材を集落(財産区、か)が買い取り、折橋子之社を建替えたものであると書かれている。精進屋の正確な再現であったかどうかについてはふれられていない。
 そのとき、前宮本殿の建造には伊勢神宮の古材が使われたということであるから、遷宮後の古い木材は、神社のあるネットワークによって再利用されるらしい。
 それにしても、ここでも諏訪神社と伊勢神宮との関係の深さが思量される。
 6年を経た古御柱は、郷社、氏神社などで再利用されるという。おそらく、大きな「講」から小さな「講」へと下っていき、それが信仰の基盤ともなっているのだ。

 この日のハイライトは下社奥宮であった。八島湿原の東南の端に晴れ晴れとした薄野が広大に広がり、その中心に奥宮はあった。ここにいくつもの穂屋が組まれ、大勢の人々によって狩猟祭祀が営まれたと想像するだけで、興奮が満ちてくる。

・ 第3日目 8月22日(水)
下社秋宮宝物殿→菅野温泉→神長官守矢資料館→井戸尻考古館→谷保駅前にて解散。

 宝物殿は上下社の共通券を買ったのでこの日行ったが、展示は上社のほうが上。薙鎌やサナギ鐸などの実物がみられる。

 秋宮の参道筋にある菅野温泉で朝風呂をあびる。入浴230円。牛乳110円。駐車代無料。上諏訪と違い、下諏訪には財産区がもつ共浴温泉場がたくさんある。この町の温泉場の雰囲気は、他所では味わえぬものをもっていると思う。落ち着いたシャビーとでもいうか、自分は好きである。

 守矢資料館のこの日の展示は、文書関係は幕末以降のものばかりで、精彩を欠いた。ガイドさんも、藤森照信はじめての建築設計作品と、建造物のことばかりに言及していた。ただし、館の奥にある御頭御左口神総社は必見。

 井戸尻考古館は尖石に比べ訪れる人が少なく、その割に展示は見劣りしない。ゆったりとした雰囲気で鑑賞できる。ここでも縄文中期の出土品に圧倒されるが、なかでも人面香炉型土器は圧巻であった。
 資料館に続く道のほとりに、二体の双体道祖神を脇に置き、奥に石棒、手前におそそ岩を配した一角が設けられてあったが、これは出土を再現したものか、それとも一種のインスタレーションであるのか、聞きもらしてしまった。次回の楽しみに取っておくとしよう。


yas_terui at 15:31|Permalink 身辺雑記