「音のある店つくり」というほどのことはない。

テレビ

職場のテレビが故障で観ることができなくなったのは今年の始めのことだった。
「工業製品だから、故障することはあります」。
「で、どのくらいかかるの?」。
「タイプも古くなっているし、買い替えしてもいいんじゃないですか」。
「う~ん」。
だから、年始にはネットも使えないし、テレビも観ることができない状態だった。
とてつもなく忙しい時期だったのですこしも苦にはならなかったが、
喉元過ぎて、あの忙しさは幻影かなと思う今日この頃。
なにを観れないのが残念かと言うと、やはり大相撲か。
にわか御嶽海ファンのわたしとしてはライブ中継時間は一応仕事時間なので後で自宅で観るしかなかった。
「職場にもテレビがあれば」。
と、強く願った訳だ。
今度のはポータブルなので、どの場所でも観ることができてほんとうに便利だ。
電波は壁にも反射して飛ぶらしいので、一階の部分ならどの場所でも観ることができる。

オーディオ

いままでテレビの置いてあった店頭には、オーディオ装置を置いてみた。
「いつもクラッシック音楽が流れているんですね」。
「まぁ、バッハかビバルディが主なものですが…」。
スピーカーやアンプで音が「こんなに違う」ことをわかってほしい。
自分の好きでやってることなんだが、和菓子販売の店舗とクラッシック音楽は相性がいいように思う。
キーワードは伝統と革新だ。
和菓子は日本固有のものだが、三十年前の和菓子と今販売しているものは大きく異なっている。
素材は同じにしても、大きさ重さ意匠は違っている。
つまり、伝統を守りながらも革新をしていかないと新な顧客をとりこめない。
それに店舗の雰囲気つくりも大切かな。
まぁ、ジャズの流れる和菓子屋なんてのもいい感じかもしれないが、そっちはとんと疎い。
中学生の頃からクラッシック音楽を中心に聞いてきたので、こっちのほうが自分ではわかるつもりなんだ。

桜はこれからの「信濃大町」。

大町 (2)

「長野市に隣接する西側の市は大町市なんだ!」。
そんなことは地図をみればすぐわかることなんだけど、
いままであった「信州新町」や「美麻村」それに「大岡村」。
町とか村の名前がとれて、長野市や大町市に編入された。
いまでも「小川村」は健在だが、
長野からドライブすると、いろんな町や村をぬけて大町市に到着するのは旅情があった。
「なんだよ、いきなり大町市かよ」。
と、毒づいてみたくもなる。

高校の時からの友人、吉村のアウディに乗って「大町山岳博物館」を目指した。
標高が700㍍あまりの信濃大町は桜が1~3部咲き。
博物館前の桜広場には花見の人はいない。
長野市では桜が散り始め新緑がきれいな時を迎えているのに。
北アルプスの山並みは厚い雲に覆われ麓では雪が舞っている。
好天ならば、雪をいただいた山並みの眺望を楽しめるのだが。
「おいおい、せっかく来たのに」。
「まぁ、しかたないヨ」。
400円の入場料を払い入館する。
確か40年くらい前、自転車で来たときは木造の建物だった。
バイクで来たのはいつのことだろうか?
聞けばリニューアルした常設展は「アルプスの人と自然」がテーマだとか。
信濃大町の自然や歴史をうまくまとめてある。
アルプスの登山史も勉強になった。
北アルプスの山並みを眺めていれば倦むことを知らない吉村だが、雲の中ではしかたない。
長野市の信州新町で羊のお肉を食べてから帰る。
「満腹セットのうえに、人気のお肉もください」。
などと注文したので、夕食は食べられなかった。

ふたたびの読書。

わたしが1

ひとつ小説を読み終えると連鎖的に同じ作家の本を読みたくなるときがある。
昨日読み終えた「それまでの明日」の余韻が在るうちにほかのものも読んでみたい。
書棚には「原尞(はら・りょう)」の本がハヤカワ文庫で5冊あった。

わたしが2

読み終えた本にはメモとして日付を入れてある。
原尞「わたしが殺した少女」。は1996年(平成8年)7月24日と、
2008年(平成20年)10月25日の二回読み終えている。
さっそく、読み始めてすでに100ページを過ぎたのに、
「まったくストーリーを覚えていない? 新鮮な物語として楽しめる!」。
二度も読んだ本のことをすべて忘れてしまったのは、なんという老化現象だ。
物語はすでに佳境に入りゾクゾクする展開になっているのに、読んだという既視感がまったくない。
まァ深酒をして昨夜のできごとを覚えていないのと同じか、ちょっと違うんだろな。

面白く、興味をもった本は何度でも読み返すほうだと思う。
映画もDVDで繰り返し観る映画が何本かある。
若い頃のことで少し恥ずかしいが、
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」と北杜夫の「どくとるマンボウ青春期」という本は10回以上読んだ。
今でもシーンが目に浮かぶように覚えている場面がいくつもある。
それは、若いときの読書だから、今でも覚えているのだろうか?
平成8年といえば22年前、40歳前後のこと。
平成20年は10年前もう50歳を過ぎていた。
まァ、そんなことをぐずぐず患うより、初めて読む本だと思って楽しめればそれでいいか。



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松田 聖次

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