朝鮮人民軍の元将校もその一人でした。
彼はもともとは地方から叩き上げで平壌に出てきたエリートで、
若い頃は胸に勲章をズラリと並べて将軍様の後ろで万歳三唱するようなコワモテ軍団に属していました。 当時お爺さんはすでに寝たきりでしたが、車椅子を買う金がないので
息子さんが無理矢理起こしてナマで連れてしまっており、
一歩踏み出すと五分はフリーズする状態でした。
若い頃は胸に勲章をズラリと並べて将軍様の後ろで万歳三唱するようなコワモテ軍団に属していました。 当時お爺さんはすでに寝たきりでしたが、車椅子を買う金がないので
息子さんが無理矢理起こしてナマで連れてしまっており、
一歩踏み出すと五分はフリーズする状態でした。
これはさすがにヤバいと思いましたので咄嗟に「おんぶしましょうか?」と
背中を差し出したのですが息子さんが「いいから、いいから放っとけば!」と制止、
背中を差し出したのですが息子さんが「いいから、いいから放っとけば!」と制止、
私を連れてズンズンと歩き出し、彼は後ろで瞬く間に小さくなりました。
お爺さんを残して、我々は早々とレストランに到着。
ようやく30分後、お爺さんは倒れそうになりながら現れましたが、
息子さんが間髪入れずにどやしつけました。
「おせーんだよ!何分経ってんだ」
息子さんが間髪入れずにどやしつけました。
「おせーんだよ!何分経ってんだ」
えっと、朝鮮て儒教のはずじゃなかったんですかね……
とはいえ決して虐待風ではなく、(見た目は)志村けんの老人コントのようなノリでしたので、
私もかろうじて笑顔を保つことができましたが。
全員揃うと息子さんはおもむろに、冷麺5杯、焼肉5皿、他もろもろ
食べきれないくらいの料理を注文しました。
私もかろうじて笑顔を保つことができましたが。
全員揃うと息子さんはおもむろに、冷麺5杯、焼肉5皿、他もろもろ
食べきれないくらいの料理を注文しました。
きっと、ご馳走だったのでしょう。
お爺さんと息子さんがすごい勢いで冷麺をすする姿を見て、
普段ちゃんと食べられてるのかな……と心配になりました。
お爺さんと息子さんがすごい勢いで冷麺をすする姿を見て、
普段ちゃんと食べられてるのかな……と心配になりました。
すると、一心不乱に冷麺をすすっていたお爺さんが突然、箸を止め、
むせび泣き始めました。
「南朝鮮にいる兄弟に会いたい……」
むせび泣き始めました。
「南朝鮮にいる兄弟に会いたい……」
大粒の涙がポロポロと冷麺の中に落ちました。
彼は朝鮮戦争の際に家族と別れ、
そのままずっと連絡も取れず離れ離れになったままでした。
そのままずっと連絡も取れず離れ離れになったままでした。
そうした人々は半島で二千万人もおり、どこの家も親族の中には
必ずといっていいほど離散家族が含まれてる状態です。
必ずといっていいほど離散家族が含まれてる状態です。
そうした事情も知ってましたし、コワモテだったはずの彼の弱り切った様子が
あまりに不憫で、私ももらい泣きしてしまいました。
あまりに不憫で、私ももらい泣きしてしまいました。
しかし、しんみりムードは再び息子さんの無慈悲な素の一言によって粉砕されました。
「いや、そういう話をするなよ(笑)」
私はさすがにバツが悪くなってしまいまして、咄嗟にない頭をフル回転し、
お爺さんに手持ちの「バファリン」と緑色の薬(たぶん胃腸薬)を渡すという
きわめて微妙なフォローを行ったのでした。
その後まもなくお爺さんは亡くなってしまったため、
残念ながらそれが最後の姿となってしまいました。
まさか私の薬のせいじゃないよね?と今でもヒヤヒヤしています。
残念ながらそれが最後の姿となってしまいました。
まさか私の薬のせいじゃないよね?と今でもヒヤヒヤしています。
映像で見る朝鮮人民軍のイメージからは想像もつかないであろう、
真の人間らしい姿でした。
帰国の日、息子さんは孔雀の羽根でできた色とりどりのド派手なうちわを持って現れ、
周囲の注目を浴びていました。正直、他人のフリをしたかったのですが狭い平壌では
それも叶わず、「お土産だ、持ってけ!」と差し出されたうちわを裏返すと、
柄にマジックで「朝鮮訪問記念 安宿緑」と書いてありました。
俗にいう”いやげ物”( © みうらじゅん氏)でしたが、息子さんらしいなと思いました。
しばらく保管してありましたが、年月を重ねるにつれ呪いのアイテムのような雰囲気を
帯びてきたため、思わず捨ててしまいました。かなり、後悔しています。
周囲の注目を浴びていました。正直、他人のフリをしたかったのですが狭い平壌では
それも叶わず、「お土産だ、持ってけ!」と差し出されたうちわを裏返すと、
柄にマジックで「朝鮮訪問記念 安宿緑」と書いてありました。
俗にいう”いやげ物”( © みうらじゅん氏)でしたが、息子さんらしいなと思いました。
しばらく保管してありましたが、年月を重ねるにつれ呪いのアイテムのような雰囲気を
帯びてきたため、思わず捨ててしまいました。かなり、後悔しています。