夜思比売の栞

だいたい読書日記。 ときどきSound Horizonのことなども。

あひる 今村夏子

あひる
今村 夏子
書肆侃侃房
2016-12-14



父が知り合いから譲り受けたあひるの「のりたま」は、庭の片隅で忘れられていたニワトリ小屋に収まった。のりたまがやってきてから、のりたまを見に学校帰りの子供達が寄るようになり、何十年ぶりかに子供の声が溢れるようになる。

のりたまを見に来るこどもたちのために、おやつを用意したりするようになった父母だが、あるときのりたまが体調を崩し病院に連れて行かれる。



子供達が来るのが嬉しかった老夫婦は、ただあひるを見せてあげることから、おやつを用意したり食事を摂らせたり、宿題をする場所を提供したりと、どんどん好意がエスカレートしていく。

家の二階で、医療系の資格を取るために、一年以上勉強している三十代(推定)の娘がそれを観察しているという感じの短編だが、粗筋から想像していたほのぼのした感じとはかけ離れていて笑ってしまった。

子供達に来て欲しいために、病気で死んだのりたまの代わりを連れて来る両親。それに気づいても、特に何も言わない娘。

子供達は礼儀正しいが、調子に乗る子もいて、もちろんあひるの飼い主に好意を持っているわけでもなく、子供の無邪気さで利用しているだけである。

それでもいい、なのか、そのことに気づいてない、なのか分からないが、まあ気持ちのよい話ではなかった。

この作家さんの好評価をよく聞くが、いまいちどの辺がいいのかよく分からない。


働いたことのない娘、資格試験に落ちている娘が、自分に重なって、ちょっと嫌な気持ちにもなった。けれど、その娘が責められたり、精神的に気負っていたりする様子も見られない。

諦めと、現状を受け入れた果ての、無感覚がそこにある。

しかしその、だらだらと続きそうだった交流は、弟の乱入で絶たれる。

子供ができた途端、それまで交流がなかった実家に帰って来て、家をリフォームすることにした弟だが、孫の声を聞けることに老父母は喜び、娘も特になんの気持ちもないようだ。

自分で決定するのは面倒だから、良いように誰かしてくれればいいという、覇気の無さ。

それを突きつけられて狼狽はしても、恥じたり改めたりはしない。

問題は解決されずに、自己増殖して増えていくだろうことが、なぜか穏やかで明るいといってもいい雰囲気の中で語り終えられてしまうのが、もやもやしてしまった。


「おばあちゃんの家」と「森の兄妹」は微妙に繋がっているような話で、それぞれ家庭になんらかの問題がありそうなのだが、それを明らかにしない。

むしろ、問題を問題として取り上げない、あるがままの状態を批判めいた感情なしでそのまま書き出すスタンスなのかもしれない。

確かに、いろいろ名前がつけられていそうな問題を登場人物たちが抱えていても、そのことが直接悪いことに結びつく、という感じはせず、不思議な明るさすら感じる。

それを歪んでいると感じてしまう自分の方が、別の思い込みに囚われているのかもしれない。

街角には物語が・・・・・ 高楼方子

街角には物語が・・・・・
高楼 方子
偕成社
2017-09-27



夢見がちでありながら、怜悧なものの見方もする十六歳の少女ピッパ・フィンチは、子守のアルバイトをしながら旧市街通りを見下ろしている。

実際にその通りを散策したりはしないものの、通りを行く人たちには皆素敵なドラマがあるように見えて、ピッパの空想は膨らむ一方だ。

知らない人の人生、そして不幸な恋を想像していると、そのなかの一人にふいに同化してしまったような気がする時がある。ピッパもそれを味わい、自分の人生について思いをはせるのだった。(「彼女の秘密」)


ピッパの空想の通りの中で暮らす人たちのエピソードが集められた、短編集。

ちょっと背伸びしたい年頃向けの、あるいは他愛なくおしゃれな短編の雰囲気を味わいたい人向けの、と思って読んだが、これが意外とがっつり大人向けだった。

ちょっと不思議で、ちょっとファンタジー、ちょっとほのぼの、というような短編集ではない。

架空の世界のことを書いているので、歴史上のどことも、どの国とも言えないが、とても現代的な感じがする。それでいて、やはりどこか夢の世界の住人のような、童話のようなシンプルさがあって、話自体がしっかりとしている。

どの話も、とても面白く読んだ。


冒頭のピッパの話も、自分はいつか辛い恋をするんだとピッパが思い至る苦さがある。

「終点まで」にでて来るいつも同じ話をしてしまう老年の女友達は、そのルールを変えられない予定調和を引き受けるところが、やはりすこし苦い感じがする。

「坊やと《おしどり屋》」は、年取った坊やが子ども向きのゲームをずっとしにくるのはなぜかとあれこれ考える雑貨屋夫婦の話だが、互いの新たな一面を発見していくことになるのが、なんともおかしい。

「緑のオウム」の行きすぎた憧れがもたらす陶酔と停滞の気配は、夢見がちな女の子なら馴染みがあるだろうし、正面からした好きな子を見たことがないという「お月さん」も、人と深く付き合うということはどういうことなのかと考えさせられる。


こういう少し苦味がある不思議な話を、メルヘンというのだと思って昔読んでいたなと思い出した。

ヴェネチア便り 北村薫

ヴェネツィア便り
北村 薫
新潮社
2017-10-31



双子の先に生まれた方が兄で、後から生まれた方が弟。明治の世にそう決められたことに、特に不満も持たずに生きてきた華族の血筋の寿家。

日の当たるところを好む、単細胞な兄輝美を批判的な目で見ることがありながらも、弟という立場に納得はしていた。戦況が悪くなり、寿家の体調も悪化し、鎌倉に引きこもる寿家は、自分の名前について考える。

そして長い歴史のある、自分の家についても。

そこで、出生の真実ではないかということに思い当たる。(「誕生日  アニヴェルセール」)



味わい深い、ちょっと大人向けの短編掌編を編んだ一冊。

還暦を間近に控えていたり、老境が見えてきたりという、人生の盛りを過ぎたかなと思わせる主人公が多く、血湧き肉躍るような展開は待ち構えていないだろうという予想と共に読ませる話が多かった。

だからこそ、日常の流れのままに流してしまえば気づかなかっただろう一点に、注目することがすごく特別なものに思える。
誰にでもあるようなことなのに、ふと噛んで見ると思いがけないほどの風味があったり、苦かったりするような。
それでいて、どれも重くはない。
重々しく、仰々しい人生のことではなく、普通に生きている市井の人の話だからだろう。 


とはいえ、「くしゅん」の、可愛らしいタイトルとは裏腹の不安な結婚生活、それ以前の人間関係の不全を予想させる話の気持ち悪さは現代的な感じがした。

「指」の幻想的な悪夢の、しかし余韻を引きづらせらないきっちりとした話も良かった。

「開く」などは、スピード感のある怪綺談で、正直ここで終わらされるのは酷いとしか言いようがない。

「岡本さん」の怖さも、決してここが怖いと提示される訳ではないのだが、書かれていないところにきっと、現実に近い怖さがある。

「ほたるぶくろ」の時間の感覚、何十年という、親と子の立場を入れ替えた時のサイクルを感じる時、不思議な出来事も当たり前に起こりうるのではという、血筋と時間の軌跡を共に見るような気持ちになった。

嘘の木 フランシス・ハーディング

嘘の木
フランシス・ハーディング
東京創元社
2017-10-21



十四歳の少女フェイスは、牧師であり科学者としても著名な父親サンダリー師を深く尊敬し、敬愛してきた。そのため、父の蔵書を読み、科学的知識を蓄えた賢い娘であろうとしてきた。
ところがあるとき、一家は逃げるようにしてヴェイン島に移住することとなる。 その理由が、どうやら父が発見した翼を持った人間の化石の捏造にあったらしいことを知り、ショックを受けるフェイス。 ヴェイン島でもその噂が知られ、やがて一家は孤立することになる。



内容に触れていますので、未読の方はご注意ください。

慎しみ深く、美しくあることが女性に求められていたヴィクトリア朝時代。 フェイスは自然科学といった学問を好み、論理を好む娘だったが、学びたいという態度すら隠さなくてはならない年頃に差し掛かっていた。 知識を求めることも許されず、父親に認められたくとも、その方向では父親の意に叶うことはない。とはいえ、美しく、女の武器を存分に使える母マートルの意に叶うような、可愛らしい娘でもない。
そんなフェイスが家族の中で居場所を得られるのは、弟のハワードの世話係としてだが、まだまだ幼く、左手で字を書き、学問に興味を示さないハワードの存在は、フェイスにとって可愛くもあれば、フェイスが欲しいものを全て持っている憎らしい存在でもある。 ハワードより自分が賢いとフェイスが主張したときに、父親が女の子は役に立たないと言い切る場面は本書の中で最も辛い場面の一つだが、親から期待されない、愛されないことの辛さは、そのまま神から否定された人間の辛さに移し替えることができるだろう。
ダーウィンの『種の起源』が、キリスト教徒の科学者たちの自我を揺るがしていた時代だが、それは一つの家庭の父娘の間でも、簡単に起こっているではないかと思えてしまう。

父に従い、夫に従い、結婚できなければ弟の世話にならなければならないんだと突きつけられたフェイスだが、父親の捏造疑惑を知っても、健気に父親を庇おうとする。そして父親の秘密に加担する。 そんななかで起こった、父親の死。
自殺に思われないために、必死に偽装し、あらん限りの手練手管を使い男をたらし込もうとするマートルを軽蔑しながら、フェイスは真実を知ろうと奔走する。 やがて父の死は、父が持ち帰ってきた「嘘」を養分に成長し、知識を与える果実をつける植物にあると知ったフェイスは、植物の研究と事件の真相解明について、果敢に乗り出していくことになるのだ。

いかにも戦う少女的な、ヒロイン的な明るさはない。家族に与えられた屈辱と怒りを晴らすための復讐劇なのだから、「嘘の木」を利用し、小賢しく立ち回るフェイスは恐ろしくもある。
けれど時折見せる、年相応の頼りなさにはなんともいえない切なさが募る。 ほとんど一人きりで、考えて、奮闘するフェイスの暗い情熱は、正当性のある戦いではない。
終盤に向け、意外な犯人が浮かび上がってきて、激しい立ち回りがある辺りは読ませる。 女たちそれぞれの人生があり、戦い方があったのだとわかるラストは、今の時代に読んでもほろ苦さは変わらない。 失われた父親との思い出、絆を、代わりのもので結び直したフェイスは、ふたたび人間の世界に繋がれた。 自然科学が神との絆を牛失わせることがあったとしても、信仰は今でも続いている。
問題が起こったとき、それを一度白紙に戻してやり直す、作り直すことの作業の大切さをじっくりと読ませる、読み応えのある小説だった。

100年の木の下で 杉本りえ




年末年始を一緒に過ごすため、母方の祖母の家にやってきた千尋。祖母・律が一人で暮らす家は、屋敷林に囲まれた元農家で、大きな栗の木があり、生垣の一部のようにしてお地蔵さんが道路に面している。

べたべたと甘やかしてこない律に、それほど親しんでいなかった千尋だが、律にお地蔵さんの由来を聞くうちに、 自分に連なる祖母、曽祖母に思いを馳せるようになる。

森家にお地蔵さんが来てから現在に至るまでのお話。



女系の森家。お地蔵さんが来たのは、千尋の曽祖母ハルの少女の頃まで遡る。

ハルの弟二人が相次いでなくなり、そのため暗い雰囲気になっていた家族。そこに、ひょんなことから湯治に出かけることになったハルの母が、お地蔵さんを作ってもらうように頼んで来て、そこから家族に明るさが戻ったエピソードが語られる。

農家は嫌だ、勤め人のお嫁さんになりたいと思っていたハルであり、そのために母がまた妊娠した時も、跡を取ってくれる弟か妹を期待していた。

しかし、体の弱い母の代わりに働くうちに、農業が苦手ではないことに気づき、年の離れた妹を嫁に出さなくてはならない、その時のためなちゃんとした実家でなくてはならないと思うようになり、農家を継ぐ。


その辺りの心境を自然に、さらりと書いてあるので、そういうことなんだなと受け入れられる。

しかし、ここに、家を継ぐものだという押し付けがましさがあったり、あるいはハルに音楽の先生になりたい!という強い夢があれば、いきなり辛い話になると思う。

そこまではっきりとした圧力、義務もなく、夢もないために、なるようになったという感じだろうか。


ハルの子供も三人娘。律は栗の実を拾っているときに、結婚相手と出会う。子供の時のほのかな恋が、実ったのだ。

ハルがなんでも取り仕切るため、律は律の三人の娘を置いてしばらく家出したことがある。そのとき勤めていた洋装店の成果か、奇抜なファッションを身につけるようになった。

森家では影の薄い父親や祖父たちだが、亡くなって、農家は続けていけないし、田んぼは売らなくてはならなくなる。屋台骨として、しっかり支えてくれていた祖父への眼差しも、語られる。


時代を超え、語り手を変えて語られる、森家の短編小説なのだが、それぞれ性格が違い、捉え方が違っていて面白い。家族が似ていることに、多層的な血の繋がりを感じて千尋が自己を確認することもあれば、似ていることが疎ましいと思う千尋の伯母桐子の例もある。

どの子も、割と現実的でドライなたくましさがあり、祖父が死ぬのと田んぼを止めるのが同時なのは丁度いいと思ったりする桐子や、道に落ちた栗を人に取られるのが嫌で朝早くから拾いにいく律など、なんというか、そういう、気性のしぶとさに地元のあるあるを感じた。


律が亡くなったら家はどうなるのか、あるいは介護が必要になったら、の問題は出てこない。

ファミリーヒストリーは、跡を継いでいく次世代が無くなれば、どうしたってしまい方の問題になるが、田舎の方がそういう問題に目を背けがちなのかもしれない。

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