カーネーション (くもんの児童文学)
いとう みく
くもん出版
2017-05-11



日和は母親の愛子を慕うものの、愛子は決して日和を普通の母娘のように愛することができない。妹の紅子のことは、甘やかし過ぎるくらいにかわいがるのというのに。

よくできた娘と、厳しい母親という役割でごまかしてきたが、やがてそれが通用しなくなる時がくる。

父親の慎弥も家族をなんとか立て直そうとするが……。



理由もなく娘を愛せない母親と、母親に嫌われ続けることに苦しみ続ける少女の話で、読んでいてとても辛かったのだが、そういうことも絶対あるのだから、こういう話が書かれていないといけないみたいな気持ちになった。


育てやすく、良い子の日和が愛子は気に入らず、お手伝いをしても、いじらしく母親の愛情を求めても、愛子は冷たく接することしかできない。

長じて、日和も母親に嫌われていることに気がつき、ただ愛子の目に留まらないよう、どんどん萎縮していく。

当然、日和に罪などあるはずもなく、日和がかわいそうでならないが、愛子が苦しんでいるのも分かる。父親の慎弥が、察していながら何もしないのは罪だが、それでも誠実な父親で夫であるのも分かる。

誰が特別悪いわけではないから、解決しようがないのが、また辛い。

しかし、妹の紅子に注がれる甘やかしは、紅子にとっても虐待になり得るだろう。

家族なんて、及第点くらいでちょうどいいのではないか。

過剰に家族の効用を言い立てれば、こういう家族の機能不全はこれから目立つようになるのかもしれない。


愛子が娘を愛せない理由に、子供の頃の妹の事故死のエピソードが出てくるが、結局それが主たる原因なのだとはっきりすることはない。その点がまず良かった。そういう「理由」が用意されてしまうと、理由がない人をさらに苦しめるだろうから。

あと、限界がきて家を飛び出した日和を、宥めて家に連れ戻して、元どおりの家族で頑張って暮らすということにならなかったのも良かった。そういう大人目線、社会目線のハッピーエンドの形で、現実に誰かが救われることもないだろう。


直接母の日が出てくるわけではないが、カーネーションという題、その花言葉などが意味深である。