2011年04月22日

警戒区域のその中で...

22日午前0時、
私の祖母、叔父、伯母、従兄弟...
多くの親族が暮らしていた町が、
「避難指示区域」から「警戒区域」になった。

今後暫くの間、「警戒区域」は「立入禁止」だという。
それを決めたからには、何らかの「理由」があってのことだろう。

災害対策基本法により、
それに背けば「罰金」「拘留」を科すと聞けば、
背ける筈もない。


けど、私に一言だけ言わせてほしい。

そこを離れることの出来ない住民は、
どうすればいい?
多くの牛と共に暮らしてきた酪農家はどうすればいい?

私たちは今日まで、
分け隔てない命とともに、暮らしてきた。

それがなぜ「警戒区域」の中にだけ、
こんな惨たらしい現実が、放置され続けているのだ。

多くの生き物が、この中で犠牲になっている。
多くの生き物が、それでもなお生き続けている。

震災から1ヶ月半が経過した今、
それでも牛が生き続けているのは、
それを世話する人間が存在するからだ。

私が牛舎に近づいただけで、
耳をふさぎたくなるような声で鳴き叫ぶ、命の声。
そこに立ち入ることが、今日からは許されない。

立ち入れば、「罰金」「拘留」

私の元へは「あれから牛はどうなりましたか?」というメールが
毎日のように届いている。
その方々に対し、あの牛たちは避難出来ましたと報告したいが、
現実は夢物語のようにはいかないことを私は知った。

警戒区域内の牛から絞られた牛乳を、他と分け隔てなく飲む。
それが多数であるなら、あの命を救う事もできるのだが...

私の望むことはただひとつ。

あの牛たちを、せめて殺処分にしてほしい。
繋がれたまま、ただ息絶える時間を過ごさせないでほしい。
餓死だけはさせないでほしい。

このブログを読んでくださる読者の皆様へ

この現実を、あなたの周りにいる多くの方々にお知らせください。
この現実を、多くの報道機関、マスコミにお知らせください。
この現実を、政治に携わる方々へお知らせください。

365日、家族同様に扱われた牛たち。
365日、たった1日も休むことなく愛情を注ぎ続けた酪農家の方々。

その「命」と「思い」に、警戒区域は立入禁止と、
突然決めてしまった行政。

今からお届けする写真は、とても残酷な現実です。
牛の鳴き声は、昨日4月21日午前11時30分頃
私が牛舎に近づいたときに収録しました。

この近隣だけでも、他に2つの牛舎があります。
それぞれの牛舎には、生きている牛がまだ数多く存在します。

「警戒区域」は「立入禁止」
それを決めるには、あまりに酷い現実です。

私は、せめて殺処分にしてほしいと思っています。
あなたは、この現実をどうしたいと思いますか?




yasoohjapan at 17:20│Comments(0)TrackBack(0)clip!東日本大震災 

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