先生、酒が切れています!

三代目開業医の酩言

※しらふの方はご遠慮ください。

たぶんダービーは特別なレースであり、騎手にとっても人生の中で限られた晴れ舞台なのだろう。



私の競馬予想史において、ダービーは勝率がとても良い。



ダービーは簡単だ。

当然ながら皐月賞馬が有利である。あとは騎手を重視すべきだ。

苦労人とされるベテラン、未だにダービー未勝利の名手、外国人騎手。これに該当しない騎手は買わない。

だからこそ、昨年の浜中俊(ロジャーバローズ)はショックだった。



今年は皐月賞馬コントレイルか、日本ダービー未勝利の名手でかつ外国人のレーン(サリオス)か、どちらかしかありえない気がする。

福永(コントレイル)は、一昨年ワグネリアンで念願のダービージョッキーになり大泣きしていた。めでたしめでたし。これが人生唯一の快挙になりましょう。だから今回福永は来ない。

日本ダービー2020はレーンが歴史にその名を刻む。



明日はサリオスの単勝一点勝負。ダービーは簡単である。



6/1追記
東京競馬場の長い長い直線を突き抜けたのは飛行機雲だった。コントレイル、衝撃的な強さである。ダービーも競馬も、いつだって難しい。

緊急事態宣言が出て、いつも行く床屋さんが店を閉めてしまった。



仕方なく、そろそろ伸びてきた頭をバリカンを使って刈ることにした。小5になった次女にバリカンを託す。



毛の長さを13ミリに設定しておいたのだが、娘はバリカンの使い方がわからなかった。チョン、チョンとピンポイントで毛をすいとっていく。



あれよあれよという間に、すい取られた箇所がまだらハゲになってしまった。



四十代も半ばに入り、前頭部にやや薄いところが生じてきたことを自分でも気にしているが、このたび頭頂部と後頭部に10円ハゲが急造された。

「ハゲは、誰よりもハゲを気にする」と言う。まだ一か二しか禿げていない(自分ではそう思っている)のに、十も禿げていると見られては堪らない。



仕方なくバリカンで刈れる長さのミニマムに設定して、全体をつるつるの丸坊主にした。




さっそく家内からは、「その頭で長芋か大根を擦ったらさぞ良いおろしがねになるだろうよ、ひゃっひゃっひゃ。」と笑われてしまった。



続いて街角で会った知り合いからは、「ずいぶん思い切ったことをしましたね」と驚かれた。私はただ笑って頭を撫でている。ハゲに発言権などないのだ。



今日スーパーでお会いした患者さんから意外な言葉を頂いた。

「先生、さすがですね!感染対策ですか。」

・・・それでいくことにした。

新型コロナウイルスが猛威を奮っている。



自分の医院でも感染対策を徹底している。風通しを良くして三密を避け、感染症が疑われる患者を隔離し常に手指と身の回りの消毒に心がけている。



世界中を巻き込んだコロナ騒ぎによって、色々なものが短期間で変わっている。世の中の様々なシステムはもちろんのこと、人々の感染症に対する意識も大きく変わった。



しかし、コロナ対策として私が別の視点から心がけていることは、それ自体に対して過度にとらわれすぎないことである。



世の人々は、大なり小なり見えないコロナの影に冒されている。コロナで誰かが死んだとか、世界中から入ってくる真偽の定かでないまたはレアケースかもしれない事象だとかを、情報として日々シャワーのように浴びている。



常に手指にアルコールを吹きかけ、繰り返し手を洗う。一日に何度も体温を測り、わずかな温度差に一喜一憂する。


一昔前なら精神を病んだ人の行動と見なされるようなことが、いまや多くの人々にとって習慣となっている。



己を律するだけでなく、街中でマスクをしていない者や不要不急の外出をしている輩を神経質に糾弾する。同じ空間で誰かが咳をしただけで、その事がしばらく自分の中で小さなトラウマになってしまう。



私は内科医であり、毎日大勢の発熱患者を診察している。コロナに罹患する可能性は普通の人より高いため恐怖は常にあるが、それでも精神の変化を一番に恐れている。

精神の変化は自覚しづらい。ましてや今は世界中で新しい`常識`が生まれている。

自覚症状の無い若い健常人が、毎時体温(予測)計で体温測定をする。そういった`常識`を守った元気な患者さん達が毎日大勢受診される。お年寄りならともかく、いつから人間はデジタル機器でメジャーしないと自分の体調さえわからなくなったのだろうか。


「人に感染させたらいけないから」皆口を揃えてそう言う。それも`常識`的な配慮となった。



ウイルス自体の感染力はもとより、精神や人格への影響力の方が圧倒的に強いことをあらためて思い知らされる。




コロナの騒ぎもいつかは過去の話となり、次第に人々の記憶から薄れていくのであろう。

まだしばらく続く流行の中で肺炎死するリスクと、`常識`により自分自身がギトギトに塗り替えられてしまうリスクと、今こそその確率についてもう少し考えた方が良い気がする。

新型コロナウイルス感染症が猛威をふるっている。



父の持病は特発性間質性肺炎。長年増悪を繰り返し今では末期の呼吸不全である。在宅酸素療法を続けており、自宅はおろか自室から出ることも出来ずに闘病生活を送っており、定期的に私が往診を続けている。


父は84歳になるが根っからの新しいもの好きで、最先端のテクノロジーを愛してきた。今でも最高のネット環境で生活している。そんな父から一通のメールが来た。



「来週、往診ありますか、連休に外出しますか、
リジャーを予定しているならその後2週間の往診を辞退します、」



悲壮な父のメールにとてもつらい気持ちになった。お互いが二度と会えなくなることを案じながら返事を送った。(以下)





「わかりました。 来週伺う予定でしたが中止にしましょう。心配をされているのなら止めた方がよいと考えます。私とは当分の間会わないほうが良いと思います。<当院の名称>は基本的には発熱患者をすべて受け入れています。国の指針で、発熱が続く場合保健所に連絡をすることになっていますが、そこで99パーセントは近医受診を指示されます。また、周囲のクリニックの多くは感冒症状のある患者をあからさまに拒否しています。

5月の連休、レジャーに行きたいですが移動すらままならない情勢であり、不本意ですが行けません。でも私の場合レジャーよりも日常診療の方が感染リスクは圧倒的に大きいです。しかしそれは内科医である以上責務だと信じています。だから受診自粛で患者が減っても、なるべく制限を作らずに患者の診療にあたっています。

そのことがお父さんの不安を引き起こしているのなら申し訳ないです。若い私と違って持病もあるお父さんの不安は想像を絶すると察します。



今でも、お父さんのあとを継ぐ時に言われた言葉をずっと覚えています。借金を背負わずに開業するということは甘さが出ると。その時に僕は、「借金がないからこそ仕事に打ち込める」と応えました。「意味がわからない」と言われましたがこの前代未聞の不況の時期だからこそそれを実践しようと思っています。



とまあ、偉そうにブってみましたが毎日重症っぽい感染症患者が多数来て、戦々恐々としています。一方で圧倒的に多いのは、ネットやテレビ、SNSでコロナのニュースに浸り神経症になった患者です。

コロナにも罹りたくないし、精神状態も泰然としていたい、その狭間で診療を続けています。

追伸 何か必要なことがあれば連絡を下さい。」

春にサワーポメロの種を蒔いて2年が経った。



大きめの鉢で育ててきたが、最近は背丈が私と同じくらいまで成長し、そろそろ植え替え(地植え)を考えるようになった。

サワーポメロを育てている農家の方から、植え替えは新芽が出た春の時期が良いと伺い、寒い時期を越して今日まで待っていた。



まずはスコップを購入した。移植場所を耕すためである。

痩せた土地では先々が不安なため、培養土も買った。肥料も買ってきた。



本日土曜日の夕方。庭の一角の芝地を掘る。

固い。小石がゴロゴロしている。うちの敷地はこんなに荒れ地だったのか。小石を取り除きながらさらに掘り進めていく。

60センチほど掘り進んだところ、硬い岩盤に行く手を遮られスコップを刺しても手が痺れるだけになった。仕方なく横方向を耕し、ぽっかりと開いた穴全体を少しだけ培養土で埋める。



続いて鉢から木を抜き出す作業に移る。鉢植えを逆さにしたらスポっと抜けるかな、とたかをくくっていたが、表面の土がさらさらと舞うだけでびくともしない。

高台に立ち鉢を逆さにして娘に土を掻き出して貰う。二人とも土まみれになりながら何とか少しずつ土を排除していくが、それでもなかなか本体はびくともしない。ようやくサワーポメロが土ごと抜けた時には、土の塊というより細かい根が塊になってその姿を現した。

根に絡んだ土を落とそうとしたが、いかんせん根の塊が強固であり土を剥がすことを諦めそのまま地面に掘った穴に投下した。



こうして今日、私の愛するサワーポメロは庭木になった。2020041414130000

4月に入り桜も咲いたというのに、朝6時半に着いた鈴鹿の武平峠は細かい雪が舞っていた。これから山に登ることが不安になる。



7時、雨乞岳登山口に入る。今回は単独行なので自分のペースで登ることができる。武平峠から雨乞岳のルートは8割方谷あいを登る道であり、小さな川の渡渉を幾度も繰り返す。

尾根道に出ると風が一層強くなった。東雨乞岳に着くころには辺り一面に樹氷が広がっていた。東雨乞岳山頂は強風とガスで視界がない。そのまま直進したところひたすらに下る。東雨乞岳から雨乞岳山頂まで所要15分くらいと聞いていたのでおかしいと気付いた。いったん東雨乞岳まで戻る。あとで調べたところ、この道は三人山を経てクラ谷分岐に戻る下山ルートであった。



無事に山頂へ着いた。

樹氷の向こうに御在所や鎌ケ岳をはじめ鈴鹿の山々が、はるか彼方には伊勢湾が顔をのぞかせている。

一緒に登る人がいないと、この美しい景色と感動を共有できずちょっと寂しい。私は滅多に写真を撮らないのだが、写真を撮りたがる人の気持ちが少しだけ分かる気がした。



すぐに頂上を後にして下山する。谷に入ると標識となる赤いテープだけが頼りなのだが、この山はとにかく道に迷いやすい。GPSを持って行かなかっただけにより慎重に歩いたが、それでもコースに戻るために崖を這い登って泥にまみれたりもした。



凍えるような樹氷の世界から戻ると下界は桜が咲き誇りポカポカ陽気であった。

闘病生活をしている父が八十四歳になった。



一年以上、自宅はおろか自室からも出ることができない苦しい状態が続いており、本当に良く頑張っていると思う。息子の私が定期的に往診に行っている。最近は、悪いながらも小康状態にある。



そして四月になった。



先週から冷たい雨が続いて、桜も咲き誇りそうになりながら待ったがかけられている。一昨日くらいからようやく暖かな晴天が続くようになり、気配を探るように少しずつ少しずつ枝の房が重みが増してきた。



土曜日の夕方、父を連れて花見に出かけた。

父は酸素ボンベのお供がいないとあっという間に肩で息をし始める。車いすへの移乗もことのほか重労働である。

家から近い教会の敷地に自家用車でお邪魔させていただいた。



八分咲きであろうか。温かな風にちらほらと花びらが舞っている。

「今日は良い春の宵だね。」桜を見ながら父の表情が穏やかになる。

教会の敷地は私有地であり事前にお願いをしていた。我々の家族以外に人はいない。



ひらひらと舞う花びらで孫たちが遊んでいる。父はその姿を眺めながら、「夕日がきれいだな」とつぶやいた。



「今年も桜を観ることができました。」毎年満開の桜の下でそう思う。父と私の桜は、これが最後かもしれない。

日が傾き、子供たちが舞っている花びらを集め始めると、風が吹いてきたようだ。時々酸素ボンベのアラームが鳴る。

子供らは集めた花びらを祖父にばら撒いて、桜吹雪が出来上がる。花びらに埋もれて父は恥ずかしそうな嬉しそうな顔をしている。



実は今日、私は車いすを押しながら父の顔をあまりしっかりと見なかった。これまで私は、幾人もの患者さんの車いすや介護ベッドを桜の木の下で押してきた。終末期の患者の頬に、散りゆく花びらが付着するシーンを何度も見てきた。

だからであろうか、私は父の顔を見ずに車いすの肩越しに父と話をしていた。



一年は長い。四月が来るたびにそう思う。

新型コロナウイルス感染症が世界各国をパニックに陥れている。



ある80代の女性患者は、コロナが怖くて怖くて、最近は家に閉じ籠りテレビばかりを観ているらしい。そんな彼女は、一緒に暮らしている息子さんにとがめられた。



「お母さん、コロナはね。テレビやネットから感染するものなの。」



いまや蔓延期とも言われており、そんな呑気なことを言っている場合ではないのだろうが、真偽のほども分からないコロナ情報に曝され続け、不安感やうつ状態に苛まれている患者数の方が実際のコロナ患者数より圧倒的に多いことだけは間違いがなさそうだ。

小牧に尾張三山あり。本宮山、尾張富士、尾張白山の三つを尾張三山と言う。



尾張三山制覇へ残り一つとなった尾張白山を目指し、愛犬を連れて小4の次女と日曜の昼前に出掛けた。



尾張白山は小牧市民プールの第二駐車場から登山口を入る。30分もあれば登頂できる里山であり、休憩所なども整備されたハイキングコースである。

日頃我が家の愛犬は明らかに運動不足であり、登り始めて10分もすると途端に歩みが遅くなった。ついには歩むことを拒み、道の真ん中で立ち尽くしてしまった。



情けない…。私は愛犬の背後に回る。背後に回られるのは嫌らしく、渋々歩き出す。



しばらく行くと、また止まる。今度は背後からお尻をプッシュする。背や尻を触られることはやはり嫌らしく仕方なく歩き出す。



何度も何度もお尻を押しながらようやく尾張白山の山頂に着いた。



今日は薄曇り。眼下に小牧の町が、遠くには名古屋駅のビル群を眺めることができる。

山頂でお昼にする。今日のランチはモスバーガー。モスチキンを犬にも分ける。山で食べる飯は何でも美味しく感じるが、ハンバーガーはさほど美味いとは感じなかった。やはり次からはおにぎりにするか。



下山も、犬が休み休みでなかなか歩が進まない。そのたびに私は雌犬のお尻を触り鼓舞する。



ようやく麓まで下ってきた。登山口の駐車場までもう少しのところでまたまた犬がへばった。

なんだよ、あと少しなのに…。「早く行けよ!」とばかりに、犬のお尻を軽くなでなでした。



その瞬間。犬は激怒した。

恐ろしい形相で吠えながら私に噛みつこうとした。

耐え続けていた飼い主のハラスメントについにキレた瞬間だった。



娘に諭され、犬に謝り、反省しながら登山口に帰ってきた。



3月に入ったばかりにもかかわらず、春本番を思わせる心地の良い陽気の一日だった。


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寝台列車にいる。



車窓の景色が流れていく。



時々やけに明るい光がまたたいて通過駅が過ぎていく。



空に星が見える。

先程までは上段ベッドにいる長女が星座を教えてくれていたが、今はかすかに寝息が聞こえてくるだけになった。



サンライズ号は夜行列車の風情を残しているが、機関車が牽引するいわゆるブルートレインと比べてスピードが速く加速と減速もスムーズである。

発車の際の頭を壁に打ち付けそうになるあの¨ガックン¨となる衝撃が懐かしい。



流れる夜景を見ている。酒を注ぐ間にも新たな景色が流れていく。



そんなに急いでどこに行くんだろう。

こんなに急がないと目的地に到着することができないダイヤが組まれているのだろう。



時代の流れと社会のニーズの狭間で全力疾走をするサンライズ号を思いやりながら、私はなおも盃を傾けて夜は更けていった。

二月上旬。ようやく寒波がやってきた。

子供たちにせがまれ、筋肉痛がおさまったばかりの木曽福島スキー場にやってきた。



今日も快晴。頂上からは、雄大な御嶽山はもとより白山連峰、八ヶ岳まで綺麗に見渡すことができる。

ゲレンデ上は表層にパウダースノーが薄く積もっており、この一週間の降雪が想像できる。



木曽福島スキー場のウリは4人乗り高速リフトである。小学生の時分、出来て間もないこの高速リフトが加速する瞬間は、大人へ翔け上がるような堪らない爽快感を感じた。学級単位でスキーツアーに行った際、第4ペアリフトで好きな女の子と一緒になった時のことは今も淡い思い出として残っている。



帰りの特急しなのが黄昏の木曽路を走っている。

車内の私は、ビールを片手にほろ酔い気分で娘たちの寝顔を見ながら、うつらうつら意識が途絶えていく。列車の揺れに身を委ね、夢なのか30数年前の思い出なのかもあやふやなまま、まどろんでいた。
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名古屋駅、日曜朝9時。

しなの5号は朝遅め出発の特急ということもあり空いている

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木曽福島までは一時間半とかからない。

寂れた駅前をぶらぶらしていると、開田高原行きのバスがやって来た。

20分ほどバスに揺られて木曽福島スキー場に着く。



この行程はもう何度目だろう。

最初は小学生の頃に幾度か姉に連れてきてもらった。



五人兄弟の末っ子だった私は、長姉と歳が十近く離れており子供の頃は母親のように可愛がってもらった。



私も娘たちを連れて同じ行程で何度か来ているが、よく出来たプランだと思う。乗り継ぎがスムーズであり、スキー場への到着時間がちょうど良く、レンタルスキーとリフト券の費用が半日分で済む。休日にスキーを凝縮してリーズナブルに楽しむことができる。

帰りは木曽福島16時30分発のしなの18号。こちらは結構混んでいることが多く、指定席を購入しておいた方が無難である。ただし日によっては20分後に臨時のしなの84号がやってくる。84号はびっくりするくらい空いているのだが、なんだかノロノロとして遅い。時刻表で見てもその遅さははっきり分かる。



車と運転が嫌いな私にとって、木曽福島スキー場はアクセスが良い上に混雑もなく、勝手知ったる幼馴染みのスキー場である。

ただ、もともと雪がそれほど降らない土地である上に、昨今の暖冬、老朽化の目立つ設備、広くないゲレンデと条件は厳しく、いつ行っても空いているということは経営も苦しいのではと思ってしまう。



厳冬の時期にも関わらず、ゲレンデ上にしか雪がない景色を見ながら将来に不安を感じずにはいられなかった。

経営は移ったが、いつまでも残ってほしいスキー場である。



追伸
帰りの特急電車の車内、多治見の手前で窓際に置いていた赤ワイン(2本目)が揺れに倒れ、辺りが血色で染まった。とても焦りティッシュで拭いて回ったが、酔いが一気に醒めた。列車内で赤ワインは止めようと心に誓った。

「君は結婚しない方が良い、向いてないと思う。」



二十代で勤務医だったころ、先輩医師たちから口々にアドバイスを受けた。

私自身もそう思ったし、多分自分は独身で生きていくものだと思っていた。



三十歳になる直前に父親が病に倒れ、跡を継いで開業医になった。

開業医は伴侶なしでは成り立たないという親父の遺言めいたアドバイスの後押しもありそのまま結婚することになった。

当時交際三年ほどの相手(妻)からも、プロポーズの際に「あなたみたいな`悪(ワル)`と結婚して幸せになるとは到底思えない」と言われた。



まだ結婚して14年ではあるが、今のところうまくいっている。(と私は思っている。)



結婚してこの方、妻には私の好きなようにさせてもらってきた。




結婚式もごくごく簡素に済ませた。

それまでも小さな旅行にはしょっちゅう行っていたこともあり、新婚旅行らしいものはなかった。

車にしても、身の回りのものにしても贅沢と思われるものが無い。うちにはスマホもない。

子供の教育についても一切を私に任せてくれた。



結婚に向かないと言われた私が、曲がりなりにもよき父で居ることができるのは、すべて家内のお陰である。

長女が産まれて十二年。

休日はほぼ必ず子どもたちと共に過ごしてきたが、子どもに合わせた過ごし方はしなかった



娘が歩くことができるようになると、私は私が行きたいところに子どもを連れて行くようになった。

寺社めぐり、酒蔵めぐり、山歩き、ローカル線の旅、釣り、競馬場…。



ディズニーとかUSJといったテーマパークはもちろん、公園さえもほとんど行ったことがない。

子どもも、物心ついたときからそのような休日の過ごし方を続けていると次第に自分と趣味が似てくる。



いつも大好きな娘たちと私の行きたいところに行くので、私は休日がとても楽しい。

同時に、子供の視点は次々と新たな世界を見いだしてくれることも分かった。



もちろん子どもらにとっても楽しい記憶が残るように、多少は子ども向けにアレンジはする。

私自身が楽しまなくて一緒にいる子供たちがどうして満たされよう、というのが私の持論である。

子供が公園の遊具で遊ぶ傍らでスマホをいじっている親の姿を見ると、色々な意味でもったいないなと思う。



いつか娘たちと共に休日を過ごすことができなくなっても(とても寂しいことではあるが)、もともと自分の好きなように過ごして来たわけで、私は変わらない。

私が子供に合わせて公園に行かなかったのは、もちろん私自身がそこに興味が無かったからであるが、いつか子どもが親離れをしてしまうその時期まで、自分の中の豊かさを醸成させておきたいからでもある。

2019年大晦日。



一年を通して怠けず走った距離は2524km。

残業だと思って毎日最低10㎞、本業への影響を考え最高でも13㎞までと決めている。



フルマラソンのタイムは停滞しているが、走行距離はキャリアハイを更新した。

走ることはあくまで仕事を支えるための手段であり、開業医の私にとって走行距離を一番の目標としている。

また一年が過ぎようとしている。



2019年の年末は越後の秘湯に逗留する。




この時期にして今年は雪が少ないと、案内をしてくれた宿の仲居さんが言っていた。



まだ陽が明るい夕方前。小学生の娘たちは雪に興奮して、宿屋の玄関前で雪だるま造りに夢中になっている。



都会育ちの子供にとって、積もった雪で遊ぶことは興奮するものである。私も昔はそうだった。


それがつい最近のような気もするが、今では風呂上がりに冷たいビールを飲むことの方が至福となってしまった。



湯上がりに、酔いも回っていい気持ちになっている。



目の前の障子に二匹のカメムシが止まっている。




仲居さんによると、この秋に大量発生したカメムシが冬になっても数が減らず、捕まえても捕まえてもキリがないとのことだった。



私もここに来てからガムテープでカメムシ退治に勤しんでいる。既に五十以上のガムテープの山が積まれ、最初の頃と比べると腕が上達してきた。



除夜の鐘が聞こえてくる前に、私は私の煩悩に向かい合うようにカメムシをひとつまたひとつとついばんでいく。



来る新年が穏やかな年でありますように。

人工衛星から送られてくる地球の映像を見ると、ドキドキと動悸がして居ても立っても居られないような気分に陥る。

地球がこんなにちっぽけで、そこに棲む自分という人間がいかに小さく儚い存在なのかを思い知らされてしまう。



人は何のために生きているのだろう。自分はやがてどうなるのだろう。

生命は限りがありいつか必ず消えてしまう。私にはそれがとても辛く苦しいと感じる夜がある。



おそらく多くの人間が心底で感じているこの絶望感に、人類はどのように向かい合えば良いのだろうか。



その答えを探し続け生きているが、今のところ明確な回答を得ずにいる。

私は典型的日本人であり無神論者である。よって死の跡には何も残らない。



強いて言えば未来への希望だろうか。

私には二人の娘がいる。命のバトンタッチを願うのだが、果たしてそれが私の存在意義なのだろうか。



毎日を懸命に生きること、充実した生を尽くすことによってそれを死生観へ昇華させること。生命の意義について、それくらいしか今の私には思い及ばない。

生きる意味を探し求めること自体が人生なのかもしれない。

自らを庶民と名乗る人に何となく嫌悪感を感じてしまう。



テレビ番組で「街の人たち」が偉い人やお金持ちに対してよく使う言葉として、「庶民感覚」とか「庶民感情」という言葉がある。



ここで考えるべきこととして、「庶民」とは誰のことであろう。

生活保護を受けている人は庶民なのか?零細企業の社長は庶民なのか?学校の先生は庶民なのか?校長だとどうか?



大富豪でもつつましい生活をしている人がいる。低所得でも浪費癖のある人もいるし、社会的地位のある人は所得が高いとは限らない。そもそも実際の所得や生活水準なんて他人には正確に分からないものである。

庶民という言葉は、基準があいまいである。



一般的には、お金持ちだとかお上に対して自分たちとの身分や立場との違いを言い表す言葉である。また、時にそれが正義の基準にもなる。




庶民という言葉は、特定の人を非難したい時に、そのコンプレックスを錦の御旗に変えて掲げる攻撃性のある言葉でもある。

判断基準なんて存在しないにもかかわらず、自分をちゃっかり善人にしたてて、安全地帯から他者を攻撃したい意図が見える
。文化大革命における紅衛兵的な香りさえ感じてしまう。



だから私は、庶民派だとか庶民感覚だとかを謳う人間をうさんくさく感じてしまい好きになれない。

私が勤務医だった、今から十五年以上前の話である。当時私は地方の市民病院に赴任していた。




私の科の上司は二人だけだった。温厚で患者さんから大変人気のある五十代半ばのA部長と、四十歳前後のB先生だった。B先生は、腕はたつがやや厳しいタイプのため患者さんからの評判は賛否両論だった。



ある時私は進行すい臓癌のおじいさんの主治医になった。転移も認め余命3ヶ月と診断された。




その患者に抗がん剤を使うことになった。それは患者本人の強い希望であっため、患者の家族も本人が望むならやって下さいとのことだった。



抗がん剤を使ったところ、ことのほか副作用が出た。本人も辛そうであった。



家族も見ていられなかったようで、次の抗がん剤投与前に私のところへ来た。




「先生!抗がん剤を止めてください。」



確かに転移が広がっており、残された時間は短い。それでも抗がん剤を投与したのは、患者さん本人からの強い希望があったからである。この場合、抗がん剤を中止するということは患者から希望を奪うことにほかならない。

家族はプラセボでやってくれないかと言ってきた。




プラセボというのは、偽薬、つまり医学的には効果がない薬のことである。もちろん、中には気持ちの問題で相応の効果が現れる人もいる。

私は、家族全員にプラセボを使うことの危険を伝えた。プラセボを使うことの危険、それはただひとつ、患者の信頼を失うことであり、発覚は医師患者関係の死を意味する。




翌日、私はその患者にほぼ生理食塩水だけの「化学療法」を行った。その点滴を受けながら、患者は「これでまだ生きられるかな」と笑っていた。

最期まで私のウソはバレなかった。(真実は患者しかわからないが。)

そしてまもなくその患者は死んだ。



後日私は、患者の家族から大変感謝された。




カンファレンスでその患者のプレゼンテーションを行った際のこと。

患者さんから大変人気のあるA部長は私を褒めてくれた。



そのままシャンシャンとカンファランスが終わると思われた時、B先生は静かながらも厳しく私をとがめた。




「先生の患者は誰なんだ。患者の意思に寄り添うのが医者の役目なのに、それでは患者にあまりに失礼ではないか。それは絶対に間違っている。」



時が過ぎ、私は私を叱ったB先生に心から感謝している。自分のまわりにそのような上司が存在したことは幸福なことである。いまでもB先生とは時々飲みに行っている。



私という医者は、口では「患者さん第一」と言いながら、末期ガン患者に対し患者よりも患者の家族を重視してきたような気がする。

患者はやがて死んで家族が遺る。死人には口がない。
私は名医を目指し評判を重視したのである。



不惑をとうに過ぎた私が、その時と同じ状況においてプラセボを使い患者を騙すかどうかは何とも言えない。

今の時代、患者に真実を隠して診療を行うことは医学教育においても「やってはいけないこと」と明記されている。今回のケースも、本来は患者がすべての情報を知った上で、治療方針については家族と話し合って、患者自身が決定すべき事案である。



兎にも角にも、当時二十代だった私を上司の目前で真っ向から否定し叱ってくれたB先生に、今はただただ感謝している。

マラソン大会を走ると、給水所以外にも沿道でランナーに飲み物や食べ物、エアーサロンパスなどを提供する「私設エイド」に出くわす。



彼らは極めて純粋なボランティアである。ランナーに良かれとやっている彼らは、大会を盛り上げる一翼を担っている。



昨今のマラソンブームで、全国の様々な都市で大きな大会が毎年繰り返し開催されるようになった。今のところ大都市のどの大会もエントリーが殺到しており、定員割れをすることはないが、いずれは淘汰される可能性もある。それぞれの大会が特色を出そうと頑張っているが、私設エイドを前面に出しているかと言えば、地方のローカル大会では耳にするものの都市型マラソン大会ではあまり聞かない。



公認、という形をとってしまうと、食中毒などの事故や不祥事があった時に責任範囲が広がってしまう懸念もあるだろう。

そこで提案なのだが、私設エイドに通し番号を表示させ、マラソン後のアンケートで人気投票をさせてはどうだろうか。実行組織や自治体は一切関与しない形をとり、番号だけ表示させる。私設エイド有志連合のような小さな組織として、完走後のランナーへアンケートをとって、人気の高かった素晴らしい私設エイドに賞賛(もしくは賞)を送ってはどうか。

運営組織にもっと覚悟があるのなら、「公認私設エイド」を制度として立ち上げてはどうか。私設エイドを希望する者を集い、登録制にして事前講習を受けさせる。大会案内のパンフレットに掲載したり、レース後に慰労会を催して表彰したり記念品を授与したりすれば、観客側の盛り上げに効果があるかもしれない。運営側としては、それほどコストはかからないだろうし、よくある給水所への不満も減るかもしれない。



マラソン大会は、出走していない者がどれだけ大会に参加できるかが大切だと感じている。私設エイドというかけがえのない熱い思いを持った有志を、ぜひ活用して欲しいと願って止まない。

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