先生、酒が切れています!

三代目開業医の酩言

2019年01月

予報では、この雨は昼前にあがる。



日曜日の10時過ぎ、次女と二人で散策に出かけた。

金山から名鉄急行に乗り30分、知多半田駅で降りた。



半田市には国盛で有名な中埜酒造がある。また赤レンガ倉庫は昔ビール工場であったため、今でもそのビールが飲めると聞いた。つまり私は酒の匂いにひかれてやってきた。



名鉄知多半田駅から、まずは半田運河を目指す。

冷たい雨がぽつぽつと落ちてくる。折り畳み傘を一本しか持ってこなかったため、娘は傘を、私はフードを被って歩く。武豊線の半田駅で、歩行者専用のアンダーパスをくぐる。この駅には日本でもっとも古い跨線橋があり、今も現役で使われている。



雨の日曜日。人気の無いJR半田駅前を運河に向かう。



運河にさしかかるところでミツカンミュージアムが現れた。それまでの寂れた雰囲気とはうってかわり、駐車場にはたくさんの車がひしめき、洗練された立派な建物の中は人で溢れていた。



もともと酢には興味がない。酢なんて酒が劣化したものだ。ということで、ミツカンミュージアムをスルーし運河に沿って中埜酒造へ向かう。



雨で身体が冷えたので酒が尚更待ち遠しい。程なくして国盛酒の文化館へ着いた。



ここで酒にありつけるのは酒造りのビデオを観てからのようで、薄暗い部屋の中、客一同がいかにも酒が欲しくなりそうな番組を鑑賞している。我々はタイミング良く、番組終盤で席に着くことができた。



そして試飲タ~イム!

もともと国盛が旨い酒だと思わないが、タダ酒なら旨みは50パーセントアップする。

渡されたプラスチック容器の小ささを呪いながら、目立たないように何度もおかわりを注いでもらう。

娘は、「身体に良い」と説明があった甘酒を、まずいまずいと言いながらおかわりの列に並んでいた。

悲しいことに、わずか10分ほどで試飲タイムは強制終了となった。蔵を後にし、再び冷たい雨の下の父娘に戻る。

期待値が大きかっただけに、舐めるだけでは欲求不満が募った。



まずはお腹が空いたので、ミツカンの近くにある寿司屋に入った。庶民的な店内に安心して握りを頼む。この店は、この後私の心に残る一軒になってしまった。(次項「大腸初体験」参照)



店から出ても雨は上がっておらず、ミツカンミュージアムの常設展示を見学させていただいた。

ミュージアムの方に、赤レンガ倉庫までは徒歩で20分くらいと教えていただき、運河沿いを北上する。かつてはこの運河を利用して、この地域で作った酢や酒、醤油を全国に販売していたそうで、往時を偲び歩を進める。

河に沿って、桜並木が雨の中寒そうに佇んでいる。寒さに耐えている枝々の芽たちを愛でながら、二人で人気のない土手の道をゆく。



赤レンガ倉庫に着いた。ミツカンに比べると観光客はまばらである。一通り見物した頃には3時近くになっていた。

アフタヌーンbeerの時間がきた。明治大正期に製造されていたというカブトビールをいただく。明治版と大正版の二種類あり、明治版は黒ビールである。

ウインナーをつまみに、明治から大正、大正から明治と、行ったり来たりを繰り返す。

こんな酔っぱらいのおっさんに、平成生まれの娘たちはいつまでついて来てくれるのだろうか。一抹の不安と寂しさを感じながらも、なおも私は大正と明治をさまよっていた。



ほろ酔いの域に達し、赤レンガ倉庫を後にした。歩いて五分の名鉄住吉町駅から帰路についた。



雨は降っていたが真冬の割に寒さはさほどでもなく(酒のせいか?)、穏やかな休日だった。

サワーポメロの種を蒔いて、10ヶ月が経った。


背丈が45㎝まで伸び、立派な若木になりつつある。2019011312340000

名古屋の冬は寒すぎないか、水の量はどれくらいが適切か、虫がついていないか、日々気が揉めて仕方がない。

季節による陽当たりの変化に対して鉢の位置を変えてきたが、結局常に目が行き届く玄関の前に置くことにした。



愛しいサワーポメロの若木には天敵がいる。

私がいない間、飼っている犬にいたずらをされていないか、娘の蹴るサッカーボールに被害を受けていないか、色々心配は尽きない。

弘南鉄道編~

年が明けた。



JR大鰐温泉駅界隈は、三賀日にも関わらず賑わいを見せている。



弘南鉄道へは、駅(南口)の脇からミステリースポットへの入口のような通路を行く。ここから先は昭和へタイムスリップしたような世界に変わる。

跨線橋を越えて、一番向こうが弘南鉄道のホームである。

切符売り場、プラットホーム、電車、すべてが半世紀以上時が止まっており、ノスタルジーに身が震える。



この鉄道を日常的に利用している地元の若者が羨ましい。

なぜなら、懐かしいという感情は歳を重ねたものだけが感じることのできる特権である。ここで育った平成生まれの若者たちは、将来昭和生まれの私たちと同じ懐かしさを共有できるのだ。



切符を購入して、ご年輩の昭和レディに入鋏していただく。



昼間は一時間に一本のダイヤである。発車間際に乗り込むと、二両編成の列車にはすでに10人ほどの乗客が座っていた。降りしきる雪の中、電車は大鰐を出発し中央弘前へ向かう。



途中駅には申し訳程度に止まるが、扉も開かずすぐに動き出す。



石川駅で、私たちは初めての降車客となった。



吹雪の石川駅。駅前に民家が数軒あるものの、なかなか侘しい駅である。それでもこの雪の中、駅舎があるだけでもなんと心強いものか。

10分後に来た大鰐行きに乗り、30分ほどの短い鉄旅を終えた。

思い出深い鉄路であった。
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