予報では、この雨は昼前にあがる。
日曜日の10時過ぎ、次女と二人で散策に出かけた。
金山から名鉄急行に乗り30分、知多半田駅で降りた。
半田市には国盛で有名な中埜酒造がある。また赤レンガ倉庫は昔ビール工場であったため、今でもそのビールが飲めると聞いた。つまり私は酒の匂いにひかれてやってきた。
名鉄知多半田駅から、まずは半田運河を目指す。
冷たい雨がぽつぽつと落ちてくる。折り畳み傘を一本しか持ってこなかったため、娘は傘を、私はフードを被って歩く。武豊線の半田駅で、歩行者専用のアンダーパスをくぐる。この駅には日本でもっとも古い跨線橋があり、今も現役で使われている。
雨の日曜日。人気の無いJR半田駅前を運河に向かう。
運河にさしかかるところでミツカンミュージアムが現れた。それまでの寂れた雰囲気とはうってかわり、駐車場にはたくさんの車がひしめき、洗練された立派な建物の中は人で溢れていた。
もともと酢には興味がない。酢なんて酒が劣化したものだ。ということで、ミツカンミュージアムをスルーし運河に沿って中埜酒造へ向かう。
雨で身体が冷えたので酒が尚更待ち遠しい。程なくして国盛酒の文化館へ着いた。
ここで酒にありつけるのは酒造りのビデオを観てからのようで、薄暗い部屋の中、客一同がいかにも酒が欲しくなりそうな番組を鑑賞している。我々はタイミング良く、番組終盤で席に着くことができた。
そして試飲タ~イム!
もともと国盛が旨い酒だと思わないが、タダ酒なら旨みは50パーセントアップする。
渡されたプラスチック容器の小ささを呪いながら、目立たないように何度もおかわりを注いでもらう。
娘は、「身体に良い」と説明があった甘酒を、まずいまずいと言いながらおかわりの列に並んでいた。
悲しいことに、わずか10分ほどで試飲タイムは強制終了となった。蔵を後にし、再び冷たい雨の下の父娘に戻る。
期待値が大きかっただけに、舐めるだけでは欲求不満が募った。
まずはお腹が空いたので、ミツカンの近くにある寿司屋に入った。庶民的な店内に安心して握りを頼む。この店は、この後私の心に残る一軒になってしまった。(次項「大腸初体験」参照)
店から出ても雨は上がっておらず、ミツカンミュージアムの常設展示を見学させていただいた。
ミュージアムの方に、赤レンガ倉庫までは徒歩で20分くらいと教えていただき、運河沿いを北上する。かつてはこの運河を利用して、この地域で作った酢や酒、醤油を全国に販売していたそうで、往時を偲び歩を進める。
河に沿って、桜並木が雨の中寒そうに佇んでいる。寒さに耐えている枝々の芽たちを愛でながら、二人で人気のない土手の道をゆく。
赤レンガ倉庫に着いた。ミツカンに比べると観光客はまばらである。一通り見物した頃には3時近くになっていた。
アフタヌーンbeerの時間がきた。明治大正期に製造されていたというカブトビールをいただく。明治版と大正版の二種類あり、明治版は黒ビールである。
ウインナーをつまみに、明治から大正、大正から明治と、行ったり来たりを繰り返す。
こんな酔っぱらいのおっさんに、平成生まれの娘たちはいつまでついて来てくれるのだろうか。一抹の不安と寂しさを感じながらも、なおも私は大正と明治をさまよっていた。
ほろ酔いの域に達し、赤レンガ倉庫を後にした。歩いて五分の名鉄住吉町駅から帰路についた。
雨は降っていたが真冬の割に寒さはさほどでもなく(酒のせいか?)、穏やかな休日だった。
日曜日の10時過ぎ、次女と二人で散策に出かけた。
金山から名鉄急行に乗り30分、知多半田駅で降りた。
半田市には国盛で有名な中埜酒造がある。また赤レンガ倉庫は昔ビール工場であったため、今でもそのビールが飲めると聞いた。つまり私は酒の匂いにひかれてやってきた。
名鉄知多半田駅から、まずは半田運河を目指す。
冷たい雨がぽつぽつと落ちてくる。折り畳み傘を一本しか持ってこなかったため、娘は傘を、私はフードを被って歩く。武豊線の半田駅で、歩行者専用のアンダーパスをくぐる。この駅には日本でもっとも古い跨線橋があり、今も現役で使われている。
雨の日曜日。人気の無いJR半田駅前を運河に向かう。
運河にさしかかるところでミツカンミュージアムが現れた。それまでの寂れた雰囲気とはうってかわり、駐車場にはたくさんの車がひしめき、洗練された立派な建物の中は人で溢れていた。
もともと酢には興味がない。酢なんて酒が劣化したものだ。ということで、ミツカンミュージアムをスルーし運河に沿って中埜酒造へ向かう。
雨で身体が冷えたので酒が尚更待ち遠しい。程なくして国盛酒の文化館へ着いた。
ここで酒にありつけるのは酒造りのビデオを観てからのようで、薄暗い部屋の中、客一同がいかにも酒が欲しくなりそうな番組を鑑賞している。我々はタイミング良く、番組終盤で席に着くことができた。
そして試飲タ~イム!
もともと国盛が旨い酒だと思わないが、タダ酒なら旨みは50パーセントアップする。
渡されたプラスチック容器の小ささを呪いながら、目立たないように何度もおかわりを注いでもらう。
娘は、「身体に良い」と説明があった甘酒を、まずいまずいと言いながらおかわりの列に並んでいた。
悲しいことに、わずか10分ほどで試飲タイムは強制終了となった。蔵を後にし、再び冷たい雨の下の父娘に戻る。
期待値が大きかっただけに、舐めるだけでは欲求不満が募った。
まずはお腹が空いたので、ミツカンの近くにある寿司屋に入った。庶民的な店内に安心して握りを頼む。この店は、この後私の心に残る一軒になってしまった。(次項「大腸初体験」参照)
店から出ても雨は上がっておらず、ミツカンミュージアムの常設展示を見学させていただいた。
ミュージアムの方に、赤レンガ倉庫までは徒歩で20分くらいと教えていただき、運河沿いを北上する。かつてはこの運河を利用して、この地域で作った酢や酒、醤油を全国に販売していたそうで、往時を偲び歩を進める。
河に沿って、桜並木が雨の中寒そうに佇んでいる。寒さに耐えている枝々の芽たちを愛でながら、二人で人気のない土手の道をゆく。
赤レンガ倉庫に着いた。ミツカンに比べると観光客はまばらである。一通り見物した頃には3時近くになっていた。
アフタヌーンbeerの時間がきた。明治大正期に製造されていたというカブトビールをいただく。明治版と大正版の二種類あり、明治版は黒ビールである。
ウインナーをつまみに、明治から大正、大正から明治と、行ったり来たりを繰り返す。
こんな酔っぱらいのおっさんに、平成生まれの娘たちはいつまでついて来てくれるのだろうか。一抹の不安と寂しさを感じながらも、なおも私は大正と明治をさまよっていた。
ほろ酔いの域に達し、赤レンガ倉庫を後にした。歩いて五分の名鉄住吉町駅から帰路についた。
雨は降っていたが真冬の割に寒さはさほどでもなく(酒のせいか?)、穏やかな休日だった。