先生、酒が切れています!

三代目開業医の酩言

カテゴリ:雑感 > 名古屋ローカル

土曜日が祭日と知ったのは金曜日のことだった。



そして秋分の日の土曜日、次女と犬を連れて小牧山に行った。近くに住んでいても、これまで小牧山には行ったことがなかった。

テレビ番組で、城郭考古学者の千田先生が実際に訪ねて熱く解説をしていたため、一度訪ねてみたいと思っていた。



小牧山は全体が公園となっており、安土桃山時代の遺構がいまだ発掘途上である。天守閣に向かう道には、堀跡や土塁が確認できる。ああ、ここで千田先生が興奮していたな、などと思い出しながら頂上に向かう。




かつて若き日の織田信長が居城としていた小牧山が、今は市民の憩いの場になっており、実際に登ると感慨深いものがある。


それ以上に私にとって感慨深かったのは、週休二日がこんなに安楽なことなのかということで、将来の夢が新たに一つ加わった。

宮地佑紀生がラジオ番組で不祥事を起こし失脚してしまった。



我が中日ドラゴンズも最下位に低迷し、谷繁監督も途中で下ろされてしまった。



今、宮地佑紀生とドラゴンズは共に地獄のどん底にいる。

どうであろう。



いっそ来シーズンの球場DJを宮地佑紀生にやらせてみてはどうか。



もとより、ナゴヤドームの今のDJはつまらないし、少なくともその存在により集客できるレベルではない。
また、失礼ながら今後しばらく宮地さんのスケジュールはたぶん空いていると思われる。


来季も苦しい戦いが予想されるドラゴンズにとっても、入場観客数に伸び悩むナゴヤドームにとっても、さらには宮地佑紀生にとっても、希望が持てる話ではないであろうか。



宮地佑紀生のトークはとても面白かったし、東海地方では絶大な人気を誇っていた。

たぶん今でも逮捕されたことに戸惑っている聴衆は多く存在するであろう。



さすがに、ウグイス嬢を神野三枝にお願いするのは無茶であろうか?



「聞いてみゃ~ち」をこよなく愛し聞いていた者にとって、心の中で開いてしまった小さな穴をなんとか修繕出来ないものか、色々思案するばかりである。

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「尾張名古屋は城でもつ」と言うけれど、私はこれまでその意味がよくわからなかった。



私が名古屋城天守閣に初めて登ったのは、小学一年生の遠足の時だった。
たった一駅を地下鉄に乗り、普段は近所の街角で、建物と建物の間にひょっこり姿を現すお城にわくわくしながら立ち入った。



あれ以来、私はつい最近まで名古屋城天守閣に入ることが無かった。なぜならば、間近に見た城の味気なさと空気の淀み具合は幼心にも衝撃的だったからで、名古屋城は眺めるもので近づくものではないと学んだ。

最近娘二人と三十年ぶりに名古屋城天守閣に上がったが、やはり何も新たな感慨は沸かなかった。近隣の岐阜城や犬山城の天守閣に比べあまりにも中身の印象が薄すぎる。



名古屋人として、こんなダサい名古屋城をわざわざ遠方より観に来てくれる観光客たちへ、申し訳なく恥ずかしく思ってきた。たぶんもう次は来てくれないだろうと諦めている。



そう、子供の頃からずっと諦めてきた。

思えば名古屋の為政者たちは、ずっと子供たちに夢を与えてくれなかった。東山動物園のコアラ舎、オリンピック誘致、デザイン博、愛・地球博・・・。市政と直接関係はないがイタリア村なんていうのもあったし、矢田川花火大会もなし崩し的にに取りやめになってしまった。



何にしろ企画自体もダサいのだが、常に反対するだけの左派にはますます創造力など無く、長年トヨタの恩恵を受けることができたため、彼らは無能を咎められることもなく、名古屋は無為に時を重ねてきた。



名古屋と同規模の都市である福岡市や横浜市とこの半世紀で比べると、名古屋のダサさ、対外的な魅力の乏しさはもはやどうしようもないところまで来てしまったような印象を受ける。そもそもほとんどの観光客は名古屋を素通りしてしまう現状である。



ただ逆に考えれば、名古屋には観光都市としてまだまだ大いなる伸びしろがあるとも言える。

そして、他府県や外国から名古屋へやってくる観光客は大概まず名古屋城を目指す。と考えれば、名古屋城への多大な投資は観光都市名古屋の未来のためには重要案件ではないであろうか。



もちろん、本丸御殿、おもてなし武将隊、金シャチ横丁、名城公園、中国領事館が取得を断念した元国家公務員宿舎跡地のなどもどんどん活用してほしいのだが、昨今、名古屋城の耐久性に端を発し、安上がりで済む改築か、いっそ木造建築による建て替えかで議論が起きている。



私はこの機会だからこそ、木造再建を強く望む。

二者択一的な議論がなされているが、私自身は木造再建ただ一択である。



先に述べたように、名古屋城は名古屋で最も集客力のあるスポットである。木造で新たな天守を建てれば、永きに渡りこの街を照らしてくれると思う。



経済的影響だけではない。

これまで私は、県外や外国からやってくるゲストから、名古屋城を観たいとリクエストを受けるたびに戸惑ってきた。それは、実家に招待して欲しいと言われ、「えっ!?ウチ?ウチはちょっと・・・」と尻込みをする心情と似ている。

名古屋城は、今現在本当に尾張名古屋人の誇りとなっているだろうか。



名古屋城は今のままではそのすばらしき素質が生かし切れていない。暴論であるが、今の天守閣の耐久性に問題があるとしても、改築や補強工事ならむしろ無用だと言いたい。

子供のころから情けなく思ってきたあんなダサく無価値な器なんて、小手先の手法で維持を目指すより、何も手を付けず、半径百メートルを立ち入り禁止にして遠くから眺めるだけにした方がよっぽど経済的である。

そのまま時とともに朽ちてゆけば、むしろ栄枯盛衰の味が出て廃墟マニアが増えるのではないか。



昨今、降って沸いたように建て替えの話がでた。そしてボケとつっこみの如くお決まりの反対意見も聞こえてきた。



いつも名古屋城を見て育ち、毎日周辺をランニングして眺めてきた私にとって、こういった話題がきっかけとなり、ようやくその魅力に気づき、この城がいかに人を惹きつけるポテンシャルを持っているかも再認識している。



名古屋城への投資に二の足を踏んでいる方には、是非毎日お城に足を運んでいただき、様々な角度からお城を見て感じてほしい。


40年間諦め無関心になっていた郷土への愛情、ある種ナショナリズムみたいなものが私にも存在したようである。

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小学生の娘たちも成長し、最近は銭湯で一緒に入れなくなった。寂しいことであるが仕方がないことでもある。



娘は、友人が家族でディズニーランドに行ったとか、ユニバーサルスタジオに行きたいだとか必死に訴えてくる。



娘二人がヨチヨチ歩きの頃から、私はなるべく私自身が行きたい場所で娘と余暇を過ごすようにしてきた。

それは、寺社仏閣であったり、秘境駅であったり、酒蔵であったり、海や川であったりだった。



私が行きたくない場所に連れて行くのは、子供たちにとって不幸なことではないかと考えてきた。



今でも京都の寺社には娘たちとよく訪ねる。

今回は珍しくメジャーな金閣寺を訪れた。



私にとっては、小学校の修学旅行以来ウン十年ぶりの訪問であった。



娘二人と私三人で新幹線に乗り京都へ。

山陰線に乗り換え、円町で降りる。昼食を摂りバスで金閣寺道へ。



予想通り、金閣寺は外国人で溢れていた。



子供たちは、金箔で覆われた華やかな姿に衝撃を受けたようで、出口から再度引き返して金閣を眺めていた。



今更ながら、京都は強い。

日本全国のみならず世界各国から大勢の観光客が押し寄せる。鉄板の観光地である。



かたや我がふるさと名古屋はどうか。

自宅近所の名古屋城も、中国人をはじめとして徐々に観光客が増えてきたが、まだまだ名古屋は観光都市とは言えず、逆に伸びしろが十分にあると考える。



名古屋を訪れる観光客の多くは名古屋城に立ち寄る。

名古屋城は間もなく本丸御殿が完成し、周辺の整備も日に日に進んでいる。



願わくは名古屋城天守閣そのものへのさらなる投資である。



改修か建て替えかで揉めているが、多額の投資をしても将来的には観光客の増加により、名古屋はもっと豊かで魅力ある街になると信じる。

栄枯盛衰という言葉があるように、トヨタがいつまでも今のままであるとは限らない。



名古屋城の木造での建て替えと更なる周辺施設の整備を期待している。



ただし娘たちも、金閣寺からの帰りのバスの常軌を逸した混雑ぶりと、街中至る通りで渋滞が発生している様を見て、観光都市の裏側にある負の面にちょっと疑問を持ったようでもあった。



これからふるさと名古屋の進むべき道を、子供たちと話し合った。

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幼少の頃、母が私を伴い県外の親族に挨拶に行く際に、必ず手土産にしていたのは納屋橋まんじゅうだった。



そこでふと思った。

我がふるさと名古屋に来た観光客は、一体何を土産に買って帰るのか?



残念ながら名古屋銘菓に美味い土産は望めない。
有名とされる名古屋銘菓、例えばういろ、なごやん、ゆかりなどを実際名古屋市民は食べない。



強いてあげれば、中村公園の老舗、孝和堂の草餅は間違いなくイケてる名古屋銘菓である。



名古屋駅や栄で買える銘菓としては、大口屋の三喜羅という麩まんじゅうや、すやの栗きんとんが挙げられる。

どちらも名古屋のお店ではないが、ヘタな名古屋土産を買うよりも、間違いなく喜ばれる土産である。



名古屋にきたなら、エビフライとか味噌カツ、ひつまぶしなんて食べてないで、三喜羅、すやの栗きんとん、孝和堂の草餅を買って帰るべきである。


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年に四、五回空港を利用する。

名古屋在住の私だが、中部国際空港(セントレア)の利用はせいぜい一回くらいで、残りは県営名古屋空港(小牧)等である。



小牧を発着する便はフジドリームエアライン(FDA)のみであるが、現在小牧から、青森、花巻、山形、新潟、出雲、高知、北九州、福岡、熊本へ国内線のみ就航している。

FDAは、格安航空会社ではないが、変動型割引運賃で時期によっては片道一万円未満の路線もあり、全体的に大手に比べ割安である。



盆休み、久しぶりにセントレアを利用したが、大いにストレスを感じた。
まず名古屋から遠い。さらには駐車場から搭乗口まで結構距離がある。

旅行で数日開ければ、駐車料金で7~8千円はかかる。

お盆のような多客期は、荷物預けで例外なく30分は並ぶ。

帰ってきたら帰ってきたで、空港ターミナルを延々と歩かされる。

荷物受け取りにさらなる時間を要し、駐車場までカートを押して、そこから名古屋まで一時間のドライブである。名鉄電車利用ならなおさら体力を要する。



なぜ皆セントレアしか利用しないのだろう。県営名古屋空港なら上記のストレスはすべて解消されるというのに。



県営名古屋空港は、都市高速を使えば、名古屋中心部から30分とかからない。

駐車場は旅客ターミナルの目の前に新設されており、駐車場からチェックイン、保安検査、搭乗ゲートまで導線は100メートルもないくらいコンパクトな空港である。駐車料金も5日間利用までは無料である。



空港から名古屋市中心部まではバス、タクシーでアクセスが良いため、名古屋へ仕事や観光で訪れる際にも是非おすすめである。



しかし確かに、セントレアを使わざるを得ない時もある。海外特にアメリカやドバイに行く時と、北海道便の利用時とである。

ただ、セントレアも十年前と比べ欧米便は減っており、いっそ成田や関空まで足を延ばす機会も多い。



セントレアは利用客の伸び悩みで減便傾向だが、県営名古屋空港は就航路線を着実に増やしている。

また、私は海外に行く際も、県営名古屋空港から福岡まで飛び、福岡空港をハブ空港のように、そこから香港やシンガポール、時に宮崎、松山などへ経由地として利用する。



出発の前夜、セントレア周辺のホテルで一泊する話をよく聞くが、福岡空港なら市街地まで目と鼻の先であり、常滑の埋め立て地で泊まるより、中洲で楽しい夜を過ごす方が断然魅力的である。



中部エリアの空港一元化という政財界の思惑もあるだろうが、来るべき東海大地震、津波災害に備えて内陸部の空港も残しておいた方が良い気もする。



セントレアを利用する度に感じる大いなるストレスを、多くの人々はその後の楽しい思い出に塗り消されて結果黙認している。



名古屋人なら是非一度県営名古屋空港を利用してほしい。もっとも、さらにセントレアの利用者減少が進むことになるだろうが。

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商店街のお祭りに行った。



無数の屋台が並ぶ中に、たませんを売っている店もある。

たません一枚二百円也。
屋台だから高いのは仕方ない。子供たちと三人で食べた。



たませんは名古屋発祥のおやつらしい。



私がまだ、小学生3~4年生の頃、近所の駄菓子屋「ヤマザキ」のおばちゃんが新商品の開発に力を入れていた。



そろばん塾をサボって今日も鉄板の前に座る。

渇いた喉に、キンキンに冷えた毒々しい色のチェリオが沁み渡る。



「最近、ヨソの店ではたませんを売り出しているみたいだから、私も作ろうと思うの。レシピを聞いて作ってみたんだけど、食べてごらん。」

これが私とたませんの出逢いであった。



たませんとは、楕円形のたこせんべいに、潰して広げた目玉焼きを乗せた食べ物である。



当時一枚五十円であった。



鉄板の上にたこせんべいと目玉焼きを並べる。コテで目玉を潰し広げる。
たこせんべいにソースを塗り、潰した卵にかぶせ、ひっくり返す。ソース、青海苔、紅ショウガ、かつお節を加え、マヨネーズをかけたら出来上がり。



私はたませんの虜となり、連日1日5枚は食べていた。小遣いはすべてたませんに消えていった。


当時、名古屋市北部には鉄板設備を備えた駄菓子屋がそこかしこに存在しており、たませんも店によりそれぞれ特徴があった。

「小川屋」は、卵をつぶさず目玉焼きの状態で提供していた。

餅のトッピングは多かったが、「ペンギン屋」のたませんにはウインナーが乗っていた。

「田中屋」が一番人気だったが、わずかに学区外であり、皆「PTA愛のパトロール」に怯えながら通っていた。



また、たませんの普及に伴い、イカせん、肉せん、ソバせん、ピザせんなどの進化版が登場し、ここに鉄板駄菓子屋は黄金期を迎えた。



やがて、非行化につながるとしてPTAが巡回パトロールを強化したが、パトロール隊が廻って来ると、店のおばあちゃんが裏口へ誘導し逃がしてくれたため、結局はいたちごっこであった。



近隣の鉄板付き駄菓子屋は、私が中学に進学して以降、立て続けに店を閉めていった。

高校生になる頃には、既に十分の一くらいまで店の数は減ってしまっていた。

経営者が皆年寄りだったから仕方がないことなのかもしれないが、少年時代が終わったようで寂しかった。



私はたませんに、たまらないノスタルジーを感じる。当時子供たちは、行きつけの店のたませんこそがナンバーワンだと自慢し合っていた。



今でもたませんを食べると美味しいし懐かしい気分になる。

名古屋名物として、まーっと売り出してもよい気がする。



ただ最近のたませんで気になるのは、出来上がると二つ折りにして食べさせるお店が多いことである。



たませんは二つに折ってはいけない。

楕円形のたこせんべいを端から噛みついていくのが正しい食べ方なのだ。


誰よりもたませんを食べて大きくなった私の魂の叫びである。

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名古屋で生まれ育った私にとって、かつて観光都市を意識したことが二回あった。



地方博の『世界デザイン博』と、万博の『愛・地球博』の開催時である。
特にデ博(※当時はこう呼ばれていた)の頃の思い出は今でもはっきり覚えている。

マスコットの『デポ』もゆるキャラブームのはるか前だったため、悲しいことに今日誰の記憶にも残っていない。



時代は昭和から平成へ。
デザイン博を控えた名古屋の街中は、なんとなく高揚感で溢れていた。

地下街や幹線通り沿いには、何やら理解しがたいモニュメントやイラストが雨後の筍のごとく出現し、人々は『なーに言っとるの!これがdesignだがね~』と噂した。



デ博は、三つの会場に分かれて開催し、会場付近の地下鉄の駅は急遽リフォームされたが、私の実家近くの駅は一駅離れていたため、変わらず暗く汚いままであった。



デ博が始まると、街で外人を見かける機会が増えた。

名古屋城も、普段はガラガラなのに常に行列ができている。

この名古屋城、小学低学年の遠足で訪れた際の思い出が忘れられない。

名古屋城は天守閣に向かいエレベーターが設置されている。案内係のおじさんが、立て板に水の如く、『この名古屋城エレベーターは江戸時代に徳川宗春公が設置されたもので、日本最古のエレベーターと言われております。』と語ったときの衝撃と興奮は今でも忘れない。

先日、6歳になる娘を伴い城を訪ねた際に、その話をしてやったところ、『んなワケないじゃん。』と一刀両断にされてしまった。



デ博において、白鳥、名古屋港、名古屋城の三会場すべてに足を運んだ。
特に名古屋城は実家に近く、自転車で三回通った。



私は当時中学生だったが、デ博の良さが全く理解できなかった。

特に名古屋城会場の退屈さは噴飯ものであった。
来場者の多くは、手持ち無沙汰で戸惑っていた。外人さんたち、わざわざ名古屋くんだりまでお越し頂いたのに、このていたらくをお許しください。

我ら区民たちもあまりのつまらなさで、呆気にとられていた。特にガウディの城など、意味は分かるが訳が分からない代物に、困惑するばかりであった。

子供だったので、唯一パチンコの疑似体験をさせてもらえるのが楽しく三回も行ってしまったが、仏の顔も三度まで、悲しくも名古屋レベルを痛感させられた苦い記憶となった。



デ博の際、我が家は前売り入場券を大量に買わされた。

その後の愛・地球博開幕前にも、私の手元にはチケットが9枚あった。

勤務先の病院の医局、互助会、診療科などで強制的に購入させられ、実家に帰れば、母は婦人会、子供会、自治会から、父は医師会から大量の前売りチケットを買わされていた。

開幕前に金券ショップにすべて持って行ったが、雀の涙にしかならなかった。まさに、「しょっくでかぞう」であった。



勤務医になっていた私が、愛・地球博に行こうともしなかったのは、少年時代のデザイン博へのトラウマが大きかったからであろう。



いまだにテレビに登場する『モリゾー』と『キッコロ』を見ると、不遇な時代を生きた『デポ』を思い出すと同時に、親兄弟合わせて30枚以上の前売り券を買わされた虚しさに、恨み節の一つでも言いたくなる。

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