先日知人のご主人のお通夜に弔問させて戴きました

久々の仏教式通夜

年は30くらいの僧侶さん一名でした

宗教学、世界宗教史も一応は習いましたが、やはり右から左に
受け流しており、仏教について詳しくありません

正直、お焼香のやり方も・・・・

それでも自分がご奉仕する際には、郷には入れば、郷に従えとは
思う事がよくありますので、仏式にお伺いして忍び手で拝礼するほど無礼はしません

読経は目で文字を追いますが、発声は遠慮しました

そして終了後、若僧侶は、淡々と話し始めました・・・

仏教界におけるお通夜、葬儀を考え直す時期に」きております・・・

ガクッとなりました
昔、お偉いお坊さんの葬儀に弔問した際は、故人が子供の頃から
亡くなられるまでの功績をお話され、最後のお別れに非常に心に
残るお話をお聞きした覚えがあります

しかし、今回は故人の死というものを通過点として、自分を
見つめ直しましょう云々(あまりビックリして聴いてませんでした)

私は、故人とのお別れ、そしてご遺族に頑張って下さいという気持ちで
訪れたのであって、自分の事なんかどうでもいいやん〜

法要等で自論をお話するのはご自由だけど、ここでする話??と
?マークが頭を駆け回りました

途中で、最近私の代になってそう思うようになりました〜おいおいまだまだ
経験不足じゃないか?故人と何回顔合わしてよく知っているのか?
それでいいのか〜と何度もつぶやいて帰ってきました

私は、ある意味喪主さん達と悲しみを共有し、思いっきり悲しさ、辛さ
そして思いを引き出し、その上で、厳粛にご奉仕して、その上で
これからは家の霊舎で姿は見えないけれども、声は聞こえないかも
しれないけど生きている如く共に暮らし、見守って戴ける
だからこそ、いつまでもめそめそしていないで、頑張れと言って背中を
押して下さる御霊に対して心配をかけないように、明日からは胸を
はって前を見つめて、頑張りましょうといって帰ってきます

何が正解で、何が不正解はないと思いますが、でも通夜、葬儀は
故人への最後のお別れの場であり、それ以上でも、それ以下でも
ないと私は思います

※ちゃんと聴いていなかったので、若僧侶さんが本当に言いたかったことを
解してない場合は、申し訳ありません